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Posted by TI-DA at

2010年09月28日

普天間見聞録。

今話題の普天間基地を見てきました。


9月25日晴れ。
お昼12時から沖縄市陸上競技場でFC琉球の試合があったため、那覇から原チャリで58号線を北上しました。
その途中、時間もあったので嘉数高台公園展望台まで足を伸ばしてみたのです。





あくまでサッカーのついでのゆるーい見聞です。
とはいえ、沖縄に足繁く通い、実家もあり、沖縄タイムスも毎日インターネットで読んでいると、それなりに思うところもありました。


まずは普天間飛行場の近くから。
もちろん、基地があっても普通の人々の普通の生活があります。

一般的に報道されるような普天間地区の緊張関係なんて一瞬で大気圏外まで吹っ飛ばすような脱力感を抱かせてくれる、交通標語の看板が3連チャン(笑)。
こういうものは、新聞やニュースをいくら見ても誰も知らない普天間周辺の生活の一面です。









………もはや、どこからツッコめば?( ̄ω ̄;)



さて、そんな看板を横目に嘉数高台公園展望台へ。
この公園の展望台は、ニュース番組で普天間飛行場を撮影するときに必ず使用される場所です。
普天間飛行場まではちょっと距離があるのですが、周辺住宅街も含めて、普天間飛行場が一望できるのです。

ちなみに、嘉数高台公園と普天間基地周辺の位置はこのようになっています。





これを、もうすこし普天間基地をクローズアップして撮影すると、こんな感じになります。





住宅街のど真ん中に基地があるのです。
そもそも、沖縄の基地はもともと住宅があった村々を、「銃剣とブルドーザー」で強制収容して米軍が奪い取って勝手に作ったものです。
基地の周りに住宅があるのではなく、住宅の中に基地が作られたというのが正しいのだと思います。


世界で最も危険な基地だとも言われています。
以前の香港の飛行場のように、住宅街の中に飛行機、それもここでは弾薬を積んだ軍用機が突っ込んでいく構図です。

実際、2004年には普天間飛行場近くの沖縄国際大学の構内に軍用ヘリが墜落しました。


そして、ここ普天間に駐留しているのは海兵隊。
先制攻撃のための部隊です。
ベトナム戦争時もイラク戦争時も、ここから派遣されていきました。

裏を返せば、海兵隊は守備は一切請け負わない部隊です。
そして、アメリカの戦争の時には沖縄を留守にするのです。


このどこにいわゆる「抑止力」が?


沖縄の金武で訓練を行っている特殊部隊グリーンベレー(米特殊作戦陸軍)とともに、戦時下の地域で、人殺しをおこなう能力だけに特化した部隊といえるでしょう。


見渡せば、普天間基地の左手には海が青く広がっています。
あまりに対照的な風景が同時に眼前に広がっているのです。





そして、眼を近くに戻せば、嘉数高台公園の展望台には、基地のない沖縄を願う、黄色いリボンが無数に巻かれていました。






サッカーの帰り道、コザに寄り道したとき、米兵の「Yナンバー」の車が事故っている光景に出会いました。
そこは基地の外ですが、日本の警察は関与できません。

迷彩服を着た、コワモテの「ポリス」が米兵の事件・事故はすべて処理します。





沖縄国際大学にヘリが墜落したときも、米軍用のポリスが来て、事件をもみ消していきました。
日本の警察も、事件の被害者の大学関係者も、一切近づくことすら禁止されました。

完全な治外法権が沖縄にはあります。



これが、東京や大阪だったらどうでしょう?
いや、そんな大都市でなくても、内地の地方都市でもどうでしょう?



しかし、それを伝えるべき報道も「腫れ物に触る」かのように、ほとんど無視を決め込むのが慣例になっています。
沖縄国際大学にヘリが墜落した際には、オリンピック報道にかき消されて、内地の主要新聞はほとんど記事にしませんでした。
つい先日、名護の民意が、辺野古への普天間移転を明確に否定したときには、それにかぶせるかのように尖閣諸島のニュースで目先を逸らして「なかったこと」にしてしまっています。

けれど、沖縄では「なかったこと」どころか、まさに今そこにあり、そしてそういった大きな事件事故だけでなく、米兵の犯罪や事件事故は日常茶飯事に市民生活を脅かしているのです。
沖縄の新聞を日常的にそのような記事が一面を飾っているのを見ると、内地の感覚では衝撃的です。


要は、沖縄県だけで封鎖されて、そこから先には知らされないようなメカニズムが働いているのです。


もちろん、沖縄もかつては基地依存経済でした。
基地がなくなると雇用もなくなり、経済的にもやっていけないというジレンマもありました。

しかし、もはや基地依存経済は終わりを告げようとしています。
基地の街コザは多くの商店がシャッターを閉めています。
逆に、返還されたかつての基地や米軍施設だった北谷やおもろまちでは、その跡地に建てられた施設や商店がとても賑わっています。

