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2011年03月15日

totoのキャリーオーバーを義援金に!

まず、今回の震災で亡くなった方々のご冥福を深くお祈りいたします。
どうか一人でも多くの方が救助されますように。



マグニチュード9.0という地震はあまりに想像を絶するもので、幸い自分自身は安全圏にいたのですが、それでも気持ちが塞いだり、これまでに感じたことのない疲れを体感しました。
精神科医の香山リカさんによると、これは「共感疲労」と呼ばれる疲弊状態なのだそうです。
テレビやネットを介しても起きる可能性があるものだとか。

とはいえ、被災した現地の方々の疲労や恐怖や悲しみとは比較のしようがありません。
こちらが安全圏にいたからこそ、できることはないだろうかとずっと考えていました。



一つ、ありました!
それも、サッカーファンだからこそできることが!!



サッカーくじtotoのキャリーオーバーを義援金に回すよう働きかけてみることです!ヾ(。`Д´。)ノ


totoのキャリーオーバーを義援金に!


調べてみると、現在サッカーくじtotoのキャリーオーバーの額は57億5千113万551円であることを確認。
http://www.toto-dream.com/dc/SK5150.do?holdcnt=0488


第2節は中止になったので、第1節のキャリーオーバーがそのまま残っています。
このお金は、現在はtotoの発行元の独立行政法人日本スポーツ振興センター(NAASH)が預かっている形になっているはずです。


第1節の後に生じた57億円を超えるキャリーオーバーは、現在は誰のお金でもない状態です。

つまり、この額をそっくり義援金に充てても、誰のフトコロも痛みません。
単に、次回のtotoのキャリーオーバーがないというだけです。

こんなの、また新たにいくらでもキャリーオーバーは生じます。
すでに今月いっぱい、Jリーグの中止が発表されています。
また来月から仕切り直せばいいだけの話です。


きっと、この額を義援金に充てることにサッカーファンは誰も文句を言わないでしょう。 


もし、独立行政法人日本スポーツ振興センターが規約上のしばりで、サッカーの振興にしかtotoの収益金を使えないというならば、それでも方法はあります。

被災地全ての小・中・高等学校のグラウンドを、サッカーが出来る状態まで現状復帰させることです。
(この場合、まず現状復帰が最優先であって、芝のピッチはとりあえずいりません。)

これなら、totoの使用目的としての大義名分も立ちます。



ともかく、現在の被災状況を考えると、チャリティーマッチの収益金よりも、もっと手早く行うことのできる
「サッカーができること」
は、このtotoのキャリーオーバーの57億円を超える額を全額義援金に回すことだと思うのです。
それは、社会とサッカーをつなぐ役割を果たすものになるでしょう。



この実現のためには、多くのサッカーファンの声が必要です。


一人一人の声は小さくても、声が集まれば必ず実現できます!
決して無力ではありません。



どうか、すべてのサッカーファンの皆様、お願いします。
この趣旨にご賛同ください、声を上げてください!m(_ _)m


募金サイト イーココロ! (←あなたの代わりに企業が地球や子どもたちのために募金を行うサイトです。よろしかったら、クリックぽちっとな~(*´∇`*)♪)
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そういえば。
そういえば。(2011-09-04 03:00)


Posted by よーかい at 04:06│Comments(40)一日の雑感。
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(うしちこ母さんよりお借りしています)

 
 
 
Dame Felicity Lott sings Strauss' "Morgen"
 
 
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陽はまた昇る【mathichenの酔いどれ日記】at 2011年03月15日 04:29
この記事へのコメント
よーかい先生、さっきはTB有難うね
ウチからもペタリしときますぞ

サッカーに関しては、先生のこの記事で皆に伝わるでしょ
アタシは、言いたいことが音楽で伝わればと思い
Posted by マテ姉さん at 2011年03月15日 04:37
>マテ姉さん

こんばんは。
コメントとトラバどうもありがとうね(*´▽`*)


マテ姉さんのブログにも、再度トラバ貼らせてもらいました。


>サッカーに関しては、先生のこの記事で皆に伝わるでしょ

ありがとう。
どうか、皆様に伝わりますように。
Posted by よーかいよーかい at 2011年03月15日 04:58
賛成
Posted by LALALA at 2011年03月15日 06:25
こんにちは、初めて伺いました。まず最初に言っておきますが批判するつもりではありません。ただ勘違いされている点が有る様で気になってしまったのでコメントを残させてください。
まずtotoのキャリーオーバーに関しては法律で定められている様ですので、法律を変えない限り難しいと思います。つまり今の所誰の物でもないお金では有りません。もし日本スポーツ振興センターが義援金に回せば、今の法律では横領になってしまうのではないでしょうか。皮肉な事ですが。
そしてtotoの収益で被災地のグラウンドを整備のは素晴らしい考えだと思いました。でもtotoの収益金は、キャリーオーバーとはまったくの別物です。スポーツ振興に使ってるのはキャリーオーバーのお金ではないです。こっちも今の法律では純粋な収益でやって貰うしかない様です。
でももし色んな問題がクリアになって実現したら私もサッカーファンとしてはうれしいです。一日も早く復興して欲しいですね。
Posted by 通りすがり at 2011年03月15日 06:59
>LALALA さん

はじめまして。

ご賛同いただき、どうもありがとうございます(^▽^)
Posted by よーかい at 2011年03月15日 08:58
>通りすがり さん

初めまして。
コメントどうもありがとうございます。


>totoのキャリーオーバーに関しては法律で定められている様ですので、法律を変えない限り難しいと思います。


なるほど。
ご指摘どうもありがとうございます。

すみません、法律には疎いので教えて頂けるとありがたいのですが、具体的にどのような法律が障壁となるのでしょうか?



>もし日本スポーツ振興センターが義援金に回せば、今の法律では横領になってしまうのではないでしょうか。

ううむ、そうなってしまうのですか…。

おそらく、法律の部分は、
1.個人的な使途で使われることを防ぐため
2.一見「公」に見えるものであっても、特定の政党や宗派の利益に結びつくことを防ぐため
3.もともとの「toto」のサッカーくじという理念を外れないようにするため
といった3点が(素人考えですが)思いつくところです。

ただ、このような「非常事態」であり、個人的な使途にも特定の政党や宗派の利益に結びつくものでもない“公”に使われるものとして、特例として活用できないものでしょうか?
例えば、世論の高まりによって、特例を認めさせることができればいいなと考えています。

確かに、何の障害もなければ、きっと独立行政法人日本スポーツ振興センター(NAASH)も、キャリーオーバーを義援金に回すことにやぶさかではないでしょうしね…(^^;


具体的な法律がわかれば、法律の専門家も交えて前向きな検討ができればいいなと考えています。
貴重な示唆とご意見、どうもありがとうございました!
Posted by よーかい at 2011年03月15日 09:09
レス、有り難う御座います。
私も法律に詳しいわけでは有りませんが、素人なりに調べてみました。するとtotoは「スポーツ振興投票の実施等に関する法律」に基づいて運営されている様なのですが、ここに「(加算金)第十四条 前条の規定により配分金額を算出した場合において、いずれかの合致の割合について合致投票券がないときは、その合致の割合に係る配分金額は、次回のスポーツ振興投票におけるその合致の割合に係る加算金とする。」という項目が有りました。この法律そのものもそうですし、この法律のもとに過去にtotoを購入した人が居るという事実も厄介な気がします。「今後、非常事態の場合は。」という形であれば実現は可能かもしれませんね。無論どれも素人の考えですが。
でもキャリーオーバー(加算金)を義援金に回す事でtotoの将来的な配当金が変わってきてしまう事は、totoの根本を揺るがす事にもなりかねないですね。やはり収益金が現実的なのでしょうか。中々難しいですね。法律の専門家がいらっしゃるならぜひ御意見きいてみたいです。
Posted by 通りすがり at 2011年03月15日 12:08
連投すみません。よーかい様の過去のブログを拝見したのですが、よーかい様はtotoを一度も購入されたことが無いのですね。そうであればお書きになった文章に説得力が無いので議論は辞退させて下さい。勝手ですみません。「誰のフトコロも痛みません。」という発言に全てが集約されてしまっていると思います。
Posted by 通りすがり at 2011年03月15日 12:19
アイディア自体は素敵だと思いますよ。
キャリーオーバーをそのまま義捐金に回すと横領になるかならないかは、素人がどういう言い合うより、当の日本スポーツ振興センターに確認してみたらどうでしょう?
Posted by えのころ at 2011年03月15日 12:49
>通りすがりさん


コメントどうもありがとうございます。


>totoは「スポーツ振興投票の実施等に関する法律」に基づいて運営されている様なのですが


スポーツ振興投票法は全文読んでみました。
その施行規則も。

ただ、読んだ限りでは、義援金に回すことについて、法的にどう問題があるのか、おっしゃる箇所も含めてよくわかりませんでした…。
この十四条は、単に「キャリーオーバーが発生する」ということを言っているだけの条文ですよね?


