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Posted by TI-DA at

2011年01月29日

花のズボラ飯。

発売から1ヶ月、ようやく『花のズボラ飯』の単行本を手に入れました!ヾ(。`Д´。)ノ


花のズボラ飯』はこれまで、amazonでも書店でもずっと品切れだったのです。(これを書いている現在、amazonでも再び品切れだそうです。)
発売からわずか1ヶ月ですが、もう4版になっていました。





原作はロングセラー漫画『孤独のグルメ』の久住昌之さん。
作画は「新人漫画家」水沢悦子さん……となっていますが、実は「うさくん」というペンネームで普段描いている男性漫画家です。

この作品は、単身赴任の夫を持つ主婦、駒沢花(こまざわ・はな:30歳)が、夫のいない一人の時間にズボラだけど美味しいご飯を作って食べるというお話です。
あらすじだけだと、身も蓋もないほどシンプル。

もうちょっと細部を書くと、主人公の花は、夫がいないのをいいことに、まるで『のだめ』みたいに散らかり放題の家で暮らしています。
本屋でパート勤務をしている時間以外は、かなりゴロゴロとだらけた生活をしているのです。

そんな生活でもお腹が空きます。

お腹が空くと、花はあり合わせの材料で、ズボラなレシピのご飯を作るのです。
本当に、読んだ人誰もが必ず再現できるほど簡単なレシピの料理ばかりです。

ただの卵かけご飯だったり、ピザトーストだったり、3日目のカレーだったり。

けれども、料理を作ったり、食べたりしているうちに、花は生き生きとノッてきます。


「天才………!!
 間違いなく天才だ!!
 この ちょいと焼けたマヨがたまらん坂!!」



こんな感じで自画自賛。


さらに、自分自身で一人実況中継まで始めちゃいます。
例えば、そうめんを作っているとき。

「ちゃんと生のしょうがをするなんて主婦の鑑!!
 夫が単身赴任なのにチューブを使わない!!
 料理王だね」

「ミョウガって夏の番長よね!!
 残してもなんだから3本全部いっちゃえ
 3番長よろしくっ
 押忍♡押忍♡」

「そして……
 ネギも大切料理王♡」

「おっと花選手、海苔もわさわさ切っております
 芸が細かいっ
 さすが現役料理王!!」

「おおっと 今 鍋に麺を入れましたーっ
 麺が…ウットリと恋に落ちるように沈んでゆくぅう!!」

「すごい!!すごい!!
 花選手の技に全世界が……
 全世界が注目しております!!」



ある意味、誰も見ていない、聞いていないからこそできる一人実況中継なのかもですが…(; ̄∀ ̄A


そして、作品の何よりの魅力。
この主人公の花さんは、とってもとんでもなくそれはたとえようもないくらい天下無双に、
美味しそうに食べるのですよ!!!ヽ(≧▽≦)ノ


こんなふうに。



こんなふうに。



こんなふうに。




いやあ、こんなに恍惚ともいえるくらい、いい表情をして心底美味しそうに食べてくれるなら、よーかいなら毎日3食喜んでご飯を作っちゃいますね!(←おバカ)


極めつけはコレ! 





「今ならアタシ
 ブタと呼ばれてもいいっ
 幸せな
 ブタちゃんです」



そう言ってガツガツと卵かけご飯を書き込む場面。


本当に単純な料理。
「誰かのため」じゃなくて、ただ自分自身の食欲のために。
恥も外聞もなく。


でも、そこには、世間の作られた流行や関係性の縛りや、個人や集団の価値観をはるかに超越した、たしかな“幸せ”があるように見えるのです。



ちなみに、この漫画は『マンガ大賞2011』の最終候補作13本の中に入っています。

13本のうち、よーかいは8本しか読んでいませんが、読んだものはどれもすべて文句なしに面白い作品でした。
発売わずか1ヶ月弱でノミネートされたというのも、この作品の破壊力の高さの一端を物語っていると思います。



ところで、この作品、レディースコミック誌(『エレガンスイブ』)に連載中です。
30代前後の女性をターゲットにした雑誌です。
女性の名前で作品を描き、多くの女性の支持を得ている水沢悦子さんはだけど実は男性。

そして、女性視点で描かれているように見えるこの作品は、男性読者の支持も幅広くとりつけています。


考えてみれば、少年漫画は「たえず自己が拡大していく大きな物語」、少女漫画は「少数の関係性の物語」と単純化することができるかもしれません。


けれども、「自己の限りなき拡大」は、ごく一部の成功者以外はコミットできない物語になりつつあるように思います。
また、「少数の関係性の物語」も、関係性のタコツボ化、つまり閉塞感を免れ得ないように思うのです。


そう考えると、この作品はそのどちらにも属していないのです。


……いや、
マンガ大賞の候補に挙がっている作品は、たいてい読んだ限り、上記の少年漫画、少女漫画の一般的な図式を逸脱している、あるいは止揚している作品のみが候補に挙がっているように感じます。


限りなく、個的な幸せを普遍的な形で描けるかどうか。
あるいは、自己意識の拡大と周囲の人間関係とをうまく調整して、葛藤しながらも落としどころを見付けられるかどうか。






2011年の漫画のトレンドから、これからの生き方のモデルすらも見えると言ったら、それは言い過ぎ…でしょうか?o( ̄ー ̄;)ゞううむ  

Posted by よーかい at 04:29Comments(0)

2011年01月24日

カマドの神様。

「トイレの神様」がヒットしていますが、いまもっと熱いのはカマドの神様です!ヾ(。`Д´。)ノ


沖縄の「トイレの神様」についてはすでに以前このブログで書きました。

ごく日常的にあちこちにヤオヨロズの神様がいらっしゃるのが沖縄なのです。
トイレだけでなく、カマド(竈)にも神様がいらっしゃるのです!