シンクタンクによる試算でも、返還された跡地にできた街は、経済的に大きな黒字になっていることが証明されています。
これは沖縄だけでなく、フィリピンなどの他の旧米軍基地跡地も同様なのだそうです。


尖閣諸島の問題にしても、米軍はノータッチです。
そういう部分だけ見ても、(好きな言葉ではありませんが)どっちが“国益”かは火を見るよりも明らかでしょう。

そもそも、沖縄に巨大な軍事施設が集まっていることが、周辺各国に緊張関係を強いているという側面もあるのです。



琉球は、軍事力を持たない国家でした。
外交によって、うまく切り抜けてきた歴史を持っているのです。



そう、米軍基地も自衛隊も、沖縄には必要ないのです!!!ヾ(。`Д´。)ノ  

Posted by よーかい at 02:15Comments(4)

2010年09月23日

北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記:7

宗谷岬まで走り終えて稚内へ。


宗谷岬では、最北端到達証明書なるものもお土産屋さんで発行してもらいました♪
さすがにそこまででもうかなりの力を使い果たしてしまい、帰り道は逆風ということもあり、ノロノロ運転でした。

稚内市街のユースホステルに着く頃にはもうとっぷり日は暮れていました。





あとはもう、サッカーでいうならロスタイムみたいなものですが、それでも旅はまだ終わってはいません。
走りきった自分へのご褒美(?)に、普段ならしない、ちょっとした贅沢を。

3000円のウニ丼です♪
北海道のウニは、内地とはまったく違います。
内地のウニは、保存用にすべからくミョウバンを使っているので、別物みたいな味になっちゃっているのです。
北海道では、変な臭みも雑味もなく、旨味だけのつまったウニを食べることができるのですヽ(≧▽≦)ノ


それにしても、北海道は食べ物が美味しすぎます。
何を食べてもとんでもなく美味しいというのは感動ですが、逆に北海道人が内地に来たら餓死しちゃうんじゃないかと心配になります。
そして、北海道人はなぜあんなに美味しいものばかりに囲まれながらも、多くの人は肥満にならずに過ごせるのか不思議でなりません。
道産子、恐ろしい子………! (ここは月影先生のように白目でお願いします。)





だいたい、ビールにしたって北海道限定サッポロクラシックは旨すぎるのです!ヾ(。`Д´。;)ノ

けれども、この旨さ、内地に持って帰るとそのカリスマ性は半減します。
やはり、北海道の気候風土、そして食べ物に合っているビールなのでしょう。

全国各地、様々な地ビールがありますが、大手メーカーとはいえ、もう1位はサッポロクラシックで決まりでいいです。
2位はもちろんオリオンビール☆
その南北のワンツーフィニッシュで決まりです!
(3位は周回遅れ?で銀河高原ビールでしょうか?)





翌朝は、宿をチェックアウト後、ノシャップ岬へ。
事前の天気予報は雨でしたが、またもや見事に晴れました。(しかも、よーかいが北海道から飛び立った後、大雨になったそうです。)

さすがに筋肉痛で全身ぎしぎしでした(苦笑)。
200km弱ならわりとなんてことないのに、250㎞オーバーの距離を走ると、かなり体への負荷が変わってきます。


そういや、昔とんねるずが
“♪ノシャップは~~人情~み~さ~き~~~♪”
と歌っていたことを覚えているひとって、何歳くらいまでの世代なのでしょうか?


ノシャップからは、途中郵便局やお土産屋さんに立ち寄ったりもしながら、稚内空港まで走りました。
稚内空港で自転車を解体して、新千歳空港へ。

新千歳空港での最後の北海道の美味は、牛乳でした。





ただの牛乳なのに、なんでこんなに美味しいんだろう?


道産子、恐ろしい子………! (もういいって)



この食に関する不平等は許せませんですってば!!





なので、いつか今度は日本最東端を見にまた北海道を訪れる決意なのです!o( ̄へ ̄*)むん



※北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記、ひとまず完!
 どうもありがとうございました!!  

Posted by よーかい at 00:41Comments(8)

2010年09月18日

北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記:6

いよいよ、日本の最北端宗谷岬へ!


標識の「宗谷岬まで○○km」という表示が、カウントダウンのように減っていきます。
遠くにもやがかかったように見えた半島が、気が付けば目の前に迫ってきて、北海道らしい風力発電の風車を横目に、あるいは間宮林蔵の碑を横目に観ながら最北の岬の先端部へと進んでいきます。
風もよーかいが進む背中を後押ししてくれました。


そして、「それ」は唐突に現れました。
以前読んだ『ハチミツとクローバー』から、岬の先端部は一本の道になっているように勝手に思いこんでいたのですが、半島の両側からゆるやかなカーブを描いたその頂点に最北端は存在していました。