>よーかい様はtotoを一度も購入されたことが無いのですね。
>そうであればお書きになった文章に説得力が無いので

何か問題でもありますでしょうか?
おっしゃる意味がわかりかねます。

株式会社の運営についてならば、株主でない者が意見を言うのはある程度制限されるべきだとは思いますが、これはそのようなケースではありません。

まして、震災の後の義援金の話なのですから。


建設的なお話ができなくて、なんだか残念です。
Posted by よーかい at 2011年03月15日 13:48
>えのころさん


初めまして。
コメントどうもありがとうございます。


>キャリーオーバーをそのまま義捐金に回すと横領になるかならないかは、素人がどういう言い合うより、当の日本スポーツ振興センターに確認してみたらどうでしょう?


はい。
もちろん最終的にはそうしてみるつもりです。

ただ、その前に外堀を埋めてから話をする必要があると感じているのです。

法律的な無知がこちらにあるのであれば、その法令を知り、対策を立てた上で日本スポーツ振興センターに確認し、話をすべきだと考えています。
Posted by よーかい at 2011年03月15日 13:57
初めてお伺いしてコメントさせていただきます。
たしかに現在、「当選したヒトにあげるお金」であるキャリーオーバーを
今のタイミングで有効に活かすアイディアとして素晴らしいと思います。

少なくとも自分で何かを発案し、世に問う姿勢と勇気がないヤツはよーかいサンのことをとやかく言う権利は絶対にない。

応援します。
Posted by 通りがかっただけですが at 2011年03月16日 00:04
チケットの払い戻しを義援金として使ってほしいなあとも思います。
Posted by kinoko at 2011年03月16日 00:12
>通りがかっただけですが さん


初めまして(*´▽`*)

こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>たしかに現在、「当選したヒトにあげるお金」であるキャリーオーバーを
>今のタイミングで有効に活かすアイディアとして素晴らしいと思います。

ありがとうございます。
そうおっしゃっていただけると救われます。

実際、タイミングとしては、Jリーグがしばらく休止している間しかないんですよね。
そして、キャリーオーバーは、前回購入者の当選権は一回切れた状態でプールされているお金なので、権利関係の問題は関係者が本気で取り組めばクリアできる範囲だと考えているのです。


>少なくとも自分で何かを発案し、世に問う姿勢と勇気がないヤツはよーかいサンのことをとやかく言う権利は絶対にない。

重ね重ね、本当にありがとうございます…(つДT)

どうやって実現するかを考えていくと、どんどん袋小路に陥ってしまうこともありますが、いろいろジタバタしている最中です。


ダメでも不利益を被る人はいないはずですし、自分自身には売る名もなければ、失敗して失うものも少ない立場です。
だから、万が一でも実現可能性があるなら、できるところまでは可能性を追求してみたいのです。
Posted by よーかい at 2011年03月16日 02:08
>kinokoさん


初めまして(ですよね?)(*´▽`*)

こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>チケットの払い戻しを義援金として使ってほしいなあとも思います。


そうですね!
それもいいアイデアですね☆

チケットの払い戻しだと、totoよりも「払い戻しの権利」が強く存在していることもあるので、
「チケットを払い戻すか、あるいは払い戻さないで義援金に充てるか」
を選択できるようにできればいいなと個人的には思います。



…こんな風に、いろんなアイデアを出し合っていけば、きっといいアイデアを持っている人がいるのだと考えます。
誰かが出したアイデアを、よりよいものに改良できる人や実行できる力を持っている人もいるはずだと。

だから、kinokoさんみたいなアイデアは大歓迎ですし、そういったアイデアをもっと自由に語ることのできる空気になるといいなぁと考えています。
Posted by よーかい at 2011年03月16日 02:14
こんばんは、よーかいさん。
今回のよーかいさんの意見・趣旨大変よくわかります。
しかし、申し訳ないですが、どちらかといえば自分は反対の立場になります。
まず、トト設立の趣旨を考えると、
その売り上げから日本では足りていないアマチュアスポーツ選手への助成、指導者への助成、施設建設への補助、青少年スポーツへの補助などなど、
スポーツをしたいが金銭的にも経済的にも苦しい方々への補助や育成などになる事が多いものです。
だからトトからの助成金、これがないと競技生活をやっていけなくなる選手や人々が増える事が予想されます。
トトそのものも順調に売り上げを伸ばしてきたものではなく、
5年ほど前には最低の売り上げになり、先行投資してきた金融機関や行政を赤字で苦しめながら、持ちこたえ、今日までなんとかやってこれたものだと、
そしてこの数年では飛躍的に売り上げを伸ばしてきたようですが、
売り上げを伸ばしてきたからの繰越金(キャリーオバー)であって、
それは逆にキャリーオーバーがあるからこそ、ビッグで1等6億円が狙えるからそれが売り上げを大きく伸ばす広報にもなっていると、
そのキャリーオーバーを狙って次のくじがより買われ、より売り上げが増えるシステムの訳ですから、
そのキャリーオーバーは誰のお金でもないと書いてありますが、
そのくじを買ってはずれた多くの方々による蓄財であり、次にそのくじをトトファンに買わせる動機にもなるものなので、
実際はくじを買い続けるファンによって支持されてるお金だと自分は考えるのです。
そしてそれを震災への義捐金にまわすとなれば、
再び1からのトトの再出発となり、
当選金の下落はくじの売り上げを激減させ、
それは金融機関を疲弊させ、
そして売り上げの激減からの助成金の減少は多くの競技者・アスリート、一般のスポーツを楽しむ人のための多くの施設を苦しめる結果になると、
確かに震災にあった人々を助けたい気持ちはわかるのですが、
それによって新たにスポーツに理解の低い日本の脆弱なインフラでがんばる競技者が締め出されるかもしれないという新たな状況になるのではと、だからこの件には賛成できないのです。
お許しを、、
Posted by weed at 2011年03月16日 03:18
すみません初カキコいたします。

どうしても議論となると、0か100かの議論になりがちだと思いますが、日本人の良さの一つとしてあいまいさがあると思います。
57億すべてを義援金にしろとは思いません。スポーツの振興も将来に向けて絶対に不可欠なものでもありますから、お金を蓄えておく必要があるのも十分理解できます。でも現時点では目の前の事象に傾注すべきかと思います。なぜなら、復興の期間が長期になればなるほど、底辺の拡大には時間を要するからです。

ですので、皆様でもっとも効果的な妥協案を探せればと思います。

乱文にて失礼いたします。
Posted by 目の前にあるもの at 2011年03月16日 08:51
よーかい様

totoのキャリーオーバーを義援金に!というアイデア、良いと思います。しかしながら、その為には法律改正が必要なようです。そして、その法律改正の為には圧倒的な民意が必要です。民意が無ければ政府も動きません。

つまり何が言いたいかというと、totoを生業にされている方々やtoto関連のサイト・ブログへ「賛成して欲しい」というメールなり書き込みなりをしてみてはどうでしょうか、ということです。

実際に毎週毎週totoを買われている方々の賛同が得られれば、それが大きな力になると思うのですが。

私は民意よりも先に上へ呼びかけて失敗した運動を何度も見ています。よーかい様も焦って地盤を固めずに動かれているような感じがしたので意見させていただきました。すでに動かれていたらスイマセン。
Posted by 仙台在住 at 2011年03月17日 00:11
>weedさん


こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>申し訳ないですが、どちらかといえば自分は反対の立場になります。

うーさんのように、理性的に書き込んでくださるのであれば、反対の意見でも歓迎です♪
(実は昨日は、著しく礼を失した下品な中傷の書き込みもあったのです。)


>そしてそれを震災への義捐金にまわすとなれば、
>再び1からのトトの再出発となり、
>当選金の下落はくじの売り上げを激減させ、
>それは金融機関を疲弊させ、
>そして売り上げの激減からの助成金の減少は多くの競技者・アスリート、一般のスポーツを楽しむ人のための多くの施設を苦しめる結果になると

なるほど。
おっしゃりたい趣旨は理解しました。
ありがとうございます。

こういったことも含めて、ちゃんとした議論が世論として必要でしょうね。
その話し合いの中で、適正な「totoの存在価値と非常変災時の使い道」の落としどころが決まっていけばいいなと思います。


あと、ここからはうーさんが書いてくださった事への個人的意見になります。

>トトからの助成金、これがないと競技生活をやっていけなくなる選手や人々が増える事が予想されます。

これについては、totoの助成金はキャリーオーバーとは別の部分から出資されるので、今回のキャリーオーバーを義援金に回しても影響はほとんど出ないと思っていますがいかがでしょうか?


