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Posted by TI-DA at

2011年04月19日

上関原発予定地取材記。:3

なんとなく、重苦しい気分を抱えて、四代地区を後にしました。


引き返す道で、そういえば行きに見た、この僻地に不釣り合いな新しくて巨大な施設はなんだったのだろう?と思い、長島地区の「蒲井」のバス停のあるあたりで車を停めました。


日は沈んで、薄暗くなってきています。
その中で、民家ですらぽつぽつと灯りを点在させているだけなのに、ひときわ明るく、まるで異世界からきた巨大物体のように、小高い丘に座している巨大な建物。

それは、高齢者福祉センターでした。



大きな地図で見る


……ふむ?
違和感を感じながらも、車を降りて少し周囲を歩いていると、中国電力のプレハブ施設がありました。





現場の平面図や、敷地造成工事の図が掲げられていました。
ここを拠点に、上関原発予定地に中国電力の車輌や人員が出発していることがわかりました。





プレハブはそれなりの規模があり、おそらく寝泊まりしている人もそれなりの数になるのだろうと思います。
もっとも、福島第一原発の東京電力の作業員のほとんどが下請け企業のシロウト社員で、あの過酷な条件にもかかわらず月給は18万円台から23万円台という、まるで使い捨てのような賃金で働かされていることを考慮すると、このプレハブで寝泊まりしている中国電力関係の社員も、同じように臨時で雇われた人たちである可能性が高いと思います。


あまり中国電力のプレハブ敷地内に無断で立ち入っているわけにもいかないので、海の方の集落へ向かいました。
木造の建築が、肩を寄せ合うように建っています。

路地はとても細く、木造家屋はあちこちに修繕したツギハギがあります
おそらく、戦後からそのまま、もしかしたら戦前に建てられた家のそのままなのかもしれません。
どの家もとても古いのです。


その中で、唯一新しい建物がありました。
近づいてよく見てみると、看板が掛かっていました。

看板には、
『蒲井老人憩乃家』
とありました。

その建家の下部には、
平成20年度 電源立地地域対策交付金事業
の文字がありました。




なるほど、と納得です。
先ほどの高齢者福祉センターも、この蒲井老人憩乃家も、どちらも原発の交付金によって建てられたものだったのです。


よく勘違いされていることなのですが、「原発の誘致=お金が入る」という構造そのものは間違ってはいませんが、実は地元住人に直接入るお金は一円もありません

なぜなら、原発の交付金(正式には「電源立地地域対策交付金」)は、公共事業、インフラ整備、福祉事業などの使途限定のお金なのです。
このへん、沖縄の基地交付金と一緒です。


この電源立地地域対策交付金について、例えば同じく中国地方で原発のある島根県での使途について明細が記してあったブログがありましたので、参考までに貼り付けておきます。
http://naotsugu.exblog.jp/14547567/



ところで、ここまで見てきて、上関町の人達の多くが原発を受け入れたこと、それにも関わらず、全国からのいわゆる「反原発派」と矢面切って対立の場にでてくることがないことが、なんとなく想像できるような気がしたのです。

誤解を恐れずに言えば、地元民の願いは原発を建てることにあるのではなく、
「ちゃんと地元で死ぬことができること」
にあるのかな、と思ったのです。


例えば、以下のデータ。





これは、左の図が『上関町と全国の年齢別人口分布(2005年)』、右側の図が『上関町の年齢・男女別人口分布(2005年) 』になります。
まず右側の図では、青色が男性、赤色が女性になります。
若年層や一般的な労働力である壮年男性が少なく、老年女性が多いことがわかります。

注目したいのは左側の図。
これは、緑色が日本全国の年齢別人口分布、紫色が上関町の人口分布になります。


一目瞭然で、上関町は60代以上の老人がほとんどを占めていることがわかるでしょう。


さらに、ウィキペディアによると、上関町の面積は34.81km²、人口は3,286人(推計人口、2011年3月1日)になります。
この面積は、横浜市で言えば青葉区の面積(35.06km²)とほぼ同じですが、青葉区の人口は304,550人と、約100倍近い人口がいます。
(平成23年4月1日現在推計 横浜市人口ニュースより)


やや余談になりますが、上関町は原発推進派が多数派といっても、反対派も4割くらいいます。
推進派が多く見積もっても6割として、全有権者合わせても、せいぜい1,800人くらいの「民意」でもあるのです。


なお、横浜市で一番小さい西区の面積はたったの6.98km²ですが、人口は94,916人。
上関町の7分の1以下の面積で、人口は30倍です。



これらのデータを見ても、上関町がいかに老人ばかりで過疎化が極端に進んだ限界集落であるかということが見えてくるでしょう。
限界集落とは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指します。
また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうといいます。


漁業や農業といった第一次産業もなく、老々介護が常態、しかも古い家もツギハギ式に直すしかないくらい生活は困窮していて、医療も日用品を買うのもない状態がそこにはあります。

原発の誘致をめぐって揉めたことで小さな集落の人間関係が分断され、過疎化に一層の拍車をかけたこと(日本で5番目の早さで過疎化が急激に進行したそうです)がさらに暮らしにくさに拍車をかけました。


上関町では、病気になったら救急車で運ばれる間に死んでしまうという話も聞きました。
また、生鮮食品の入手にも困ることが多いと聞きます。


周囲100mの範囲が「世界」のひとたち。
彼らが、自分たちがささやかな老後を過ごすために、こういった福祉施設を建てたり、町民の生活支援事業(中学生以下の医療費全額助成や老人の通院用バス運賃の補助、町独自の地域振興券の交付など)に交付金を充てたりすることそれ自体は、責められるようなことではないように思います。


むしろ、彼らが行政や福祉の届かない場所にあり、いわば「棄民」されていることにこそ、問題があるのではないかと思うのです。

交付金がなければ暮らせない状況は、憲法で保障されているはずの「最低限度の生活」を下回っているといえるでしょう。



ただし、交付金によって最低限度の生活が送れるようになったからといって、原発が賛美されるものではないとも思います。
なぜなら、行政や福祉が本来行うべきことが行われていないことが問題だからです。
原発は、そこに付け込んだだけであって、そういった困窮状況がなければ、原発が上関町に必要だったかと問われると疑問に思います。



この構造は、ちょっと沖縄の基地問題にも似ていますね。
そうしてみてみると、これは本当に論ずべきことは、上関町の原発の是非ではなく、人権や福祉の問題になってくるように考えます。


原発を必要とせざるを得ない構造があること。
その構造をどうにかしないことには、いくら「原発反対!」を叫んだところで、意味のないことであるばかりか、原発誘致地域の人達の苦しみには誰も想像力が及ばないことになります。

また、そうやって想像力を欠如している間に、同じような「構造」が生じる場所には、いくらでも原発が立地される「根拠」になってしまうでしょう。


もし、本気で原発をどうにかしたいならば、誘致地域に共通して存在している「構造」に目を向けないとどうにもならないと考えます。



この連載は、次回が最終回予定。



「じゃあ、どうするか?」について、ちょっとした提言も含めて考察してみたいと思います。


(つづきます!)
  

