てぃーだブログ › 沖縄で小学校の先生になる!β › 一日の雑感。

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2009年05月04日

ゲンキ坊やをめぐる冒険5:(ブログ第1049日目、雑感。)

「ミルクでゲンキ」の【歌と踊り】という作戦は大成功だったようです!

この曲を使ったCMは子どもたちに大人気で、しかも振り付けを必死で覚える子どもたちまで続出したそうです。 (事実)

 

けれど、「明治酪農牛乳」はそんなことではびくともしませんでした。(……!)


学校をも巻き込んだ「Lマーク戦略」。
その内容はなによりも購買層の中心である、ウチナーの主婦たちの心をがっちりと鷲づかみにしてしまったのです!

「明治酪農牛乳」は、輝ける“県産優良品”という立場を、そしてLマーク戦略に最大限に活用しました。

なにしろ、Lマークを集めると、県産の霜降り肉やマンゴーといった高級食材がもらえたりするのです!
(下記アドレスは以前のキャンペーンのものです。)
http://www.okinawa-meiji.co.jp/topics/okinawa-aji/2005.html

さらに、学校向けには、“Lマークを集めて学校へ名画を送ろう”などというキャンペーンがあったりしたのですよ。
よーかいが推測するに、これは確実に校長が霜降り肉やマンゴーに換えていること間違いなしです!

他にも、Lマークでファミリーミュージカルも行けるということまでやってのけています。
http://www.okinawa-meiji.co.jp/topics/family/2006.html


なんか、「ベルマーク」や「グリーンマーク」よりはるかに使いでがいい「Lマーク」。
恐るべし、「明治酪農牛乳」!

これでは「ゲンキミルク」に勝ち目はありません…。








ところで……、

 
この2つの「ゲンキ坊や」、どこかビミョーに違いませんか?









上は沖縄本島、下は宮古と八重山です。







………はっ!∑ヽ( ̄□ ̄;)ノ



気付いてはいけないことだったのですか…?




そう…、

この違いこそが、この連載の冒頭での、よーかいの受難を生むことになるとは、この時点では誰が予測できたというのでしょうか…?(!!)



実際に、那覇市内の工場に取材に赴いて、思いもかけない真実を知ることになってしまったのです…!

(まだ続きますよ。。)  

Posted by よーかい at 00:01Comments(0)

2009年05月02日

ゲンキ坊やをめぐる冒険3:(ブログ第1047日目、雑感。)

圧倒的なカリスマ性を誇る「ゲンキ坊や」を擁した「森永ゲンキミルク」には、実は強力なライバルがいたのです。

それは「明治酪農牛乳」です。



しかも、「明治酪農牛乳」は現在の沖縄県内のシェアNo.1
そのうえ、堂々の“県産優良品”指定です!

実際のところ、「明治酪農牛乳」にとっては「森永ゲンキミルク」はライバルどころか、アウト・オブ・眼中です。。。
実際、よーかいが(モノズキにも)沖縄県内で調査を行ったところ、「明治酪農牛乳」は南部からやんばる最北端奥集落の協同売店までどこでも売っていましたが、ゲンキミルクはごく一部しか置いてありませんでした…(汗)。

調査箇所:
ファミリーマート(那覇4店舗、宜野湾1店舗、名護1店舗、空港1店舗)
那覇市若狭「スーパーわかさストア」
本部町「マックスバリュ」
奥集落協同売店
安波集落協同売店


このうち、「明治酪農牛乳」はすべての店舗で946ミリ、472ミリともに販売していましたが、「森永ゲンキミルク」は、本部町のマックスバリュと安波集落協同売店で946ミリ入りのものがあっただけでした…( ̄ー ̄;)


ちなみに、沖縄の牛乳は、内地なら1リットルのパックで売られているものは、946ミリリットルで売られています。
ハーフサイズなら、500ミリリットルではなく、473ミリリットルになります。

これはケチっているわけではなく、アメリカ統治時代の名残りなんですね。
つまり、アメリカでは牛乳の容量をガロンで表示するために、946ミリリットルは、4分の1ガロンに相当するということになるのです。

同じように見える牛乳でも、ビミョーに違うわけなんですよ!ヽ(`Д´)ノ



さらに、内地の牛乳では一般的な「生乳」は沖縄では多くはありません。
これは、乳牛自体がもともと気候にあまり合わなかったためだといわれています。
「ゲンキミルク」のライバル(?)商品である、「明治酪農牛乳」が輝ける“優良県産品”に指定されているのは、沖縄では少数の部類に入る生乳ということにも要因があるようです。


では、一方の「ゲンキミルク」の成分表示はどうなのでしょうか?


○類別名称:加工乳
○現材料名:生乳、脱脂粉乳、バター、クリーム





……もはやこれは「牛乳」なのでしょうか??

おそるべきまでにチャンプルーな牛乳になっているのです!∑( ̄Д ̄;)ナント




繰り返しますが、同じように見える牛乳でも、ビミョーに違うわけなんですよ!ヽ(`Д´)ノ

(つづく…)
  

Posted by よーかい at 00:01Comments(0)

2009年05月01日

ゲンキ坊やをめぐる冒険:2(ブログ第1046日目、雑感。)

“ゲンキ坊や”とは?

まず、そこから説明する必要があるでしょう。


2004年の夏を過ぎた頃。
どこかレトロで、やたらと耳に残るCMが沖縄本島限定で流れました。
それが沖縄森永乳業株式会社の森永ゲンキミルクの宣伝「ミルクでゲンキ」でした。


「ゲンキ坊や」自体は、宮古や石垣では、一部で熱狂的なファンを生んでいるほどのカリスマでした。
しかし、「ゲンキ坊や」の存在は、宮古と石垣を除いて、人々から長く忘れ去られていました。
なぜなら、40年もの間、沖縄本島では、その存在は封印されていたからです。



ところが、2004年11月16日、沖縄本島にセンセーショナルなニュースが駆け抜けました。

『 ◆森永ゲンキミルク新発売!
 皆様に長年ご愛顧頂いた「かりゆし牛乳」が生まれ変わり「ゲンキミルク」になりました!
 昔懐かしゲンキ坊やが復活してのリニューアル!』




ついに、長年の封印が解かれ、幻のカリスマが復活することになったのです!

これは、2005年9月に創業50周年を迎える沖縄森永乳業が、社運をかけて復活させた一大プロジェクトでした。
それ以前は、「かりゆし牛乳」という製品が沖縄森永の主力製品だったのです。

とってもかりゆし」という意味不明の宣伝文句に、運搬車まで牛乳パックと同じ柄。
そんな主力商品「」を廃してまで、「ゲンキミルク」の復活の儀が執り行われたのです!



ちなみに現在の沖縄森永乳牛は、55年にアミノ酸ヤクトール本舗として設立しました。

やがて、63年にゲンキ乳業と名前を変え 「ゲンキ坊や」のキャラクターで沖縄初の冷えた牛乳を売り出しました。
その後、ゲンキ乳業は70年に森永と資本提携し、沖縄森永乳業となったという大河ドラマのように壮大な歴史が背景にはあるのです。

だから、牛乳パックに書いてある「おかげさまで創業50年!」というのは、かつてのアミノ酸ヤクトール本舗時代からの通算なのです。
まだ、いわゆる「本土復帰」の前のことでしたし、当時は森永なんてまったく関係ありませんでした。
「ゲンキミルク」自体、売っていた期間は非常に限られたものだったわけです。




それでも、ゲンキ坊やのカリスマ性は衰えるどころか、一部で熱狂性を帯びていったのでした!!!






ん…?




ちょっとまてよ…?



…沖縄初の冷えた牛乳! 



あの灼熱の沖縄で、ただでさえ痛みやすい牛乳が、冷やされることなく売られていたわけですね…。。

一体何人がそれまで犠牲になったのでしょうか?
……想像するだに恐ろしいものがあります。(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル




ともかくも、かつての「ゲンキミルク」は、沖縄食文化の歴史を塗り替える、エポックメーキングな飲み物だったのです!




しかし、そんなカリスマにも、強力なライバルが出現していました…!

21世紀に入ってからの沖縄本島では、あたかも「牛乳戦争」が勃発される気配すらただよう剣呑さに充ちていたのでした。

そこへ、あまたの危険をかいくぐり、よーかいが、いつもの野次馬精神を発揮し、崇高な学術的知的探求心から、戦場カメラマンのように、極秘内情視察を行うことになったのでした…!



そこで目にしたもの。
それは、「ゲンキミルク」をめぐる陰謀ともいうべき「黒い秘密」だったのです!!!


(つづく!)  

Posted by よーかい at 00:25Comments(0)

2009年04月30日

ゲンキ坊やをめぐる冒険:1(ブログ第1045日目、雑感。)

いったい、自分は何をしているんだ…?!



そこは、だだーっぴろいだけの、殺風景な古いプレハブの2階。
折り畳み式の長机とパイプ椅子が一つ。
そこに座らされている自分。

まるで拉致監禁状態です。
知らない人からみたら、これから何かの尋問が始まるのかと思うことでしょう。
季節は、沖縄でも寒風の吹きすさぶ2月。
空は何かを暗示するように曇天、ときおり雨。


一応、手足は自由ですが、動くに動けません。
入り口のドアは開け放されたままになっていることだけが、監禁ではないことをかろうじて証明してくれています。
そして、目の前には、ザーッとノイズがかかったままの、21型テレビ。
そして、牛乳パック……。

さっきから、この状態が何分続いているのかもわからないくらいです。

どのくらいの時間が過ぎた頃でしょうか。
「課長」と名乗る人物が現れました。

-…これでやっと自由になれる…

そう思ったのも束の間、彼は「次は本社のものだから」とビデオを交換し、立ち去っていきました。



いったい、自分は何をしているんだ?!


壁には
『牛の平均寿命は本来12年くらいですが乳牛の場合、たくさんのミルクをしぼるために5~6年でその役目を終え、食肉等へまわされます。

ミルクがでなくなったら廃牛または食肉

というポスター。ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル


イラスト・ふりがな付きで、
『乳牛の99.9%は人工授精によってメスだけが生まれます』
なんていうかなりエグいパネルまで貼ってあります。ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル



いったい、なんで自分はこんな拷問まがいの目にさらされているのだ…?



記憶をたぐってみます。
そう…すべてのはじまりは……

“ゲンキ坊や”だったのです。


(つづく…)  

Posted by よーかい at 02:17Comments(0)

2009年04月29日

「わいている」感満載な川崎。(ブログ第1044日目、雑感。)

サッカーよりもガンプラ販売に命を懸けているような感じさえある川崎フロンターレ。

フロンターレのガンプラ販売についてはすでに何度か記事にしているのでもう書きませんけど(苦笑)。




このチームの広報活動は、どこか本末転倒的な苦笑を禁じ得ないものの、いい歳した大人がバカなことを真剣に追究している感があってときに感動すら覚えます。

もしかすると、フロンターレの「中の人」は、脳みそが発酵しちゃって、ハッピーでハイになる物質がだだ漏れ状態になっちゃっているんじゃないだろうか?とすら勘ぐってしまうのです。


例えば、コメを売るときだって手を抜きません!