>キャリーオーバーがあるからこそ、ビッグで1等6億円が狙えるからそれが売り上げを大きく伸ばす広報にもなっている

その点はおっしゃる通りだと思います。
ですが、ここ2~3年の間でも「キャリーオーバーなし」の状態になることも何度かありました。
それでもtotoは存続できましたし、次回売り上げでキャリーオーバーが新たに発生していました。

また、それでもキャリーオーバーが購入の動機付けにどうしても必要であるならば、例えば50億円まではキャリーオーバーとしてプールして、残りは義援金に回すのを複数回行うというのも良い方法ではないかなと思っています。

これだけの大金を募金で集めるのは大変なことです。
ですが、智恵をしぼって、より多くの人が納得できる方法でtotoのキャリーオーバーから拠出できれば、震災被災地の人々にとって大きな支えになるだけでなく、サッカーという競技やサッカーくじの社会的意義も向上するのではないかと個人的には考えています。
Posted by よーかい at 2011年03月17日 00:41
>目の前にあるもの さん


初めまして。

こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>どうしても議論となると、0か100かの議論になりがちだと思いますが、日本人の良さの一つとしてあいまいさがあると思います。
>皆様でもっとも効果的な妥協案を探せればと思います。

とても貴重なご意見だと思いました。
ありがとうございます♪


そうですね。
私も上記のweedさんへの返信に書きましたが、全額ではなくとも皆がより納得できる形での拠出できる方法があるといいなと思っています。

このブログ記事自体、できればその「効果的な妥協案」への一石を投じるものになればいいなと思い書きました。

まずはアイデアを出すことで、それをたたき台に多くの人が改良して、より良い形で、被災地への復興にあてることができればいいなと思っています。
Posted by よーかい at 2011年03月17日 00:47
> 仙台在住 さん


はじめまして。

こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。

仙台在住さんは地震の被害は大丈夫でしたか?
お怪我はありませんでしたか?
どうか、周りの大切なひとたちが無事であってくれていると良いのですが(>_<)


>圧倒的な民意が必要です。
>民意が無ければ政府も動きません。

同感です。
まったくおっしゃる通りだと思います。


>totoを生業にされている方々やtoto関連のサイト・ブログへ「賛成して欲しい」というメールなり書き込みなりをしてみてはどうでしょうか、ということです。

とりあえず、自分なりに動いてはいます。

まず、ツイッターでは自分のアカウントで発信しただけでなく、この趣旨をリツイートしてくださるよう、多くのサッカー関係者にお願いしました。
幸い、アーセナルの日本語版ツイッターアカウントが協力してくださり、公式リツイートしてくださいました。

また、これらのツイートを公式リツイートしてくださった人も数百名いらっしゃいました。

そのことは、totoのキャリーオーバーを義援金にということへの社会的関心の潜在的高さを物語っているように思いますし、アーセナルのツイッターサイトのフォロワーと、公式リツイートしてくださった方々のフォロワーを合計すると、おそらく数万人以上がこの意見を読んでくださったことになります。

いただいた返信も、約8割が肯定的な意見でした。

また、各新聞社や、totoが全面的に運営を協賛している「J's Goal」というサイトにもメールで投書を行いました。
こちらはまだ反応なしですが…。

元日本代表の増田選手が、同様に「totoのキャリーオーバーを義援金に!」という活動をしていた(過去形ですが)という情報を聞き、直接本人にコンタクトを取ってみたりもしました。
ただ、増田選手は挫折してしまったようで、その経緯や詳細については「詳しいことは話せない」とのこと。
(これには、増田選手へのネットからの攻撃、誹謗中傷もあったようです。)



>その為には法律改正が必要なようです。

この件については、正直よくわからないのです。
自分自身でtotoの根拠法になっている「スポーツ振興投票の実施等に関する法律」を、その施行規則も含めて読み込んでみました。

どうやら、「法的に問題」と言う意見の根拠は、13条と14条のようなのですが、そこにはtotoの実施方法について書かれているだけで、違反規定や罰則規定が一切ないのです。
なので、本当に法律改正が必要なのかどうかがいまひとつわかりません。
法律の専門家がいらっしゃったらぜひ聞いてみたいところです。


また、ツイッター上では、「法的に問題だから義援金に回すのは不可能」という意見と、「現在、義援金に回すための手続きが行われているらしい」というまったく相反する二種類の情報が流れてきています。


なので、この件については、現在、NHKの関係機関に調査依頼を出しているところです。(調査依頼を受理されるかどうかはわかりませんが。)


ともかく、現在自分自身にできることは思いつくところこれくらいです。

そもそも、自分のような一介の民間人が一人で57億を超えるお金を動かせるなんてことは思っていません。

だから、多くの方の協力や智恵が必要なのです。

そのためのアシストができればいいなと思っているところです。
Posted by よーかい at 2011年03月17日 01:08
>仙台在住さん


追記:

>toto関連のサイト・ブログへ「賛成して欲しい」というメールなり書き込みなりをしてみてはどうでしょうか、ということです。


こちらについては、totoの公式サイトには、メールや書き込みをできる機能がついていませんでした。

また、totoの運営主体である、独立行政法人日本スポーツ振興センターの公式サイトを詳しく見てみましたが、どうやら直接メールを出すことのできる窓口はないようです。

個別の電話での問い合わせ先は明記されていましたが、細分化されすぎていて、おそらく窓口レベルから上には話ができないと思われます。


なので、やはり多くの民意が必要なのだと考えています。
Posted by よーかい at 2011年03月17日 01:12
はじめまして。

なかなか難しい問題ですね。

ワタクシは個人的に昔ですが、totoを頻繁に購入しておりました。

その理由は、ごく一般的なものでしょうが、サッカーの振興とギャンブル性の両面、更に付け加えるならJリーグの試合を予想する楽しさの面も含め、自分の欲求が出費を上回ったということで、当然ほとんど当たりませんから、そのうち購入をやめてしまったわけです。

こんな人間は数多くいると思いますが、自分の場合1等が1億だろうとキャリーオーバーがあろうと、他者への宣伝効果にすぎなかった記憶があります。

なので、大変個人的な見解としては、キャリーオーバーが重要という人ばかりではなく、サッカー好きであるという要素を多分に含んでいると思います。

むしろ、義援金目的の要素を含むのならば、再び購入すると思います。
いや、間違いなくするでしょう。

なので、キャリーオーバーが法的にどうのというのはよくわかりませんが、それをクリアできるのでれば、少なくとも初回~数回は義援金効果が見込まれると考えます。

そのうちにキャリーオーバーも溜まるでしょうから、キャリーオーバーが存在しない期間、若しくは小額に留まるという設定があったとしても、期間内の正規の利潤という点では十分確保できると判断します。

キャリーオーバーを義援金とすることと、売り上げから還元することは違いますので、ここまでで語られている通り、キャリーオーバーの一部を定期的に義援金に宛てる為、totoの存続(すなわち復興活動の存続)とスポーツ振興及びその復興を目的とし、売り上げに協力してほしい、という名目で、totoの存在を再び世の中にアピール、そしてイメージアップするチャンスだと思います。

長文失礼致しました^^;
Posted by my-10 at 2011年03月18日 17:48
こんにちは

はじめまして

私も同じ事を考えまして署名活動をおこなっております。
法的に問題が多く困難な事は承知の上ですが、今後の事も含めて検討していただくように行動へと移しました。

署名目的、署名は下記のリンク先にありますので参考にしていただけると幸いです。

また、多くの賛同をいただける事をいのります。

法は人間が作ったモノですが、法は不遡及・・・

しかし、超えられる壁ならば越えてみせたい・・・

そして、被災地への力となればと『署名TV』というサイトでネット署名を行っております。


より多くの方に署名していただくよう友人、知人の方へ紹介いただけると幸いです。

宜しくお願いいたします。
Posted by HAPPY at 2011年03月19日 21:57
>my-10 さん


返信おそくなりましたm(_ _)m

こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>大変個人的な見解としては、キャリーオーバーが重要という人ばかりではなく、サッカー好きであるという要素を多分に含んでいると思います。
>むしろ、義援金目的の要素を含むのならば、再び購入すると思います。
>いや、間違いなくするでしょう。