Posted by よーかい at 04:28Comments(6)一日の雑感。

2011年04月16日

上関原発予定地取材記。:2

それまでも過疎地だった風景が、橋を越えたとたん、さらに険しいものになりました。


上関は、大きな地図でみると一見半島状ですが、上関町役場の少し手前のあたりから、島になっています。
ぐるりと大きく回る橋をわたって、本丸の島へと乗り込んでいく感じなのです。

なお、橋の手前にはガソリンスタンドや郵便局、小さなお店がありましたが、ガソリンスタンドはその日は休み。
そこから先はガソリンスタンドも、お店らしいお店も見あたりません。(四代集落に、ごくごく小さな商店はありました。)



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とりあえず、地理には不案内なので、祝島行きのフェリーがあるという四代の集落に向かいました。
上関町役場からは、かなり距離があります。

左手には海、右手には深い山。
本当になーんにもないところですが、長島地区の「蒲井」というバス停があるあたりの右手の少し小高いところには、それまでの超過疎地からは不釣り合いな新しくて大きな施設が見えました。(これについては次回の記事で後述。)



大きな地図で見る


そこを通り過ぎると、道は海沿いの崖っぷちをへばりつくように細く、アップダウンを繰り返します。
完全な1車線。
車同士がすれ違うのは小型車でなければ困難でしょうし、台風など海が時化っているときには、この道は通れないでしょうから、四代地区は完全に孤立してしまうでしょう。

カーナビの付いた車で普通に走っていても、かなり不安になります。

集落としては、地図上では四代地区が上関の最も先なのですが、原発建設予定地はそこよりもさらに先になります。



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グーグルの地図でも、カーナビでも、一般道はそこで切れます。
携帯も完全に圏外を示しています。





さらに、もっと細い農道が四代地区からさらに山側に向かってしばらく続きますが、結局は行き止まりになりました。
後ほど知ったところによると、原発建設予定地はもっと手前で右側に折れて、細い道を分岐して行くのだそうです。
そちらも、普通なら車が通るなんて考えられないくらい、山深く細い、道なき道なのだそう。





車を降りてしばらく歩いてみましたが、どんどんケモノ道みたいに険しくなるばかりでラチが開かないので、仕方なく四代集落へと引き返しました。


ここからは、祝島行きのフェリーもでているとのことですが、防波堤と小さな桟橋はあるものの、フェリーの切符売り場も待合所も、フェリーの時刻表も、とにかくありとあらゆる「ここから船がでる」という痕跡のようなものは、隅々歩いてみても見あたりませんでした。
そもそも、ここまで訪れる観光客などはほとんど皆無なのでしょう。


集落前の大きな防波堤から集落を写してみました。
この写真に写っている部分以外は山です。
集落は、山にへばりつくように小さく展開しています。





防波堤をさらに歩いてみました。
もう夕暮れが近づいていましたし、天気も雨がそれまで降っていたのでしたが、防波堤の先端からは、それなりの水深があると思われる海の底まで見通せるほどの透明度でした。

防波堤には、船尾に『Energia』の文字の中国電力の旗を付けた船が何隻か停泊していました。





再び四代集落前をあてもなく歩きます。
もうほとんど日暮れでしたが、集落前の浜の海はやはり澄んでいました。





集落前には、タコツボが無造作に積み上げられていました。
けれども、この集落は漁村ではありません。





漁業もなく、携帯の電波も届かず、インターネットは確実にダイアルアップ以外は使えないでしょう。
少し海が荒れれば道は閉ざされ、陸の孤島になります。
病院は月に1度程度開くと思われる出張所(単なる憶測ではなく、過疎地はそういった形態の診療所が多いのです。)がありましたが、ちゃんとした医療機関はなく、柳井市街中心地までは1時間近くかかります。

その集落に住んでいる人達にとっては、そのわずか半径100m程度の場所がほぼすべての「世界」でしょう。

こんなところに教員で飛ばされたらイヤだなぁ……想像すると、気が滅入らずにはいられませんでした


祝島のように、漁業やいくつかの産物がある場所はまだ恵まれているでしょう。
しかし、上関では、そんな産物すらないのです。


いわゆる「原発反対派」の人達は、補助金を受け取るのを拒否し、独自の産業がある祝島を褒めますが、その「影」になる上関のことについて語っている言説は見たことがありません。

それどころか、独自の産業を形成してこずに安易に交付金に頼っていると、上関住民を責める言説すら散見されます。


けれども、それは安全な場所にいる“外部の人間”だから言えることでしょう。
そういった言説を吐く人達は、想像力が追いついていないと言わざるをえません。


上関住民を責める人達は、ここに住んでみるといいです。
1ヶ月ももたずに逃げ出すことでしょう。


けれども、ここの住民達は、一生この地と付き合っていかないといけないのです。



さて、いよいよ次回、これらの記事で書きたかったことの本質に迫ろうと思います。


(つづきます!)  

Posted by よーかい at 01:31Comments(0)一日の雑感。

2011年04月13日

上関原発予定地取材記。:1

2月のことになりますが、上関原発の建設予定地周辺を見てきました。


もっと早く記事を書くつもりでしたが、震災等があり、ここまで伸びてしまいました。
この記事では、基本情報以外は、あえてなるべく自分自身で見た印象から語ろうと思います。

賛成や反対といった立場では語りたくないのです。


正直に言うと、原発はない方がいいとは思っています。
また、祝島で反対運動をしている老人達を強行的ややり方で、大量の職員を派遣して物理的に排除するやり方は人権無視だとも思います。


けれど、現地で見たものは、そんなに簡単に「賛成・反対」で割り切れるようなものではないのだなと思わざるを得ないものでした。
これは、とても複雑にいろいろなことが絡み合っていて、難しい問題なのだと認識を改めさせられた次第です。


だから、なるべくならこれからの記事を、主観は入らざるを得ないものの、意識的に価値中立的に書きたいと願っています。



もちろん、地球全体に及ぼす可能性のある影響を考えると、推進に与することはできないのですが、かといって、現状の上関町の状況を見ることをしないで「絶対反対!」を叫ぶ人達とも距離を置きたいと思わされたのでした。




大きな地図で見る


上関原子力発電所(かみのせきげんしりょくはつでんしょ)は、中国電力が、瀬戸内海に面する山口県熊毛郡上関町大字長島に建設計画中の原子力発電所です。
稼働後に発電される電力は、既存の高圧線を経て主に広島・関西方面に供給されるものと見られています。



反対運動を行っている祝島は、島の集落のほぼ真正面(直線距離で約3.5km)に原発予定地が位置しており、原発が放出する温水による生態系の変化や、農水産物の放射能汚染などへの懸念など生活環境に与える悪影響が甚大であると主張しています。
千年間続いた、独自の漁業ができなくなることを祝島の住民達はおそれ、島ぐるみで抵抗しているのです。
また、周辺海域に小型クジラのスナメリや海鳥カンムリウミスズメなど複数の貴重な生物が生息することや、付近に活断層が存在する可能性があることなども、問題となっている点です。


一方、上関町は選挙により、「住民の意思」として、原発受け入れを決めた場所です。

ツイッター上では、中国電力による上関原発の強行工事とその反対運動の様子が刻一刻と報道されますが、ほぼニュースにはなっていませんでした。
また、「中国電力vs祝島漁民+日本各地の反原発派」という構図が中心で、「推進派」のはずの上関住民の顔も声もでてこないことがきわめて不思議でした。


よくわからない以上、まずは自分の眼で見てみるしかないなと思いました。


少し遠かったですが、山陽自動車道をひたすら西へと車を走らせ、山口県の玖珂インターチェンジで降りてから柳井市内を南下し、上関町へと向かいました。
柳井市街中心部のごく一部を除いては、過疎化が進む田舎道をかなり長い距離走ります。

柳井中心部を過ぎて、半島状になった土地を南下します。
平生町へ入ると、小さな集落以外はほとんど人気がありません。

ほぼ山道と言っても過言ではない道を走ります。


玖珂インターチェンジから約1時間半弱、柳井市中心街から50分弱程度車を走らせて、件の上関町に入りました。
そこで目にした上関町の実態は、正直目を疑う光景でした。



なんで、原発には反対を叫ぶ、「ヒューマニズム」を標榜する人達が、上関町の人達に、こうまでも無関心でいられるのだろう?


結論を先取りすれば、そのことに空寒くなったのです。


なんというか、中国電力のように漁民との話し合いもちゃんとせずに、強権的に原発推進を推し進め、何隻もの台船によって、土砂をばらまき、山野をブルドーザーで一方的に切り開くやり方も許せない方法ですが、かといって、日本全国から集まって、反原発の「正義」を声高に主張する人達も、同じくらいこわいと思ったのです。






上関町で見たものについては、次回以降詳しく書こうと思います。


(つづきます!)  

Posted by よーかい at 01:54Comments(8)一日の雑感。

2011年04月10日

男の浜下り、ピーリンポーリン!

