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Posted by TI-DA at

2006年04月30日

ブログ第25日目、雑感。

いま、横浜の実家から千葉への帰りの電車の中です。

「週末家政夫」(「しゅうまついえまさお」ではありませんよ?)を続けてきたけど、とりあえず親も基本的な家事をするくらいは起き上がれるまでに元気になってきたので、ちょっとホッとしております(^-^)

母は昨年、長期入院3回に、今年も1回。
やっと退院したと思ったら、一月程前に朝起きようとして転んで、頭の動脈を切る大怪我…(-_-;)
あのときほど、実家の手伝いに帰っていて良かったと思ったことはありません。

救急車を呼んで、いろんな雑事をして、カーペットについた血の染み抜きを実施。
「血液には大根おろしが良い」とネットで読んで、大量に大根おろしを作ってカーペットに置くと、みるみる「もみじおろし」に…(^_^;)

まあ、ちょっと元気になってきたことで一安心だし、これで心置きなくゴールデンウイークに奄美へ行くことができます(笑)。



でも、試験勉強をしていると、どんどん足りないところが見えてきたり、思うように進まなかったりで焦ることだらけです。
ホントにゴールデンウイークに奄美なんかへ旅して、間に合うのだろうか?なんて不安もよぎります。

だけと、もしかしたら自分自身に「もっとやれるはず!」って完璧に近いものを求め過ぎているのかもしれません。

なんだか眠くて眠くて仕方のない今日このごろ、少し心身ともにリセットが必要なのかもなあ…。。。(・_・;)
  

Posted by よーかい at 22:49Comments(0)

2006年04月30日

現代:4

1920年から1930年の期間には、小学校でも中等学校でも中核としての社会科はあまり受け容れられなかったが、1930年代の初め頃から、この考え方は、当時起こりつつあったアメリカ社会構造の根本的な変革に対処して、中等学校の教育に統一と安定を与えるものとして次第に受け容れられるようになった。  

Posted by よーかい at 21:49Comments(0)

2006年04月30日

現代:3

○アメリカにおける活動カリキュラムとコア・カリキュラム

第1次世界大戦直後、プロジェクトと活動カリキュラムの運動は、多くの公立学校、とくに初等教育程度の学校に拡大し、そこから上へ、中等教育程度の学校に及んでいった。  

Posted by よーかい at 21:46Comments(0)

2006年04月30日

現代:2

ドイツにおける郷土科、合科教授は、1919年、ザクセン州において小学校に独立の教科として郷土科を設けている。
「総合的経験カリキュラム」と称すべき合科教授は、やがてドイツにおいて公認されるところとなり、制度的にも固定されている。  

Posted by よーかい at 21:44Comments(0)

2006年04月30日

現代:1

○デューイの実験学校(Laboratory School)

①オキュペーションと教科とからなる総合的な生活主義活動カリキュラム

②教科(国語、算数、音楽、美術など)は単元と結びつけられ、実際の仕事や問題に動機付けられ、そこで活用された。

③子どもの成長の連続性を保っている。

④各学年の内容と方法を科学的に打ち出す。  

Posted by よーかい at 21:41Comments(0)

2006年04月30日

西洋教育史 現代

1857  吉田松陰、家塾「松下村塾」を」長州に開く

1859 ダーウィン『種の起源』

1861 スペンサー『教育論、知育・徳育・体育』

1870 イギリス「初等教育法(フォスター教育法)」成立

1872  福沢諭吉『学問ノスヽメ』初篇を刊行
      太政官布告「学事奨励ニ関スル被仰出書」、翌日、学制頒布

1896 J.デューイ、シカゴにラボラトリー・スクール(実験学校)創設

1898 リーツ、イルゼンブルクに「田園教育舎」創設(ドイツ)

1899 J.デューイ『学校と社会』(実験学校の意義のアピールの演説集)

1900 E.ケイ『児童の世紀』

1909 モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』

1912 ケルシェンシュタイナー『労作学校の概念』

1916 J.デューイ『民主主義と教育』

1917 クループスカヤ『国民教育と民主主義』

1918 キルパトリック『プロジェクト・メソッド』

1919 シュプランガー『文化と教育』

1920 パーカスト「ドルトン・プラン」(アメリカ)