……や、スタジアムでコメを売っている自体すでになにかがそこはかとなく間違っている感満載なのですが!∑( ̄□ ̄;)ハウッ



例えば、4月22日の「フロンターレ日記」。
タイトルは「応援米」。


『今シーズン、毎試合フロンターレ応援米が売り切れ完売御礼が続いています。』

いきなりこの出だしで始まります。
売る方も売る方なら、買う方も買う方な感じもするのですが。。( ̄ω ̄;)

売っているお米はフロンターレパッケージの「ふくしまの米」。
川崎は米どころではないので、当然お米は米どころからの「輸入」になるのです。


『実はこのフロンターレ応援米、「最高のお米を販売したい!」ということで、ホームゲーム毎に福島の精米所にお願いして精米しているのです。
 当然作り置きができないため発注するスタッフも毎回頭を悩ませています。』


常に精米したて!
味にはこだわっているのです!!!

その職人魂、意気や良し。

しかし、サッカーチームが米の販売に頭を悩ませてどうする?


『中身は最高ランクの特A級会津産コシヒカリ100%、しかも精米したて。
 最高に美味しいお米です。
 一度試しで、とお買い上げいただいたお客様が次々とリーピーターとなっていただき、スタッフも毎試合ブースでお会いするのが楽しみになっています!』


これは果たして、サッカーチームなのか米屋なのか?!
100mを全力疾走で逆走しているのを観ているような感覚に襲われます。


『「やっぱり本当に美味しい!」、
 「プレゼントしたらとっても喜んでもらった」、
 「留守番をお願いしている奥さんへのお土産に…」、
 「実家に地方配送サービスを使って送ったら親が喜んでくれた」
 などなど、みなさんそれぞれ思い思いの理由でお買い上げいただいています。』


川崎という都会に、実家から米が送られてくるのなら理解は容易いのです。
しかし、川崎から実家の親元に米を送ってどうするのでしょうか?
そこに米はないのでしょうか?
つか、親は米も満足に買えないような生活を送っているのでしょうか?

真面目に考えれば考えるほど、なにかがそこはかとなく、しかし根の深いところで間違っているような気がしますが、きっと気のせいなのでしょう。



なにせ、こんなことで頭を悩ませているのがくだらないことだというような、ある意味壮大な、一種「人類の新たな挑戦」的な試みが、今度の「多摩川クラシコ」では行われるようなのです!


(これは昨年の「多摩川クラシコ」ですが、今年も「ジャイアント・キリング」は多摩川クラシコを全面バックアップ!)


その挑戦とは、
多摩川クラシコエアーツアー」なるもの。

これまでも、多摩川を渡し船で渡ってサッカー観戦という企画はありました。
しかし、今年はなんと、川崎からわざわざ飛行機でお隣の東京の味の素スタジアムに乗り付けるというのです!


それもなんと、1泊2日で川崎から東京に向かうのです。


行程は、試合前日の23日、横浜港から大島へ船で向かい、翌日、大島空港から飛行機で味スタそばの調布飛行場へ降り立つという計画なのです。
等々力競技場から大島までは約100キロ、大島から味スタまでは約108キロという全208キロの行程なのです!(; ̄∀ ̄A



しかも、さらなる衝撃的な「落とし穴」がその企画にはあらかじめ記されているのです。

“飛行機欠航の際、試合観戦ができません”


な、なんじゃそりゃーーーーー!!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ
わざわざ1泊2日で208キロの行程を進むことを決意しても、最後の最後に、肝心の試合を観戦できないという本末転倒な大どんでん返しが待っている可能性すらあるというのです!


そのため、このツアーは

“この大きな難点をご理解・ご了承頂ける心の広い方・ノリのいい方の参加をお待ちしています!!”

とのこと。
確信犯です。



もうなんだか、どっか「わいちゃってる」感満載なのです。

でも、よーかいももし今でも横浜や千葉に住んでいたなら間違いなく申し込んでいたでしょう。
こういった頭のおかしい企画は大好きです♪ヽ(゜▽、゜)ノアハ  

Posted by よーかい at 01:21Comments(8)

2009年04月28日

沖縄は納豆文化圏化進行中!(ブログ第1043日目、雑感。)

納豆戦線異状あり!なのです!!ヾ(。`Д´。;)ノ

納豆と言えば、関東圏のもの。
関西人なら基本的にその名前を聞いただけで嫌がる食材です。
その他の地域では、一応スーパーには並んではいるものの、そこまで頻繁に食卓に上がるものではない……と思われがちです。


ところが!


いま納豆需要の伸び率は,高知県,愛媛県,沖縄県がトップ3であるというのです!



もちろん、これは「伸び率」であって、二〇〇五年の総務省の家計調査年報によると、那覇市の一世帯当たりの納豆の「年間購入額」は、全国の県庁所在地で三十六位と、まだそこまでの爆発的な消費量を誇るわけではないようです。


納豆の本場水戸からすると遠く離れた沖縄県。
もともと納豆文化は存在していませんでした。
それでも、急速に納豆文化に浸食されてきていることは事実なのです。

例えば以前、某番組の影響で「納豆ダイエット」なるものが流行り、納豆が品薄になった「納豆騒動」。

実は、あの納豆騒動には、沖縄県も巻き込まれていたのです…!∑( ̄□ ̄;)ハウッ
スーパーの店頭では陳列棚が空になり、メーカーも「生産が追いつかない」と悲鳴を上げていたのです。


(写真は「納豆騒動」時の沖縄市内のスーパー。:沖縄タイムスより。)
なにせ、当時は沖縄タイムスも琉球新報も、一面トップで報じていたくらいですから相当のものです!((((((ノ゚⊿゚)ノ


そう、いまや沖縄では納豆はメジャーな食べ物なのです!
本島最北端辺戸岬の手前の小さなお店から離島のお店までちゃんと納豆を置いているほどなのです!



ところで、もともと納豆文化圏ではなかった沖縄県ですが、なぜここまで急速に納豆が普及してきているのでしょうか?
もしや、世界進出をもくろむ鹿島アントラーズの陰謀がこんなところにあらわれているのでしょうか?!

かつて大槻ケンヂ
「日本をインドにしてしまえ!」
と叫びました。(「日本印度化計画」)

そんな風に、
「世界水戸化計画」
が、
密かに、しかし着実に水面下で進行してきているとでもいうのでしょうか…?((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル



実は、その答えは、“給食”にありました。
学校給食で子どもたちに食べさせたところ、「これはうまい!」と大好評になったのだそうです。
まずは沖縄県の子どもたちの味覚に納豆はジャフトフィットしたのです。
そして、そこから各家庭に広まっていったのだそうです。

他にも、八重山農林高等学校の生徒が実習で納豆を作ったら面白くて,卒業してから作りはじめたという話もあります。


さらに、実は沖縄県内で納豆を製造しているメーカーもあるのです!

それは南城市の“ゴールデン食品”という会社です。
売れ筋は、タレには黒砂糖、からしにはウコンを使用した「シーサー納豆」(下の写真)だとかd( ̄∀ ̄*)



ちなみに、「納豆騒動」では、ゴールデン食品でも、通常1ヶ月分の大豆が1週間でなくなってしまうほどの爆発的な売れ行きだったそうです…!( ̄ω ̄;)


ともかく、納豆のニオイに関しては沖縄ではほとんど苦情がでていないようです。
しかも、子どもたちは給食でごく普通に納豆を食べています。

いまの子どもたちが成長し大人になったときには…!


もしかしたら沖縄は名実共に“真の納豆文化圏”になっているかもしれないのです!!!  

Posted by よーかい at 03:19Comments(0)

2009年04月26日

「ゲテ食」ではないのです。(ブログ第1041日目、雑感。)

今日のレシピは、オリオンビールのお供にぜひ!!d(* ̄∇ ̄*)エヘ


ええと、沖縄本島では、初夏の訪れを告げるイワサキクサゼミが鳴き始めたそうです。

『沖縄気象台は23日、南城市玉城糸数でイワサキクサゼミの初鳴きを観測。
 平年より5日、昨年より16日早い。』

(『ヒンヤリだけど クサゼミ初鳴き/南城市玉城糸数』 2009年04月25日 沖縄タイムス)



そんなわけで、察しの良い方はもうおわかりでしょう。
今日はセミの調理法をご紹介したいと思います♪d( ̄ー ̄*)にぃ


内地では一般的ではありませんが、セミ(とくにクマゼミ)は、子どものおやつに供されるなど、伝統的な沖縄の「食材」です。
もちろん、だんだんと沖縄でも「過去の味」になりつつありますが、ある程度の年代の人ならたいていは食べたことがあるともいいます。
「故郷の味」とさえいう沖縄出身の方も。
(よーかいもぜひ食べてみたいので、沖縄ご出身の方、ぜひ御指南いただけないでしょうか?)


ただ、意外なのは「薬用」としては食されてはいなかったようで、「これが食材?」というものまで乗っている『沖縄薬用民俗動植物誌』には、薬用として食されたという記述が載っていません。

しかし、薬用としては各国でセミは使用されてきました。
例えば、フランスでは成虫を乾燥させたものが利尿剤腎臓の薬として用いられていました。
中国では抜け殻が小児の夜泣き、破傷風、疱瘡、耳だれなどの様々な病気に効くとされました。(しかし、抜け殻って??)
さらに、
不老不死の薬を求めたひとびとにとっては、その原料として“セミ”は外すことのできない材料だったと伝わっています!

日本国内でも、抜け殻が耳だれや耳痛、咳、熱、頭痛などに効くという民間療法が各地に伝わっています。


セミってけっこう凄いのです!!!


さて、ここで詳しくセミのレシピを書いてある本をご紹介したいと思います。
ゲテ食大全』(北寺尾ゲンコツ堂著 、データハウス、1996年)という本です。

この本、タイトルに「ゲテ食」とはついてはいますが、アマゾンのプレビューでも多くの方が書いていらっしゃるように、いたって真面目な本なのです。
寄生虫への注意や毒性の有無など、その食材を食べる上での注意点や、調理法のレシピも詳しく載っています。
なによりもただの「伝聞」ではなく、著者が実際に食し、その味について詳しく記述している本なのです!