沖縄にも、「ひな祭り」に相当する女性限定の行事があります。


沖縄は、もともと旧暦社会だったので、新暦ではなく旧暦3月3日(今年2011年は4月5日に相当)にお祭りをするのです。
その行事は「浜下り」と呼ばれます。


女性たちが海水で身を清めて健康を祈り、ごちそうを楽しむのが習わしとされます。
潮干狩りみたいな行事です。
ひな飾りを飾ったり菱餅やひなあられなどを食べたりする内地のひな祭りとはかなり違います。





海水につかるのは、厄払い的な意味が強いのですが、これは内地のひな祭りも同様に厄よけの意味がありました。
内地のひな祭りの起源は、平安時代までさかのぼります。
昔の日本には五つの節句がありました。
この節句という行事が、貴族の間では季節の節目の身の汚れを祓う大切なものだったとのこと。

また、ひな飾りを飾るのは、昔は出産の際の死亡率が高かったので、命を持っていかれないよう、枕元に身代わりの人形を置く風習がありました。
この風習は、自分の災厄を引き受けてくれた人形を流す「流し雛」へと発展していきました。


一方、沖縄の「浜下り」の由来に関する民話があります。

17歳の娘の元に美青年が夜な夜な訪れて妊娠させてしまいます。(これ自体は、当時はごく普通の習慣でした。)
しかし、実はこの美青年の正体は蛇の化け物。(「ハブ」よりも、たいていは「アカマタ」という蛇の化身という説が一般的です。)
どうしたらいいかと、高名な呪術師に対策を尋ねると、海水で下半身を清めるように言われます。
言われたとおりに海水につかると、娘の身体から足もとへと蛇の子どもがじゃらじゃらとでてきた……という、かなりエグイ、ある意味「望まぬ妊娠と堕胎」という、非常にヘヴィーなテーマが絡んだ物語となっていますo( ̄ー ̄;)ゞううむ


元々はそんな由来があっても、今ではみんな女性だけで楽しんで浜下りの行事をおこなっているのが、沖縄の文化のおおらかさです。


そんな浜下りですが、沖縄の中でも糸満にだけは、なんと、
男だけの浜下り
が存在するのです!ヾ(。`Д´。;;;)ノ


その名も、ピーリンポーリン!


沖縄タイムス2011年4月6日の記事によると、
『100年以上続くという伝統行事で、60~80代のお年寄りが参加。
海の神に村の繁栄や健康を祈願し酒を酌み交わした。』

とのこと。





喜屋武海岸近くの拝所「ジルーメー」で行われ、歌三線や太鼓を響かせ踊ったりもします。


なぜ男だけで行うのか、どういった由来なのか、ピーリンポーリンとはどういう意味なのでしょうか?
実は、起源はよくわかっていないとのことです。

沖縄タイムスによると、
『喜屋武地域では、2005年から字誌の編さん作業を続けている。
編さん委員長の伊礼幸徳さん(72)らは
「来春をめどに完成させたい。この行事の意味や起源が分かる方は情報を寄せてほしい」
と話している。
情報は喜屋武公民館へ。
電話098(997)3665。』

とのことです。



……






……






……結局、ピーリンポーリンってなんなんだーーーっ!!!!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ




この記事を読んだ後の不完全燃焼感といったらありゃしませんでした。

そこで、自分で調べてみたのですが、インターネット上にはやはり一切情報はなし。
生粋の沖縄生まれの人ですら、「ピーリンポーリン」の意味さえ分からない様子なのです。


しかし、このままでは終われません!o( ̄へ ̄*)むん


自宅にある文献類から、何かないかと漁ってみました。


ヒントになりそうなものが一つだけ見つかりました。
それは、「ピーリンポーリン」の語意を調べたところが糸口です。
取り出したるは、国立国語研究所編『沖縄語辞典 (国立国語研究所資料集)』なり。
かなりマニアックな沖縄語の辞書です。


「ピーリンポーリン」自体はありませんでした。
また、「ピーリン」や「ポーリン」そのものもなし。

しかし、
ピーリンパーラン」(piriN paraN:副詞)
という言葉が出てきました!

意味は、
「ぺちゃくちゃ。おしゃべりするさま。」
とのこと。


…!
こ、これはっ!!∑(@□@;)


今に続くピーリンポーリンの状態そのまんまじゃないですかっ!!!ヾ(。`Д´。;)ノ


えーと、もう少し想像力を働かせてみましょう。

この日、女性達はみんな浜下りで楽しそう。
男達は蚊帳の外。
「けっ」
などと強がってはみるものの、内心は「いいなぁ」と思っていたりするのです。
そういう男達が愚痴っている間に、
「じゃあ、うちらは男だけで集まって酒でも呑もうぜ」
「集まっても、ピーリンパーラン…ダベるくらいしかすることないけどな。笑」
そんな感じで、拝所の前で飲んだり歌ったりして、疎外感やウサを晴らしたのでしょう。


いつしか、「ピーリンパーラン」が訛って、「ピーリンポーリン」になり、由来不明のまま今に至っているのだと想像します。



孤独な男たちの“しゃべり場”が「ピーリンポーリン」だったはずです!(; ̄∀ ̄A  

Posted by よーかい at 02:19Comments(6)一日の雑感。

2011年04月04日

桜と稲穂。

内地では、あちこちから桜の便りが聞こえるようになりました(*´▽`*)





桜前線はソメイヨシノの前線です。
沖縄では寒緋桜(カンヒザクラ)系なので、1月の下旬に北部から南部へと咲いて行き、2月上旬には見頃を終えてしまっています。

ちなみに、ソメイヨシノは一定期間、低温期にさらされなければ花芽がつかない温帯性の桜なので、沖縄では暖かすぎて花が咲かないそうです。



さて、ソメイヨシノの起源は諸説ありますが、だいたい江戸末期から明治初期にできたもののクローンだといいます。
わずか100年ちょいで全国にこんなにも広まったことになります。
エドヒガン系のとオオシマザクラ系の桜の交配種だといいますが、自然交配でできたのか、人工的に作られたのかは諸説あるところです。

先ほど「クローン」と書きましたが、ソメイヨシノは、種からは生えない桜です。
だから、接ぎ木で増えていきました。
一斉に咲いて一斉に散るのはクローンゆえの特徴なのだそうです。(ちなみに、沖縄の寒緋桜はバラバラに咲きます。)

つまり、ソメイヨシノは元をたどれば1本の木になるそうです。
…とはいえ、樹の寿命は60年ほどなので、もう「一番初めの1本」は残っていないであろうことが残念です。。。(TwT。)


「さくら」の語源は、古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)の「さくや」が転化したものだという説が有力なのだそうです。(その他にもいくつか説があるようです。)
さくらの「さ」は穀霊(穀物の霊)を表す古語で、「くら」は神霊が鎮座する場所を意味し、「さ+くら」で、穀霊の集まる依代を表すともいいます。
桜には実りの神が宿ります。


日本人は古来から花見が好きだったようです。
古いところでは、日本書紀(720年)には神功皇后の花見の記録が残っています。
その頃は、野生の桜=山桜を静かに愛でるものでした。

平安時代に入る頃、山間部にあった野生の桜を都市部に移植して鑑賞するようになりました。
庶民が花見を楽しむようになるのは桃山時代に入ってからだといいますが、個々には鑑賞していたでしょうね。

江戸時代に入ると、花見は一層庶民化してきました。
上野公園のお花見に代表されるような形の、大人数で宴会のようにわいわい花見をするのは、きっと江戸の頃からの風習なのでしょうね。


日本の桜自体の起源となると、紀元前300年頃にはすでに稲作文化とセットで見られるという説もあります。

民俗学者折口信夫によれば、「花」という言葉の起源には前兆先触れという意味が含まれていたのだとか。
花見は、稲の稔りを占うものという宗教的位置づけがなされていたそうです。
例えば、長く咲いたら豊作であるとか。
桜と稲作という、今に至る日本文化の代表格がセットというのは興味深いですね(*´ー`*)





そういえば、神事には欠かせないものに日本酒があります。
これも稲作文化が生みだしたものです。
初期は口噛み酒の御神酒(おみき)に始まり、どぶろくのような純度が低いもの、そして今のようにお米を磨いて、温度管理や発酵の繊細な管理を行って作られるものにまで、時間をかけて洗練されてきました。