日本最北端、宗谷岬です。



夕方17時10分着。
サイクルコンピューターを見ると、その日の朝に留萌を出発からの走行距離は220㎞を超えていました。

新千歳空港からの総走行距離は415km。

北海道の南から、ほぼ縦断するような形で、自分の足で走りきったのです。
それも、実質2日で。

人間、やればできるものです☆

そしてこれにより、(有人島の)日本最南端波照間島、日本最西端与那国島、日本最北端宗谷岬の3つをコンプリートです。
残すは日本最東端だけです。
いつか待ってろよ!(笑)



ちょっと大げさなことを言うと、きっと誰もが多かれ少なかれ、
「世界の果て」
を見たい願望ってあるのだと思うのです。

もちろん、その「世界の果て」は単に地理的なものではなく、心理的な要素が大きいと思います。
ある人にとっては、住んでいる島が海に連なる場所が果てかもしれません。
またある人には、前人未踏の辺境こそが「果て」かもしれません。

でも、どちらにせよ、自分が行くことのできる限界地点を知りたいという願望は多かれ少なかれあると思うのです。
少なくとも、よーかいにはそれがあります。


例えば、自分がどこまでやれるのか?
それが知りたくて、大学時代なんていろんなムチャをやってみたり。

自転車で最北の地に向かうのも、どこかできっと
「限界なんてこんなもんじゃない、こんなんじゃない」 (by“The pillows”)
という気持ちがあったのだと思います。


そして、やってみると、思った以上に人間はやれるものなのです。
もちろん全然万能じゃないですし、すぐに、何度も壁にぶち当たります。

それでも、自分が思っている以上に、限界は先にあるのだと、実感します。



そして、ここは、『ハチミツとクローバー』で、竹本君が最後にたどり着いた場所。
彼が観た景色。
同じ場所に、自分もいます。
彼と同じく、自転車で。

なんだかちょっと、感無量でした。
(どうでもいい余談ですけど、映画版だと竹本君は東京から湘南海岸まで走っただけで引き返してきちゃうのでがっかりでした。笑)




もっとも、宿がある稚内まで、そこからさらに30㎞近く引き返さなければなからなかったのでしたけど…(; ̄∀ ̄A(爆)


もう一回くらい続く……かな??






おまけ:


「限界なんてこんなもんじゃない、こんなんじゃない」
そう歌詞にある、the pillowsの名曲『ハイブリッドレインボウ』をBUMP OF CHICKENがカヴァーしたヴァージョンです。
原曲よりも落ち着いたアレンジになっています。



  

Posted by よーかい at 04:11Comments(2)

2010年09月16日

北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記:5

北海道最北までいよいよ大詰め! 


豊富町あたりの国道40号と国道232号の重複区間に入ると、本格的に民家も通行人もいなくなり、車の交通もほとんどなくなります。
あるのは牧場か山林ばかり。
とはいっても、ニュージーランド南島みたいに、丸一日走っても誰とも出会わないという恐怖はありません(笑)。
たまに宗谷本線(終点は稚内)の線路が近くなったところで1輌ディーゼルの列車と擦れ違ったり、草原で野生のエゾシカが草を食べている光景にも出会いました。


基本的に、南から宗谷岬まで北上するメインルートはこの道なのです。
つまり、羽海野チカ先生の『ハチミツとクローバー』で竹本君が自転車で宗谷岬目指して走った旅も、きっとこの道を通ったのだなぁ…と思うと、少し感慨深いものがありました。

そう、『ハチミツとクローバー』を読んだとき、竹本君は一番親近感のあるキャラでした。
自分自身、同じルートで松島まで自転車で北上していたこともあったのでした。
だからいつか、竹本君が観た北海道の風景をこの目で、自転車で走って観てみたいとずっと思っていたのです。





とはいえ、このあたりまでですでにこの日百数十㎞走っているのです。
だんだんと、足が重くなってきているのも感じていました。

また、コンビニや食料品店はおろか、自販機の一つもありません。
自転車につけたボトルの水をかなりセーブしながら飲むことになります。

やっと自販機に遭遇したときには、
「自販機、神!」
と思わず叫びたくなりました。

なにしろ、牧場はあっても、牛乳を即売しているような場所はないのですもの……(TwT。)





そしていよいよ稚内市へ突入!
「牛の横断注意」
の看板が、いかにも北海道です(笑)。

とはいえ、稚内市内に入っても、中心部までは20㎞くらいありますし、宗谷岬はそこからさらに30㎞近くも先なのです。


けれど、稚内市内にたどり着いて、少し元気を取り戻したのも事実です。
このままいけば、日が暮れるよりも前に宗谷岬に着けるはず。





稚内中心地は、「唐突」といった感じで出現しました。
普通、市街地に入る前には、民家や商店などがだんだん増えていって少しずつ街らしくなっていくのですが、稚内市街地は突如として出現したとしかいいようがないほど、それまでの風景からは特異な場所でした。


そして、海風。


潮の香りが、最北が近いことを感じさせてくれます。
稚内市街地を超えて国道238号線に入ると、看板にもいよいよ宗谷岬の名前がでてきます。

このあたりの道路標識は、すべてロシア語併記です。
実際、日本の果てまでもうすぐなのです。
ここからなら、本州よりもロシア領の方がずっと近い場所です。

稚内在住のロシア人もかなりの数にのぼるようです。
お店なども、ロシア語の案内板がかかっているところも多く見かけました。





顔文字以外にも、ロシア語を日常で見かける場所、それが稚内なのです!( ̄Д ̄;)(←※この中にもロシア語が潜んでいます。笑)


続きます!