『イヌ、ネコ、金魚、ミミズ、セキセイインコ、イソギンチャク、ウジ、ハムスター…あらゆる生物は、人間の食材として平等である。』
こう述べる本書は、あくまで「美味」を追究した、究極の「裏」グルメレシピ集なのです!!!ヾ(。`Д´。)ノ


さて、本書よると、セミは「初級」であり、

『虫の中でもかなりうまい方に属する』

とあります。


では、さっそくレシピを3点続けてご紹介♪


1)セミの幼虫の唐揚げ

 材料:
 羽化寸前のセミの幼虫適宜、食用油適宜、食塩少々

 作り方:
 ①幼虫はサッと洗って水気を切っておく。
 ②180度に熱した油に幼虫を入れ、カラリとなるまで揚げる。
 ③揚げたてに塩を振り、供する。




2)セミの串焼き

 材料:セミ適宜、砂糖大さじ1、醤油大さじ2、竹串数本。

 作り方:
 ①セミを瓶に入れ、熱湯を注いで息の根を止める。
 ②数匹ずつ竹串に刺し、熱した焼き網の上に乗せ、強火で羽を焦がす。
 ③一旦火から下ろし、焦げた羽を取り除き、火を弱め、腹側も焼く。
 ④大体火が通ったら、砂糖と醤油を合わせたタレを付け、サッと炙り焼きにする。
 ⑤器に取り、供する。


 ※①の過程は省略可ですが、生きたままだと、串に刺すとき、かなりうるさいそうです。
 ※②で竹串に刺すとき、死んでいるにもかかわらず、発振膜が動き、鳴き声を発することがあるそうです。




3)セミの揚げ煮

 材料:
 セミ10匹程度、食用油適宜、砂糖大さじ2、醤油大さじ2

 作り方:
 ①セミは羽を折り、飛べないようにしておく。
 ②食用油を180度程に熱し、セミを一気に放り込む。
 ③1分程で上げ、油を切り、冷めたら羽を取り去る。
 ④鍋に醤油と砂糖、水カップ1/2を入れて煮立て、③のセミをいれる。
 ⑤落とし蓋をし、汁気が半分くらいになるまで、弱火で煮詰める。
 ⑥そのまま冷まして味を含ませ、器に盛って供する。




や、実際これらの料理は、かなりおいしそうですよね…?(≧ω≦)b
食べた経験のある方、ぜひお味の方の感想を教えてください。



ところで、先に挙げた日本各地で使用されてきたセミの薬効ですが、実はかなり疑問があるそうです…(汗)。
セミの出す大声や、飛び立つときの放尿から連想し、イメージだけで薬用に使われた民間療法がほとんどだったとのこと…。。。( ̄Д ̄;;

どうやら、薬用にはせずに、とことん味にこだわった沖縄にこそ、セミ食文化には一日の長があったようです。



余談になりますが、『ファーブル昆虫記』の著者ファーブルも農民からセミの調理法を聞き、自身で料理しています。
ただし、「食べられる」としながらも、「羊皮紙を噛むように堅い」と『昆虫記』に書いてあります。

しかし、『ゲテ食大全』にはそのことへの反論として、
『ファーブルのレシピは「オリーブ油数滴、塩ひとつまみ、玉ねぎ少々」を使い炒めたことにこそ失敗の原因があった。
玉ねぎの水気により、殻の水分が飛ばず、さらにオリーブ油数滴とケチったために、噛みきれないほど堅くなったのだろう。』

と指摘しています。



『ファーブルは、昆虫学者としては偉大であったが、料理人としては三流であった』(「ゲテ食大全」より)
とさ…(; ̄ー ̄A
  

Posted by よーかい at 01:36Comments(2)

2009年04月21日

ひゃくまんつぶの涙。(ブログ第1040日目、雑感。)

ぼくらの○○は今宵も祭り(ノ*´∀`)ノ♪


そんなノリで、ちょうど先日まで沖縄では清明祭(シーミーサイ)の時期でした。
「清明」は中国の二十四節気の1つで、4月5日頃から、二十四節気の「穀雨」(4月20日頃)までの期間です。


で、肝心の「○○」の部分。
どこでお祭りがあるのですかって?

それは…


お墓なんです(; ̄∀ ̄A



要するに、これはご先祖様のお正月なのです。
沖縄には、新暦のお正月、旧暦のお正月、そしてご先祖様のお正月と、3回のお正月があるのです!

清明祭の習慣は沖縄本島に多くて、離島や本島でも北部のやんばる地方では旧暦一月十六日に行われる十六日祭(じゅうろくにちさい)の方が盛んです。
地域によって細かな儀礼は違いますが、大まかには十六日祭も内容は清明祭とほぼ同様です。


清明祭は、お墓にの前に親戚一同、門中と呼ばれる血縁組織が集まって、お重に入ったごちそうを食べ、飲んで唄ってご先祖様を供養するのです。
ある意味、内地での「お花見」に相当するにぎわいがお墓の前で行われていると思えばほぼ間違いないでしょう。

たいてい週末に行われるので、きっとこの週末や、来週末あたりは沖縄本島のお墓はどこもすごいことになっているのです。


清明(シーミー)そのものは中国から伝来した習慣ですが、中国の清明はお墓参りはしても、その場でお供えを食べることはしないし、墓前も宴をするほど広くないそうです。
でも沖縄ではどんな小規模な墓でも、清明用の宴会スペースだけはちゃんと確保されています(^ー^;)


それにしてもなんで沖縄だけ、ご先祖供養が宴会みたいなお祭り騒ぎになってしまったのでしょう…?o( ̄ー ̄;)ゞううむ
それはどうやら、「命はつながっている」という思想が沖縄にはあって、肉体は滅んでもご先祖様の魂そのものは息づいている、だから今生きている子孫たちとご先祖様が一緒になって楽しむという考えのようです。


ちなみに、清明祭は、祈りの方法などはだいぶ違っても、やはり中国文化の影響を受けた地域では行われているそうです。
南はインドネシアなどの東南アジアから、中国、沖縄。
清明祭が一般的でない日本の内地の方が、アジアでは「異質」だと言えるかもしれませんね。


ところで、有名な沖縄ポップスに「清明祭ソング」があるのをご存知ですか?

ひゃくまんつぶの涙」という曲で、唄っているのはあの「島唄」の大ヒットでも有名なTHE BOOMです!
オリジナルは1990年なので、「島唄」よりも前の作品で、三線のめちゃくちゃ明るいリズムと、それに不釣り合いな感じのちょっと怖い感じの歌詞が印象的な曲です。


(写真は2002年リミックス版収録の、THE BOOMのアルバム「OKINAWA~ワタシノシマ~」。)


【ひゃくまんつぶの涙】

(一番歌詞)
 おくら畑に埋めといた 君の切れっぱし
 今夜もあなたに会いたくて 掘りおこしてみる

 やかんにためたひゃくまんつぶの涙をわかして 君をもどそう
 しいたけみたいにふくらんで ほらほら村一番キレイな顔

(二番歌詞)
 幾年(いくとせ)君を想ううちに 僕も年老い
 眠る君によりそうように 土へとかえる

 空じゃおひさまがそれ見て泣き出し ひゃくまんつぶの雨がふる
 草木はおどり かえるは歌いぼくらのお墓は今宵も祭り

(囃子)
 アメヨフレフレ
 ナミダフレフレ



歌詞はウチナーグチ(沖縄言葉)ではなく、基本的にヤマトグチ(内地言葉)なので、対訳は必要ないでしょう。
歌詞の内容を見てみると、一番の歌詞は沖縄の昔ながらの土葬で、二番の歌詞は清明祭の様子です。



でも、実はもっと深い意味がこの曲にはあるそうです。

この曲の作詞・作曲をしたTHE BOOMのヴォーカルの宮沢さんはインタビューで以下のように答えています。

『1990年、沖縄に初めて来た時に、移動のバスの中で歌詞を書きました。

 曲は出来ていて録音中だったんです。

 モチーフになったのは沖縄戦です。

 先に死んだ連れ合いの骨を畑に埋めて、時々掘り起こしてみては一緒に暮らすんだけど、最後は一緒に死んで、亀甲墓の前でお祭りが始まるよ、毛遊び(もーあしび)が始まるよ、みたいな歌です。』


 (以上、本人談)


実はTHE BOOMの代表曲「島唄」も沖縄戦がモチーフになっています。
「ひゃくまんつぶの涙」はまさに「島唄」と対になるような曲といえるでしょう。

悲しい歴史を背景にした、哀しい歌詞だけれど、やっぱりどこかあっけらかんと明るいのは、沖縄では「いのち」がつながっているという思想があることも関係しているのでしょう。
ちょうど清明祭が、いま生きているひとと、すでに亡くなったご先祖様の間に「生者と死者」という壁がなく、一緒に楽しむものだということみたいに。


♪草木はおどり かえるは歌いぼくらのお墓は今宵も祭り♪


(※この映像は、前奏のみフェイクで「島唄」から始まります。)  

Posted by よーかい at 02:12Comments(0)

2009年04月20日

デスノートよりも怖い!?(ブログ第1039日目、雑感。)

沖縄食のカロリーってどのくらいあるんだろう…?

旅先でふと抱く疑念ですよね。

たとえば、標準装備で超大盛りのご飯がついてくる定食屋とか。
あるいは、突如オバーのカメーカメー攻撃に遭ってしまったときとか。

例えば、キンタコの馬鹿みたいにでかいハンバーガーなんて、いったいどれくらいのカロリーなんでしょうか?



沖縄の旅から帰ってきて、体重計に乗るのが怖くなるひとはきっと大勢いることでしょう。
実際、現在の沖縄は日本一の肥満県。
女性の長寿率こそ日本一を保っていますが、実は男性はそれほど長寿ではなかったりしています…( ̄ω ̄;)


そんなとき、『おきなわカロリーブック』(えいよう相談室 1300円、2007年)を一冊持っていれば安心です!d( ̄ー ̄*)



ハンディサイズの冊子には、沖縄そばや定食から、調味料のカロリーまで、身近な沖縄食のカロリーが一目でわかるように写真付きで載せられています。



さて、この本に目を通していて、おそろしい驚愕の真実に気づかされたのです…!∑( ̄□ ̄;)ハウッ



まず、通常の沖縄そばよりもソーキそばの方がカロリーが低いとは…!
これは、三枚肉には脂身が多いせいなんでしょうかね?

これまでソーキそばはちょっと小腹がすいたときに食べるのにはカロリーが高そうで、ちゃんと1食として食べるときだけ頼んでいましたが、これからはもうちょっと頻繁に頼んでみようかななんて思いました。


まあ、このあたりまでは、ごく普通の食事的なカロリーなのですが……。。
問題はここからなのです!



オバーのカメーカメー攻撃の最右翼、サーターアンダギーのカロリーは1個235キロカロリーもあるのです。

オバーの攻撃は1個や2個食べただけではおさまってはくれません。
「も、もう食べられません…」
そうギブアップしても、戦後の食糧難を知っているオバーは許してくれません。

「うりっ!カメ!!!(食べなさい)」

そんな風にして、下手すると、軽く1000キロカロリー以上摂取させられている可能性もあるわけで…。。。

ということは、成人病への危険度も増すわけで…。(ここは「北の国から」の純くん風の口調で。)


……まさに攻撃( ̄ω ̄;)
アタック・オブ・カメーカメー”ですよ!ヾ(。`Д´。)ノ


こうやって、カロリーを気にしてみると、『おきなわカロリーブック』がどんどんデスノートにみえてきちゃいます。



例えば、「のまんじゅう」は1個450キロカロリー。
たった1個でほぼ1食に近いくらいのカロリーです。



でも、こんなのは「序の口」なのです。

いつも「とてつもなく甘いなぁ」と思っていた、沖縄の菓子パン



ウルトラメロンのカロリーは1個で798キロカロリー!!∑( ̄□ ̄;)マヂカヨ



ちなみに、30~49歳の成人の1日あたりの基本カロリーは、
男性2,650キロカロリー
女性2,000キロカロリー

なのです。


そこへ、追い打ちをかけるような衝撃の真実が!