日本酒はまた、お花見にも欠かせないものです。
そして、日本酒は東北地方に銘酒がたくさんあります。





どうか、今年、東北地方の桜がたくさんの花をつけますように。
そして、一日でも長く咲きますように。

古代人が桜にこめた豊作の祈りと同様に、再び東北の大地に豊かな稔りの秋がきますように。
そう桜に願いを込めずにはいられません。



お米が「化身」した福島の地酒を飲みながら、ヤオヨロズの神々に祈りつつ、この記事を書いています。



おまけ:
この季節、桜ソングは黙っていてもあちこちで流れるので、こちらはスピッツの曲で『稲穂』です。

  

Posted by よーかい at 00:56Comments(1)一日の雑感。

2011年04月01日

四月一日=「わたぬき」と読む由来。

四月一日は、「わたぬき」とも読みます。


実際に、「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む姓は存在します。
(参考:『日付のついた難読姓』:http://koyomi8.com/directjp.cgi?http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0800.htm


例えば、CLAMPの『×××HOLIC』という作品の主人公の名前は『四月一日君尋(わたぬき・きみひろ)』といいます。





さて、なにゆえ「四月一日」を「わたぬき」と読むのでしょうか?

これは、封建社会が残っていた頃の恐ろしい風習から来ています。


かつて罪人は処刑後に首を晒されるのが常でした。
残りの胴体部分は、一定の場所に運ばれ、そのまま放置されました。

冬場は、そのままの放置でよかったのですが、春になると内臓が腐らないように腹を捌いて中身を出す必要があったのです。


つまり、四月一日になると、罪人の内臓(=わた)を抜いたことから、「四月一日=わたぬき」と呼ばれるようになったのです…((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル



ちなみに、この捨てられた「わた」を狙って、野生の動物たちが山から人里まで下りてきました。

「わたぬき」の風習がある地域では、野生の馬や鹿がよく現れたそうです。



だから、四月一日を「四月馬鹿」と呼ぶのです( ̄ー ̄*)ニヤリ  

Posted by よーかい at 12:47Comments(4)一日の雑感。

2011年03月31日

ヌチヌグスージサビラ♪

ヌチヌグスージをしましょう♪(*´▽`*)



某都知事は「戦時中の日本人を見習って花見を自粛せよ!」なんて言っていますが、とんでもない話です。
こんなときこそ、ヌチヌグスージが必要です。


ヌチヌグスージは、「命(ぬち)の御祝(ぐすーじ)」と書きます。
「ヌチヌグスージサビラ」だと「命のお祝いをしましょう」という意味です。



敗戦から2ヶ月ほどたった沖縄でのこと。
避難民でひしめく沖縄本島中部の石川市(現・うるま市)に、灯りがともり始めたテントや仮設住宅を見つけては、
ヌチヌグスージサビラ
と言って尋ね歩く男がいました。


彼の名は小那覇舞天(おなは・ぶーてん)。





後に「沖縄のチャップリン」と呼ばれた、沖縄漫談の祖と言われる人物です。
故・照屋林助(てるりん)さんや、沖縄民謡会の生きる伝説・登川誠仁さんの師匠でもあります。

ちなみに、本職は歯科医師。
1897年に今帰仁村に生まれています。
本名は小那覇全孝。


当時は沖縄戦で20万人以上の人が人が命を落とした直後でした。
どの家にも亡くなった家族や知り合いがいました。
生き残った者も食糧と物資の確保に追われ、その日を生き延びることで精一杯の時代でした。

普通に考えると、お祝いなど、むろん当時の沖縄でも非常識極まりないことでした。

にもかかわらず、小那覇舞天さんは弟子の照屋林助を引き連れ、三線まで持ち出して、
ヌチヌグスージサビラ
といっては家々を訪問したのです。


「命のお祝い?こんなときにどうしてお祝いをするのか」
「みんな悲しみにくれているというのに、どうして歌うのだ」


小那覇舞天さんに面と向かって罵倒してくる人もたくさんいたそうです。

すると、舞天さんはこう説いたそうです。


「こんなときだからこそ命のお祝いをするのです。
 今度の戦争ではたくさんの人が亡くなりました。
 だから、命の助かった者たちがお祝いをして元気を出さないと死んだ人の魂も浮かばれません。
 確かに4人に1人が亡くなりましたが、でも3人も生き残ることができたことを喜ぶべきではありませんか。
 さあ、はなやかに命のお祝いをしましょう」


そして、彼は弟子の林助さんと一緒に、得意のお笑い芸を交えながら歌や踊りを披露し始めたのです。

すると、最初のうちは悲しんでいたり不機嫌だったりした人も次第に表情が晴れやかになり、やがて彼らも舞天さんのユーモラスな姿や三線の音色に乗せられて踊り出すようになったのです!

(※もちろん実話です。
 参考文献:仲村清司著、新潮文庫『沖縄学』より)




その後、舞天さんの「命のお祝い」は水面に波紋がたつように地域の人々に知られていき、「うちもお祝いをして欲しい」と住民の方から彼らを招くこともあったそうです。

弟子の照屋林助さん(「りんけんバンドの照屋林賢さんの父です)によると、
いくら祝うことがないといっても、ずっとうつむいたまま沈み込んでいると、ホントに元気がなくなってしまう。
そんなときは、嘘でもいいから気持ちを正常に保つために手拍子を打ち、
「明日はどうなるのだ」
と誰かが心配しても
「なーに。心配するな。明日はひとりでに日はくれるさ」
と大笑いして苦労を忘れたというのです。


沖縄の戦後は、このようにして始まった一面もありました。

そして、沖縄にはいまも昔もそんな命のお祝いの歌が数え切れないほどあって、人々はお祝いの歌をうたうことによって、よりよい明日がくるのを願ったのです。




だから、いまこそかつての一番苦しかった頃の沖縄を倣って、内地でも「ヌチヌグスージ」をしましょう♪
生きている人は、精一杯生きていることを楽しみましょうヽ(≧▽≦)ノ


自粛は、一見なにか役立つことや正しいことをしている錯覚を起こさせるだけのまやかしです。
そして、被災者を「かわいそう」と上からの目線で見ている傲慢な行為だと感じます。
(ちなみに、沖縄には「かわいそう」という、相手を下に見る言葉はありません。
 「チムグルサン」=心が苦しいという共感の言葉があるだけです。)

自粛をしても現状は何も変わらないどころか、消費が落ち込むことで沢山の業種にダメージが出ます。
実際、イベント会社や外食産業など、最近は「自粛」のために廃業に追い込まれて、非被災地に失業者まででているくらいなのです。
被災地の人達はそんなことを望むでしょうか?


そういえば、沖縄のお墓参りは、お墓の前でピクニックみたいに親戚一同が集まり、重箱のごちそうを食べ、お酒を飲み、三線を持って歌い笑います。
“鎮魂”には、様々な形があるのです。
歌いながらでも、笑いながらでも、死者に思いを馳せ、ともにあることは可能なのです。


それを、「自粛」という一つの形だけを強制される筋合いはまったくありません。



せっかくなので、東北の地酒を嗜みながら、桜を愛でようではありませんか♪(゚▽^*)ノ⌒☆


※「今買うべき東北の日本酒リスト」
https://sites.google.com/site/touhokunosake/list  

Posted by よーかい at 23:18Comments(2)一日の雑感。

2011年03月30日

沖縄の海が世界を救う?!