1924 ペーターゼン、イエナ大学付属学校で「イエナ・プラン」(アメリカ)

1944 イギリス「バトラー法」

1945  ポツダム宣言の受諾

1947 フランス「ランジュバン教育改革案」

1958 アメリカ「国防教育法」(The National Defense Education Act)

1859 アメリカ「コナント報告書」(Joseph C.Conant's Report)

1960 ブルーナー『教育の過程』

1970 シルバーマン『教室の危機』

1983 アメリカ教育省諮問委員会報告書『危機に立つ国家」(A Natoin at Risk)  

Posted by よーかい at 21:22Comments(0)

2006年04月30日

近代:3

啓蒙思潮に対して18世紀半ばから、ドイツを中心にしてヨーロッパに生じた〈新人文主義〉は、19世紀の教育内容に少なからぬ影響を与えた。
①ギリシア文化、ギリシア語。
②形式陶冶の手段としての数学。
③母国語、歴史・地理の導入など。

それと同時に、「古典的教養はもっぱら大学に入るための準備的な教養」とみなされ、中等学校の〈民主化〉とはかかわりのないところで、人文主義と実学主義の論争が行われることになる。  

Posted by よーかい at 20:10Comments(0)

2006年04月30日

近代:2

アメリカのアカデミーでは、大学への準備だけでなく、同時に民衆の完成教育を目ざした。
教育の内容には、古典語、現代語、宗教、倫理学、アメリカ史、地理、博物、科学、数学、幾何、三角法、天文学、図画、商業などがあった。  

Posted by よーかい at 20:06Comments(0)

2006年04月30日

近代:1

1733年にワイマールのギムナジウムが実科的教科内容を取り入れたのを最初に、従来の学校がしだいに実科教育に大きな関心を寄せるようになった。  

Posted by よーかい at 20:04Comments(0)

2006年04月30日

西洋教育史 近代

1688 名誉革命(イギリス)

1690 J.ロック『人間悟性論』

1693 J.ロック『教育に関する考察』

1701 プロイセン王国成立

1717 プロイセン義務教育制公布

1736 プロイセン「一般学校令」

1748 モンテスキュー『法の精神』

1751 『百科全書』出版開始(フランス)
     B.フランクリンの提起で米国史上初のアカデミー創設

1762 J.J.ルソー『エミール』

1771 ペスタロッチ、ノイホーフで農場経営

1776 アダム・スミス『国富論』

1780 ペスタロッチ『隠者の夕暮れ』

1781 ペスタロッチ『リーンハルトとゲルトルート』初巻

1789 フランス革命起こる

1792 コンドルセ『公教育の全般的組織に関する報告および法案』

1793 コンドルセ『人間精神進歩論』

1801 ペスタロッチ『ゲルトルート児童教育法』

1802 ヘルバルト『ペスタロッチの直観のABCの理念』

1803 カント『教育学』

1806 ヘルバルト『一般教育学』

1807 フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』

1810 ベルリン大学創設

1821 米国教育史上、最初のパブリック・ハイ・スクールが創設される

1826 フレーベル『人間の教育』

1833 フランス「初等教育法(ギゾー法)」

1840 フレーベル「一般ドイツ幼稚園」創設  

Posted by よーかい at 20:02Comments(0)

2006年04月30日

近世:4

ルネッサンス期の教育思想は、主体性を確立し、自然自由な新しい人間をつくることである。
エラスムスやラブレーなど多数の人物が輩出された。  

Posted by よーかい at 19:49Comments(0)

2006年04月30日

近世:3

宗教改革の結果、新教の国では、読み、書き、算の世俗的学科と教義問答書および賛美歌の宗教的学科とを包含する民衆の初等教育課程がほぼ承認された。  

Posted by よーかい at 19:47Comments(0)