こういうご意見は嬉しいです。

ですが、某掲示板等を見ると、「次は俺に6億が当たるかもしれないのに、勝手に義援金なんかにするな!」という荒れた書き込みも多く見られました。

個人的に集まった意見では、義援金にすることに賛成8割、反対2割という感じでした。

このあたり、世論調査を行うことのできる機関が協力してくれて、どのくらいの人々が(また、サッカーファンが)キャリーオーバーを義援金にすることに賛成なのか反対なのか調べてもらえるとありがたいなぁ…と感じています。

こちらからも、twinaviに「totoのキャリーオーバーを義援金に使うことに世論が賛成か反対かのアンケートを取ってもらえないだろうか」と働き掛けてみたのですが、実現しませんでした。


>キャリーオーバーを義援金とすることと、売り上げから還元することは違いますので、ここまでで語られている通り、キャリーオーバーの一部を定期的に義援金に宛てる為、totoの存続(すなわち復興活動の存続)とスポーツ振興及びその復興を目的とし、売り上げに協力してほしい、という名目で、totoの存在を再び世の中にアピール、そしてイメージアップするチャンスだと思います。


個人的にはまったく同感です。
また、57億というお金は、一介の市民の生涯賃金の何十倍(仮に年収500万円とすると、40年で2億円です)になるので、実際に義援金に使われれば、復興資金全体から見れば一部でも、それでも実効的な大きな力になると思うのです。

Jリーグ再開はどうやら4月29日で調整が行われているようなので、猶予はあと1カ月。
その間に、英断を下せるかどうか(法的問題のクリアも含めて)になってくると思います。
Posted by よーかい at 2011年03月21日 23:36
>HAPPYさん

返信遅くなりましたm(_ _)m

こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>私も同じ事を考えまして署名活動をおこなっております。
法的に問題が多く困難な事は承知の上ですが、今後の事も含めて検討していただくように行動へと移しました。


実際に行動に移してくださっている方がいらっしゃることはとても心強いです。

よく、自分自身はなにもせずに高みから批判だけする人がいますが、たとえ失敗しても、試行錯誤しながらなにかを成し遂げようと行動する人のほうが尊いのだと考えています。


>署名目的、署名は下記のリンク先にありますので参考にしていただけると幸いです。

もちろん、署名したいところなのですが……肝心のリンク先がついておりませぬ。
すみませんが、再度リンクを貼っていただけないでしょうか?


>しかし、超えられる壁ならば越えてみせたい・・・
>そして、被災地への力となればと

ですね♪

初めから「無理だ」と言うひともいますが、無理かどうかは万策を尽くした後に言える言葉だと思います。

そして、法は人を守るためにあるはずのものであり、法が人間の現実に先だってあるようではいけないと考えています。
必要があれば、(今回には間に合わないかもしれませんが)法改正へのアクションも必要になってくるかもしれません。


とにかく、いろんな可能性を模索し、よりその分野の詳しい人たちと連帯しながら前へ進めていきたいです。
Posted by よーかい at 2011年03月21日 23:45
再び失礼します。

「次は俺に6億が当たるかもしれないのに、勝手に義援金なんかにするな!」

個人の権利を主張するのは自由だと思いますし、原則論(キャリーオーバーを取得する権利)を無視(侵害)するワケですから、利害関係者の理解を求めるのが通常の手順であるわけですが、感情論は別として、個人的に思うのは、一攫千金を目的とするだけの「労働に対する正当な対価の要求」ではない性質の主張ですから、この場合は第三者からする十分利益は確保出来るので、理解できない方は購入を見合わせて頂いても結構ではないか、と思います。

僕は今回の被災者ではないし、そのような経験もありませんが、今回の被害の大きさ(正確かはわかりませんが、被害総額16兆円とかの報道もありましたが)を考えれば、義援金=日本の復興を早く行うことが、日本で生活する人間の義務ととらえるべきかと思います。
極論からすれば、被災者(個人)の問題ととらえるかマクロな問題ととらえるかだと思います。

また長くなりますが、平成20年8月末豪雨等でも、市町村によって、災害見舞金が支払われていました。
今回もその適用があると思われますが、公共事業を含め、とてもお金が足りません。
多くの税金を投入せざるを得ないでしょう。
元々深刻な負債を抱えるわが国で、結果として更なる支出は苦しいのは誰にでもわかる。
そして、それは未来の子供達に背負わせる僕たちの恥ずべき負の遺産でしかない。

最後に感情論になりますが、冒頭の主張をする人、またそれに類する人が少し譲歩していかない限りこの国は一向に復興(マクロな意味で)しないと思います。

心無い発言に負けず、頑張ってください!!
Posted by my-10 at 2011年03月22日 14:13
>my-10 さん


こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>公共事業を含め、とてもお金が足りません。
>多くの税金を投入せざるを得ないでしょう。
>元々深刻な負債を抱えるわが国で、結果として更なる支出は苦しいのは誰にでもわかる。
>そして、それは未来の子供達に背負わせる僕たちの恥ずべき負の遺産でしかない。

同感です。

ある試算では被害総額は25兆円超になるそうですね。
この復興には、長期に渡りあらゆる角度からの多面的なかつ継続的な支援が必要になってきますが、少なくともあと数年は、まずは復興の費用をいかに捻出していくかが最重要課題であると思います。

もしかしたら、社会のセーフティーネットの概念をより根本から考えていくことや、暮らし方や社会システムそのものを少しずつシフトチェンジするあり方を皆で智恵を絞って考えるべき時期なのかもしれません。


>冒頭の主張をする人、またそれに類する人が少し譲歩していかない限りこの国は一向に復興(マクロな意味で)しないと思います。

もっともだと思います。

ただ、民主主義の原則は「より多くの人が納得できる形で」ということが前提になります。
だから、様々な意見を押さえ込む形ではなく、意見の違う人も、より納得できる形で行えれば良いなと考えています。
ある意味、理想を追求しつつ、「落としどころを探る」という作業も並行していくことが必要になってくるのかなと考えています。


そのためには、とても自分一人の力だけではどうにもできません。
多くの人の協力が必要です。

民主主義というものは、民意の総意によって動いていくものです。
たくさんの声があがり、積極的な世論が形成されることがまず重要だと思うのです。
Posted by よーかい at 2011年03月24日 02:50
こんばんは、よーかいさん!
私は今回のよーかいさんの主張されてる内容について、
何か薄気味悪いものをずっと感じてきました。
と、書けば相当に気分を害されるのでしょう。
でも私はよーかいさんを会った事はなくても友人だと思ってるからこそ、あえてその薄気味悪いと感じてたことを書きます。
何が薄気味悪かったのか、自分には良く解りませんでした。
長い間考えてきました。。。
少しずつ整理できてきたので書いてみます。
まず被災された方々への支援、そして復興への資金を応援していこうという考え方については、文句無く大賛成です。
私はかつて阪神淡路大震災をすぐ身近に見てきて経験してきてますので、支援や復興への資金の重要性もよく解っています。
ただ何が引っかかってきたのかといえば、
このTOTOのキャリーオーバーの資金というのは誰のお金なのかという事です。
当然よーかいさんが自由にできる権利を持つ資金ではありません。
TOTOの経営団体が管理する払い戻しのためのお金であるという事になります。
被災者を支援する⇒いい事をする⇒その為に世論を盛り上げてそのお金を没収して使えるようにしよう、なぜなら被災者の為で、それはいい事だから。
本当にそうなんでしょうか?
良いことをする為に世論を起こして、世論を起こした人間には自分のお金でないから直接腹が痛まない別の資産家とか団体とか企業から世論の力で法すら変えてお金を没収して良い事のために使えるようにするという訳ですよね。
それは被災者の利益のために。
もしその理屈がまかり通るなら内部留保して使わない資産を持つ企業や団体などいくらでもありますが、被災者支援のためにその資産を使わせろと世論を起こせば法律を変えてやれる可能性も起こりうるわけで、
真面目な話、とんでもない社会問題になりますよ。
一度目をつけられたらあるなら出せとプレッシャーをかけられたり、
出さないから被災者への良心に欠けると悪意のある風評をたてられかねないのを用心する企業や団体や資産家が、資産を公表しなくなったり隠したり、資産を国外に移すとか出てくるでしょうし。
ここに書かれているような世論が起こって、それで法すら変えられ、
資産を良いことだからの大義名分で震災支援に使えると、で、用心した資産を持つ団体や企業や個人によって資産隠しと資産の海外流出が次々起こり、
経済を大混乱に引き起こすだろうと。
それは容易に予想できます。
民意があれば圧倒的世論が起これば第三者の資産を何かに使えるようになるって、
民主主義どころか○○主義では?
戦時中、お国のために、お国が良くなるように法律を変えて兵隊となる人や資源を自由に使えるよう没収する。
本土の為に、本土の安全のために沖縄に米軍基地を置くのを我慢してもらう。
違うようで同じ発想ですやん。
被災者を支援したいなら支援したい人が自分の出来る支援をすればよろしいねん。
自分の資産から出せばいいと、そう思います。
しかし法律を変えてまで第三者の管理する資産を世論起こして使えるようにしようなど、
財産権の侵害、とてつもなく危ない考え方にしか感じないです。
その発想のバランス感覚で大丈夫でしょうか。
教師を目指す友人のよーかい先生でなければ無視してこんなコメしませんが、どうしても危険な香りを感じてコメントするしかないかなぁと。
気分を害されるでしょうけど、私はそう思います。
Posted by weed at 2011年03月27日 04:44
>weedさん

こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>私は今回のよーかいさんの主張されてる内容について、
>何か薄気味悪いものをずっと感じてきました。
>と、書けば相当に気分を害されるのでしょう。

いえ、書きづらいことを正面から書いてくださってありがとうございます。
それに、読んでいて「なるほどなぁ」と思う部分も多々ありました。

でも、いくつか誤解ではないのかなぁ?と思った部分もありましたので、その点についてこれから書いていきますね。



>もしその理屈がまかり通るなら内部留保して使わない資産を持つ企業や団体などいくらでもありますが、被災者支援のためにその資産を使わせろと世論を起こせば法律を変えてやれる可能性も起こりうるわけで
>民意があれば圧倒的世論が起これば第三者の資産を何かに使えるようになるって、
>民主主義どころか○○主義では?

まず、この点ですが、通常「○○主義」というものは、政府、つまり上からの強制によって行われました。
これは下からの民意で行われる部分が最も大きな違いです。

例えば、悪法があったとして、圧倒的民意があってもそれをどうすることもできないとなれば、それは健全な民主主義ではありませんよね?
勿論、民主主義は両義性を持っていて、ときに「間違いうる」ものですが、きちんとした手続きを踏んで、合意の上でそれが行われるのであれば基本的には支持します。


そもそも、法律を変えるのは簡単なことではありませんし、それだけの世論を集めるのはとても大変なことです。
また、利権を持っている人達はそう簡単に手放さないでしょうから、うーさんが考えているような事態にはならないと考えています。


また、例えば税金によって「持つ者も持たざるものも」誰からも一律で搾取する構造よりは、あるところから出す方が健全だとも考えます。
小泉政権時代は、「痛みをともなう構造改革」などと言いながら、大きな利権構造には着手せずに、社会的弱者の困窮を極めるだけのものでした。
それが同じように繰り返されることは避けなければならないと考えています。



>戦時中、お国のために、お国が良くなるように法律を変えて兵隊となる人や資源を自由に使えるよう没収する。

これは、すでに述べたように、「上からの」強権的なやり方の例です。
ここで自分が述べている「下からの」とは真逆の性格のものです。

別のコメント欄でも書いていますように、「より良い落としどころ」を探す糸口になればいいのですよ。
より良い案があれば、自分自身、そちらを支持しますし、totoのキャリーオーバーだけにこだわっているわけではありません。

ただ、まずは議論の糸口として一石を投じること、そして、一石を投じた当事者である以上は、その責任分として行動できることは行うこと、それだけです。



>被災者を支援したいなら支援したい人が自分の出来る支援をすればよろしいねん。
>自分の資産から出せばいいと、そう思います。

この点、そうは思いません。
なぜなら、理由は2つ。
1つは、平均的な市民の生涯賃金は2億円前後。
その中で、出せる額はわずかであること。
もう一つは、「善意」に頼る社会システムは脆弱であるということです。

もちろん、ボランティアや募金を否定するわけではありません。
しかし、「善意」に頼ることができるのは、支援者に余裕のあるときに限られます。
今後、日本経済はさらに落ち込む時期もあるでしょう。
そのときに、初めから「善意」をあてにするのは不確定要素が大きすぎるのです。

だから、新たなセーフティーネットや社会保障を何重にも張り巡らすシステム作りを今から行う必要があると考えています。

要は、これって、「セーフティーネット論」なのですよ。

もちろん、ここに書いていることだけで完結するのではなく、様々な方法を智恵を絞って、なるべくたくさんのセーフティーネットを張る必要があるでしょう。


>しかし法律を変えてまで第三者の管理する資産を世論起こして使えるようにしようなど、
>財産権の侵害、とてつもなく危ない考え方にしか感じないです。

多分、一番の誤解はここの部分だと感じています。

この記事で書いた発想、実は沖縄独自のセーフティーネットである「模合」をモデルにしています。
(日本にも、昔は「頼母子講」として存在していました。http://www.weblio.jp/content/%E9%A0%BC%E6%AF%8D%E5%AD%90%E8%AC%9B )

「模合」では、毎月決まった日に寄り集まって、集団で一定額を出し合います。
輪番制で「親」に誰かが当たることになり、「親」は集まった額から一定額のまとまったお金を取ります。

そうやっているうちにキャッシュフローが生じてきますが、これは非常時に使われます。
例えば、台風で家屋が損傷したとか、家に病人が出たとか、借金をしないとやっていけない状態に誰かが陥りそうなときなどには、それまでの「親」の順番をあえて変更して、キャッシュフローごとお金が必要な人に渡します。

沖縄では、かつてから内地よりとても貧困にあえいでいましたが(実際、戦後しばらく食べ物は芋しかなかった時代がずっと続いたそうです)、それでもこの「模合」という相互扶助システムがセーフティーネットになり、なんとかやっていけた人が多かったといいます。


また、内地の「頼母子講」になると、組合員が一定の期日に一定額の掛け金をし、くじや入札によって所定の金額の融通を受け、それが組合員全員にいき渡るまで行うというものでしたから、よりtotoのキャリーオーバーを使うこの記事の案に近い形になりますね。


とりあえず、現在のキャリーオーバーは、一旦購買者の権利は放棄された状態で「死に金」として存在しています。
もちろん、これは未来の当選者のために一時的に保管してあるだけという見方もできますが、とりあえず宙に浮かんでいるお金です。

財産権の侵害に当たるかどうか、そのあたりはまだまだ議論の余地が残されていると考えています。


totoに限らず、このようなお金を非常変災時に回すことができるように社会システムを変えていくことは、新たなセーフティーネットの構築の一環のひとつとして、より「安全」な社会を作り出すことに寄与するのではないだろうかと考えます。



あ、ちなみに個人でなにもしないことを推奨しているわけではありませぬ。
もちろん、個々でできる範囲で行えることを行うのも大事です。

こちらも、静岡のボランティアセンターを通じて毛布を送ったり、チャリティーバザーに参加したり、ささやかながら義援金を募金したり、被災地の友人に水を箱で郵送したりしました。

でも、それでは「貧者の一灯」にすらならないのですよ。
ゆえに、問題提起の意味も含めてこの記事を書き、同時に行動を起こしています。
Posted by よーかい at 2011年03月28日 00:24
こんにちは、よーかいさん。
自分はおそらくよーかいさんならこういった解答をされるだろうと予想しておりました。
残念ながらそれでも私はバランスに欠ける考え方に感じるのです。
まず第一に、
>まず、この点ですが、通常「○○主義」というものは、政府、つまり上からの強制によって行われました。
これは下からの民意で行われる部分が最も大きな違いです

その民意というものが私にはタチが悪いと感じるわけです。
民意は正しいのでしょうか?

その昔ヨーロッパのローカルな地域で行われた魔女狩りはその地域の民意によって行われた異教徒への弾圧でした。
共産主義者への赤狩りも民間が行っていました。
ナチス党やヒトラーを選んだのはドイツの民意ではなかったのですか?
戦時中軍に戦士や資源を日本国民は差し出したのですが、それを決めた政権を選んだのは富裕層だけの不完全な民主主義とはいえ、
民主主義によって戦争へと突入したのではないのでしょうか?
911事件後すぐにパキスタンに戦争をふっかけ、さらにアフガニスタンに侵攻したのは戦争をすることを圧倒的に支持したアメリカ国民によるものではなかったのでしょうか?