その名を、「ヒヌカン」といいます。
註)※某バンドの略称とはまったく関係ありません。






「カマドの神様」といっても、今ではもう竈が家にあるうちはほぼありません。
けれども、いまでも多くの家では台所全般の火の神様として、ガスレンジの上や、台所の片隅にちゃんと祀られているのです。
ちなみに、以前『momoto』という雑誌で「ヒヌカン100」という特集が組まれていましたが、同じように見えて、実は家ごとにそれぞれ違いがあるのも面白いところです。

沖縄では、もっとも身近な神様がヒヌカンです。
何かあったときに、お祈りするのは、ご先祖様の位牌(トートーメー)もしくはヒヌカンなのです。


しかも、ヒヌカンは一家に一柱!
その家専属」の神様なのです!!


古いしきたりが残っている家では、旧暦の1日と15日の月2回、日ごろからお世話になっているヒヌカンに感謝をこめて炊いたご飯(「ウブク」といいます)をお供えし、手を合わせます。

新月の1日は「天の門が閉まる日」と言われます。
ヒヌカンは、門が閉まる前に家族の日々について天の審議会(!?)に報告に行くのだそうです。

逆に、「天の門が開く」のが満月の15日です。
この日は、審議会の結果を持った天の役人が、「こちらの世界」に向かう日だと言われています。

そのため、日々正しい行いをしていると、1日と15日のお願いは天に通りやすいのだそうです。



ヒヌカンにお祈りを捧げるのは、なにも月2回ではありません。
一昔前の沖縄の主婦は起きたらまず、朝一番の水をヒヌカンにお供えすることから一日が始まったそうです。

ちなみに、ヒヌカンはアガリティダ(朝日)の化身のような神様なので、ヒヌカンに手を合わせて拝む代わりに、朝、東の空に向かって拝むのだけでもOKなのだとか。
もっとも、これは、もともと太陽信仰があったところに、その簡略版としてヒヌカンが発生したとみるのが自然かもしれません。





沖縄のお線香(ヒラウコー)は6本の線香がくっついた平たい形をしているのがデフォルトです。
ヒヌカンの香炉(ウコール)にもこの平たいお線香を立てて火を付けます。

これが、なんと神様につなぐための通話料なのだそうです!∑( ̄□ ̄;)ハウッ


お願いをかなえるのは、実はヒヌカン自身ではありません。
それぞれの願い事について、適任の神様がいて、ヒヌカンはこのお線香という通話料を頂いて、それぞれの適任の神様に話を通す係りなのだとか。



………仲介あっせん業者ですか?( ̄ω ̄;)



繁華街にいたら、ポン引きなどやっていそうです。(ヲイ)





ここまで、便宜上単体の神様のように「ヒヌカン」と書いてきましたが、実は正確には「トリオ・ザ・ヒヌカンズ」とでもいうべき、3柱の神様がヒヌカンです。
古くは竈のうしろに置かれた3個の石(ウチミシン)をご神体としていました。

しかもこの3柱の神様、シフト制なのです!


年末、ヒヌカンのうち2柱は天に数日戻ります。
けれど、居残りで1柱の神様が残って、家族を見守るというのです。

だから、台所の香炉のそばにはつねにシフト担当の神様がいるわけなのです。
それゆえ、台所で愚痴を言ったり、人の悪口をいうことは厳禁とされています。


また、ヒヌカンは常に家族を見守っている神様でもあります。
だから、結婚などで家族が入れ替わる場合には(古いしきたりを守る家では今も)真っ先に報告する義務があるのです。

まずは花嫁側の家からヒヌカンに報告。
お婿さんは婿になった報告をし、お嫁さんは、これまで見守ってくれたお礼とお嫁に行くことの報告をします。
そして、お嫁さんは実家から3本のお線香を火がついた状態で持っていきます。

お婿さんの実家についたら、まずその家のヒヌカンに結婚報告。
持ってきたお線香を差して、新しく家族になったこと、今後も守ってくださるようにお願いするそうです。



さて、基本的に沖縄ではすべてが旧暦で動いている社会でした。
だから、今は年末の時期に当たります。

ヒヌカンが天に還る日は、旧暦の12月24日
ウグヮンブトゥキ(御願解き)といいます。
そして、再び天から戻ってくるのが旧暦1月4日になるのです。


ちなみに、今年(2011年)は旧暦の12月24日は、新暦では1月27日にあたります。



もうすぐ、沖縄ではほんとうのお正月がやってくるのです♪(゚▽^*)ノ⌒☆


追記:
ヒヌカンの神棚に飾るのは基本的に若竹です。
花を飾ってはいけないのです。
なぜなら、ヒヌカンの神棚に花を飾ると、「その家の男はよその女に走る」と言い伝えられているからだとか…( ̄ω ̄;)
ヒヌカン、おそるべし!  

Posted by よーかい at 02:41Comments(8)

2011年01月19日

大震災と『満月の夕』。

1月17日は、神戸の大震災から16年でした。


その当時、関東に住んでいたよーかいは、ニュースでしか震災の様子を見ることはできなかったのだけど。
ありえない方向にぐにゃりと飴細工のように曲がった巨大な高速道路、橋桁、ガレキの山と一面に広がる火事の野火。
仮設住宅、炊き出し光景。

いまでもありありと思い出せます。

直接神戸の様子を(短い時間ですが)見たのはゴールデンウィークになってから。
電車の車窓で神戸や三宮あたりを通り過ぎるとき、家々の屋根には青いビニールシートがかぶせられ、公園はテントで埋まっており、あちこちのガレキと化した建物を重機で取り壊しているところでした。


その後、石垣島で出会った人達と神戸で音楽会をする機会が何度かありました。
みんなで楽器を持ち寄って何時間も自由に演奏するのですが、よーかいは一応三線は持っていくものの、基本的にはヴォーカルだけで参加です。