日夜、放射能漏れのニュースが伝わってきて、心苦しいこの頃ですね。


ニュースでは詳細な数値の読解ができなくてなんともいえないのですが、例えば講談社ブルーバックスでは、
『放射性物質への不安が広まっておりますが、正しい知識を持つことが沈着な対応につながります。』
という趣旨で、『日本の原子力施設全データ』(北村行孝・三島勇著 講談社ブルーバックス2001年刊)の一部をPDFで無料で見られるように公開を始めました。



ネットやツイッターからだけでなく、なるべく専門的な文献から正確な知識を得ることは必要なことだと感じています。


原発の是非については様々な意見がありますが、ここではその是非はとりあえず置いておきます。
でも、なるべく安全なエネルギーを生み出すことができればそれに越したことはないわけで、様々な代替エネルギーの可能性を真剣に考えないといけない転換点に来ていると感じます。


これから書くことは、それが万能だというわけではなくて、あくまで一つの可能性。
でも、もしかしたら将来への希望になりえるかもしれない可能性です。


そのキーワードは、
『沖縄の海』
なのです!!!ヾ(。`Д´。)ノ



その話の前に。
”の仲間には、石油や軽油を生み出すタイプのものがいることは皆さんご存知でしたか?

例えば、温泉などに生息する微細な緑藻「シュードコリシスチス」。



シュードコリシスチスは光合成を通じて、水と二酸化炭素(CO2)を吸収し、バイオディーゼル燃料の元になる中性脂肪や軽油を細胞内に蓄積する特徴を持っています。

CO2を吸収するため、燃やしても大気中のCO2は増えないと見なされ、地球温暖化対策としても期待されています。
重量の最大3割が軽油などになり、残りかすからバイオエタノール燃料も抽出できるのだとか。


もちろん、現時点では藻の殻から軽油を取り出すコストなどがかさみ、原油から精製した軽油より割高になるため、生産コストの引き下げが課題になりますが、株式会社デンソーでは、2011年末までに屋外設備をつくり、大量培養に乗り出す予定なのだとか。


さて、ようやく本日のお題に入ります。
沖縄の海には何があるのでしょうか?


実は、沖縄にはすごいがいるのです!


先ほどは軽油でしたが、こちらは石油!


その名はオーランチオキトリウム



オーランチオキトリウム自体は、東京湾をはじめ世界各地の海に棲息しています。
しかし、ネックとなるのは生産効率の低さでした。

けれど、
沖縄の海に棲むオーランチオキトリウムは、極めて高い油の生産能力を持つのです!!!


この藻は、水中の有機物をもとに、化石燃料の重油に相当する炭化水素を作り、細胞内にため込む性質があります。

朝日新聞によると、
『同じ温度条件で培養すると、これまで有望だとされていた藻類のボトリオコッカスに比べて、10~12倍の量の炭化水素を作ることが分かった』
とのこと。


研究チームの試算では、深さ1メートルのプールで培養すれば面積1ヘクタールあたり年間約1万トン作り出せるとのこと。
「国内の耕作放棄地などを利用して生産施設を約2万ヘクタールにすれば、日本の石油輸入量に匹敵する生産量になる」
としています。

さらには、「大規模なプラントで大量培養すれば、自動車の燃料用に1リットル50円以下で供給できるようになる」との専門家のコメントもあります。

また、発電のための化石燃料としても同じように使うことができるはずです。
実際、オーランチオキトリウムは水中の有機物を吸収して増殖するため、
生活排水などを浄化しながら油を生産するプラントをつくる一石二鳥の構想もある
のだとか。


もちろん、この研究はまだ端緒についたばかり。
2010年12月に研究発表が初めて行われたものです。


この可能性を秘めた藻類が持続的に棲息できるようにするためにも、沖縄の海を生活排水や工場排水、赤土の土砂などで汚さないようにしていくこと、生態系が維持されるように、生物多様性を守っていくことが必要になってくるでしょうね。


このような藻類や風力発電、波力発電、太陽光発電などを組み合わせていけば、いずれは危険性の高い原発(東海沖大地震の可能性が指摘されている静岡県浜岡原発など)から順次廃炉にしていくことも可能になってくるはずです。



より安全なエネルギーを!
きっとそれは夢物語ではないはずです!!!o( ̄へ ̄*)むん
  

Posted by よーかい at 01:25Comments(17)一日の雑感。

2011年03月25日

学習内容増、小学校教員の6割「ポイント絞って教える」

4月に小学校で新学習指導要領が全面実施されて学習内容が増えることに、どう対応するか。
ベネッセ教育研究開発センターがアンケートをとったところ、小学校の教員の6割強が「ポイントを絞って教える」と答えた。
教員らは現在でも「基礎的・基本的な知識の習得」に重点を置いていると答えており、児童の負担を極力増やさないように工夫しようとしているようだ。



小学校教員の指導観

同センターは昨年8~9月、全国の公立小中学校の校長と教員にアンケートを送り、約6600人から回答を得た(回収率26%)。

 
学習内容が増える教科での対応を小学校教員に聞いた設問(複数回答可)では、「教科書の内容のうち、ポイントを絞って教える」が63.5%。
特に教職経験30年以上のベテラン教員では75.6%に達した。
一方、10年目以下の教員は「全体的に授業の進度を速める」も多く、経験の差による考え方の違いが出た。

 
小中とも6割を超える教員が「児童・生徒の学力格差が大きくなる」と予想する。

 
このため、1998年の同種調査と比べ、教員が重視する点は
「強制してでも学習させる」
「授業の楽しさを多少犠牲にしても、学問的に重要な事柄を押さえる」
「一人前の大人になるために必要なことを教え、訓練する」
が増え、
「自発的に学習する意欲や習慣を身につけさせる」
「学問的に重要な事柄よりも、子どもが楽しく学べる授業にする」
「子どもの持っている可能性が開花するのを支援する」
が減った。

 
新指導要領は課題を設定して調べ、まとめる「探究的な学習」にも力点を置くが、探究的な学習を進めることには5割強が不安を訴えた。

 
同センターの担当者は
「学力格差などから個別の対応が必要な子どもが増えており、探究的な授業を進めたい気持ちはあっても、実際には基礎基本に力を入れざるを得ない先生が多いようだ」
と話す。

 
新指導要領は中学校では来年4月から全面実施される。



(2011年3月9日 朝日新聞)  

Posted by よーかい at 19:00Comments(0)全国の最新動向

2011年03月25日

県立高授業料減免 最多4838人

県立高校で2009年度に授業料の減免制度を受けた生徒は4838人、10・47%に上り、過去最多だったことが、このほど分かった。
高校の授業料は2010年度に無償化されたが、それまでは増加傾向だった。

 

また09年度の高校中途退学者数は953人で前年より5人増えた。
そのうち「経済的理由」を挙げたのは39人で4・1%だった。
不登校者数は1314人で、前年より83人増となった。

 
県内の公立(小、中、高、特別支援)学校に勤務する教師で09年度に休職した388人のうち、42・3%にあたる164人が精神疾患が原因によるものだった。
そのうち106人(64・6%)が復職した。

 
3月17日の県議会2月定例会予算特別委員会で、金武正八郎教育長が仲村未央氏(社民・護憲)、奥平一夫氏(社大・結)、前田政明氏(共産)らに答えた。



(2011年3月25日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 18:55Comments(0)沖縄県2次対策

2011年03月25日

小3・小5 学力調査 沖縄県が変更

中2は理・社追加

県教育庁(金武正八郎県教育長)が小学4年と中学2年を対象に独自で実施している「県学力到達度調査」で、2011年度から小学校の対象を小学3年と5年に変更し、中学校は現行の3教科(国・数・英)に、新たに理科と社会を加えた計5教科で実施する方針であることが28日、分かった。
 

同調査は、1988年度から続けてきた「達成度テスト」を08年度に見直し、活用力を問う問題を組み込んでいる。

 
次年度から小学3、5年と定めることで、低学年と高学年で学習の定着状況をより細かく把握したい考え。
中学校では対象教科を広げ、科学的な見方や資料解釈という活用力を付けたいとしている。

 
一方で、学校現場からは対象学年や教科の広がりに懸念の声も上がっている。

 
中部の小学校教諭(38)は
「落ち込みのある単元などの学習課題を見いだし、改善する手だての一つになるはずが“テストのための勉強”になる危惧(きぐ)はぬぐえない」
とし、
「数値だけで測るのではなく、過程をしっかりと評価することが大切ではないか」
と話した。