おまけ:

ロシアということで、The Beatlesの『Back in the USSR』です。
今はもう「USSR=ソビエト連邦」はなくなっちゃいましたけど…σ(^_^;)


  

Posted by よーかい at 00:52Comments(0)

2010年09月15日

暴力行為、6万件突破=問題行動調査

全国の小中高校が2009年度に把握した児童・生徒の暴力行為は前年度比2%増の6万913件で、初めて6万件を超えたことが14日、文部科学省の問題行動調査で分かった。
文科省はささいなことで暴力を振るうケースが多いと指摘。
「感情のコントロールができず、コミュニケーション能力や規範意識が欠如している」
と分析している。


 
調査は都道府県教育委員会などを通じて実施。
対象を公立学校だけでなく、国立と私立にも広げ、軽微な事例の報告も求めるようにした06年度から4年連続で過去最多となった。
小学校で同10%増の7115件、中学は2%増の4万3715件、高校は3%減の1万83件と、低年齢層ほど増加幅が大きい傾向も続いた。


このうち生徒間の暴力が3万4277件と過半数を占め、教師へは8304件、そのほかの人への暴力が1728件、物を壊したのが1万6604件。
人への暴力のうち4件に1件は、被害者が医療機関で治療を受けていた。
 

一方、特別支援学校を含めたいじめの認知件数は14%減の7万2778件。
3年連続で減少したが、同省は
「学校が把握できていないケースがあるのでは」
として、教育委員会などに実態把握の取り組みを強めるよう通知した。



(2010年09月15日 時事通信)  

Posted by よーかい at 18:40Comments(0)

2010年09月15日

不登校17万人 学校の現場は「危険な9月」対策に腐心

文部科学省が発表した「問題行動調査」では、不登校の子どもが17万人余に及んだ。
近年、高い水準が続く。

9月は長い夏休みが終わって新学期が始まり、子どもがストレスを抱えやすい時期のひとつ。
学校現場では、小さな役割を任せて居場所を作る取り組みがある。
勉強のつまずきや人間関係のストレスなどのサインとして表れる不登校は、小中高で計約17万4千人。
前年度より約6千人減ったが、文科省は
「小中学校、高校ともこの数年間多い状態が続いていると認識している。減少しているとはとらえていない」
と説明する。


 

9月は不登校が最も始まりやすい時期だ。

 
国立教育政策研究所の調査では、中1で新しく不登校になった子の9割は、9月以降に休みはじめていた。
1学期中は苦しみながらも頑張っていた子の場合、夏休みで気持ちが切れてしまうようだ。

 
同研究所の滝充総括研究官は
「他学年も同じだと見ていい。9月に休む子が必ずしも不登校になるわけではないが、大事な時期であることは確かだ」
と指摘する。

 
「毎年この時期は怖いです。今月いっぱいは気が抜けません」。
福井県越前市立武生第一中学校の高橋直樹教諭は言う。

 
同校では夏休み中から対策を打っている。
子どものストレス要因のひとつは、やはり勉強。
特に中学生になると急に内容が難しくなり、つまずく子が増える。
休みの間に少しでも解消しようと、毎年8月前半の数日間、国語・数学・英語の補習を開いている。

 
今年は1、2年生90人が参加した。
希望者のほか、基本的なところでつまずいている生徒にも担任が声をかけた。
「もちろん、数日勉強しただけで急に成績は上がらない。でも、少しでも理解できて『2学期から頑張る』と明るく帰る子がいることが支え」

 
新学期が始まってからも、文化祭や職場体験など行事のたびに、一人ひとりの子の性格に合わせた役割を作り、任せている。
「不登校を防ぐためにも、とにかく学校とのつながりを保つようにしている」
と高橋教諭は話す。

 
文教大学の柳生和男教授(生徒指導)は
「行事だけでなく、日常の学級の中でも役割を作っては」
と提案する。
小学校教諭を長年務めた経験から
「繊細な子の中には学校という集団生活になじめずにストレスをためる例は少なくない。プリントを配るとか担任を手伝うような小さな仕事を作って、教師との信頼関係を築くことも大事」
という。

 
子どもの変調は、見守る親のストレスも大きい。

 
明治学院大学心理臨床センターは17日午後、同大高輪校舎で、不登校の子の保護者向け公開講座と相談会を開く。
あえて9月に設定しているのだという。
同センター専任カウンセラーの田所摂寿(かつよし)さんは
「毎年ゴールデンウイーク明けと夏休み明けは、親からの相談が増える。休み明けは『また学校に行かなくては』と思い詰めている子もいて、いろんな行動をとる可能性がある」
と注意を促している。