そこで、神戸のひとたちが特別な思いを込めて、何度も繰り返して歌うのが、ソウル・フラワー・ユニオンの『満月の夕(ゆうべ)』でした。



※『満月の夕』に関するドキュメンタリーです。


震災の日、ちょうど満月だったそうです。
この歌は、ヴォーカルの中川さんが避難所で目にした光景を歌にしたものだそうです。
けれど、何もないガレキから再生していこうとする力強さにもあふれた曲です。


ソウル・フラワー・ユニオンは、沖縄のアーティストたちとも深い関わりがあります。
例えば、沖縄民謡会の生きる伝説、登川誠仁さんの『SPIRITUAL UNITY』というアルバムは、ソウル・フラワー・ユニオンとの完全共作です。
登川誠仁さん直々のご指名で、ソウル・フラワー・ユニオンが全ての曲をプロデュースし、三線と六線以外の楽器はすべてソウル・フラワー・ユニオンが演奏したアルバムです。





『満月の夕』は沖縄の多くのアーティストたちによって、ウチナーグチでもカヴァーされていますし、最近ではソウル・フラワー・ユニオンが中心になって行ってきた辺野古での『Peace Music Festa』も地元辺野古の人達や多くの沖縄のアーティスト達を巻き込んで発展してきました。
大城美佐子さんや照屋政雄さんとも親交が深いですし、大工哲弘さんなんて「盟友」とまで言い切っています。

ソウル・フラワー・ユニオンの中心メンバーだった伊丹英子さん(『ソウル・フラワー・モノノケ・サミット』のリーダーです)は、結婚後沖縄の普天間に在住しています。


この、ソウル・フラワー・ユニオンの別働隊の『ソウル・フラワー・モノノケ・サミット』は、阪神大震災をきっかけに結成されました。
音響機材のない場所で、傷ついたひとたちを勇気づけるために、どういう音楽を演奏すればいいのか?
自分たちにできることは何か?

自問自答の末、そのヒントを、大工哲弘さんがライフワークにしている「チンドン」から得たといいます。

電気楽器を演奏することができない場所で演奏するために、エレキギターの代わりに三線、三羽、囃子といった沖縄スタイルに、チンドン屋のブラスバンドなどを加える形式で演奏したのです。
演奏曲は自分たちのオリジナル曲よりも、みんなが知っている曲を、ということを心掛けたそうです。
日本、アイヌ、沖縄等各地の民謡に、戦前・戦後の流行り唄を中心に演奏されました。

その中で、神戸の在日朝鮮人の方々との交流から、朝鮮のチャンゴという太鼓も取り入れるようになりました。
(実際、一番リクエストが多かった曲が「アリラン」だったそうです。)


震災後の1年間だけで100日以上にわたる、被災地でのチャリティーライブが行われたのです!
(震災後も継続。)

さらに、演奏は無料ですが、その時に集まった投げ銭や寄付などを元に、「ソウル・フラワー震災基金」も創り出されました。

国や行政によって福祉の行き渡らない人達に、直接手渡しで必要な資金を渡していったといいます。
この基金は、現在も継続中です。



※写真はソウル・フラワー・ユニオンの最新作『キャンプ・パンゲア』。名盤です!!


神戸の震災で、チンドン形式という「うたの原点」を身に付けてから、ソウル・フラワーの活動場所は一気に広がっていきました。
なにしろ、ホールも音響施設もいらないのです。

ただ、唄者とチンドンがあって、“うた”を必要とする聴き手がいれば、それはどこでもライブ会場なのです。


例えば、毎年寿町や釜ヶ崎といったドヤ街(いわば、行政に置き去りにされたスラム街です)で行っている無料ライブ。
東ティモール独立式典でのライヴ (2002年) や、三度に亘るフランス・ツアー (2002年) 、国後島(2003年)、台湾(2004年)、韓国 (1999年、2005年) 、ヨルダン・パレスチナ難民キャンプでのライヴ (2005年) 、他にもフィリピンのスモーキー・マウンテンや北朝鮮でなどなど、それが紛争地帯やスラム街であろうとも、世界のどこへでも歌を必要としている人達に演奏を届けにいっています。


もちろん、自分自身の活動について、膨大な思索を行っています。
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットには自身で解説したライナーノーツがあり、そこに記されている膨大な文献資料には本当に舌を巻きます。
知性に裏打ちされた行動力なのです!


そんな彼らですが、やはり彼らが彼らとして他のバンドと一線を画すようになったのは、神戸の震災と沖縄の人々との出会いだったのだなぁと強く感じます。


苦しい状況に置かれ、“うた”をなによりも必要としていた場所。
そして、共感や連帯なしに生きていくことができない場所。



神戸の人達は、きっと『満月の夕』を一生忘れないでしょう。
今でも震災前後はこの曲は多くの人に歌い継がれています。



よーかいも、この季節はソウル・フラワー・ユニオンの楽曲と『満月の夕』がヘビーローテーションになるのです。



※今度は、ドキュメンタリーなしの歌だけで『満月の夕』をどうぞ!
  

Posted by よーかい at 02:30Comments(3)

2011年01月17日

2011年1月17日(PM)のつぶやき。

通用していないわけじゃないんだ…!∑( ̄□ ̄;)












平成23年度東京都公立小学校教員採用候補者選考(第2回)の結果、不合格だったことはすでに書きました。

それなりに手応えはあったのに、なぜ落ちたのだろう?
結果以上に、結果をフィードバックできないことにつらさを感じました。

がんばってもがんばっても、結局は通用しないものなのか…と。


今日、東京都教育委員会から結果通知の郵送物が届いていました。
これまではインターネットでの速報でしたが、こちらが正式な「不合格通知」です。


そこには、「ランク」が載っていました。
不合格者について、成績順に3つのグループに分け、成績の良い順に、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲのランク表示がされていました。


よーかいは、合格に最も近い“ランクⅠ”でした。




……本当に、あと少しだったんだ。。。



あとちょっと。
そのちょっとがとてつもなく遠いのですが、まったく通用していないわけじゃなかったんだ!

