2009年05月01日
ゲンキ坊やをめぐる冒険:2(ブログ第1046日目、雑感。)
“ゲンキ坊や”とは?
まず、そこから説明する必要があるでしょう。
2004年の夏を過ぎた頃。
どこかレトロで、やたらと耳に残るCMが沖縄本島限定で流れました。
それが沖縄森永乳業株式会社の森永ゲンキミルクの宣伝「ミルクでゲンキ」でした。
「ゲンキ坊や」自体は、宮古や石垣では、一部で熱狂的なファンを生んでいるほどのカリスマでした。
しかし、「ゲンキ坊や」の存在は、宮古と石垣を除いて、人々から長く忘れ去られていました。
なぜなら、40年もの間、沖縄本島では、その存在は封印されていたからです。
ところが、2004年11月16日、沖縄本島にセンセーショナルなニュースが駆け抜けました。
『 ◆森永ゲンキミルク新発売!
皆様に長年ご愛顧頂いた「かりゆし牛乳」が生まれ変わり「ゲンキミルク」になりました!
昔懐かしゲンキ坊やが復活してのリニューアル!』
ついに、長年の封印が解かれ、幻のカリスマが復活することになったのです!
これは、2005年9月に創業50周年を迎える沖縄森永乳業が、社運をかけて復活させた一大プロジェクトでした。
それ以前は、「かりゆし牛乳」という製品が沖縄森永の主力製品だったのです。
「とってもかりゆし」という意味不明の宣伝文句に、運搬車まで牛乳パックと同じ柄。
そんな主力商品「」を廃してまで、「ゲンキミルク」の復活の儀が執り行われたのです!
ちなみに現在の沖縄森永乳牛は、55年にアミノ酸ヤクトール本舗として設立しました。
やがて、63年にゲンキ乳業と名前を変え 「ゲンキ坊や」のキャラクターで沖縄初の冷えた牛乳を売り出しました。
その後、ゲンキ乳業は70年に森永と資本提携し、沖縄森永乳業となったという大河ドラマのように壮大な歴史が背景にはあるのです。
だから、牛乳パックに書いてある「おかげさまで創業50年!」というのは、かつてのアミノ酸ヤクトール本舗時代からの通算なのです。
まだ、いわゆる「本土復帰」の前のことでしたし、当時は森永なんてまったく関係ありませんでした。
「ゲンキミルク」自体、売っていた期間は非常に限られたものだったわけです。
それでも、ゲンキ坊やのカリスマ性は衰えるどころか、一部で熱狂性を帯びていったのでした!!!
ん…?
ちょっとまてよ…?
…沖縄初の冷えた牛乳!
あの灼熱の沖縄で、ただでさえ痛みやすい牛乳が、冷やされることなく売られていたわけですね…。。
一体何人がそれまで犠牲になったのでしょうか?
……想像するだに恐ろしいものがあります。(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
ともかくも、かつての「ゲンキミルク」は、沖縄食文化の歴史を塗り替える、エポックメーキングな飲み物だったのです!
しかし、そんなカリスマにも、強力なライバルが出現していました…!
21世紀に入ってからの沖縄本島では、あたかも「牛乳戦争」が勃発される気配すらただよう剣呑さに充ちていたのでした。
そこへ、あまたの危険をかいくぐり、よーかいが、いつもの野次馬精神を発揮し、崇高な学術的知的探求心から、戦場カメラマンのように、極秘内情視察を行うことになったのでした…!
そこで目にしたもの。
それは、「ゲンキミルク」をめぐる陰謀ともいうべき「黒い秘密」だったのです!!!
(つづく!)
まず、そこから説明する必要があるでしょう。
2004年の夏を過ぎた頃。
どこかレトロで、やたらと耳に残るCMが沖縄本島限定で流れました。
それが沖縄森永乳業株式会社の森永ゲンキミルクの宣伝「ミルクでゲンキ」でした。
「ゲンキ坊や」自体は、宮古や石垣では、一部で熱狂的なファンを生んでいるほどのカリスマでした。
しかし、「ゲンキ坊や」の存在は、宮古と石垣を除いて、人々から長く忘れ去られていました。
なぜなら、40年もの間、沖縄本島では、その存在は封印されていたからです。
ところが、2004年11月16日、沖縄本島にセンセーショナルなニュースが駆け抜けました。
『 ◆森永ゲンキミルク新発売!
皆様に長年ご愛顧頂いた「かりゆし牛乳」が生まれ変わり「ゲンキミルク」になりました!
昔懐かしゲンキ坊やが復活してのリニューアル!』
ついに、長年の封印が解かれ、幻のカリスマが復活することになったのです!
これは、2005年9月に創業50周年を迎える沖縄森永乳業が、社運をかけて復活させた一大プロジェクトでした。
それ以前は、「かりゆし牛乳」という製品が沖縄森永の主力製品だったのです。
「とってもかりゆし」という意味不明の宣伝文句に、運搬車まで牛乳パックと同じ柄。
そんな主力商品「」を廃してまで、「ゲンキミルク」の復活の儀が執り行われたのです!
ちなみに現在の沖縄森永乳牛は、55年にアミノ酸ヤクトール本舗として設立しました。
やがて、63年にゲンキ乳業と名前を変え 「ゲンキ坊や」のキャラクターで沖縄初の冷えた牛乳を売り出しました。
その後、ゲンキ乳業は70年に森永と資本提携し、沖縄森永乳業となったという大河ドラマのように壮大な歴史が背景にはあるのです。
だから、牛乳パックに書いてある「おかげさまで創業50年!」というのは、かつてのアミノ酸ヤクトール本舗時代からの通算なのです。
まだ、いわゆる「本土復帰」の前のことでしたし、当時は森永なんてまったく関係ありませんでした。
「ゲンキミルク」自体、売っていた期間は非常に限られたものだったわけです。
それでも、ゲンキ坊やのカリスマ性は衰えるどころか、一部で熱狂性を帯びていったのでした!!!
ん…?
ちょっとまてよ…?
…沖縄初の冷えた牛乳!
あの灼熱の沖縄で、ただでさえ痛みやすい牛乳が、冷やされることなく売られていたわけですね…。。
一体何人がそれまで犠牲になったのでしょうか?
……想像するだに恐ろしいものがあります。(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
ともかくも、かつての「ゲンキミルク」は、沖縄食文化の歴史を塗り替える、エポックメーキングな飲み物だったのです!
しかし、そんなカリスマにも、強力なライバルが出現していました…!
21世紀に入ってからの沖縄本島では、あたかも「牛乳戦争」が勃発される気配すらただよう剣呑さに充ちていたのでした。
そこへ、あまたの危険をかいくぐり、よーかいが、
そこで目にしたもの。
それは、「ゲンキミルク」をめぐる陰謀ともいうべき「黒い秘密」だったのです!!!
(つづく!)
Posted by よーかい at 00:25│Comments(0)
│一日の雑感。