まだまだ色々あります。
何かの目的にヒステリックなまでに向かう民意など、おそろしく狂信的で、お上の指示よりタチが悪い、自分には信じられんものです。
お上の圧制も狂信的な民意もありえないと、バランスが取れてるとは思いません。
>政府、つまり上からの強制によって行われました。
これは下からの民意で行われる部分が最も大きな違いです。

以上から民意が過去に何度も間違った事をしてきたではないですか、私はそう思っています。

>1つは、平均的な市民の生涯賃金は2億円前後。
その中で、出せる額はわずかであること。
もう一つは、「善意」に頼る社会システムは脆弱であるということです。

脆弱でも出し合うのが善意ではないですか?
それが脆弱だからといってお金のあるところから出させると、
例えば飢饉が発生し、農民が庄屋さんや商人の家に食うために仕方ないとはいえ一揆や打ち壊しを行うと、それは食うためには仕方のない事かもしれませんが、あるところから金を出させる冨を分け合うのは圧倒的多数である農民の民意ではあっても、
奪うというのは奪われる側からすれば略奪であります。

>また、例えば税金によって「持つ者も持たざるものも」誰からも一律で搾取する構造よりは、あるところから出す方が健全だとも考えます。

持つものが多めに出す累進課税についてなら私は賛成です。
セーフティネットはもちろん必要です。
収入の多い人間がより多くの社会負担をするのは自然であるとは考えます。
しかし、大金があるからあるところから大金を出せばいいというのは違うと。
それをまるまる行えば資本主義・自由主義経済に反します。
共産主義そのものではないですか。
まず誤解があるようですが、TOTOをやるにあたって、それは商売として経済活動として金融機関がTOTOを経営してるわけです。
金融機関といえば日本にはいくつものメガバンクがあります。
顧客から預かっている預金高はそれこそ兆の単位の金額であり、その金を運用し株や取引で利子などの利益を出したり、手数料を取ることで利益を得ていますが、兆の単位のお金が形の上ではあるわけで、それをもし運用できるなら50億とかケチくさい事はいわず出せと言われかねないかと。
同様にTOTOも金融機関が利益を出すために運用してるわけで、
ただ宝くじ同様、そのまま経営を行えば膨大な利益を出す可能性もあるわけで、だからTOTOをやっても良いかわりに利益から相当のスポーツ振興資金を出しなさいというお上の条件で運用してるわけで、
以前にも書きましたが、赤字を出しながらやってきて、
キャリーオーバーが増え繰越の金額が賞金として狙えるようになってやっと黒字に転換してきたと、
そしてそのキャリーオーバーは銀行での預かり金に相当すると。
>とりあえず、現在のキャリーオーバーは、一旦購買者の権利は放棄された状態で「死に金」として存在しています。
死に金ではなく経営者が利益を出すための手段です。
TOTOも銀行が中心にやってますが、先にも書きましたが銀行でいうところの預金高に相当するものです。
外から見れば死に金に見えても、それを本業の銀行経営同様運用することでさらに利益を出してるわけで、死に金と見ることは違うのではないでしょうか。
出せというのは商法でいうところの“商行為への越権行為”にあたると解釈されるはずです。
別に銀行の肩を持つわけではないですが、資本主義・自由主義社会で我々は経済活動を行っているわけで、
そこに遣わないお金があるからという理由で使えるようにしようと世論を起こすという考え方がそもそも違うだろうとそう思うのです。

ちなみに内地の「頼母子講」ですが、昭和の古い人間の私ですから、家および祖母がやっていたのをリアルに見てきました。
それは近所同士で助け合う、お金を持ち合って相互補助しあうというものですが、そこにあるのは自分が、自分たちが負担して出し合ったお金だという考えです。
自分が出してない負担してない全く無関係の赤の他人が会社が機関が所有、あるいは管理するお金ではないという事。
そこが決定的に違うと、それを世論でどうこうというのが薄気味悪いと、そういってる訳です。
その世論、最初に戻って正しいのでしょうか?
日本の法律は冷静な時に、特に憲法は冷静かつ利害関係のない第三者が決めたものです。
それをセーフティネットのため変えると考えるなら、その考えは法の理念にもとづいてしっかり検証されるべきだと、
一時期の世相とか状況で簡単に変えられるべきものではないと、
簡単に世論で変えられるならどのような危ない方向へでも行けてしまう可能性があると、
それは大変恐ろしいことです。
バランスを欠いてるとわざわざよーかいさんに長文でコメントを書いてるのはそういう意味です。
こまっている人に何かしてあげたいという気持ちは大切ですが、どこかの誰かのお金を使ってまで善意を行うのは略奪と同じです。
私は大変危惧します。
Posted by weed at 2011年03月28日 03:22
>weedさん:1


こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


おっしゃることや懸念について、もっともな部分も多々あります。
ただ、私から見ると極端に感じる部分があったのも事実です。

もしかすると、これは、どちらが正しいかどうかという問題ではなく、依って立つ価値観の問題なのかもしれないなとも考えました。

きっと、これまでの人生経験、とくに職業経験の違いなどのバックボーンの違いからそれぞれ形成された価値観なのでしょう。

うーさんの価値観を否定する気はまったくありません。

だから、書いてくださったことへのレスポンスは、正しさを競うものではなく、「自分自身は今、こういう価値観でこういうことを考えている」ということを伝えることしかできないのかもしれません。

また、複数の論点が絡まっていることでもあるので、一つ一つ整理しながらお答えしていこうと思います。
Posted by よーかい at 2011年03月29日 04:02
>weedさん:2


ここまで書いてきたことで、それぞれの論点として、異なる点(異なっているから悪いというわけではないと思います)をまとめてみます。

1.「民意」というもののとらえ方について。

2.「善意」というもののとらえ方について。

3.セーフティネットの構築について

4.totoのキャリーオーバーをどうとらえるかについて

多分、この4点になると思います。

以下、それらについて、「自分自身は今、こういう価値観でこういうことを考えている」がどうだろうか?ということを書きたいと思います。

もしかしたら、相容れない部分があるかもしれませんが、それは決してうーさんの人格を否定するような種類のものではないということは、はじめにご理解ください。
Posted by よーかい at 2011年03月29日 04:08
>weedさん:3


1.「民意」というもののとらえ方について。


>その民意というものが私にはタチが悪いと感じるわけです。
>民意は正しいのでしょうか?
>何かの目的にヒステリックなまでに向かう民意など、おそろしく狂信的で、お上の指示よりタチが悪い、自分には信じられんものです。
>お上の圧制も狂信的な民意もありえないと、バランスが取れてるとは思いません。


この件については、私はすでに、
『勿論、民主主義は両義性を持っていて、ときに「間違いうる」ものですが、きちんとした手続きを踏んで、合意の上でそれが行われるのであれば基本的には支持します。』
と書きました。

「両義性」という言葉や「間違いうる」という言葉を使ったように、すべて民意に従っていれば安全とは私もまったく考えていません。
そして、時には民意によって死地に追い込まれるほど危険なものになることも承知しています。

ただ、相違点として、現状で民意がどの程度反映されているか?という部分のとらえ方に違いがあるように感じます。


>何かの目的にヒステリックなまでに向かう民意など、おそろしく狂信的で、お上の指示よりタチが悪い、自分には信じられんものです。

もちろん、ヒステリックな民意は非常にタチが悪いですが、現状で異論・反論を許さないようなヒステリックな空気が万延しているでしょうか?

また、すべてが民意の名の下に簡単にねじ曲げられてしまうような事態が発生しているでしょうか?

とてもそうは思えないのです。

むしろ、例えば沖縄の基地問題をはじめとした、多くの社会問題に対する現状を見てもそうですが、民主主義を標榜していても、そこに圧倒的な民意があっても、民意は押さえつけられることの方が多いと感じています。

バランスとして、現状以上に民意を危険なものとして押さえつけてしまうのは、逆に「お上」の力が強すぎる全体主義寄りの方向に近くなってしまうのではないのかと危惧します。

また、民意によって法律を変えようとすることは、憲法16条(誓願権)に保障されている日本国民の権利でもあります。
違法な手続きによって法をねじ曲げようとするならともかく、正しい手続きによって法が変えられるのであるのならば、それは憲法が保障している権利の行使の範囲です。

よって、現状で「行きすぎた民意」という解釈は私にはできません。

もちろん、自分の中のバランス感覚として、民意が狂信的になりそうであれば、「それはちょっと違うんじゃないか?」と声を上げる側に回ると思います。
Posted by よーかい at 2011年03月29日 04:28
>weedさん:4


2.「善意」というもののとらえ方について。


>脆弱でも出し合うのが善意ではないですか?

この点について、うーさんが民主主義が「間違いうる」と危惧するのとおそらく同じくらい、私は「善意」というものも「間違いうる」と考えています。

果たして、「善意」はそこまで正しいものでしょうか?

また、「善意」を初めから組み込んだ社会システムというのは成立するのでしょうか?