“お弁当(大)1,609キロカロリー”


……すげえ。
言葉もないです。。( ̄ω ̄;)







ちょっと想像してみてください。

朝食に、ウルトラメロンとバヤリースオレンジ。
昼食に、キンタコのハンバーガーとコーラ。
夕食に、お弁当(大)とオリオンビール。


特別に暴飲暴食しているようなメニューじゃないのに、
これって、軽く4,000キロカロリー超いっちゃうのでは?( ̄ω ̄;)




知れば知るほどおっそろしい、沖縄食の真実。

『おきなわカロリーブック』が『デスノート』に見えてきたのは、きっとよーかいだけではないだはずです!!!((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル


いや、むしろノンフィクションなだけ、「デスノート」よりも恐いかもなのです!!!ヾ(。`Д´。;;;)ノ  

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2009年04月19日

いつか風になる日。(ブログ第1038日目、雑感。)

風が気持ちの良い季節になってきました。

晴れていると、例えば沖縄や奄美の海岸で、ただぼんやり海を眺めながら、オリオンビールでも飲んでいたいなぁ…なんて思うような季節です。


そういえば、沖縄や奄美といった琉球弧の「風」には特別な意味がこもっているのです。



写真は、元ちとせのアルバム「ノマド・ソウル」です。
このアルバムには、「いつか風になる日」という曲が収録されています。


この曲は、2003年夏に、竹之内豊と仲間由紀恵が出演したauのCMで使われたので、覚えているひとも多いと思います。
それぞれの夏/沖縄」篇と「それぞれの夏/北海道」篇があり、特に沖縄編は曲と映像がぴったり合っていたように記憶しています。

海風吹き抜ける南の島々。
あるいは広い空の北海道、。
そんなイメージで「私も風になる」と唄っている爽やかな曲だと思っている人も多いと思います。

癒し系」と評されもしているようです。


でも、実はこの曲で唄っている世界観は、多くの人がイメージしているものとは別物であることは皆さんご存知でしょうか?d( ̄ー ̄*)ニィ


手始めにまず、歌詞を見てみましょうね。(≧ω≦)b

この曲の作詞は元ちとせ自身ではないのですが、元ちとせの出身地である奄美大島の風習をイメージしてできた歌詞だといいます。


『1.何故に陽炎はゆらめいて
   黄泉へと誘う澪標か

   遙か紺碧の空と海
   すべてをのみ込むあの蒼さよ

   還らぬ日の想いを胸に抱く季節(とき)
   儚き泡沫のような運命のものたちも

   果てしない輪廻を彷徨えるのなら
   いつもずっとずっと傍にいてあげる


 2.赤い花弁が落ちる瞬間(とき)
   数多の生命が誕生れ逝くの

   幾千の歳月を波が弄ぶ
   麗らかな陽の中で私も風になる

   大空を花が埋め尽くすように
   海をもっともっと抱きしめてあげる


   やがてきっときっと永遠は刹那に去って
   だけどずっとずっと此処にいてあげる
   ただ風が吹いている 』



キーワードは、
「黄泉」、
「儚き泡沫のような運命」、
「輪廻」、
「数多の生命が誕生れ逝く」、
「幾千の歳月を波が弄ぶ」

…などです。

こうした状況から、「麗らかな陽の中で私も風になる」と唄っている状況を、もう一度目を閉じて想像してみてください。



……なんだか、ちょっと怖いような、深淵に引き込まれそうな感覚に包まれませんか?

そう、

この曲が唄っているものは、

ずばり、

“風葬”

なのです…!



昔から、奄美から沖縄にかけての琉球弧の島々では、一部で土葬もありましたが、葬送方法は風葬が一般的でした。

実際、いわゆる日本「復帰」の、奄美では1953年、沖縄では1972年までは最もポピュラーな葬送方法でした。

風葬の場所は、海岸の岩と岩の裂け目の洞窟状になった風通しの良い場所が一般的でした。
だいたい、先祖からの共同墓地のようになっていることが多かったようです。
(※ただし、死産の赤子は、一種の「穢れ」とも考えられていたようで、また別の葬送場所にひっそりと人目を避けて置いておかれたようです。)


亀甲墓に埋葬されるようになっても、半風葬状態で墓の中に死体が置いておかれ、一定期間を過ぎてある程度風化してから泡盛で洗骨し、厨子瓶に入れられました。

いまでも多くの島々のお墓の入り口は、海の方角を向いています。
これは半風葬状態にする際に風通しが良いようにということがひとつ、そして、死者の魂が、海の向こうの楽園ニライカナイへと渡っていくことができるようにという思想もあったようです。


さて、元ちとせ自身は、以前FM番組のインタビューでこう語っていました。(以下は要約)

「奄美では昔は風葬が行われていました。
 いまではもう火葬が一般的になってしまったけど、私は昔ながらの奄美の風習にすごく憧れるんですよ。
 亡くなった後も、風になって、自分の大切な人たちや島の自然とともに、ずっとそこにいる。
 それって、すごく素敵なことですよね?」



たしかに、素敵なことだとよーかいも思います。



『やがてきっときっと永遠は刹那に去って

 だけどずっとずっと此処にいてあげる

 ただ風が吹いている 』


(「いつか風になる日」より。)


それにしても、この曲のプロモーションビデオの海の色!
濃紺、群青、青、水色、蒼、碧、瑠璃、瑪瑙、翡翠、緑、萌葱…。
言葉では言い尽くせません。


還るなら、こういう場所がいいな。

  

Posted by よーかい at 00:03Comments(2)

2009年04月18日

イニシャルG。(ブログ第1037日目、雑感。)

みなさん、イニシャルGをご存知ですか?



そろそろこの季節になると、活発に活動する時期ですよね。d(・∀・)ネッ


その名前を口にすると、すぐ後ろに現れそうで、みんな
イニシャルG」(速そう…)とか
ホームステイ」(異文化交流?)とか
黒いヤツ」(ガンダム?)とか呼んでいる、
そう、
あの“ヤツ”ですよ!


(羽海野チカ「ハチミツとクローバーより」)

沖縄では、
1.トービーラー(大宜見村塩屋、今帰仁村仲宗根、本部町健堅、宜野座村宜野座、西原町小那覇、北中城村渡口、北大東村南)
2.ハナビラー(知念村知念、佐敷町佐敷)
3.クーチャー(宮古平良市大神島)
4.クームヤ(宮古多良間村字仲筋)
5.フルグマサ(宮古平良市狩俣)
などとも呼んでいる“ヤツ”です。
(※上記は旧地名あり。)

一般的に沖縄では“ヒーラー”といえば、もうおわかりでしょう…(-_-;)

「癒し系」ではない方の、
そう、“ヤツ”です。


BUMP OF CHICKINが歌う「K」よりも忌み嫌われている
“ヤツ”
ですが(「見ろよ悪魔の死者だ、石を投げる子ども~」)、例のごとく『沖縄民俗薬用動植物誌』ニライ社(1989年)を調べていたら、ものすごい事実が判明しました…!∑( ̄□ ̄;)ハウッ



“ヤツ”に対する世界観変わっちゃうかも?! 


そう、『沖縄民俗薬用動植物誌』に載っているということからもおわかりでしょう!
昔、沖縄では“ヤツ”はだったんです!!

以下、引用してみます。

『○薬用部位:全体

 ○薬効:夜盲症(目が見えにくい時)、熱さまし、肝臓、淋病、フィラリア症、ムシチ、虫下し、食欲不振』



あ、あの~、
薬用部位「全体」って……(; ̄∀ ̄A



以下、それぞれの具体的な「治療法」について。
つか、書いていてお腹いっぱいなんですけど…?(゜-゜;)ウーン 

『○治療法:

  ・夜盲症(目が見えにくい時)

 1.煎じて飲ますと良いと言った(国頭村宜名真)

 1-1 豚の肝を切って、その間にゴキブリをはさんで煎じ、その汁をのむ(大宜見村塩屋)

 1-2 ゴキブリ9匹をつついて粉として、豚の肝臓の中に一緒に入れて、蒸してからその汁を飲んだ。
     その後お灸をする(今帰仁村仲宗根)

 1-3 小さなゴキブリを粉にして、豚の肝臓の中に入れて、ササの葉でつつんで煮て食べた(宮古平良市狩俣)

 2.ゴキブリを焼いて食べる(大宜見村喜如嘉、北中城村渡口)』



な、なぜに豚の肝?
それにゴキブリは「9匹」って具体的なのはなぜなんでしょう…??


これだけではありません。
まだまだありますよ?

『熱さまし
 1.ゴキブリを煎じて飲む(宮古多良間村字仲筋、糸満市糸満)』



バファリンの半分は優しさでできています。
もしかして、これは残りの「半分」なのでしょうか…?((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル


『肝臓
 1.小さなゴキブリを粉にして、ブタの肝臓の中に入れて、ササの葉でつつんで煮て食べた(宮古平良市狩俣)』



肝臓が悪いときっていうと…
……飲み過ぎの翌日には、ウコンの代わりに「G」の粉末を!!!ヾ(。`Д´。;;;)ノ

『淋病
 1.ゴキブリの足を除いて、生きたまま飲む(宮古多良間村字仲筋)』



生きたまま飲んで、お腹で孵化して内蔵を喰い破るって話、よく小学生がしていませんでしたか?


『フィラリア症
 1.ゴキブリを火で焼いて粉にして食べた(知念村知念)』



知念の伝統料理として地場産業の復興に役立ててください。
ただし、地産地消でお願いします…。


『ムシチ(虫気=回虫などによって起こる病気)
 1.ゴキブリの頭の部分を取って、体の部分を焼いて飲ませた(宮古平良市大神島、本部町健堅)

 2.頭をとって焼いて粉にして飲ました(今帰仁村仲宗根、伊平屋村田名、国頭村辺野喜、本部町伊野波、大宜見村田嘉里、本部町伊豆味)

 3.水屋にいるゴキブリを串にさして焼いてこがす。蒲焼きにして食べた(那覇市首里)』



丑の日には「G」の蒲焼きなんていかがでしょうか……。


『虫下し
 1.焼いて食べる(北大東村南)

 1-1 焼いて油を入れて食べる(西原町小那覇)

 2.粉にして肝臓に入れて食べた(佐敷町佐敷)

 3.ゴキブリと豚の肝臓を煎じてその汁を飲ます。特に回虫、蟯虫によい(宮古平良市大神島)』



虫だけでなく、内蔵ごと下しそうだと思うのはよーかいだけでしょうか…?


『食欲不振
 1.焼いて食べる(知念村久高島)』



神の島、久高島では、食欲不振にはイニシャルGです。
男はだまってイニシャルG!


なんだか、まるで万病の薬のようなのです!



あ、だけどウチではその薬はもう間に合っていますから…!( ▽|||)(爆)  

Posted by よーかい at 01:38Comments(4)

2009年04月17日

ミミズ丼(どーーーん)!?(ブログ第1036日目、雑感。)

今回は「食べ物」から沖縄の民話を曲解…いや、新解釈してみます(?!)


(写真と本文は関係ありません…。ないですよね…?)