うぬぼれではなく、ちゃんと実力はついてきているんだ!!



今年の夏こそは、この悔しさを糧に、「あと少し」の壁を破ることができるように成長してみせます!!!o( ̄へ ̄*)むん  

Posted by よーかい at 12:59Comments(6)

2011年01月14日

2011年1月14日(PM)のつぶやき。

なかなか思い描いた通りにいかないものだなぁ…( ̄ω ̄;)











本日、平成23年度東京都公立小学校教員採用候補者選考(第2回)の第二次選考結果が発表されました。

結果は……今回もダメでした。


ううむ、まいりましたね。
まったく。


それなりにちゃんとできたという手応えはあったのですが、やはり臨時任用での経験がないと採用されるのは難しいのでしょうか。
けれど、諸事情から臨時任用に応募することはできないのです。
現在の障がい者の就職支援のカウンセラーのお仕事(正規職員)をしながら、小学校の教員を目指す以外選択肢はないのです。
だから、この道で切り拓いていかないと。


結果はともかく、いろんなことが以前よりも良くなっているようには思うのですよ。
大量に読みあさった教育書・児童指導・教育技術の本などの内容がだんだん血肉になってきていますし、以前よりも人間関係を円滑にやっていく術も、だんだん身につけてきています。

決して、実力がないわけではないと……うぬぼれではなく思ってきています。
少しずつですが、努力した分の力はついているのだと。


だから、早く教壇に立ちたいですし、具体的に子どもたちを目の前にしながら、学んでいきたいとも強く思っています。



うん。
だから、
2~3日くらい落ち込んだら、あとはまた夏に向けて続けるしかないんだろうな。

続けますよ。
何度でも。



※おまけ?:
自分自身へのささやかな応援歌。
「続けて」という意味の『Hold On』。
 by Sing Like Talking。(このライブは生で観ました!)

  

Posted by よーかい at 19:58Comments(4)

2011年01月14日

吹屋、ベンガラの村。

1月10日に、吹屋ふるさと村に行ってきました。


吹屋ふるさと村は、広島県にほど近い岡山県の中西部、標高550mの山中にあります。

岡山駅からはだいたい片道70kmほどの距離です。
高梁を過ぎたら20㎞以上ガソリンスタンドは一軒もありませんし、冬季はスタッドレスタイヤ必須の細く曲がりくねった雪道を進みます。
「こんなところに歴史的建造物群があるのか?」と疑いたくなるほど、人里離れた、車1台がようやく通れるような細道が延々と続いています。


山奥なので、もちろん携帯電話も圏外です(※ソフトバンクの場合)。


この山奥に、江戸時代から明治時代にかけて、中国地方第一の鉱山町であり、かつ江戸後期からは「ベンガラ」という特産品の生産が重なり名を馳せた場所です。
この村の町並み全体が、重要伝統的建造物群保存地区として扱われています。





とはいえ、その繁栄もいまは昔です。
現在は、町並みが保存されていなければ過疎の村といっても過言ではありません。
実際、よーかいが訪れたときは、冬季ということもあってか一人の観光客もおらず、しんと静謐に静まりかえっていました。

けれども、江戸末期や明治初期に作られた家々に現在でもそのまま人が住んでいますので、路地裏を歩いたときに聞こえる生活音は逆に鮮明に聞こえました。
煮炊きをする炊事場の煙突の煙やテレビの音、子ども達が家の中で走り回るとたとたという足音など。

吹屋のそれなりに広い地区全体が昔の建造物が残っているため、この場所では映画「八つ墓村」や、ドラマ「火垂るの墓」などのロケにも使われています。
……もっとも、「八つ墓村」は岡山で実際にあった事件がモデルなので、ちょっとシャレにならないような気もします( ̄ω ̄;)





それにしても、倉一つとっても模様の配置などが洒落ています。
古い町並みの写真を好んで撮る人にはたまらない場所だと思います。
山間に忽然と存在する、吹屋集落のベンガラ格子と石州瓦による赤褐色の重厚な商家の町並みは、昔日の繁栄の大きさを雄弁に物語っています。

なにせ、集落全体が瓦も格子もベンガラ色に統一された、トータルコーディネートの町づくりがすでに江戸時代になされていたのですから!ヾ(。`Д´。)ノ


なお、現在も景観を壊さないように、郵便局も周囲の町並みに溶け込むようにベンガラ色の瓦屋根と格子でカモフラージュされ、郵便ポストの代わりに明治時代と同じタイプの飛脚箱が置いてあります(ちゃんと使用可)。

また、昔の家の内装だけ変えて、ジャズが流れる喫茶店になっていたり、地域の特産物を売るお店になっているところも一部あります。


ところで、「ベンガラ色」とはなんぞや?という疑問を抱くひともいらっしゃることでしょう。
そんな方には、FC琉球の試合会場に足を運ばれることをオススメします!d( ̄ー ̄*)にぃ




FC琉球のチームカラーはベンガラ色なのです。
公式ホームページなんて、ベンガラ色だらけです。
深みのある暗赤色で、「弁柄色」とも漢字を当てたりしますが、「琉球血色」と書いてベンガラ色と読んだりします。

今年はFC琉球の新里監督と高校時代にツートップを組んでいた、元日本代表の我那覇選手も加入し、Jリーグへの準加盟申請もしたFC琉球。
吹屋のある県のJ2下位チームよりも、よっぽど面白いサッカーを観ることができることを保証しますので、吹屋でベンガラ色を見たらサブリミナル的にFC琉球を思い出し、ぜひ試合会場に足を運んでみてください♪(ヲイ)


ちなみに、「ベンガラ」の語源はインドのベンガル地方から来ています。
ベンガルトラなど、名前くらいは聞いたことのある方も多いと思います。
ベンガラは酸化鉄顔料なのですが、かつてはインドのベンガル地方産のものを輸入したために「べんがら」と名づけられたそうです。
この記事を読んだ方は、吹屋に行ったらサブリミナル的にベンガル地方を思い出し、ぜひインドまで足を運んでみてください♪(もういいって!)