 
南部の中学校教諭(47)は
「現状では学校現場への負担がさらに大きくなる」
と指摘。
実施期間と学校行事との兼ね合いもあり、到達度調査に取り組むための十分な時間が確保できない点を課題に挙げた。



(2011年3月1日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 18:50Comments(0)沖縄県2次対策

2011年03月25日

琉球最古の麦と稲を確認 北谷・小掘原遺跡

北谷町教育委員会(比嘉秀夫教育長)は11日、同町役場付近の小掘原(くむいばる)遺跡(7千平方メートル)から琉球列島最古で、1030年~920年前の大麦、稲、アワの種子が見つかったと発表した。
これまでの最古の年代は、喜友名前原第二遺跡(普天間飛行場内)の稲が最古で、約880年前という。


約1030年前のものと測定された大麦


約950年前のものと測定された稲


文部科学省科学研究費を活用した「琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究」の一環として、札幌大学の高宮広土教授が分析した。

 
大麦や稲などに残っている炭素を測る「炭素14年代測定法」によって、直接、年代測定した。

 
その結果、大麦が約1030年前(10~11世紀)、稲が約950年前(11~12世紀)、アワが約920年前(11~12世紀)の種子であることが判明。3点とも、琉球列島では最古という。


同遺跡は、貝塚時代後期、グスク時代、近世から現代までが重なる複合遺跡。
発掘調査は同遺跡の跡地利用計画に伴い、2005年度から08年度に実施した。土器や中国産白磁、貝殻や動物の骨などが出土している。

 
鹿児島県喜界島の城久遺跡群でも、大麦や稲などが検出されている。
しかし、同遺跡では、栽培植物の直接の年代測定は行われておらず、11~12世紀と推定されているという。

 
千年以上前の沖縄で、農耕文化があったことを示す貴重な発見に、高宮教授は
「城久遺跡群から100年ほど経て伝わったのではなく、ほぼ同時期に農耕が広がっていたということが明らかになった」
と見解を示した。




(2011年3月12日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 18:45Comments(0)沖縄ローカル問題対策

2011年03月25日

「旧久場家住宅主屋」など3件 登録文化財に

国の文化審議会(西原鈴子会長)は18日、沖縄市の「旧久場家住宅主屋」など3件の建造物を、登録有形文化財として登録するよう高木義明文部科学相に答申した。
これで、沖縄県の登録件数は今回で計73件となる。


 


答申されたのは、沖縄市立ふるさと園(沖縄こどもの国)に移築された
「旧久場家住宅主屋」
「旧久場家住宅ヒンプン」
「旧平田家住宅マチフール」


 
旧久場家住宅の主屋は1924年、同市室川に建てられた伝統的な琉球民家。
同市立郷土博物館学芸員の縄田雅重さんは
「戦災で避難住民が身を寄せ合って住んでいたこともあると聞いている。過去の戦争を考える上でも貴重な文化財になる」
と話す。

 
マチフールも同年、同市白川に建築。
豚の飼育場と便所を兼ねており、肥だめも備えられた特徴的な形態を残している。

 
金武正八郎県教育長は
「地域の文化財が末永く保存継承され、大切に活用されていくことを期待する。大変喜ばしい」
とコメントした。



(2011年3月19日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 18:40Comments(0)沖縄ローカル問題対策

2011年03月25日

「比謝矼を空手聖地に」嘉手納の「偲ぶ会」

家屋復元へ募金呼び掛け


沖縄空手の第一人者、喜屋武朝徳(1870~1945年)が住み、多くの門下生を育てた家屋を嘉手納町比謝矼(ばし)に復元しようと、4月から募金活動が始まる。
企画した「喜屋武朝徳を偲(しの)ぶ会」(西平守一郎会主)は復元を機に、町のまちおこしにつなげたい考えだ。

 
首里出身の喜屋武は1910年ごろ、比謝矼に新居を構え、学生や警察官に空手を指導した。少林寺流、小林流、一心流、松林流の開祖を、門下生として育てたという。
偲ぶ会は喜屋武の家屋を復元し、空手の聖地としたい考え。その上で「喜屋武ブランド」を確立する方針。

 
伊禮博事務局長は「世界には6千万人の空手家がおり、喜屋武先生が育てた門下生4流派だけでも1千万人といわれている。
かつて琉球八景の一つといわれた比謝矼周辺も整備することで、県内外・海外の空手家を呼び込みたい」と意気込む。

 
偲ぶ会は11日、町商工会で講演会を開いた。
伊禮事務局長は「喜屋武先生の名は、空手界で知れ渡っている。
ビジネスの可能性を秘めており、まず町民が先生の業績を理解してほしい」と、町の起業家らに訴えた。

 
目標金額は3千万円。一口千円から募る。
問い合わせは偲ぶ会の伊禮事務局長、電話090(5763)8218。



(2011年3月20日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 18:35Comments(0)沖縄ローカル問題対策

2011年03月25日

就学前を準義務教育化 沖縄県、無償化目指す

金武正八郎教育長は23日、小学校に進学する前(就学前)の3年間を“準義務教育化”する考えを明らかにした。
次期沖縄振興計画に制度として盛り込み、入園料や保育料などの無償化を目指す。

金武教育長は
「(同制度は)他県にはなく沖縄から全国に先駆け、幼小連携のモデルケースとして文部科学省にも提案していきたい」
と述べた。県議会文教厚生委員会で答えた。

 
就学前の準義務教育化については、県が昨年末、沖縄政策協議会の沖縄振興部会に提出した「新たな沖縄振興のための制度提言(中間報告)」に追加提案している。

 
県教育庁義務教育課が主体となり2月から検討していた。
具体的には3歳児から5歳児を対象に、3年間の幼稚園教育を実施。
入園料や保育料、給食費、教材費、預かり保育料を無償化し、保護者の経済的負担を減らすほか、待機児童の改善にもつなげたい考えだ。

 
同課はまた、米軍統治時代の影響で、ほとんどの公立幼稚園が小学校敷地内に併設、隣接する状況を生かし
「沖縄に特化した制度」
として国などとの調整を重ねる考えだ。



(2011年3月24日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 18:30Comments(2)沖縄県2次対策

2011年03月24日

「思いやり予算」を被災地へ!

国民の税金、年額1881億円を取り戻して復興資金に充てましょう!!!ヾ(。`Д´。)ノ


毎日新聞によると、東日本大震災と大津波で損壊した道路や住宅、港湾施設などの被害額について、政府が最大約25兆円に上るとの試算をまとめたことがわかりました。


この復興には、長期に渡りあらゆる角度からの多面的なかつ継続的な支援が必要になってきます。
心のケアや、被災地の経済を回していくことなども今後必要になってきます。

ですが、
少なくともあと数年は、まずは復興の費用をいかに捻出していくかが最重要課題
になってくるでしょう。


もしかしたら、社会のセーフティーネットの概念をより根本から考えていくことや、暮らし方や社会システムそのものを少しずつシフトチェンジするあり方を皆で智恵を絞って考えるべき時期なのかもしれません。



ところで、
毎年国民の税金から1881億円も、宴会や娯楽のための費用に使われているお金があるのです。

皆さん、どう思います?