ちょっと季節は遡ります。

二月は…といっても沖縄では旧暦になりますが、沖縄では「二月風廻り(ニンガチ・カジ・マーイ)」の季節でした。
これは新暦3月頃に発生する小規模の低気圧のことです。
強い季節風を伴い、海上が台風並の大シケとなります。

地域によっては「二月カジマヤー」(注:「カジマヤー」と発音は同じでも「風車祭」ではありません。)と言うらしいです。
沖縄には、以下のような民話があります。
(ちょっと長いので、要約してあります。)


二月カジマヤーの話
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 むかしあるところに、母、息子、娘の親子三人が住んでいました。

 病で、夫に早く死なれた母親は、わが子達を早く一人前に育てあげるのを生きがいとして、一生懸命はたらいていました。

 母親の念願がみのり、やがて息子は嫁をもらい、娘は隣り村に嫁がせることができました。

 しかしその矢先、、母親は病魔におそわれ、失明し盲人となってしまいました。

 息子の嫁の世話で一生をおくらなければならない身となったのです。

 このような生活が続くなかで、嫁は親に対する気持ちが、だんだん変わっていきました。

 でも、盲人の母親は、それとも知らず、毎食あたえてもらう食事に満足していました。

 ある日母は、嫁いで行った娘にも食べさせてあげようと思い、おかずを残しておき、娘の来るのをまっていました。

 母はやってきた娘に、

 「毎日、こんなにおいしい物を食べているよ。あなたにあげようと、残しておいたよ」

 と言って残しておいた食べ物を出しました。

 娘はこれを見て、おどろき仰天してしまいました。

 これまで母親に食べさせていたものはなんと、ミミズを炊いたものだったのです。

 母と娘は、嫁のこのようなやり方に対し、あわれに思い、泣き伏せてしまいました。

 それから幾日か過ぎ去り、母は息子夫婦を呼んで、

 「北の島(ニチヌシマ)に宝物を埋めてあるので、取りに行きなさい」

 と言いました。

 これを聞いた欲深い息子夫婦は、大変喜び、母が言うとおり、さっそく船を準備し、北の島に向けて出航したのです。

 一方、船が航海している途中、母は、用意しておいた葉扇で呪いながら、北の島に向かって扇を振りまくりました。

 すると、今まで快晴であった天気が、急変し大風雨が吹きまくりました。

 あっという間に息子夫婦が乗っていた船は、大波にのまれ、海のもくずとなったのです。

 そのことがあって以来、二月が来るときまって、カジマヤーが吹くようになったと言い伝えられています。

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ミミズ…うーん、ちょっと、いやかなり食べたくないですよね。

昔、椎名誠の「全日本食えばわかる図鑑」に「ゴカイ・青イソメ丼」なる妄想的食物が出ていたのを思い出します。



ミミズを食べさせる嫁…というと、それはそれは“鬼嫁”という形容詞がぴったりくるような感じがします。
そして、鬼嫁に操られた馬鹿息子
これは、盲目の老婆の涙の復讐劇の物語として語り継がれる民話です…((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル


でも、ミミズを食べる話って、聞いたことありませんか?
例えば、
「某ハンバーガー店では牛肉の代わりにミミズを使っている」
という都市伝説が有名ですよね?
現実的に考えてみると、泥臭いミミズを食べられるように泥抜きして加工する手間はあまりに大変なものですが…。


では、そもそも“食用ミミズ”なるものは実在するのでしょうか?

実は、食用ミミズは実在します(!)。

漢方薬などに使用される高価な食材だそうです。

通称「ミミズ酵素」(正式には「ルンブルクス ルベルス」)には、血栓溶解酵素が含まれているとのこと。
脳梗塞や心筋梗塞の予防などに良いらしいです。

実際、インターネットでも販売しています。(よーかいは漢方薬については門外漢ですので、正式な効能の責任は持てません…。)
にしても、売れているんでしょうか…?(; ̄∀ ̄A


さて、古来より沖縄ではミミズはどう扱われてきたのでしょうか?
沖縄の長寿食の源、「医食同源」を民俗学的観点から、昭和54年~55年において沖縄県53市町村で民間薬の伝承の聞き取りを目的とした、フィールドワークの記録が残っています。

それは「沖縄民俗薬用動植物誌」(監修:飛永精照、ニライ社発行、2000円+税)という本です。



そこには、食べられるものであるなら、たいていの食材は載っています。
そこで調べてみることにしました。


ミミズ…。
やはりありました!

『薬効:
 熱さまし、ブリヤキ・タリニツ(微熱が出たり止んだりする)、産褥熱、風邪、喘息まじりの咳、結核、腹水、淋病、虫下し』


「治療法」の項目を見ると、白い首輪のミミズを煎じて飲むと風邪や喘息まじりの咳に効くと書いてあります。
淋病に対しては、
『ミミズの泥を吐かせて、煎じて、肉と混ぜて食べた』
とありますが、本当に効果があったんでしょうか??

ともかく、いろんなものに効く薬として使用されていたようなのです。


こうして見てみると、もしかすると、
ミミズは老人にとって、最高の健康食だったのではなかったのでしょうか?


もちろん、上記の民話によるとミミズを食べさせられたのを知って、娘もおばあも怒るくらいですから、あまりポピュラーではなかったのでしょう。

でも、よく考えてみてください。

泥をきちんと抜いて、食べられる状態にするには、いったいどれだけの手間がかかったことでしょう?
並の食材にかける手間暇をはるかに超えるものだったはずです。

いやがらせにしては、あまりに手がこんでいます。
しかも、ミミズだと知らされるまでは「こんなにおいしいものを食べているよ」とおばあは感謝すらしているのです。

こう考えると、実は背景には、息子夫婦の深い愛情があったのではないのでしょうか?
なにより、その後、母親の話を疑いもせず北の島に行ってしまったことも、息子夫婦の人の良さを表しているのではないのでしょうか?


ミミズを食べさせていることを隠していたのだって、もしかしたら、一般的な食材でないので、おばあの心を乱してはいけないと思っての深謀遠慮な配慮だったのかもしれません。
きっと、もしもおばあが不審に思って、事前に一言でも息子夫婦にその意図を尋ねていたら、快く説明してくれたことでしょう。

それなのに…
それなのに…

ああ、こともあろうか悲劇は起きてしまいました。(TwT。)


おばあの思いこみは地獄の業火のごとき怨念の炎となり、息子のお嫁さんだけでなく、大事に思っていた自らの息子まで殺してしまったのです…!

なんて、悲しいすれ違いでしょう!
まるで、ジュリエットが死んだと誤解して自害してしまったロミオのようです。


だから、この民話は、実はそんなコミュニケーションのすれ違いの悲劇を二度と起こさないための教訓なのです。でしょうか?



そんなわけで、この記事をご覧になっている皆さんは、家族や恋人が自分の常識と違う行動を取ったとしても、暖かく受け止めましょうね。

もしも「ミミズ丼」が食卓にのぼったときには、
「自分の健康を気遣ってくれているんだな」
と、ちゃんと感謝しておいしくいただきましょうね。

たとえ、それが特盛りで、原型をとどめたまま、ほかほかご飯の上で“うようよ”うねっていたとしても…。



……



……



……って、そんなもん喰えるかいっっ!"ヽ(-□-メヽ)ごらぁっ  

Posted by よーかい at 02:30Comments(4)

2009年04月16日

萌える?○○タン。(ブログ第1035日目、雑感。)

仙台の牛タン。

あれを考え出すと、妄想が止まらなくなって大変です。
正直、仙台市民がどうやって牛タンに対して妄想せずに、夜中安眠しているのか不思議なくらいです。



例えば、仙台名物牛タンを歌にした、「大好き!牛タンタン」。
ジャケットは単にコスプレ好きの女の子に見えるのは…気のせいでしょうか?

どうやら、仙台市民は牛タンに萌えているようなのです。

それにしても、この「大好き」というのは、いまひとつ対象がはっきりしないように思うのです。
牛タンタンという女の子が好きなのか、それとも牛タンが好きなのか、それとも、牛タンタンという女の子の舌が(以下自粛)…((((;゜Д゜)))


や、牛タンが実際にこんなにかわいい女の子の舌ならば、牛タンを使って「大人のキス」の練習をする男子中学生が仙台あたりにあふれて社会問題化してもおかしくないのです。


まあ、「びんちょうタン」という萌えキャラも存在することですし、いまや想像力さえあれば人はどんなものにも萌えることができる生き物になってしまったようです。でしょうか?




しかし、よーかいの妄想はそういう方向とはいささか指向性が違うのです。
牛タンそのものがどこからやってきたのかがとても気になって仕方なかったのです。

だって、あの牛の舌がどこからやってくるのか…って気になりません?

何で仙台に牛の舌が集まるのだろう?
何で仙台は牛の舌の名産地なのだろう?
そもそも、どうやって、あれだけの牛の舌の需要をまかなっているのだろう?


ほら、一度「?」マークがついたら、もう気になって気になって仕方ないじゃないですか?


そもそも、あれだけの量の牛タンが仙台にあるということ自体がおかしいのです。
確かに、近くには山形牛の産地はあります。
しかし、そんなに高級な牛肉を使用するでしょうか?

答えはです。

それに、あれだけの大量需要を賄えるほどの量が生産できるとはとても思えません。



そうすると、自ずから導かれる結論があります。

東北自動車道では、牛の舌だけを満載したトラックが夜な夜な走っているのです。((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル


しかも、その舌は、あれだけの需要を満たすために、日本全国から集められているのです!
さらには、それでも足りなくて、アメリカやオーストラリアから牛の舌だけ輸入しているのです!


これが事故ったときには凄惨です。
東北自動車道に、横転したトラックと、散乱する舌、舌、舌
足の踏み場もないほどに、反対車線にまでぶちまけられた牛の舌。

あるいは、牛タンを積んだ飛行機の事故。
空を飛んで来た、牛の舌。
事故で貨物室が空中分解した日にゃ、民家の上に大量の凍った牛の舌が降ってくるのですよ!

それにすぐに気が付けばまだいいのです。
気が付かずに、車のフロントグラスの上で腐臭を放つ牛の舌…。
洗濯物にびっしりと付着した牛の舌…。


想像してみてください…。


や、さらにトラックから脱走した牛の舌が独立した意志を持った生命体としてうにょうにょはいずり回っているかもしれないのです。
高速道路脇の草むらなんて無法地帯です。
気が付かないうちに、牛タンが繁殖しているのかもしれません。

やがて牛タンは日本古来の在来種を駆逐し、駆除しきれない数にまで増殖していくのです。
さらには遺伝子組み換えの牛タンが混じっていたことにより、新たに交配された牛タンは凶暴性を増し、人間に反旗を翻していくのです…!ヾ(。`Д´。;;;;;)ノ







えっと、

…実はこれ、まったく妄想どころか、ある程度は真実をついちゃっていたのです!ヾ(`Д´)ノ


仙台の牛タンは、実は殆どがアメリカ産でした。
だから、アメリカから牛肉の輸入がストップした時、吉野家以上に困り果てたのが仙台の牛タン店だったのです!

一時は、本当に、深刻な牛タン不足だったようです。
まあ、なんとかオーストラリア産などでしのいだようですが、真夜中の東北自動車道を、牛の舌だけを満載したトラックが夜な夜な走っているというのは、まぎれもない事実でした…!



さて、では豚の舌はどうなのでしょう…?

関東地方に住んでいると、豚の舌を食べるお店なんて見たことないのが普通です。
「豚は鳴き声以外はすべて食べる」という沖縄のまちぐゎー(市場)でも、あんまり見かけた記憶がないのです。


豚の舌はいずこへ??



調べてみると、ちゃんとありました!



沖縄を代表する加工食肉会社「オキハム」では、「豚たん」という商品でちゃんと売っています。

「豚たん」。
ぽっちゃり系が好きなひとには萌えのツボだったりするのではないのでしょうか?(…どうだろう??)


それはともかく、どうやら豚たんは東北地方ではけっこうメジャーで、牛タンのようにあぶって食べるのだとか。
ああ、だけど、生の豚タンを冷蔵庫に入れるのは、なんとなくはばかられるような気がします。





……だって、真夜中に冷蔵庫の中を豚タンがはいずり回っていたらどうします?ヘ(゚曲、゚;)ノ~ ヒィイイイイイ!!



レタスの裏側とかに、びっしりと豚タンがひっついていたら…!
もしも、冷蔵庫から逃げ出した豚タンが、トイレに入っているときに頭上からぽとりと落ちてきたら、心臓の弱い人はショック死するかもしれません。


あるいは、寝ている間に体をなめ回されていたりするかもしれないのですよ?
皆さんは、なめ回されるなら、牛タンと豚タン、どちらになめ回されたいですか?




……



……



……あれ?