吹屋の中でも、特に圧倒的なのが、木造建築の高梁市立吹屋小学校です。
まだ明治時代の、1900年竣工の西校舎・東校舎(木造平屋建)と1909年竣工の本館(木造2階建)とで構成されています。


現役で使用されている、日本最古の小学校なのです!


そう、もう100年以上前の校舎が、今でもこの地域の子ども達の学舎として使用されているのです!ヾ(。`Д´。)ノ
過疎化が進んでいるので、2009年度の全校生徒数は5人。


ちなみに、夜間はライトアップもされているそうな。
どんな小学校ですか……( ̄ω ̄;)





このライトアップされた写真とほぼ同じ位置からとった2011年1月10日午後の写真もアップしておきます。
寒さでプールが完全に凍っていました。





それにしても、雪が積もった吹屋の町並みは、時間が止まったようでした。
資料館などは1月から3月いっぱいまでは休館になります。

けれど、静けさを楽しみながら、じっくり歩きたいひとには、冬季は絶好の季節なのだと感じました。


途中、昭和初期に作られたという、立派な狛犬のある神社がありました。
けれど、その神社のご本尊自体は、過疎化により祀る人が絶えたために別の神社に移されてしまったということでした。

石の階段を登ると、物の怪が住むのにちょうど良さそうな感じの木製のお社がありました。
たしかにさびれてはいますし、お賽銭箱もありませんが、それでもお社の前には参拝者が置いたと見られる小銭がいくつも散らばっていて、おそらくお正月にでもお社の前でたき火をしたのではないかと思われる跡もありました。

そこの神様は、もともと祀られていた神様とは違う種類の、ヤオヨロズの神様なのでしょうが、大事にしている人がいる限り、きっと、そっとやさしく息づいているのだと感じました。




神社のある高台から見下ろすと、町が誇るベンガラ色の瓦屋根は一面白い雪化粧。

そして、きっと江戸末期や明治時代も、同じようにこの町並みは当時の人の目に映っていた姿なのでしょう。



吹屋よいとこ、一度はおいで。
ついでに琉球、インド経由でぜひ!!!!!(違)
  

Posted by よーかい at 01:04Comments(4)

2011年01月11日

フーフダ。

沖縄では、年始に神社や寺社で売られているもののなかに見慣れないものがあります。


よーかいは今年の年始は、初詣に那覇市の波の上神宮と首里観音堂の2つに行ってきました。(おみくじはどちらも同じような内容の「中吉」でした。)

どちらでも、内地と同じように、おみくじ、各種お守り、絵馬、破魔矢などが売られているのですが、そこに一つ燦然と輝く(?)見慣れない文字が一つ。

“フーフダ”


……なんですか、それは??( ̄ω ̄;)


すると、ちゃんと首里観音堂では解説書が貼ってありました。





首里観音堂の解説には、
『ふーふだ(封札):中国映画に出てきた「キョンシー」に出てきたお札に似ていて、悪霊、魔物から家、家庭を守る札として扱われました』
との由。



……あのう、「キョンシー」って世代限定じゃないですか?
それに、「キョンシー」のお札だったら、ゾンビ化した死人を使役できちゃうじゃないですかっ!!!ヾ(。`Д´。;;;)ノ




それはともかく。

要は、家・屋敷に邪悪なものの侵入を防ぎ、福を招き入れる呪句(まじなう言葉)が書かれたお札のことを、「フーフダ」というようです。
護符や神符、お守りの仲間です。


このフーフダ、神社や寺社が発行しているものの他に、民間のユタが発行しているもの等々、いろいろ種類があるようです。
材質も波の上宮と首里観音堂では紙でしたが、木製のお札も一般的だとのこと。





沖縄本島以上に、宮古島や八重山諸島などを旅していて、家の壁の四方に
「東方持国天王」
「西方廣目天王」
「南方増長天王」
「北方多聞天王」

と書かれた木製のお札が貼られているのを見たことがある方も多いと思います。

家の門と同様に、家の四方もマジムン(魔物・死霊)などの悪いものが入り込みやすい場所だと考えられているからです。
だから、家の四方に貼り付けて、家の領域そのものを一種の「結界」として守っているものです。

他にも、門の脇に釘で打ち付けたり、地面に差し込んだりして、シーサーやヒンプンや石敢當のような守りとしている使い方もあります。





また、このフーフダ、発行元によって書いてある文言が違うのです!