 
同日は親同士の懇談会やカウンセラーへの無料相談も予定している。
田所さんは
「親も思い詰めて抑うつ状態になる傾向がある。親のメンタルヘルスも大切だ」
と話す。




(2010年9月15日 朝日新聞)
  

Posted by よーかい at 18:35Comments(0)

2010年09月15日

児童生徒の暴力 県内公立は581件に減少

対教師が半減


県教育庁によると、2009年度に県内の公立小中高校と特別支援学校で把握された暴力行為の件数は08年度より65件減って581件。
高校で5件増えたが、中学校で46件減り、小学校でも24件減となった。


 
暴力行為の形態別では、見知らぬ人などへの対人暴力が13件増えて42件だったが、教師に対する暴力は28件減って31件。
生徒間の暴力は35件減で361件、器物損壊も15件減で147件だった。


 
また、09年度に把握されたいじめの件数は、前年比5件減の363件。
学校別では、小学校は12件増で104件、中学校は7件減で208件、高校は3件減で48件、特別支援学校は7件減で3件だった。
いじめがらみの自殺は把握していないとしている。

 
県教育庁義務教育課は暴力行為の減少について
「対教師の暴力が大幅に減少している。教師が生徒との会話を重視し、コミュニケーションを取ってきた結果」
と分析。
いじめについては
「増減ではなく、今起きているいじめに誠意を持って対応していきたい」
と話している。



(2010年9月15日 沖縄タイムス)

  

Posted by よーかい at 18:30Comments(0)

2010年09月13日

北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記:4

留萌から最北までは一気に北上です!o( ̄へ ̄*)むん


地図で見ると、ざっと軽く200㎞は超えています。

雨とか風とか、あるいは当日のコンディションとか路面状況とか、不安要素は数え上げればきりがなかったのでしたが、まあ春には沖縄本島一周やら琵琶湖一周やらで1日に200㎞以上を体験しているので、多分大丈夫……だいじょうぶなはず……だいじょうぶだよね?…ですか?な感じでのコース選択です。

なにしろ、社会人の夏休みはとても短いのですし、宿(ユースホステル)の予約は稚内にしちゃっているのです。
たどり着かないわけにはいかないのです。


事前の天気予報は雨。
朝起きた時には前日の晩からかなり激しい雨が降っていました。


出発準備をしていると、朝のトレーニングを終えた旅仙人がやってきて、
「こんな中、走れるのかい?」
と言ってきました。

しかし、よーかいには雨が止むという確信がありました。
なにしろ、よーかいは超晴れ男ですから!v( ̄ー ̄*)にぃ

ただし、そんなことを根拠に「雨は止みますよ」とは言えなかったので、「止むといいですね」とこたえて、朝食をもぐもぐ。
すると、朝食を食べ終わる頃には見事なまでにぴたっと雨は止みました。
うーむ、自分の才能がこわいです(笑)。


朝、7時20分過ぎに『みつばちハウス留萌』を出発。
入り口で、旅仙人と、ちょうど起きてきた一昔前の江口洋介みたいな風貌の兄ちゃんが見送ってくれました。





留萌からしばらくは海沿いの道を走ります。
道はこれまでに比べるとアップダウンがありますが、沖縄のやんばる東海岸に比べたらなんでもありません(笑)。

幸いなことに、風は南風。
背中を押してくれます。
苫前まではあっという間でした。

しかし、道路標示を見ると、稚内まではまだまだ百数十㎞以上あります。
そして、宗谷岬は稚内からさらに先なのです。

あんまりのんびり走るわけにもいかず、時速30㎞弱くらいを維持しながら(よーかいにしては速いペースです。)ずんずん進んでいきます。


海沿いの道では、リアルマリノス君(ただのカモメともいいます)が自転車が50㎝の距離まで近づいてもまったく逃げずにガードレールに止まっていました。
昔ながらのニシン番屋の跡や、バラック小屋みたいな漁師達の小さな家。
冬の厳しさをいやがおうにも連想させる、急傾斜の屋根の家々。


少し早めのお昼ご飯は、道の駅富士見で地元名物のタコづくし♪




この日はもやがかかったような天気だったのでよく見えなかったのですが、「富士見」ということは、きっと天気のいいときには利尻島の利尻富士が見える場所なのでしょう。

北海道では、自転車で旅をしている人たちも夏場はけっこういます。
道の駅で休憩していると、初対面の人でも話しかけてきてくれます。

走っている最中も、自転車同士が擦れ違うときにはお互い自然に笑顔で手を振ります。
ときには、追い越していくバイク乗りが、片手をあげて挨拶しながら通り抜けていくことも。
こちらも、バックミラーに映っているだろうことを期待して、手を振りかえします。