なんでいつの間に、こんな変態的なお話になっちゃっているのでしょうか??(; ̄∀ ̄A  

Posted by よーかい at 01:01Comments(3)

2009年04月14日

褌ノススメ。(ブログ第1033日目、雑感。)

『悪魔が来りて笛を吹く』…!

これは、稲垣吾郎も金田一耕助役で主演した横溝正史の小説のタイトルです。



どこからともなく聞こえる“悪魔が来りて笛を吹く”というフルート曲の音色とともに、椿家を襲う七つの「死」。
旧華族の没落と頽廃を背景にしたある怨念が惨劇へと導いていく――。



実は、これに似た、しかももっと怖い話が徳之島には伝わっています。
徳之島は、奄美の南に位置します。
かつての“琉球弧”の島のひとつです。


さて、徳之島に伝わるのは「千万頭(せんまんからじ)」の話です。

まるでかつてのバッファローマンくらいパワーのありそうな妖魔の名前ですね。
もし、モンゴルマンが加わったら、「二千万頭’s」になるのでしょうか?

そりはともかく。

冬の終わり頃、生暖かい南風が吹きはじめると、徳之島では山の神が吹き鳴らす麦笛の音が、どこからともなく聞こえてくるのだそうです。

すると、山の神の麦笛を合図に、
胴体のない牛や馬、豚、山羊などの生首が夜道いっぱいに広がって、ごろごろころがってくるのです…!( ̄□||||!!

「おむすびころりん」をもうちょっと刺激的にした感じでしょうか?(違)


ともかく、これが“千万頭”(せんまんからじ)です。


ちょっと想像してみてください。
……


あなたが真っ暗な夜道を歩いていると、どこからともなく聞こえてくる笛の音。

すると、何かが転がってきて、あなたの足元にコツンとぶつかって止まります。

……なんだろう?

あなたがその「異物」を、手に持った蝋燭の明かりで照らすと、

そこにあるのは、まだ暖かな動物の生首。

ひっ!

叫ぶ暇もなく、あなたの行く手の道を塞ぐように、あなたにむかってごろごろと転がってくる物体。

よく見ると、それは牛や馬、豚、山羊などの生首。

それらが血を滴らせながら転がってくるのです…。Σ(|||▽||| )




なんだか、夢にみてうなされそうです……( ▽|||)



しかも、このばけものに自分の股間をくぐらせてしまったら、その場で命をとられてしまうといいます
(これは、沖縄の「豚化け物(ウワーグワマジムン)」に出会ったときも、股間をくぐらせると命を奪われるというのと同じですね。)

ちなみに、奄美の北にある喜界島では「首のない豚」が出るといいます。
やはり、これに股をくぐられると死ぬといいつたえられています。



さて、もし夜道でこんな“千万頭”なんかに出会ってしまった場合はどうすればよいのでしょうか?
なにか自衛策はあるのでしょうか?

自分には関係のない話だと侮ってはなりませぬ。
桜の下には死体が埋まっていると梶井基次郎さんがおっしゃっているように、この桜の季節にはどんな妖魔がひそんでいるかわかったものじゃないのです。
事前に打てる手は打っておくことにこしたことはありません。


これに対して、徳之島の先人はこういっています。

『もしも、このばけものと夜道で行き会った場合は、ただちに道端によけ、頭からふんどしをかぶって通り過ぎるのを待つのが難を逃れる最善の方法だ。
 とにかく、股をくぐらせてはいけないよ。』


どうやら、かつてはふんどしをかぶるのが特効薬だったようです。
しかし、そのためにわざわざふんどしをほどいたのでしょうか?
そのあたりの詳細は謎なのです。


でも、ふんどしのない現代ではどうすれば良いのでしょう?



……やっぱり、パンツなんでしょうかね?


けれど、ちょっと人格を疑われそうです。
少なくとも翌日からあなたのあだ名は「変態仮面」になることは間違いありません。

や、だけど教育者にとっては道ばたでパンツを頭に被ることはかなりのリスクをともなうものなのです。
もしその現場を保護者・PTAに見られた日には、人格を疑われるどころか、社会的に抹殺されてしまうかもしれません( ̄□ ̄;)!!



となると、やはり、ふんどししかないようです。
なぜなら、ふんどしなら、学習指導要領でも推奨している「日本の伝統文化の指導のため」という大義名分が成り立つのです。
(※効果・効用は個人差があり、すべての人に同様の効果があるわけではありません。)

そう考えると、若かりし頃の宮沢りえなんか、「千万頭」対策に最適の服装をしていたことになります。
おそろしい子……!( □|||)




いつも、こころにふんどしを。

寒い冬にはマフラー代わり。
首から頭にかけて「真知子巻き」で巻くというオシャレもありですね。(ないとおもいます)


そこの貴女も(なぜ「貴女?」)、でかけるときは、ふんどしを忘れずに…!ヾ(。`Д´。)ノ  

Posted by よーかい at 01:21Comments(2)

2009年04月13日

初の満員御礼!(ブログ第1032日目、雑感。)

桃太郎スタジアム、初めて「満員御礼」が出ました!

ファジアーノ岡山の関係者は、「いつか桃太郎スタジアムを満員に!」を合言葉に、その日を夢見て頑張ってきました。

その夢がついに叶ったのです。
それも、たった一人の男によって。



ファジアーノ岡山にとって、歴史的な「恩人」となったそのひとを紹介しないわけにはいきませんね。
その名は…



……





……





……三浦知良!(キングカズ)


って、それでいいのでしょうか?!(; ̄∀ ̄A



木村社長や選手達、そしてスタッフたちがこれまでどんなに頑張っても成し遂げられなかった「桃太郎スタジアムを満員に!」。
それは、「カズを見たい!」それだけで桃太郎スタジアムに大挙して押し寄せた岡山県民によって、一瞬で達成されちゃいました。

まさに「カズバブル」。
ファジアーノのFW11番喜山選手なんか試合後のコメントで「今日の観客の半数以上がカズさん目当て」なんて言っちゃっていますし…(; ̄∀ ̄A


や、選手紹介でカズに拍手や声援が飛ぶのはいいとして、後半15分にカズがピッチに出てきたときの会場のボルテージの上がり方といったら!
どこか異常なまでの盛り上がりでした。

そして、カズがボールを持つたびに、なぜかファジアーノ側のサポーター席から「カズー!がんばれーーー!!!」のコールが無数に飛び交いました(; ̄∀ ̄A


どうも、以前上野動物園で見たパンダを彷彿とさせるのです。
パンダがちょっと動いただけで周囲の人垣が大歓声を上げていました。
食事でもしようものなら、みんなメロメロになってしまうのです。

きっと、今日の桃太郎スタジアムだったら、カズがピッチで食事していようが昼寝していようが、「もぐもぐタイム」「お昼寝タイム」として、その一挙手一投足に大歓声がわき起こったことは間違いないのです。


ただ、パンダと違うのは、42歳になっても、試合の流れを変えるだけの動きをできるコンディションを維持していることです。
これが、芸術とかの分野だったら、きっと人間国宝だったことでしょう。



まあ、そんなカズのことはともかく。


今日もファジは引き分けでした。
残念です。

実は、JFLの時代の昨年7月以来ホームでは未勝利というファジアーノ。
「ホーム不敗神話」ならぬ
「ホーム不勝神話」
ができちゃいそうです。(すでにできている?)ヽ(゜▽、゜)ノアハ


だけど、これまでにない「可能性」もピッチ内外で感じることができました。



さて、試合について。
立ち上がりはいつもあんまり良くないファジアーノですが、この日は抜群の立ち上がりを見せました。

いつも右で途中交代で使われることの多いMF17番妹尾選手が今日は左MFで先発。
キレキレで、ボールを持ったらドリブルでどんどんサイドを切り裂いていきます。
立ち上がりから、妹尾選手経由で何度もチャンスが生まれました。

そして今日の前半キレキレだったのが、ボランチの底にいるMF28番小野選手でした。
開始わずか1分ちょい。
後ろからするすると上がってきて、細かいパス交換から切れ込んでいって、横浜FCのゴールネットに突き刺しました!

歓喜に沸く桃太郎スタジアム。
だけど、これは惜しくもその前のプレーにハンドがあったという判定で幻のゴールになってしまいました。


その後、ファジアーノは徹底してロングボールを2トップに当てて、そこを2列目の選手が拾うという戦術をくり返します。
内容的には横浜FCを圧倒!
そして、ピンチらしいピンチはほとんどありませんでした。

ところが、サッカーは何が起こるかわかりません。
前半30分、横浜FCのコーナーキックからこぼれたボールを拾われます。
一度はバーに救われますが、さらにこぼれたところを横浜FCのDF2番早川選手に押し込まれて先制を許してしまいました。


なんとなく嫌なムードでしたが、それから6分後、西野選手がPKを決めて同点に追いつき一気に払拭します。
桃太郎スタジアムに来るお客さんは、観戦慣れしていないお客さんが多いのですが、その分ゴール時の感動も大きいようです。
西野選手のゴールが決まってからしばらくは、会場全体が揺れるほどの歓喜に沸いていました。

後半も、しばらくはファジアーノペース。
いくつも決定機をつくりますが、横浜FCのディフェンダーも必死に体を寄せてきて、シュートは打たせてくれても、いい体勢では打たせてくれません。
何本もシュートはバーの上を超えていきました。

後半15分、キングカズの投入を含めて横浜FCの攻撃陣が2枚替わります。
これによって、横浜FCの攻撃陣は活性化され、逆に疲れがでてきたファジアーノはやや足が止まり気味になってきました。

すると主導権をやや横浜FCに握られることになりました。
三浦淳宏選手のFKは素晴らしい軌跡を描きましたが、ここはファジアーノのGKリ・チャンガン選手が「神モード」発動!
抜群の反応でピンチを防ぎます。
後半は他にも決定的なピンチをチャンガン選手の神セーブで防いだ場面がありました。

一方のファジアーノもカウンターから決定的なシーンを作りましたが、こちらも横浜FCのゴールキーパーの素晴らしい好守に防がれてしまいました。


結局、内容的には押し気味で、シュート数も決定機の数も上回りながらも勝ちきれませんでした。
残念無念。


もちろん、チャンガン選手のスーパーセーブがなければやられていた可能性もあったのですが、それでも内容的にはこれまでの試合で最も勝ちに近い「形」をつくりだせていたと思います。
これは、今後につなげていって欲しい「可能性」だと思いました。


そして、何よりも、今日の応援は素晴らしかったです!