波の上宮だと、
『家内安全無病息災御神符』
と、わりと内地でも一般的にありそうな感覚の護符ですが、中にはなんて書いてあるのかさっぱり読めないような難しい漢字の羅列のものも。


さらには、露骨に
『妖怪浦滅急々如律令モン
と書かれた妖怪封じのものもあります。


でも、妖怪って、マジムン・ヤナムンばかりじゃないので、もう少しやさしく扱って欲しいなぁ…。


おそらく、そのフーフダの前では、これを書いているよーかいも滅せられてしまうやもしれません!ヾ(。`Д´。;;;)ノ


このブログの更新が突如完全に止まった際には、フーフダにやられたと考えてください…。。。  

Posted by よーかい at 03:05Comments(0)

2011年01月11日

教職員5458人、心の病で休職

2009年度にうつ病などの精神疾患で休職した全国の公立学校の教職員は、前年度より58人増えて5458人となり、過去最多を更新したことが24日、文部科学省の調査で分かった。 


病気休職は8627人で、精神疾患によるものが63%を占めた。
精神疾患での休職は1992年度は1111人だったが、その後17年連続で増え、09年度は教職員全体の0.6%に達した。

 
5458人を年代別に見ると、40代35%、50代以上39%とベテランが目立った。
 

文科省は、多忙な職務や保護者からの要望多様化、生徒指導の複雑化、職場の人間関係のトラブルなどが要因と分析している。 


自治体の対応では、メンタルヘルスに関する相談窓口を設け、面接を行っていると回答した都道府県、政令指定都市は全体の9割、会議の見直しなど職務効率化を学校に指導しているのは8割だった。
 

一方、交通事故や体罰、わいせつ行為などで懲戒処分や訓告を受けたのは7981人。
兵庫県で県立高入試の採点ミスにより約3600人が処分されたため、前年度より3961人の大幅増となった。



(2010年12月28日 時事通信)  

Posted by よーかい at 01:45Comments(0)

2011年01月11日

小1は35人学級=文科省来年度予算案

公立小学校1年生の35人学級化に向け増員する2300人の教員人件費として49億9300万円を義務教育費国庫負担金に上乗せ計上した。
ただ、教員給与の減額を加味し同負担金総額は前年度比1.7%減の1兆5666億円に圧縮する。

高校の実質無償化予算は対象生徒の減少で3922億円(前年度比0.3%減)。
国立大学法人運営費交付金は1兆1528億円で前年度比では0.5%減と2004年度の大学法人化以降では減額率を最小に抑えた。
全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)は、36億円(7.1%増)で、12年度に理科を追加する準備を進める。




(2010年12月28日 時事通信)  

Posted by よーかい at 01:42Comments(0)

2011年01月11日

小1の35人学級化、効果は限定的

文部科学省が求めていた公立小学校1、2年の35人学級化は、財政負担拡大を懸念する財務省の反対で、小1だけで実施されることが決まった。
その上、全国一律で小1を35人学級化するには4000人の教員増が必要なのに、新規の増員は2300人(49億9300万円)だけで、予算措置としては不十分。

このため文科省は、不足分を別枠で既に地方に配分している「加配定数教員」から1700人の振り替えで補う方針で、地方にとっては「看板の掛け替え」にすぎない面もある。
 

加配定数教員は、児童生徒数や学級数に応じ地方に配分される基礎定数とは別に、学校が個々に抱える不登校などの問題解決のため措置される。
基礎定数の教員同様、国が人件費の3分の1を負担。
文科省によると10年度の加配定員約6万人のうち、各都道府県が小1の少人数学級先行実施に活用している教員が1700人程度おり、これを基礎定数に振り替えても、同省は「現場の理解は得られる」としている。
 

また、小学1、2年生の約9割は、既に35人以下の学級に在籍している。
高木義明文科相は「少人数学級のスタートが切れることは大変意義がある」と胸を張るが、こうした現状や、加配教員の振り替えで、制度改善効果は限定的となりそうだ。


(2010年12月28日 時事通信)  

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2011年01月11日

先生休むと代わりがいない 不足、昨年度は800件以上

教員が産休・育休や病気・介護休暇に入った際、代わりの教員が間に合わないケースが、各地の公立小中学校に広がっている。
朝日新聞が全都道府県・指定市の教育委員会に取材したところ、昨年度、全国で約800件に上っていたことがわかった。


 

調査したのは、2009年度に
(1)教員が産休、育休に入った際、その当日に代わりの教員が着任できなかった件数と、
(2)病気や介護休暇で欠員が出ても代わりの教員が1カ月以上来なかった件数。

 
その結果、大阪府を除くと
(1)は304件、
(2)は486件に上った。

 
大阪府は1年間の合計件数ではなく、毎月1日現在ごとの件数を合算した形で回答した。
産育休の代替が間に合わなかったのはのべ66件、病気・介護休暇で代わりが来なかったのはのべ258件。

 
大阪府以外で多かったのは、産育休が北海道29件、横浜市28件、栃木県22件。
病気・介護休暇は静岡県78件、大阪市が49件、兵庫県が38件、福岡県が35件、栃木県が30件だった。

 
こうした数字は文部科学省も把握しておらず、実数が明らかになったのは初めて。

 
代替の教員は教員免許を持つ人の中から選ばれる。
人数の多い50代の教師が退職期を迎える中で、各教委が新採用を増やしたり、少人数教育などのため非正規教員を多く雇ったりした結果、代わりの教員に充てられる「予備軍」の層が薄くなっているのではないか、と文科省はみる。
大阪府も
「03年度以降、小中学校の新規採用が千人超と拡大したのが最大の理由とみている」
と話す。

 
一方で国立大学の教員養成課程は長く入学定員が抑制されていたため、養成が採用の急増に間に合っておらず、需給のバランスが崩れているとみられる。
文科省の担当者は
「各地の教委は、教員免許を持つ大学院生ら、予備軍になりうる人材を発掘する努力が求められる」
と話している。



     ◇



 <調査の方法>


産育休は事前にわかって手当てがしやすいため、「当日間に合わなかったケース」を調べた。
一方、病気・介護休暇は急な場合が多く即応が難しいため、「欠員が1カ月以上に及んだケース」を調べた。
道府県の件数には指定市の件数を含まない。
指定市が教員の人事権を持っているため。