2006年04月30日

近世:2

ルネッサンス期の〈より人間的な教養〉というのは、直接には古代文芸の研究であるが、それの目指すところは、広く豊かな人間的教養にほかならなかった。
しかし、15世紀末には、古典的教養の内容は重要な変化を蒙っている。(キケロ主義)  

Posted by よーかい at 19:42Comments(0)

2006年04月30日

近世:1

○近世の教育

西洋の近世は、ルネッサンス期、宗教改革期にあたり、いずれも中世的世界が解体し、個人が強調されることになる。  

Posted by よーかい at 19:39Comments(0)

2006年04月30日

西洋教育史 近世

1467  応仁の乱(~1477)

1492 コロンブス新大陸発見

1517 宗教改革の動き始まる

1522 ルター『新訳聖書』ドイツ語訳

1532 カルヴィン(カルヴァンとも)宗教改革を主張

1549  F.ザビエル来航

1603  江戸幕府(~1868)

1612 ラトケ、ドイツ帝国議会に学校改革意見書を提出

1620 F.ベーコン『新オルガノン』

1635 米国教育史上、最初のセカンダリー・スクール(ラテン・グラマー・スクール)がボストンに創設される

1637  島原の乱(~1638)

1642 ピューリタン革命始まる(~1649)

1644 ミルトン『教育論』

1657 コメニウス『大教授学』

1658 コメニウス『世界図絵』  

Posted by よーかい at 19:37Comments(0)

2006年04月30日

中世ヨーロッパ:5

中世の教育史上の特徴を概括すれば、キリスト教会と都市が起こり、大学の成立がしてきされよう。  

Posted by よーかい at 11:57Comments(0)

2006年04月30日

中世ヨーロッパ:4

中世都市の学校としては、イギリスにおける「下層市民階級」のための組合学校(Guild School)、ドイツにおいて商業用の読・書・算を教授したドイツ語学校(Deutsche School)、「市会議員有資格者」のため議員学校(Ratschule)、イギリスの「上流市民階級」のための私立中等学校(Public School:14世紀、ウィンチェスターに)などがある。  

Posted by よーかい at 11:56Comments(0)

2006年04月30日

中世ヨーロッパ:3

中世の大学には、4学部(学芸、神学、法学、医学)があり、「〈七自由科〉を教えた学芸学部は、中等学校の役割を演じた予備的な、一般教養のための学部であった」。
パリ大学学芸学部の教育内容は、正講義(文法、論理学)、特殊講義(形而上学、倫理学、数学、博物学、天文学)からなる。  

Posted by よーかい at 11:51Comments(0)

2006年04月30日

中世ヨーロッパ:2

○騎士の教育の内容

原則としては「強きをくじき、弱きを助け、婦女を敬し、祖国(領主の土地)を守り、そのために自らの生命をかける」という「騎士道」への教育。
教育の内容(14歳から)は、七芸(乗馬、水泳、槍術、フェンシング、狩猟、将棋、作詞と詩吟)であった。  

Posted by よーかい at 11:48Comments(0)

2006年04月30日

中世ヨーロッパ:1

○教会の学校とその教育の内容

①教区学校(Parish School)では、キリスト教の基礎、ラテン語の読み、聖歌。
書・算は二次的。

②僧院学校(Monastic School)では、その多くの場合、教科は、教区学校のそれと同じであったが、よりよく、より詳しく学ばれた。
時がたつにつれて教授コースは広くなり、文法、修辞学、宗教的哲学の基礎、さらに後には(すくなくともいくつかの学校では)算術、幾何、天文学、音楽が加えられている。
こうして僧院学校の一部は中等学校に似てくる。

③寺院学校(Cathedral School)は、「七自由科」のほかに、「支配的地位を占め、〈諸学の冠〉と考えられていた神学が教えられた」(文法は正しく読むことを習い聖書を理解するために、修辞学は説教のために、弁証法は異端者を論破するために、天文学はキリスト教の祭日を算出するために必要であった)。  

Posted by よーかい at 11:44Comments(1)