それは、いわゆる「思いやり予算」と呼ばれる、米軍に日本政府が支払っているお金です。


※最近、多少減額しているように見えるのは円高の影響もあります。


この震災後の大変な時期にもかかわらず、現在、国会で1881億円の金額を国民の血税から米軍に支払うことが採決されようとしています


ちなみに、「日本側負担駐留経費=思いやり予算」と勘違いしているひとが多いですが、それは違います。


具体的言うと、平成22年度の在日米軍関連経費の内訳は、いわゆる「思いやり予算」は1881億円でしたが、
それとは別に

・基地周辺対策費など1737億円
・沖縄に関する特別行動委員会関係費169億円
・提供普通財産上試算(土地の賃料)1656億円
・米軍再編関係費909億円


が米軍に対して国民の税金から支払われています。
これだけで、「思いやり予算」とは別に合計4,471億円にものぼります。


日本は、米兵一人あたりに支払う金額が他国の5倍近いという試算もあります。
ゆえに、沖縄に基地が固定化されてしまう要因になっているのです。


※この図は、現在とはドルのレートが違いますが、構造は変わっていません。


ちなみに、 「思いやり予算」という呼び方は、1978年、金丸信防衛庁長官(当時)が「思いやりをもって対処すべき問題」と述べたことがきっかけで定着したそうです。
英語では「ホスト・ネーション・サポート」と呼びます。

90年代から娯楽・保養施設、果ては日本人従業員に貸与される制服や備品までも思いやり予算で処理されている事が指摘されています。
2008年4月26日の産経新聞によると、近年にはさらに「思いやり予算」にボウリング場マネジャーやバーテンダーの給与まで含まれる「不適切な支出」が明らかとなっています。



当然、このあり方は見直すべきとの声が多く上がり、民主党は政権につく前のマニフェストの公約に、「思いやり予算」の見直しを公約に掲げていました。
しかし、菅政権は、あっさりと公約を覆し、2011年3月に協定の切れるはずの「思いやり予算」を今後5年にわたって現行額の思いやり予算を維持して米軍に提供することを表明しています。


平成22年度の1881億円を今後(最低)5年間支払うとして、その総額は9,405億円になります。
1兆円近いと言えばよりわかりやすいでしょう。
もちろんこれは、先ほど述べたように、通常の米軍駐留経費とは別に支払われるのです!


さらに言えば、通常の米軍駐留経費でも「仕分け」可能な部分は多くあります。
具体的には、沖縄普天間基地の海兵隊です。

海兵隊は、名前から誤解されることが多いのですが、海軍ではありません。

アメリカ合衆国の法律の規定に基づき、海外での武力行使を前提とし、アメリカの国益を維持・確保するための緊急展開部隊です。
より正確に言えば、
アメリカの戦争のために、特に先制攻撃を行うことを目的として展開される部隊
です。

先制攻撃を行い、アメリカの国益のためだけに動く部隊が日本の安全保障になるはずはないのです。

それだけでなく、アメリカ国内からも在沖海兵隊の不要論が噴出している(2010年7月19日の琉球新報より)くらい無駄な部隊なのです。



ともかく、まずは5年総額1兆円近い額を、日本国民の血税から無駄に支出するのではなく、被災地への震災復興資金に充てるべきでしょう。


それこそが、本当の“思いやり”ではないでしょうか。  

Posted by よーかい at 03:57Comments(2)一日の雑感。

2011年03月15日

totoのキャリーオーバーを義援金に!

まず、今回の震災で亡くなった方々のご冥福を深くお祈りいたします。
どうか一人でも多くの方が救助されますように。



マグニチュード9.0という地震はあまりに想像を絶するもので、幸い自分自身は安全圏にいたのですが、それでも気持ちが塞いだり、これまでに感じたことのない疲れを体感しました。
精神科医の香山リカさんによると、これは「共感疲労」と呼ばれる疲弊状態なのだそうです。
テレビやネットを介しても起きる可能性があるものだとか。

とはいえ、被災した現地の方々の疲労や恐怖や悲しみとは比較のしようがありません。
こちらが安全圏にいたからこそ、できることはないだろうかとずっと考えていました。



一つ、ありました!
それも、サッカーファンだからこそできることが!!



サッカーくじtotoのキャリーオーバーを義援金に回すよう働きかけてみることです!ヾ(。`Д´。)ノ





調べてみると、現在サッカーくじtotoのキャリーオーバーの額は57億5千113万551円であることを確認。
http://www.toto-dream.com/dc/SK5150.do?holdcnt=0488


第2節は中止になったので、第1節のキャリーオーバーがそのまま残っています。
このお金は、現在はtotoの発行元の独立行政法人日本スポーツ振興センター(NAASH)が預かっている形になっているはずです。


第1節の後に生じた57億円を超えるキャリーオーバーは、現在は誰のお金でもない状態です。

つまり、この額をそっくり義援金に充てても、誰のフトコロも痛みません。
単に、次回のtotoのキャリーオーバーがないというだけです。

こんなの、また新たにいくらでもキャリーオーバーは生じます。
すでに今月いっぱい、Jリーグの中止が発表されています。
また来月から仕切り直せばいいだけの話です。


きっと、この額を義援金に充てることにサッカーファンは誰も文句を言わないでしょう。 


もし、独立行政法人日本スポーツ振興センターが規約上のしばりで、サッカーの振興にしかtotoの収益金を使えないというならば、それでも方法はあります。

被災地全ての小・中・高等学校のグラウンドを、サッカーが出来る状態まで現状復帰させることです。
(この場合、まず現状復帰が最優先であって、芝のピッチはとりあえずいりません。)

これなら、totoの使用目的としての大義名分も立ちます。



ともかく、現在の被災状況を考えると、チャリティーマッチの収益金よりも、もっと手早く行うことのできる
「サッカーができること」
は、このtotoのキャリーオーバーの57億円を超える額を全額義援金に回すことだと思うのです。
それは、社会とサッカーをつなぐ役割を果たすものになるでしょう。



この実現のためには、多くのサッカーファンの声が必要です。


一人一人の声は小さくても、声が集まれば必ず実現できます!
決して無力ではありません。



どうか、すべてのサッカーファンの皆様、お願いします。
この趣旨にご賛同ください、声を上げてください!m(_ _)m
  

Posted by よーかい at 04:06Comments(40)一日の雑感。

2011年03月09日

2011シーズン Jリーグ勝手に順位予想!

またこの熱い季節がやってきました!ヾ(。`Д´。)ノ


今年の冬はとても寒くて、3月でも雪の降る日が多かったりで「春まだ遠し」という気分にさせられることが多いですが、Jリーグが始まると、ちゃんと新しい季節が始まっているんだなぁ…という気持ちになりますね(*´▽`*)




さて、毎年シーズン前に行っている順位予想。
でも、単に選手の移籍情報やサッカー専門誌などの予想や各チームの仕上がり具合のプレビューを読んで分析してみても、所詮は机上の空論なのです!(くわっ)

なので、今回は開幕戦の様子を見てから書いているところです。
…忙しくて書くのが遅れたという言い訳ではないのですぞ!たぶん。
そして、開幕戦の情報が入ったからといって、この記事も机上の空論には変わりありません。これ絶対。


昨年の予想はかなりぼろぼろだったような気がしますが、すでに記憶がありません。
都合が悪いから封印してしまったのかもしれませんが、こういう記憶はなくしても誰も困らないからいいですね☆(いいのか?)



さて、昨年は名古屋が2位以下に勝ち点差10を付けての圧勝での優勝でした。
ここ何年か、優勝争いは最終節までもつれる混戦が続いていたので、なんだか意外な感じでもありました。

ただ、中位以下はそれほど明確な力の差はなかったと思います。

また、昨年一番のサプライズはFC東京の降格でしょうか?
現役A代表に加え、各世代毎の代表経験者をずらりと並べ、チームも城福監督3年目でいよいよ優勝争いに殴り込み……と思われていたところが、まさかの降格。

たとえ怪我人の影響があったとしても、それはどこのチームも条件は一緒。しかも怪我人を差し引いても、個の力だけならJ1でもトップ3に確実に入ると思われたFC東京の降格が示した教訓は2つ。
一つは、
個の力だけでは勝てない
ということ。
もう一つは、
いい内容の試合をしていても、ほんのわずかの差や決定力不足が順位に大きく関わってしまう
ということです。

あと毎年のことですが、ACLとJリーグの両方(さらにはカップ戦)を同時に戦っていくのは、どこかでそのツケを払わされるという負担の大きさがあることでしょうか。



さて、そんな「わずかの差」が大きく、時には絶望的なまでに順位に関わってしまうリビノンジエッジな状況は今年も続くでしょう。
一筋縄ではいかない面白さがありそうです。


さて、
順位予想をざっくりいってみます!ヾ(。`Д´。)ノ


1位:鹿島アントラーズ
このチームを1位予想するのはですが、戦力バランスが一番整っているチームだといえるでしょう。
開幕は予想外の苦戦でしたが、これは大宮がかなりいい状態にあるのに対し、鹿島はまだ前線の選手のフィットにもう少し時間がかかるように思います。
それでも、どこのポジションの選手でも点が取れることは強みですし、前線の決定力不足も、オリベイラ監督の手腕や、あるいは夏の移籍市場でのてこ入れなどで修正してくるでしょう。