 
大阪府の集計方法では、一つの事例が月をまたいだ場合は複数の件数にカウントされるが、府教委は「そうした事例は少ない」としている。
高知県は病気・介護休暇で空席が1カ月以上に及んだケースはあるが、「件数などの資料はない」と回答した。




(2011年1月10日3時0分 朝日新聞)  

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2011年01月11日

先生不在で自習 時間割り組み直し…混乱する教育現場

教員が産休・育休や介護のために休んだとき、代わりとなる教員が間に合わないケースが多発している。
各地では、手当ての付かないコマを自習にするなど現場に混乱が起きている。


 
広島県呉市のある中学校は2010年5月、1年生の中間試験で理科のテストができなかった。

 
理科の教員が4月末から病気休暇に入ったが、代わりの教員が間に合わず、穴が埋まったのは6月だった。
その間、空いた時間は自習や他の教科の授業をしてしのいだものの、肝心の理科の授業はできなかった。
「学力向上といいながら教師がおらず、授業ができないとは信じがたい」と保護者の一人は話す。

 
中学校では教科ごとに専門の教師が教えるので、代役になれるのは同じ教科の免許を持つ教員だけだ。
「特に理数、技術などは免許保有者が少なく、探すのが難しい」と呉市教委は話す。

 
代役が間に合わずに穴が開く状況が最も深刻な大阪府。

 
府南部の中学校で09年の夏休み、校長室に2年の男子生徒が相次いで入ってきた。
「新しい数学の先生、まだですか」「マジ、先生、入りませんか。少人数授業でせっかくわかるようになったのに」。
欠員を何とかしてほしいという訴えだった。

 
この学校は1、2年生の数学で二つのクラスを三つに分けて少人数にし、習熟度別指導をしていた。
ところが担当の非正規教員が体調を崩して8月末に退職。
少人数指導の態勢が組めなくなっていた。

 
10月にやっと代役の20代の教員が来たが、「理想と現実が違っていた」と1週間足らずでやめ、その後任は結局来ずじまいだった。

 
大阪府東部の小学校。
08年度、4、6年生のクラスを担任するベテラン教員や5年の学級担任の若手教員の計3人が、学級崩壊や女子児童グループとの関係などに悩み、次々と精神疾患や胃潰瘍(いかいよう)で病気休暇に入った。
2人目までは1~2カ月で代わりが来たが、3人目が09年2月に倒れた時はもう来なかった。
いずれも少人数や生徒指導担当の教員が臨時のクラス担任に入ってしのいだという。

 
東海地方の市立小学校では08年秋、6年の学級担任がうつで休んだ。
時間割りを大きく組み直し、担任を持っていなかった生徒指導主任が臨時で担任に入ったが、代役は来ず、3月までそのままだった。
卒業式の日。主任は「先生、『ワンポイント・リリーフだ』と言っていたのに、9回まで登板だったね。ありがとう」と子どもにねぎらわれたという。



(2011年1月10日 朝日新聞)  

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2011年01月09日

2011年1月9日(AM)のつぶやき。

更新はしてみたものの……ヾ(。`Д´。;;;;;)ノ













なんだか、この『今日のつぶやき。』カテゴリも懐かしいですね。
最近ではツイッターのおかげで(?)、幸か不幸かつぶやきをブログで行う必要性や需要が薄れてしまっています。

まさにすき間産業!
うかつにすき間を作ると、黒服の男が「ドーン!」と言いながらすき間を埋めに来てとんでもないことになったり、アフロとギターの二人組にスイッチを押されたりして大変なのです!!(何の話でしょうか???)


や、久しぶりの更新なのです。
すみませんm(_ _)m


とはいうものの、今夜はもう遅くて、明日も朝早いので、今日は「リハビリ」ってことで新聞記事からの備忘録だけで勘弁してくんなまし。
「美貌録」ならよかったのかもしれませんが、それはブログのジャンルが変わってしまうので、脇に置いておきます。



オリジナル記事は、(多分)明日の晩にでもアップしたいと思いますです!
チャオ!(逃)  

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2011年01月09日

2010年 県内十大ニュース 沖縄タイムス社選定:10

10 不発弾 相次ぐ


具志頭小学校の新校舎建設現場で不発弾から白煙が上がり全児童が体育館に避難するなど一時騒然となった=10月29日、八重瀬町具志頭


 
今年4月、うるま市の民家敷地内で発見された1964年米国製対戦車りゅう弾が、通報から5カ月たっても放置されている実態が発覚した。
沖縄戦後の不発弾は自衛隊の処理対象外で米軍に協力要請するしかないが、県警や防衛局、県、市などは責任の所在を不明確にしたまま放置。
発覚後、関係機関は戦後製造の不発弾処理を迅速に行う新たな連絡制度をつくった。

 
また、10月には那覇市で、国内初となる住宅密集地での不発弾(米国製8インチ艦砲弾)爆破処理が行われ、付近住民約3千人が避難。
糸満市や北中城村の米軍施設跡地では大量の不発弾が見つかるなど、戦後65年をへても県民が不発弾と隣り合わせで生活している実態が改めて浮き彫りになった。




次点 99年ぶり震度5相当

 
99年ぶりに震度5相当の地震が沖縄本島を襲った。
勝連城跡では城壁の一部が崩れ落ちるなど各地で被害が出た。  

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2011年01月09日

2010年 県内十大ニュース 沖縄タイムス社選定:9

9 名護市長・市議選 辺野古移設にノー


米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する稲嶺進氏(中央)が名護市長に初当選。支持者とカチャーシーで当選を喜んだ=1月24日、名護市大中・選対事務所


 
名護市は、米軍普天間飛行場移設問題で、鳩山政権の迷走、辺野古回帰の日米合意に翻弄(ほんろう)される一方、市民が市長選、市議選と辺野古移設反対の民意を明確に示した1年だった。