「善意」というものは、一見美しいですが、「善意」の押しつけによって事態がかえって悪化することは頻繁にあります。
とくに、福祉現場などでは正確な知識のない「善意」は迷惑なだけです。

また、「善意」は感情的なものです。
民衆の意志がときに狂信化するように、感情に由来する「善意」もまた不平等を生み出します。

>日本の法律は冷静な時に、特に憲法は冷静かつ利害関係のない第三者が決めたものです。

このようにうーさん自身がおっしゃられていますように、冷静なときの思考とそうでない事態での思考があるわけです。

「善意」は、良くも悪くも“冷静”ではありません。


また、「善意」はきまぐれなものでもあります。

私はすでに、
『「善意」に頼ることができるのは、支援者に余裕のあるときに限られます。
今後、日本経済はさらに落ち込む時期もあるでしょう。
そのときに、初めから「善意」をあてにするのは不確定要素が大きすぎるのです。』
と書きました。

余裕がある状態であれば、「善意」によって救われることも多々あるでしょう。
しかし、もしこれが余裕のない状態だったらどうでしょう?

>脆弱でも出し合うのが善意

となってしまうと、逆に強制力を帯びてくる怖さを感じるのです。
しかも、通常「善意」は無条件によいものと世間では思われているフシがあるゆえに、「善意」に逆らうことは非常に難しいのです。

さまざまな状況で「善意」を出せない状況があっても、周囲がそのような人を慮れないような余裕のない状態で「善意」を出せないとなれば、立場の弱いひとほど一瞬で手のひらを返されたように「悪意」のレッテルを貼られてしまうかもしれません。

また、社会システムとして「善意」を出さねばならないとなると、やはりこれは全体主義的な匂いを帯びてきてしまいます。

だから、「善意」に頼らなくても済むような社会システムやセーフティーネットの構築が必要であると考えています。

もしかすると、「そんな余裕のない状態を想定すること自体が、バランスを欠いている」と思われるかもしれません。
しかし、例えば現在から3年以内に、別の地域で今回と同じくらい大きな地震などの天災が起きたときはどうでしょう?

実際、東海沖大地震は、数年以内に起こる確率は80%を越えているという見解もあります。
十分ありえる事態だと私は考えています。
Posted by よーかい at 2011年03月29日 04:48
>weedさん:5


3.セーフティネットの構築について


>持つものが多めに出す累進課税についてなら私は賛成です。

もちろん、累進課税という方法が採られるなら、それは一つの良い方法だと考えます。
今回の震災に関して、政府は特別補正予算を組むそうですが、その中で増税も検討されています。
ただ、この方式がどのようなものになるのかはまだ不透明です。
消費税を一気に10%越えにしてしまおうという動きもあります。

また、仮に累進課税が行われても、より多くのセーフティーネットや社会保障の構築がこれまで以上に急務であると考えています。


>しかし、大金があるからあるところから大金を出せばいいというのは違うと。
>それをまるまる行えば資本主義・自由主義経済に反します。
>共産主義そのものではないですか。


まず、すでに述べているように、この記事は、「より良い落としどころ」を探す糸口になればいいのですよ。
より良い案があれば、自分自身、そちらを支持しますし、totoのキャリーオーバーだけにこだわっているわけではありません。

もしtotoのキャリーオーバーから出すことに問題点が多すぎるのであれば、別の方法を考える必要があると思っています。

ただ、現状ではtotoのキャリーオーバーなどを非常変災時に使えるようにするのは、すでに形のあるものの修正ですむ分、ゼロから考えるよりも「思考に形をあたえるもの」という例としてわかりやすいとは考えています。

うーさんは、すべての企業などからお金を強制的に「出せ」となるとマズイと危惧していらっしゃるようですが、ここではそんなことは一言も書いていません。


少し話はずれますが、資本主義というシステムは社会主義から取り入れられるものを積極的に取り込むことによって洗練され、延命してきました。
日本は「最も社会主義に近い資本主義国家」とも言われます。

経済の流れは、いつまでも現状と同じように続くものではないと思っています。
資源の問題がありますし、今回の原発事故の問題をみても、これまでの経済と同じあり方を今後も続けようとしていくのはムリがあると感じています。


とくに、ここ10年以上、市場原理最優先のネオ・リベラリズムが台頭してきていますが、格差や環境の観点から見ると、そのような市場原理を最優先させるあり方は破綻をきたしはじめていると見ています。


多少経済水準を落として、不便もあっても、新しい社会システムを模索していかなければならない時代が近いうちにきっとくると確信しています。

そのときに、一部の特権階級だけではなく、より多くの人が人間らしい暮らしを保障されていくには、セーフティーネットはいくらあっても多すぎるということはないと考えます。

いくつかのセーフティーネットの網が破れても、なお他の方法があるという社会。
また、選択肢のある社会というものがよりよい社会であると考えます。
Posted by よーかい at 2011年03月29日 05:07
>weedさん:6


4.totoのキャリーオーバーをどうとらえるかについて


すでに書いているように、もしtotoのキャリーオーバーから出すことに問題点が多すぎるのであれば、別の方法を考えることにやぶさかではありません。

しかし、まだ検討の余地があると思っているがゆえに書いています。
実際、正式な司法判断によって「違法である」と出たものはないはずです。
また、現状の民意はまだそこまで狂信的ではないと見ているがゆえでもあります。

だから、うーさんが書いておられるような、

>金融機関といえば日本にはいくつものメガバンクがあります。
>顧客から預かっている預金高はそれこそ兆の単位の金額であり、その金を運用し株や取引で利子などの利益を出したり、手数料を取ることで利益を得ていますが、兆の単位のお金が形の上ではあるわけで、それをもし運用できるなら50億とかケチくさい事はいわず出せと言われかねないかと。


こういう話になってくると、ちょっと極端ではないだろうか?と感じてしまうのです。

メガバンクから兆単位のお金を動かすような事態になれば、それは確かに経済は破綻してしまうでしょう。

でも、そんなことをするべきだなんて考えていません。
これまでの発言の流れの中に、一言でもこのような発言がありましたか?

正直、極論だと感じてしまい、困惑しています。


>死に金と見ることは違うのではないでしょうか。
>出せというのは商法でいうところの“商行為への越権行為”にあたると解釈されるはずです。


これについては、私ではなんともいえません。
ゆえに、世に問うてみる価値はあると考えています。

まだ「越権行為に当たる」とも「当たらない」とも、どちらも明確な根拠はみていません。


>自分が出してない負担してない全く無関係の赤の他人が会社が機関が所有、あるいは管理するお金ではないという事。
>そこが決定的に違うと、それを世論でどうこうというのが薄気味悪いと、そういってる訳です。


どうこうできるかどうかは、まだわかりません。

そして、問題が多いならば、より良い方法を考えて、問題を乗りこえるようにすればいいだけだと思っています。

特に、このことに問題を強く感じておられるならば、より良い対案も見えやすいのではないかと思います。

そういった、様々な意見の中から、より良い落としどころと、新しいセーフティーネット構築への多様なアイデアや具体策への萌芽が見られればいいなと思っています。


とりあえず、以上になります。
ありがとうございました。
Posted by よーかい at 2011年03月29日 05:23
おはようございます、よーかいさん!
理路整然とわかりやすい説明ありがとうございました。
私はよーかいさんが偏った民意とか善意に信奉されているのかと最初は危惧するものでした。
普通の人にならこんなコメントをしませんが、なにせ教師を目指してる友人です、偏った考え方なら再考してほしいと、そう願いながらよーかいさんから見ると極端に見える意見ではありますが、
長ったらしい文章を書かせていただきました。

しかし今回のご返事を読むと偏ってるどころか、
感心する次第。
私が悪うございました、見損ないましたぜ(もとい!)
おみそれしましたぜ、ハハーでしょか(笑)。

>もちろん、ヒステリックな民意は非常にタチが悪いですが、現状で異論・反論を許さないようなヒステリックな空気が万延しているでしょうか?

ヒステリックな民意とは民衆の知らないうちに忍び寄るものだと私は思っています。
誰も自分がおかしいとは思ってない、正しいことをしている、
そいつがやっかいだと。
話がそれますが、ネットやマスコミで世論誘導のようなものまであって知らないうちに洗脳されているとか、それがまたやっかいだと自分は思っているのです。
例えば、震災で多くの不幸な人が出たのにテレビで笑ってるとは何事か!不謹慎め!とか、
関西でのイベントなどでもこんな時にイベントなど楽しめるものか、
震災にあった人がそんなイベントを楽しめる境遇にあるのか、
不謹慎だから中止しろとか、自粛と節約へのおしつけのような空気がクレームの形で既にたくさん出ていると。
そして「被災者のために」という錦の御旗の民意のもと、
よーかいさんの文章にありましたが、

>この点について、うーさんが民主主義が「間違いうる」と危惧するのとおそらく同じくらい、私は「善意」というものも「間違いうる」と考えています。
果たして、「善意」はそこまで正しいものでしょうか?