そんなふうにして、ずんずんと北へ北へと進んでいくのです。
頭の中で流れるBGMは、くるりの「ハイウェイ」でも「ワンダーフォーゲル」でも、あるいはSING LIKE TALKINGの「Lestless」でもよかったのですが、ずっとエンドレスでフラワーカンパニーズの「深夜高速」がかかっていました。
♪青春ごっこを今も 続けながら旅の途中~♪
そのまんまじゃん、と苦笑しながらも口ずさんでいます。



ところで、走りそのものはわりあい順調でしたが、手塩(てしお)を過ぎたところでちょっとした計算違いが。
本当は、ずっと海沿いを通って稚内へ行くはずだったのですが、「稚内」という看板につられて手塩を右に曲がってしまい、内陸の国道40号(この区間は国道232号線とも重複)へと入ってしまいました。


海沿いを進むはずが、なぜか牧場だらけ!∑( ̄□ ̄;)ハウッ
無性にピンクフロイドが聴きたくなって困りました。





ピンクフロイドの名盤『Atom Heart Mother(日本語タイトル『原子心母』)』そのままの風景がどこまでもどこまでも拡がっています。
どこまで行っても、牛、牛、牛………。


しっかし、「原子心母」ってタイトルの意味がわかりません…( ̄ω ̄;)
しかも、なぜに牛のジャケットなのでしょうか??


そんなことを漠然とぼんやりといろいろ考えるともなく考えながら走っていました。
アグレッシブな走りではなく、プログレッシブな走りです(意味不明)。



けれども、もっと切実なこと。




空気が確実に、牛の「落とし物」臭いのですよ…!(TwT。)



あ、つづきます。


おまけ:
ピンクフロイドの「原子心母」というタイトル曲は、組曲みたいになっていて25分もあるのです!
それはちょっと長すぎるので、同じアルバムに収録の『Summer '68』です。
彼らの夏から、42年も経った夏を走っていたんだなぁ…。(※アルバム自体は1970年の発売なので、40年前です。)


  

Posted by よーかい at 01:50Comments(0)

2010年09月10日

北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記:3

まずは留萌を目指して!


滝川から北西に折れ、真っ直ぐな道は終わります。
石狩川を渡り、地図で見るとちょっとした峠越えの様相でした。

その前に、こんな広告塔が!





『太陽を味方につけたまち』


冬場は極寒の地域のはずなのに、やけに大きくでたものです( ̄ω ̄;)


そして道はちょっとした山道っぽくなりましたが、たいした標高差もなく、緩やかな登りと下りがあっただけでした。
ただ太陽がぎらぎらと照りつけ、頭から水をかぶってもすぐに乾くくらいの気温だったのと、サイクルジャージにパッド付きのサイクルスパッツであってもサドル部分が痛くなってきたことだけが難点でしたが…。


けれども、この日は意外なほどあっけなく、午後3時過ぎには留萌に到着。




宿泊場所は『みつばちハウス留萌』というライダーハウスです。
この施設、なんと無料です!

もちろん、無料でもちゃんとお布団はありますし、キッチンも自由に使えます♪
ただし、この施設を使えるのはライダー、つまりバイクで旅をする人と自転車で旅をする人のみという限定条件が付きます。

受付はちょっと離れた場所にあるバイク屋さんで行うのですが、宿の説明を受けているとき、そこのおやじさんはよーかいを見て、
「タバコは所定の場所だけど……まだタバコを吸える年齢じゃないね
と事務的な口調で言いました∑( ̄□ ̄;)ハウッ


沖縄に続き、北海道でも未成年疑惑が!(笑)
やー、なんだかもう苦笑です。
ちなみに、旅先では「大学生?」と訊かれることはあっても、「お仕事はなんですか?」とまず訊かれるということはありません。
スーツ姿で泊まっても、「就職活動ですか?」と訊かれたこともありますですよ…(TwT。)


話を戻して、この『みつばちハウス留萌』、お風呂だけはないので、近くにある銭湯に入りに行きます。
銭湯でさっぱりしてから、「日本一」とも言われる(留萌の自称かもしれません。笑)夕陽を見にいきました。





日本一かどうかは脇へ置いておくとしても、素晴らしい夕陽であったことは事実です。


夕陽を見た後、晩ご飯を食べてから宿に戻りました。
留萌、飲食店は基本夕方6時に閉まるのがデフォルトみたいです。
ラーメン屋ですら、夜7時には看板を下ろしていました。
内地感覚で判断を誤ると、せっかくの北海道の旅でもコンビニでおにぎりを買うしかないディナーになりかねないので注意が必要です…((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル


さて、宿に泊まっている人たちはとても個性派でした。
旅の初心者もいますが、ほとんどは百戦錬磨の旅人達でした。

みんなあちこち旅していますし、自転車で日本一周の途上の人もいました。

けれど、それを遙かに凌駕する“旅仙人”(よーかいが勝手に命名)がおわしました!