 
1月の市長選では、辺野古移設に反対する新人の稲嶺進氏が、V字型滑走路で政府と基本合意した現職の島袋吉和氏を1588票差で破り、当選した。
稲嶺市長は
「海にも陸にもつくらせない」
と強固な反対姿勢を堅持している。

 
9月の市議選(定数27)では稲嶺市長を支える市長派16人が当選する圧勝だった。
改選後の市議会は9月定例会で、県内移設に反対し日米合意の撤回を求める意見書、決議の両案を賛成多数で可決した。  

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2011年01月09日

2010年 県内十大ニュース 沖縄タイムス社選定:8

8 尖閣 中国漁船衝突


動画サイトに投稿された尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船「みずき」(右)に中国漁船が衝突した様子を撮影した映像


 
尖閣諸島の日本の領海内で9月、第11管区海上保安本部所属の巡視船と中国漁船が接触。
11管は公務執行妨害の疑いで、中国漁船の船長を逮捕した。
中国側は、日本側の対応次第で今後の両国関係に影響すると警告。
日ごとに両国の関係が泥沼化する中、那覇地検は拘置期限前に「外交問題」という異例の理由を付け、処分保留で釈放した。

 
一方、政府が外交への影響に配慮して事件のビデオ映像を一部の国会議員に公開する中、衝突事件の映像がインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」に流出。
その後、神戸海上保安部の海上保安官が関与を認めており、警視庁は国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで書類送検した。  

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2011年01月09日

2010年 県内十大ニュース 沖縄タイムス社選定:7

7 組踊、無形遺産に


組踊がユネスコの無形文化遺産に登録された。認定後初の上演では出演者や鑑賞した中学生らが舞台上で認定を祝った=11月18日、浦添市・国立劇場おきなわ


 
琉球王国時代の国劇「組踊」が11月16日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産代表リストに登録された。

 
組踊は中国の使節団「冊封使」を歓待するための舞台芸術として玉城朝薫が創作し、1719年に「執心鐘入」などが初めて演じられている。
歌と踊り、せりふ(唱え)で構成される伝統的様式を持った演劇で、日本や中国の芸能の影響も受けている。

 
対象となったのは重要無形文化財「組踊」保持者でつくる伝統組踊保存会(島袋光晴会長、62人)が上演する演目など、修練を積んだ実演家による組踊。

 
継承と発展に加え、観光資源としての在り方などが課題に挙げられている。  

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2011年01月09日

2010年 県内十大ニュース 沖縄タイムス社選定:6

6 「W宮里」活躍


セーフウェー・クラシックで米ツアー自身初の完全優勝を果たし、日本人最多の年間5勝目を挙げた宮里藍=8月22日、パンプキンリッジGC


 
女子プロゴルフの「W宮里」が、国内外で昨年を上回る活躍を見せた。

 
宮里藍(25)=東村出身=が、米ツアーで44年ぶりの開幕2連勝を含む年間5勝を挙げ、23年ぶりに日本人最多勝を更新。
シーズン終盤は苦戦が続いたが、最後まで年間最優秀選手や賞金女王など各部門で上位争いを繰り広げた。
平均パット数は1・73で堂々の1位。

 
宮里美香(21)=那覇市出身=は国内メジャー、日本女子オープンでプロ初勝利(10月)を飾った。
平成生まれの日本女子ツアー優勝は初。
今季、国内では7戦中5戦(米ツアーを兼ねるミズノクラシックを含む)でトップ10入りした。
米ツアーでも獲得賞金は昨年の倍以上の60万ドルを突破し、17位に躍り出た。  

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2011年01月09日

2010年 県内十大ニュース 沖縄タイムス社選定:5

5 美ら島総体開催


全国の高校生トップアスリートが熱戦を繰り広げた「美ら島沖縄総体」。開会式で観客に手を振りながら入場する県選手団=7月28日、県総合運動公園陸上競技場



高校生スポーツの祭典・全国高校総合体育大会「美ら島沖縄総体2010」が7月28日から8月20日まで県内で初めて開催された。
選手だけで全国から2万6000人余が来県、28競技で熱戦を展開した。

 
県選手も地元応援を受け活躍。
なぎなた団体で知念が優勝。
演技も同校の米須陽香・城間さやか組が頂点に立った。
重量挙げは南部工の53キロ級玉寄公博と77キロ級久米大輝がトータルV。
56キロ級平仲浩也がスナッチを制し、団体優勝も飾った。
カヌー男子カナディアンシングル500メートルで當銘孝仁(沖水3年)が優勝、空手男子個人形で上村拓也(興南)も栄冠を手にした。
また、高校生が「一人一役」で裏方として奮闘、さまざまな交流があった。  

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2011年01月09日

2010年 県内十大ニュース 沖縄タイムス社選定:4

4 知事に仲井真氏再選


米軍普天間飛行場の県外移設を主張し、再選を果たした仲井真弘多氏(中央)。保守県政は復帰後最長の4期目に入る=11月28日、那覇市牧志・選対本部


 
今年は選挙の年だった。
最大の政治決戦となった11月の県知事選は米軍普天間飛行場の移設問題や経済振興策、来年度で期限が切れる沖縄振興計画に代わる新振計の在り方などを争点に、現職の仲井真弘多氏(71)と新人で前宜野湾市長の伊波洋一氏(58)が対決。
仲井真氏が伊波氏に3万8626票の大差をつけ、再選した。

 
自民、公明の保守中道態勢が4期の県政継続に成功。
12年ぶりの県政奪還を目指した革新陣営は苦杯をなめた。
普天間飛行場の移設先として仲井真氏が県外、伊波氏は国外を掲げ、県内移設を否定した。

 
7月の参院選は島尻安伊子氏(自民)が再選。
9月の統一地方選を含め、18の市町村長選、30の市町村議会議員選があった。  

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