もちろん、未熟な点はありますが、それでもこれまでにないメリハリがありました。
数が多かったことによるだけでない、まとまりが見られました。

例えば、相手のゴールキックの時に、ブーイングでプレッシャーをかけるのは、これまではごく限られたサポだけが行っているだけで、まったく効果がなかったのでしたが、今日は一般サポも含めて会場全体で共有できていました。
それによって、相手ゴールキーパーのキックミスを誘発させた場面もあったのですから、非常に効果的だったといえるでしょう。

そして、試合直前に、「カズバブル」によってふくれあがったメインスタンドの観客席で、応援団による応援のコール練習と声出しのパフォーマンスがあったことはとても上手かったと思いました。
ただカズを観たくて来ただけのライトな客達を味方につけ、引きこむ戦術。
これは素晴らしいです。


ファジアーノ、まだ新しいチームだけあって、チームもサポも未熟さはたくさんあるのですが、その分一気に良くなる「のびしろ」はどこよりもあるのだなぁと感じさせてくれました。


もちろん、よーかいも最初から最後まで、でかい声を出してきましたよ。
余談ですけど、周囲のサポたちから
「西野の点が入ったのは、お兄さんの声援のおかげです!!!」
なんて熱く感謝されてしまいました(照)。



もちろん、いい試合をしていても、いろんな「可能性」は感じさせてくれても、「未勝利」という現実は重いものがあります。
だけど、試合後、子どもたちが親に
「今日の試合、楽しかったねぇ♪」
と話している会話を何組も聞くことができました。



そう、ファジアーノの合言葉は
「THE DREAM TO CHILDREN(子どもたちに夢を!)」
なのです。

ファジアーノの試合の客層は、他のチームよりも子ども連れが多いです。
そして、小学生以下は無料という「夢パス」という制度もあります。


どうか毎回、子どもたちがスタジアムに来て「楽しかった♪」と言えるような試合を続けて欲しいです。


勝利以上に、それがもっとも大切なのです。
「未来」につながるチームへと地域とともに成長するためにも!!!o( ̄へ ̄*)むん
  

Posted by よーかい at 02:17Comments(2)

2009年04月12日

みるくゆがふ調査隊【後篇】(ブログ第1031日目、雑感。)

「みるくゆがふ」ってなんだ?!

昨日書いた記事でわかったことと言えば、

1)「みるく様」という人物がいるらしい。
2)八重山では「みるく様」は女性であるらしい。


結局この2点だけでした。

あんなに恰幅の良い、しかもハゲ頭の「みるく様」がなぜ女性かというと、波照間島ではムシャーマというお祭りで、「ブーブサ」というみるく様の夫といわれる神様が登場するからです。


しかし、沖縄本島ではちょっと事情が違う模様。

次の写真は首里で撮られたみるく様なのですが……




……ヒゲ生えてますやん!!!∑( ▽|||)



これは本当に女性なのでしょうか?
それとも、ニューハーフの先駆けだったのでしょうか?

つか、ブーブサ様の立場は?!


(ちなみに、これがブーブサ様。なんだか貧相……。)


謎はさらに深まりましたが、調査を進めるとどうやらこれは沖縄独自の発音法が関係している様子。

沖縄語の基本母音は「あ・い・う・い・う」です。
これを「みるく」にあてはめると

・・・「みろく」になるのです!


つまり、みるく様は弥勒様(弥勒菩薩)だったのです!



たしかに、弥勒菩薩は男性にも女性にもなるといいます。

それにしても、似てもにつかないお姿に……( ̄ω ̄;)



ちなみに、「みるくゆがふ」を漢字で書くと、「弥勒世果報」と書きます。
これは、弥勒は五穀豊穣をもたらす農耕の神であり、弥勒の来訪によって島の繁栄が成就する、と考えたものだそうです。
そして、穀物の実りや豊穣に恵まれた豊かな生活を「弥勒世果報」または「弥勒世(みるくゆー)」と言ったのです。


それにしても、弥勒菩薩とは似ても似つかぬお姿の「みるく様」。
なんだか「使用前」「使用後」といった以上の差があります。

沖縄の「みるく様」だと、もう一人「中のひと」がいてもおかしくありません。


これについては、ウワサだと弥勒菩薩の使いとも言われた布袋様がそのまま「弥勒」だということになってしまったのだとか…。
そう言われればそんな気もしますし、もうこうなるとなにがなにやらさっぱりなのです…( ̄ω ̄;)


けれども、仮に「みるく様」の正体が解決したとして、まだ最後にして最大の謎が残っているのです。


沖縄に伝わる前の、もともと本来の「みるくゆがふ」とはなんぞや?


これについて、京都広隆寺にある弥勒菩薩の解説には以下のようにありました。

『弥勒菩薩は下界にくだって仏となり、衆生を救うとされる菩薩です。
 釈迦の滅後5億7600万年後(中国の伝承では57億6000年後)に、釈迦の救いに漏れた人たちを救いに降りられます』




……



……



……。


もしかして、これは大どんでん返しってやつなのでしょうか…??( ̄ω ̄;)
みるくゆがふを願うウチナーンチューはこのことをご存知なのでしょうか??(汗)


えっと、ちなみに今はまだ釈迦の滅後2千数百年しか経っていません…。

残りあと5億5千万年以上先の救い。。


気の長い話です…。


つか、

果たしてそれまで地球に人類はいるのでしょうか?ヽ(゜▽、゜)ノアハ  

Posted by よーかい at 00:06Comments(0)

2009年04月11日

みるくゆがふ調査隊!【前篇】(ブログ第1030日目、雑感。)

「みるくゆがふ」ってなんだろう?


沖縄の人たちは「みるくゆがふ」がくるとしあわせになると夢見ているらしい。

どうやら、大人も子ども大好きなものみたいだ。
じゃあ、食べ物だろうか?
たしかに字を見ると、なんだか柔らかくてふよふよして、ほんのり甘くておいしそうだ。



まず思い浮かぶのは「ミルク粥」の親戚みたいなものです。
たしかにちょっとしあわせかも。
胃にもやさしいですし。

たとえば、こんなストーリー。

『昔、あるところにみるくゆがふが大好きな下級役人がいました。

 彼はいつの日にかおなかいっぱいみるくゆがふを食べるのが夢でした。

 けれど、いざ大釜いっぱいのみるくゆがふを目にすると、

 もうそれだけでおなかいっぱいになってしまい、

 出されたものにはいやいやながら口をつけてみたものの、

 茶碗半分も食べずに残してしまいました。

 …みるくゆがふを夢見ていたときの方がよかった、と言って』





……




……




……って、ああああ、これは芥川龍之介が今昔物語と宇治拾遺物語をもとにつくった作品、「芋粥」のパクリではないですか!∑( ̄□ ̄;)ハウッ
しかも、ラストがあんまりしあわせじゃないし…(爆)。


というわけで(どういうわけだ?)、どうやら「みるくゆがふ」は食べ物ではないようです。


さらに調べてみると、「みるくゆがふ」は「みるく様」が運んでくるらしいのです。



ならば、まずはみるく様の身辺を洗ってみることにしました!
将を射よとするならまずは馬から!なのです!!!(なにかが違うような?)


ここで、石垣島出身の池上永一という作家が書いた小説「風車祭(カジマヤー)」にて重要な手がかりを発見しました!

どうやら、みるく様は女性であるらしいのです!



それにしても、名前が「みるく」なんて、ちょっとふざけていると思いませんか?

萌えキャラですかっ!ってんですよヾ(。`Д´。)ノ


そういえば、「ハチワンダイバー」(「このマンガがすごい!2008」の第1位のマンガ)のこの将棋の強いメイドさんの名前も「みるく」でしたな。



にしても、まるで、少女漫画家のペンネームか、妖しげな酒場のおねーちゃんの源氏名みたいではないですか。
しかも「様」までつけて、まるで女王様気取りです。
もしかして、「みるくゆがふ」とは、椎名林檎風に言うと
「ここは大遊技場歌舞伎町の2丁目」
的なしあわせなのでしょうか…?!



ここで、遂にみるく様の写真を入手!
激写!




…う”っ。∑( ▽|||)



美白というには白すぎる顔。
ほとんど「ハゲ」と言っても差し支えないほどの額の広さ、そして、とても女性とは思えぬ恰幅の良さ…。
断言しますが、かなりマニアックな趣味の人でないとこれはキツイでしょう…。( ̄ω ̄;)


たとえば、このみるく様が鼻にかかったような甘えた声でしなをつくってきたら、多くの男性は一目散に逃げるんじゃないでしょうか?


……って、書いていて一瞬ボディコン姿のみるく様を想像しちゃいましたよ…( ̄ω ̄;)(汗)



ああ、そうだ、女性や子どもも「みるくゆがふ」を待ち望んでいるんでしたね。
てなわけで、「みるくゆがふ=歌舞伎町2丁目?」説は捨てがたいですが却下です。



では、「みるく様」の正体とは一体………?



「ヒキ」だけ残して次回へ続くのです!(予定)  

Posted by よーかい at 00:01Comments(0)

2009年04月09日

沖縄トイレの花子さん。(ブログ第1029日目、雑感。)

「トイレの花子さん」が成長した姿ってご存知ですか?



沖縄に行くと、もしかしたら成長した「トイレの花子さん」に会えるかもしれないのです!ヾ(。`Д´。)ノ


そのことをお話しする前に、まずは独特な沖縄の昔ながらのトイレについてお話ししましょうね。

沖縄の古い赤瓦の民家に行くと、トイレは家の離れにあります。
昔ながらのトイレはウチナーグチ(沖縄言葉)で「フール」と呼びます。

いまでこそ衛生面から禁止されていますが、この「フール」、トイレと同時に豚小屋になっていたのです。

そう…賢明な読者はもうお気づきでしょう!
トイレに豚がいる意味を!!!


要するに、用を足すことが豚のご飯になり、その豚はやがて人間のご飯になるという、いわば“パーフェクト・リサイクル”が行われていたのです。

完璧なエコ。
あるいは、ガンジスでの火葬はあえてすべて焼かずに川に放り投げて魚のエサにし、その魚たちを再び人間が獲ってきて食べるという、仏教的循環すら感じてしまいます。

この豚小屋とトイレの一体化は、起源前200年頃中国で始まり、アジア諸国に広まったそうです。
実に2200年を超える歴史なのです。
「中国四千年の歴史」といえど、その半分以上を豚トイレに頼ってきたといっても過言ではないわけなのです!


さすがに現代ではもうほとんど見ることはできませんが、中国の一部などでは今でも現役のスタイルなのです。
実際、よーかいは中国雲南省の山岳農村地帯で、豚小屋と一体化したトイレに遭遇し、そこで用を足したことがあります!o( ̄へ ̄*)むん

また、沖縄ではトイレは「この世」と「異界」をつなぐ空間だと考えられていました。
トイレ(=フール)には霊力の強い神・フールヌカミがいると信じられていて、門や屋敷の四隅、台所の竈とともに線香をあげて祈願する場所のひとつでもありました。

さらに、多様な屋敷の神様のなかでも、とくにフールヌカミこそ最強かつ最も偉い神様だと沖縄では考えられていたのです。

神の中の神、「ゴッド・オブ・ゴッズ」です。(ユー・アー・キング・オブ・キングス!)


だから、昔の沖縄の人々は、外出して化け物に会ったときには、帰ってくるとフール(トイレ)に寄って豚を起こして、憑いてきたお化けを退治してもらったといいます。
ちなみに、豚そのものも霊力を持っていると信じられていました。

さらには、方角についてもトイレが重要な役割を果たしているといいます。
沖縄の方角の読み方は、東が「あがり」、西が「いり」、南が「ふぇー(八重山では「ぱい」)」、北が「にし」です。
東西は太陽が「上がる」「入る」で説明できます。
では、北はなぜ「にし」なのでしょう?

これには、1711年に尚貞王の命によって作られた琉球語辞書「混効験集」による説が有力です。
それによると、トイレのことを昔は「にし」と呼んだそうです。
沖縄の家は風水思想に基づいていて、家の向きが決まっていました。
トイレは必ず家の裏側、つまり北側に作られていたために、北の方角も「にし」と呼ばれるようになったのだそうです。


「卵が先か、ニワトリが先か」ではありませんが、沖縄では方角の概念はあったものの名前がなく、逆にトイレには名前が先にあって、その後からトイレによって方角の名前が付けられたというのです!


さらに、トイレの神様はある落とし物を捜すのが得意でもあります。
それも、ただの落とし物ではありません。
人間の「(=マブイ)」を探せるのはトイレの神様だけなのです!!!