一見すると60代くらいにしか見えないのですが、83歳とのこと。
冬の間は京都で漆器職人をしていて、春になると自転車で北上して北海道に長期滞在に来るのだそうです。
それがもう二十数年続いているのだそうです!
(ちなみに、その自転車は昭和40年代前半に組んだものをずっと使っているそうです。)

海外で訪れた国は87か国!
昭和30年代には3年かけてシルクロード横断を果たしたそうな。


すごいです。
もう驚愕の一言です。


「昨年入院をしてからずいぶん体力が落ちた」
と言いながら、毎朝4時に起きてから最低1時間は走ることが日課だそうです。
(事実、よーかいが泊まった翌朝も、朝出会ったときはトレーニング後でした。)

80過ぎて京都から自転車で北海道に来ることができてしまうなんて、人間の可能性はまだまだ思っている以上にすごいのかもしれません。
こういう人を見ていると、200歳で生きている人間がいても不思議じゃないよなぁ…とも思うのです。

きっと、「不明」とされている戸籍上で200歳近くのひとの何人かは、うまく世間から目をくらます術を身に付けて、いまも生き延びているのでしょう。



それともう一つ、『みつばちハウス留萌』での名物がありました。
それは、
焼酎のカツゲン割りです。


「カツゲン」とは、北海道だけで売られている、パック入りの乳酸菌飲料です。
現在のゼロカロリーブームに反旗を翻すかのような高カロリー。
そして、かなり濃縮したかのように濃い乳酸菌飲料なのです。



「焼酎のカツゲン割り」といっても、実態はカツゲンを焼酎で割るといった方がただしいかもしれません。


なにせ、割る比率は、
焼酎9:カツゲン1
なのですから!!!!!ヾ(。`Д´。;;;;)ノ


ただ、この飲み方、おそろしく飲みやすくなるのです。
焼酎は一升のパックが千円以下の粗悪品でも、カツゲンが入るだけで質の悪さがわかんなくなります。


そんなこんなで、旅人同士の語らいと焼酎のカツゲン割りで夜は更けていくのでした…。


翌朝、あやうく寝坊しそうになったのは言うまでもありません(爆)。
てなわけで続きます!  

Posted by よーかい at 03:30Comments(2)

2010年09月08日

北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記:2

北海道二日目、札幌を出発。


実質、その前の日はたいして走っていないので、本格的に走るのはこの二日目からなのです。
この日は留萌まで。
距離にして140数㎞。
(国道12号を使用したので、少し距離のロスがあったようで、もう少し近いルートもあったようです。)

まあ、それほどの距離ではありません。

基本的に平坦で、いくらか退屈な風景の道が続くところが多いのですが、突如として非日常的な風景が現れたりします。
例えば、この看板。




『江別市まで40000㎞』


そ、それってどんだけですか!?∑( ̄□ ̄;)ハウッ
『もっとがんばるまち』って、それ頑張りすぎですから!


つか、要は江別市を抜ける前に、「あと地球1周したらまた江別市に着きますよ」というメッセージ(?)なんですけどね。



こういう「仕掛け」がなくても、北海道慣れしていない身には妙におかしく感じる看板もたくさんあります。
バス停の駅名が『7号』とかだったり(これが誰かの「愛人」とかにちなんでいたら笑えます。)、アイヌ語を無理矢理漢字で充てたのがみえみえの地名とか。
あるいは、
『大麻』
なんてあって、「たっ、たいま?!」と思ったら「おおあさ」と読むのだったり。
『増毛』
と書いて「ましけ」という地名とか。
田中マルクス闘莉王選手は訪れるべき地名だなぁ…なんてことをぼんやりと考えるともなく考えながら走りました。


そして、日本で一番まっすぐな道。




直線道路日本一のモニュメントです。
このモニュメントから、実に29.2㎞にわたって一つの緩やかなカーブもないひたすら真っ直ぐな道が続くのです。


ここに種田山頭火がいらっしゃったら、さみしさに打ちひしがれて死んでしまうことでしょう。
まっすぐな道でさみしい
と。
いや、むしろそのときどのようなリアクションを取るのかを楽しみながら、山頭火を無理矢理歩かせてみるのもいいかもしれません。(何のプレイでしょうか?)


そんなさみしさに耐えるべく、自転車乗りは道の駅に立ち寄ったりするのです。
や、単にトイレ休憩だったかもしれません。(ヲイ)


休憩ついでに北海道名物「ゆでとうきび」を購入。
100円也。




絶妙な塩加減です!
そしてなによりも、とうきび(とうもろこし)の柔らかさと甘さといったら!!!

北海道の凄いところは、何を食べても美味しいことです。
北海道で不味いものを見付ける方が難しいくらいです。

北海道を旅して、美味しいものに巡り会わなかったら、それはむしろその人の“才能”として誇ってもいいでしょう!ヾ(。`Д´。;)ノ
……できれば、埋もれたままにさせておきたい才能ですが。。



広大な大地、真っ直ぐな道、天気は青空。
まごうことなきピーカン。


事前の天気予報では曇りときどき雨だったのに。
またもや、晴れ男パワー全開で雨雲に勝利しました♪v( ̄ー ̄*)にぃ


実は事前には天気と、気温の低さを心配していたのです。
8月下旬ではもうかなり寒いんじゃなかろうか、と。

例年ならその通りなのですが、今年は太陽が特別に気合いを入れて頑張っています。
「気合いやで!」
なぜか関西弁で、それは略すと「KY」にもなるのです。


そんなわけで、北海道とは思えないくらい暑かったです。
まさに、夏をダイジェスト版で取り戻している感じです。
事前の思惑以上!(爆)


数リットル以上の水やスポーツドリンクを飲みながら、自転車を漕いでいくのです!