>「善意」というものは、一見美しいですが、「善意」の押しつけによって事態がかえって悪化することは頻繁にあります。
とくに、福祉現場などでは正確な知識のない「善意」は迷惑なだけです。
また、「善意」は感情的なものです。
民衆の意志がときに狂信化するように、感情に由来する「善意」もまた不平等を生み出します。

>「善意」は、良くも悪くも“冷静”ではありません。

以上私もまったく同じ考えです。
安心しました。
自分のバックボーンは少し違いますが、「被災者のために」という意識は募金や寄付を次々募る運動のようなものとなり義捐金となっていますが、
例えば1ヶ月の給料の中から5万円を募金したとして、
しかし本来はその5万円は普通に消費され、その消費があるから需要があり、需要があるから投資も起こる、投資が起こればより大きなお金が融資の形で動き、そしてお金は社会の隅々を流れると。
なので各自の行う募金額の多くは本来なら市場経済の中を流れ次々流通していくお金だと思っています。
自分は経済とは電気のようなものだと思っており、
電流×電圧=電力(エネルギーのパワー)
お金の流通量×お金の流通するはやさ=経済の力(景気とかマネーパワーとか)
お金はより多く、より素早く社会全体に流れ回る事が電力のように経済のエネルギーの大きさに繋がっていると、
一方募金のお金はいまだ落ち着かない状況の被災地、そして被災者、
それゆえ各自治体で留まり留保され流通されない状態。
お金の流通量が落ちれば経済はマヒだと。
そこまで大きな話ではなくても近所の飲食店も仕事上の付き合いのある様々な業者さん、企業が売り上げがこの自粛とか節約とかのムードで半分以下だと、普段の2割とか3割とかの売り上げになってるお店も多いです。やっていけないと、
そんな話だらけです。
被災者に何かしたい気まぐれな善意は世の中の景気にとっては最悪な状態で、新たな被災者を平穏で無事だった人々から大量に出し、倒産し、廃業し、失業し、新たな不幸がこれは連鎖で産まれそうだと。
そんな空気を早くもぎんぎんに感じています。
善意も民意も気まぐれでタチが悪いと。

>>脆弱でも出し合うのが善意

この言葉の真意は少し言葉遣いを間違えましたが、
善意さえあれば脆弱な金額の募金でも良いと、
大きな金額を募金し届けることを考えるより、何年もかかると思われる復興のために経済を安定させ失業者をこれ以上出さず各自が日常を普通に行うことが経済や税収の面からも復興に繋がると、大きな意味での復興事業はやはり国や自治体の仕事ですからそちらに任せればよいと、
企業の経営や国の税収が安定した状態があってこそ新たなセーフティネットを模索できるのではないかと、私はそんな風に考えていたのですが、
だからよーかいさんが被災者への支援のための募金をいかに調達するかの考えを読んでるうちに、考え方がもしや偏っていて、募金のためのセーフネットが手段になっていないかと、
「気まぐれな善意」なのではないかと、
そんな風に勘繰ったものですから、大変失礼しました。
謝ります。
民意や善意やセーフティネットの考え方について同意します。
よく考えていらっしゃる。
そういえば消費税を上げる動きとか、
先ほど経済のエネルギーは電力のようなものだと私の考えを書きましたが、消費税を上げるごとに過去国の税収は落ち込んでいるのに低所得者ほど不利な消費税を上げるなど、セーフティネットの逆、
なにゆえまたも抵抗(Ωオーム)を増やすのか、
最近の総量規制といい、お金の流通を減らしたい政策は何をしたいんだか、よーかいさんも書いておられた新自由主義・新資本主義への利益誘導するようなやり口で、海外資本を富ませるだけ、セーフティネットと逆方向に進むのが誰のための政策か私にはナゾだらけです。
また長文書いてしまいそうでここでやめますが、
全文読みました。
そしてよく考えておられます、重ねて失礼であったと、
ぶしつけな意見あやまっておきます。
以上!ほな!
Posted by weed at 2011年03月29日 06:36
>weedさん


こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>以上私もまったく同じ考えです。
>安心しました。

ありがとうございます。

weedさんからのご指摘・ご意見によって、自分自身の深い内面を見つめ直す契機になりました。
本当にどうもありがとうございました!


>この言葉の真意は少し言葉遣いを間違えましたが、
>善意さえあれば脆弱な金額の募金でも良いと

なるほど、了解です。


>ぶしつけな意見あやまっておきます。

ぶしつけなんてとんでもない!
とても考えさせられる貴重なご意見でした。

真剣に考えて書き込んでくださったのがよくわかりました。

本当にどうもありがとうございました!(*´▽`*)
Posted by よーかい at 2011年03月30日 00:04
精准医疗又叫个性化医疗,是指以个人基因组信息为基础,结合蛋白质组,代谢组等相关内环境信息,为病人量身设计出最佳治疗方案,以期达到治疗效果最大化和副作用最小化的一门定制医疗模式。因此相较传统医疗,精准医疗具有针对性、高效性及预防性等特征。

美国医学界在2011年首次提出了“精准医学”的概念,今年1月20日,奥巴马又在美国国情咨文中提出“精准医学计划”,希望精准医学可以引领一个医学新时代。10月8日,2015全球创新论坛纽约峰会在纽约穆迪总部大楼举办。乐土投资集团CEO刘如银在峰会上介绍了他的精准医疗生态圈的想法。

刘如银介绍了乐土投资在美国的国际化实践,包括在美国的地产投资拓展,以及最新投资的医疗健康项目。乐土投资集团(CLIG)定位以硅谷的高科技投资为引擎,以科技医疗和互联网金融为两翼,链接最具价值的深科技健康项目,服务国际大健康和科技发展。

美国财政预算计划在2016年拨付给美国国立卫生研究院(NIH)、美国食品药品监督管理局(FDA)、美国国家医疗信息技术协调办公室(ONC)等机构共2.15亿美元用于资助这方面的科学研究与创新发展。

刘如银说:美国的精准医疗主要是围绕着基因组、蛋白组等方面的检测,也就是围绕分子生物学的特性,针对个体化的病理特征进行治疗。而我们所关注的不仅如此,更是系统化的,全过程、全要素、全局性的对医疗过程和临床实践进行优化。我们所指的精准医疗也是针对每一个病人的具体病情,正确选择并精确的应用适当的治疗方法。刘如银认为:精准医疗的最终目标是以最小化的医源性损害、最低化的医疗资源耗费去获得最大化的病患的效益,其前景不可限量。

精准医疗要做到个性、高效及预防的关键在于筛查和诊断,因此基因测序等检测诊断技术的发展是关键。成本的下降让基因测序商业化市场的打开成为可能,基因测序技术的成熟和商用经过了多年的发展,1980 年自动测序仪出现,2001 年完成了人类基因组框架图标志着这一技术的成熟,2007 年二代基因测序技术大幅降低测序成本,使得这一技术应用出现可能,以走在前列的Illumina 公司为例,该公司自2007 年起把当时每个基因组的测序成本费用从1000万美元降到了当下的1000 美元, 根据Illumina 公司数据,全球NGS(二代基因测序)的应用市场规模预计为200 亿美元,药品研发和临床应用是增速最快的领域,增速超过15%,肿瘤诊断和个性化用药是最有应用前景的领域,市场规模120亿美元。乐土投资与Illumina以及新一代的基因检测公司Genalyte, Centrillion都有着合作关系。

刘如银说:精准医疗作为医疗模式的革新对提高我国国民健康水平有重要意义,将在基因测序技术发展和国家政策的推动下迎来黄金发展期。精准治疗是下一个新兴朝阳行业,我们关注基因测序、肿瘤诊断及个性化用药等相关投资机会。

全球创新论坛纽约峰会由全美华人金融协会(The Chinese Finance Association, TCFA) 主办。全美华人金融协会于一九九四年在美国成立。分布在世界各地的会员来自华尔街投行、基金、监管部门、和学术界,已成为联系中美金融界最重要的桥梁之一。协会定期举行学术年会。协会本部设在纽约,并在波士顿,华盛顿,旧金山,伦敦,香港,北京和上海等金融中心设有分会。

原招商银行行长马蔚华,中信银行美国分行行长文兵,汉世纪投资管理有限公司合伙人吴皓,联合国南南合作办首席经济与投资专家杨庆宏等参加了本年度会议并发表了讲话。
Posted by Gemect at 2015年11月04日 18:54
 
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