実は沖縄に住んでいると、人はよく「魂」を落としてしまいます。
魂のことを「マブイ」といいますが、原因不明の体調不良などが起こると、沖縄の(特にご老人は)「マブイを落とした」ことをまず疑います。

マブイは落ちるだけではなく、ときには、落としたマブイが犬に食べられてしまうこともあるといいます。
それでも死なないのは、人には合計で7つのマブイがあるというからなのです。

まあ、ともかく、携帯のストラップみたいに、みんなジャラジャラと「マブイ」をぶら下げているのですな。


では、落としたマブイはどうやって捜すのでしょうか?

1)落とした場所に拾いにいく。
実際、これだけで見つかることもあります。
2)呼ぶ。
落とした場所の近くで「マブヤー、マブヤー」と呼ぶと、マブイが戻ってくるのです。

ここまでは一般的な方法ですが、それでも見つからないと、ユタ(民間の霊能者)に頼むときもあります。
そのときユタは、マブイ探しにトイレの神様の力を借りるのです。
そうすると、たいていすぐに見つかるといいます。


なにせ、フールヌカミ(便所の神様)は沖縄最強の神様なので、マブイを探してくるのなど造作もないことなのです!




さて、そんな「最強」の称号を持つ「トイレの神様」、いったいどんな姿をしていたのでしょうか?

「最強」というからには、屈強な神様を想像しそうです。
あるいは、ちょっと変わり者とか。


(※画像は本文とはあんまり関係ありません…?)

ところが、衝撃の事実があるのです!

実は、
沖縄のトイレの神様は若い女性の姿をしているというのです…!∑( ̄□ ̄;)ハウッ


若いだけではありません。
飛び切り美人でまた位も高い女の神様が希望して便所の神様(フールヤヌカン)になられたという言い伝えが残っています(!!!)。

な、なんと物好きな…。。
いやいや、通常の観念だけで物事を決めつけては良くないのです。
もしかしたら、「虫愛づる姫君」のようなお方だったのかもしれません(たぶん違う)。


ただ、ここまで出てきたキーワード。

「神様」、「便所」、「女性」、「強い力」…などなど。
一人、思い当たる人物(?)がいませんか?


そうなのです!

フールヌカミは、まさに「トイレの花子さん」が美しく成長した姿なのではないのでしょうか!!!ヾ(。`Д´。)ノ

これは、よーかい的には、ほぼ確信なのです。


や、それにしても、そんなに美人の神様なら、なんだか、一度その「トイレの花子さん(成人ヴァージョン)」にお会いしてみたいような気もします。
今のトイレなら、完全密室ですし♪( ̄∀ ̄*)


……



……



……でも、豚小屋トイレでのデートは、なんだかあまりロマンチックじゃないなぁ(; ̄∀ ̄A  

Posted by よーかい at 01:48Comments(10)

2009年04月08日

喜屋武岬のハナモー。(ブログ第1028日目、雑感。)

それは「バルス」より怖い(?)滅びの呪文、「ハナモー!」


沖縄の悪霊の類の話は数あれど、最も有名な部類に入るのが喜屋武(きゃん)岬の「ハナモー」伝説です。
「ハナモー」とは「鼻なし」という、少々侮辱を含んだ言葉になります。

ちなみに、「テンペスト」で一般層にも一躍ブレイクした池上永一さんのデビュー作「バガージマヌパナス」では、断崖絶壁から海に向かって「ハナモー」と叫ぶ「ハナモー遊び」の場面があります。
でも、それはいわば「常識外れの主人公」をその1エピソードで描写してしまえるくらい沖縄では「非常識」な振る舞いなわけなのです!

なお、池上永一さんの小説にはハナモーがでてくる場面がもう一つあります。
それは、「レキオス」という沖縄本島を舞台にした小説で、そのオープニングでは現代に復活したハナモーがいきなり米軍ヘリと天久新都心付近で交戦し、ヘリを墜落させています(!)。



まあ、米軍ヘリを破壊するまでいくとあまりにシュールですが、喜屋武岬で「ハナモー!」と叫ぶと、突如海が荒れ狂い、叫んだ人を高波によって海に引きずり込むと、21世紀になった現在でも信じられているのは事実です。


その喜屋武岬は沖縄本島南部、糸満に位置します。

そこには、こんな伝説が残っています。


むかしむかし、糸満にはとても美しい娘がいました。

「糸満」は沖縄の中でもとくに美人で有名な場所であると言われています。

以前このブログでも記事にしましたが、糸満人は欧州系の血を引いているという伝説があり、「糸満美人」は沖縄でも色白でやや碧眼に近いといいます。
ですから、その中でも美しい娘というと、「美人of美人」になりますね。
ミス・ユニバース並ということになるのでしょうか?
それはさぞかし美しかったのでしょう。


さて、その娘に縁談が決まりました。

しかし!
娘が婚礼用の衣装をつくっているときに、悲劇は起こりました。


彼女は、衣装をつくる過程であやまって自分の鼻を削ぎ落としてしまったのです!



……




……



……つか、衣装を作っていたのに、どうやったらうっかり鼻を削ぎ落とすことになるんでしょうか???
そのあたり、非常に謎なのですが、どの資料を調べてもそこまで言及されていません(; ̄∀ ̄A

よっぽど不器用だったのか、それとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、ある意味ありえないくらい器用だったのでしょうか??



ともかくも、絶望した彼女は喜屋武岬から身を投げてしまいました。

しかし、彼女のやり場のない怒りと美への執着は、死してなおおさまりませんでした。

それ以来、喜屋武岬で「ハナモー!」(鼻なし)と叫ぶと、娘の霊が怒り狂い、叫んだ人を海へ引きずり込むといわれています。

あなおそろしや((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル



ただ、現実問題、喜屋武岬周辺には昭和20年6月の沖縄戦で約680万発もの銃弾が降り注いだと言われています。
そして、当時の皇国教育では、一般人といえど敵の捕虜になるな!と教えられていたため、とてもとても多くの命が喜屋武岬から飛び込んで失われました。

その当時、青いはずの海が、喜屋武岬周辺は真っ赤に染まったと言います。


こうなると、もう「ハナモー」どころではないような気がします。
や、もう「ハナモー!」と叫んだくらいで怒りまくるのはむしろ「お門違い」みたいな?



そんなわけで、不謹慎ながらも沖縄で一度はやってみたい肝試し。
それは、
喜屋武岬から大声で「ハナモー!」と叫ぶことです☆d( ̄ー ̄*)にぃ



果たして、そこで祟るのは、ハナモーの霊か、喜屋武岬に散った多くの命の霊なのか?




……でも、本当に呪われそうだなぁ。。(; ̄∀ ̄A  

Posted by よーかい at 03:54Comments(0)

2009年04月07日

怪奇現象天国?沖縄!(ブログ第1027日目、雑感。)

父の住む家は、なぜか異様に安かったのです。



新築の3階建てのマンションで、二部屋(2K)あります。
もちろん、ユニットバスなんかじゃなくてトイレとお風呂は分かれています。
家から徒歩1分で深夜でも営業してるスーパーがありますし、コンビニも近いです。
ゆいレールの安里駅からも徒歩約12分。
栄町市場にも農連市場にも壷屋にも桜坂にも国際通りにも近いという絶好の立地なのです。
表通りより1本裏なので、環境的にも静かです。

初めは、
「へぇ、やっぱり沖縄って家賃も物価が安いんだ?」
そう思っていました。

でも、他の友人達は沖縄の住居についてはかなり苦労しているようなのです。
「思ったより家賃が高くて、内地とほとんど変わらない」
そういった感想が大半なのです。


だいたい、父が住んでいるのと同じ条件だと、あと月々2万円くらい出さないと住めないような感じなのです。



ところが!


父がその家に住んでから、いろいろな怪奇現象が現れるようになりました。

まず、父が寝ていると、誰かが上にのっかる感じがしばしばあったそうです。
さらに、首を絞められる感じになることも。

金縛りとかそういうのではなくて、ありありと実感的なリアルな感覚としてそういったことが頻繁に起きたそうです。


ただし、そういったことへの対応法があるのも沖縄ならでは。
この現象を周りの人に話したら、まず勧められたのが「枕元に塩を置く」ということだったそうです。

それから、枕の下に刃物を置いたり、魔よけを置いておくのも効果的だと教わったそうです。
それで、今では父の枕の下にはハサミ(刃物)と、なぜかハワイの魔よけが置いてあります(笑)。



でも、この現象、父にだけあるわけじゃないようなのです。
なんでもたまに、上の階から悲鳴が聞こえたことがあったそうです。
すると、それからほどなく、夜逃げ同然に上の階の人がいなくなってしまうということが何度も続いたそうです。

父の部屋の上の階に住んでいる人は、2階も3階も、3ヶ月以上住み続けたひとはほとんどいないとのことなのです。



実は、よーかいも一昨年、リアルに見ちゃいました…(; ̄∀ ̄A

や、よーかいはかなり霊感は強い方ではあります。
宮古島の高名なカンカカリャー根間ツル子さんからも「あなたはユタに近いね」とお墨付きをもらったこともあります。

なんでも、小さい頃はいつも「見えて」いたらしいということは親からも聞いたことがあります。
よーかいが2歳頃まで住んでいた家は、自殺者が出たということで家賃が格安だったそうなのです。
そんなこと気にしないで住んだところ、まだ幼児期のよーかいは、しょっちゅう壁とか天井の方とかを指さして、
「あそこにいるよ、見えないの?」
と怯えていたそうなのです。

ただ、そのあたりは記憶にはありません。


もちろんその後、いろんな奇異な現象を体験したり、普通のひとが感じられないようなことが感じられてしまったりとか、よーかいの身の上にはいろいろなことがありました。
島に行くと、どんな小さな御嶽でも、見えなくても場所がわかるという「特技」もあります。

でも、よーかいは感じることはできても見えないタイプなんだと思っていました。


ところが、沖縄県教員採用2次試験の最中の深夜、翌日の教材準備をしていたところ、目の前に青白い足が
妙になまっちろくて、つるんとした足でした。
だけど、初めは父が起きてきたのだと思いました。

「あれ?お父さん起きたの…?」

そう口に出して、ふと見上げると、そこには誰もおらず、父はベッドでぐっすりと眠っていました。
その瞬間、全身の毛穴という毛穴がぞぞぞぞぞぞぞぞと、言い知れない嫌な鳥肌が立ちました。((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル



そう、それは女性の足だけの幽霊でした。



航空写真で見ると、父が住んでいる家は、少なくとも20年以上、あれだけの立地の良さにもかかわらず、ずっと更地のままであったことがわかっています。(それ以前は不明)
もしかしたら、空襲で焼けたのかも知れません。

実際、ほど遠くない場所で「シュガーローフの戦い」という、沖縄戦史上に残る被害者を出した大激戦が行われたりもしています。
そういった関係もあるのかもしれません。



そして、さらに昨年10月のこと。


父が起きたら、ベッドとソファーが血染めだったそうです。

父自身が何かケガをしたのかと思って全身を見てみたそうですが、傷一つないどころか、服にも血はついていなかったとのこと。
もちろん、鼻血でもありません。



一体、これはなにを暗示しているのでしょうか…?




しっかし、それ以上に天晴れなのは、そんな状況にもかかわらず平然とその家に住み続けている父の方かもしれません…(; ̄∀ ̄A  

Posted by よーかい at 02:10Comments(4)