旅はまだまだ序盤なのです!o( ̄へ ̄;)む…むん


※続きますよ。  

Posted by よーかい at 02:31Comments(0)

2010年09月04日

北海道ほぼ縦断チャリンコ爆走記:1

夏を追いかけにいきました。


夏休みは短いものですが、社会人にとってのそれはさらに短いのです。
そして、どんなに暑くても、いつか夏は、8月は終わってしまうのです。


そんなわけで、8月の最終週の週末、短い夏休みをとって北海道へ行って来ました。
けっして『サマーウォーズ』みたいに劇的でも、かわいいヒロインがでてくるわけでもないけれど。






ついこの間まで、神奈川県の小学校教員採用二次試験でした。
それに、日々のお仕事に生活に。

気が付いたら、盆も旧盆もなく過ごしていました。
4日間取得できる権利のある職場の夏休みのうち半分は、受験のために使っていました。

残り2日の夏休み。
それを、8月最後の土日にくっつけて、8月27日(金)から30(月)までの3泊4日、今年は自転車で北海道を走ることにしました。


目標は、最北端まで!



朝、いつもの時間に起きて、ブログ記事をアップして、それから自転車を磨いて旅支度。
飛行機はお昼前の出発。

いつものごとく、乗り物に乗るとすぐに寝てしまい、気が付いたらそこは北海道の午後。





輪行してきた自転車を組み立てて、空港で遅めのお昼ご飯。
ストレッチして出発する頃にはもう午後2時30分過ぎ。

初日は、ホンの足慣らしです。
この日は新千歳空港から札幌市内までのわずか40数㎞の道のりです。

新千歳空港は、札幌よりも南東に位置します。
だから、札幌まではちょっと距離があるのです。


走り始めた千歳市内はいい天気♪
空港周辺こそ道路の流れがいまいち読みにくかったですが、そこをすぎると北海道特有のわりとまっすぐな道になります。

荷物は自転車のサドルとボトルケージに積んだ少量と、マウンテンスミス社の『TOUR』という腰の後ろに付けるタイプのやや大きめのウエストバックが一つ。
それだけ。
自転車には念のためライトを2つと、着脱可能な泥よけをつけていますが、基本はロードバイクです。(タイヤは28Cとやや太めですが…。)


札幌近くまではすいすい。
でも札幌市内に入ると急に交通量と信号が増えて、のろのろ運転になりました。


そんな渋滞と信号に手間取ったとはいえ、4時半よりも前には札幌駅に到着です。





本当は宿泊予定のユースホステルはもっと手前だったので、駅から再びのんびりペースでユースホステルへと向かいました。
チェックインして早めのお風呂も浴びて、それでもまだ日暮れ前。

駅前をぶらぶらしているうちに、だんだんと夕方の帳が降りてきて、本格的に夜が更けていきました。
北海道は、日本国内では東寄りになるので、よーかい棲息地よりも夜が早いことを感じました。
ここでも、確実に夏は終わりに近づいているのです。





さて、何を食べようか……



……と思ったところで、時計台の脇にふと目に付いたのがこの看板。







ぎゅ、牛乳ラーメンっ!?∑( ▽|||)




なんだか、うっかりラーメンスープの鍋に牛乳を大量にこぼしてしまったからそのまま売っちゃえ!みたいな雰囲気です。
『新感覚でまろやかな風味』
とはあっても、
“美味しい”とは一言も謳っていないのがミソです(笑)。


もし、よーかいが札幌に長期滞在か住んでいたのだったら、一度は試してみたいと思います。
でも、これは貴重な貴重な旅の一夜。
牛乳ラーメンにその一夜を奪われてしまっては台無しになってしまうかのうせいだってあるのですヾ(。`Д´。;;;;)ノ
あえてバクチを打つメリットがありませんでした。。。


……なのに、帰ってきてからもなぜか牛乳ラーメンに後ろ髪を引かれている自分がいます(爆)。




結局、その晩はジンギスカン食べ放題をいただきました。
しかし、いかんせん食べ過ぎました。


歯を何度磨いても、ずっと口の中がラム肉臭いのです。
もうこれは、胃や内臓から伝わってくるラム肉の匂いでしょう…(-_-;)

ラムはもうしばらくいいやと思ったのだっちゃ。(だっちゃ?)


肉食系男子にはほど遠いと痛感させられてしまった札幌の夜でした。(違)


そんなわけで、続きます。  

Posted by よーかい at 00:24Comments(2)