2位:サンフレッチェ広島
大きな補強はなかったとはいえ、面白いサッカーをするチームです。
槇野選手やストヤノフ選手はいなくなりましたが、チームコンセプトは継続していますし、ACLの負担もないので、いい状態でいけるような気がします。

3位:ガンバ大阪
チームの高齢化により、黄金の中盤に陰りが見えているのが気がかりですが優勝争いに絡んでくるチームでしょう。
ただ、ACLの負担もあり、控えの選手層を考えると、優勝は難しいか。

4位:川崎フロンターレ
マリノスから加入したサイドバックの田中選手やFW(もしくはMF)の山瀬選手の加入もあり、昨年よりも面白いサッカーが見られそうです。
相馬監督の経験不足が心配ですが、開幕戦を見る限り大きなマイナスにはならないように思われますし、選手の信頼をすでに勝ち得ているようです。
優勝候補にしてもいいのですが、リーグ終盤の局面で、相馬監督がどこまでやれるのかが未知数なのでこの順位にしました。

5位:名古屋グランパス
昨年の王者。
今年もゼロックスを制覇したなど好発進をしましたが、ACLでのつまづきやマリノスとの戦い方を見ると、連覇は厳しいように思います。
現状のように、アンカーのダニルソン不在が続くときの不安定感や、さらに闘莉王が離脱した際には厳しくなると見ています。ACLの負担もありますし。

6位:横浜Fマリノス
個々の力は決して悪くないチーム。
個人的に好きなチームなのに、優勝候補に決してしないのはツンデレでしょうか?(謎)
昨年大いに心配された木村監督の采配も、意外に悪くなかった印象です。
でも、優勝を狙えるか?と問われると疑問符がつくのも事実です。
また、マリノスのフロント陣は、昨年秋の主力大量解雇時に、「2011シーズンにACL県内に入れなかったらフロントは総辞職する!」と公言していましたから、公約通り総辞職して貰いましょうψ(`∀´)ψイヒッ(笑)

7位:大宮アルディージャ
今年のダークホースになりそうな予感のチームです。
昨年までとはかなり戦い方も変わってきそうです。
緒戦のアントラーズ戦を見ても、これまでの残留を争っていたチームとは何かが大きく変わった雰囲気があります。

8位:セレッソ大阪
昨年、J2から昇格したばかりで優勝争いに絡むなど大躍進をしたチームですが、今年はマークもきつくなってくるでしょう。
ACLを戦うには、控えの薄さが気になるところです。
ディフェンスは昨年すごく良くなっていましたが、負傷者が出たらどうなるかわかりません。
乾選手も、もしかしたら夏にどこか欧州のチームに引き抜かれるかもしれませんし。

9位:柏レイソル
J2からの今年の昇格組では、唯一J1に生き残ることができるチームだと考えています。
いい若手選手が多いですし、前半戦はかなりダークホース的な暴れ方をするかもしれません。
ただし、それを通年続けられるかは疑問です。
なので、最終的にはこのあたりの順位が妥当でしょうか?

10位:浦和レッズ
個の力だけなら優勝争いに絡むチームです。
しかし、いくら個の力が高くとも、それだけでは絶対的に足りないのは昨年のFC東京を見ても一目瞭然です。
唯一まともだったフィンケ監督の結果がでるのはこれからだったのに、それを切り、拙速に結果だけを求めようとした場合、よりひどいことになるのは火を見るよりも明らかな気がします。

11位:ジュビロ磐田
上田選手などのいい若手を何人も放出してしまったことが痛いところ。
昨年の夏に柏から菅沼選手と古賀選手を補強したのは的確な補強でしたが、この夏に同じように的確な補強ができるかどうか?
前田選手がもし離脱したらかなりキツくなりそうな予感もします。

12位:清水エスパルス
スタメンのほとんどを放出してしまい、もはや昨年とは別のチームです。
とはいえ、個の力自体は残りのメンバーでもそんなに悪くはありません。
けれど、まったく新しいチームを熟成させていくのは至難の業でもあります。

13位:ヴィッセル神戸
和田監督の手腕次第では、もっと上に行く可能性もあるかもしれません。
小川選手のようにいい若手も育っていますし、例年ほど大量補強しなかったのも、財政面だけでなくチームのメンバー自体がいい感じにまとまっている証左でもあるでしょう。
昨年ほど厳しいことにはならないと思います。

14位:アルビレックス新潟
ここ何年か、他チームの草刈り場と化しているアルビレックス(つДT)
でも、チームの選手自体はかなり頑張っています。
黒崎監督の手腕も、思っていた以上になかなかやる監督だということも昨年実証されました。
残留するに値するチームだと思います。

15位:モンテディオ山形
昨年の主力選手のうち3人(FW田代選手、MF増田選手、DFキム選手)がレンタルバックで抜けてしまったのは痛いところです。
低予算で、補強自体も薄いようには感じられます。
しかし、粘り強い守備をするチームコンセプトに、勝負師小林監督の手腕はもっと評価されてもいいものと思います。
このチームは残留して欲しいチームです。

16位:ベガルタ仙台
FWにマルキーニョス選手を補強し、攻撃力はアップしました。
しかし、基本的にリャン・ヨンギ選手頼みのチームであることに変わりはありません。
夏場以降苦しくなると思います。
この「16位」という順位は迷ったのですが、消去法でこうなってしまいました。

17位:ヴァンフォーレ甲府
なんで昨年昇格時の監督を更迭してしまったのでしょうか?
せっかく、J2ではいい戦いをしていたのに。
よりによって、代わった監督は「降格請負人」として名高い(?!)三浦監督。
うん、このチームが降格するとしたら、選手のせいではなく、監督のせいでしょう。

18位:アビスパ福岡
J1で勝てる要素が見あたりません…orz
この予想を裏切るがんばりを期待したいと思います。







まあ、予想は予想です。
当たるも八卦、外れるも八卦どころか、そもそも「八卦」自体使っていませんから外れるでしょう(爆)。
そんなにずばずば的中できていたら、きっと今頃はtotoで億万長者なのです!
……toto買ったこと一度もありませんけど(核爆)。



J2に関しては、昇格争いは混沌とすると思います。
FC東京の社長は「全勝で優勝!」なんて言っていますが、うかうかすると昨年のジェフの二の舞なんてことも(以下略)。
個人的には石崎監督の札幌に昇格してもらいたいですが、主力の宮古島出身の上里選手を引き抜かれてしまったので、厳しいシーズンになるかもしれません。
個人的予想では、横浜FC、東京ヴェルディ、ジェフ千葉、湘南ベルマーレ、FC東京、京都サンガあたりが横一線。
中国地方のチームは、「降格がなくてよかったね」ということになりそうです。(どこのチームだろう?)



以上、ソレスタルビーイングの戦術予報士、スメラギ・李・ノリエガがお送りしました♪(゚▽^*)ノ(断じて違う)  

Posted by よーかい at 02:02Comments(6)一日の雑感。

2011年03月08日

熊野 水門祭:4

競争しながら水平線の彼方へと消えていく舟。


ぼーぜんとそれを見送るしかないのですが、すぐに点のように小さくなり、見えなくなりました。

いったい、どこまで漕ぎ出していったのだろう?
そう思っていると、地元の方とおぼしき人の会話が聞こえてきました。

「あの舟は、対岸の串本にたどり着いてから、また帰ってくるんだよな」



ええええええ!!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ



大きな地図で見る


再びのサプライズです。
いったい、何キロあるのでしょうか?(後に調べたところによると、往復4㎞以上だそうです。)

そんな長距離を全力疾走で競争するわけです。

これまでの練習もあったでしょうし、真冬の海は決して穏やかではありませんし、それらを考えると気が遠くなりそうなハードさです。


ちなみに、大島の対岸の串本には橋杭岩という屏風状の巨大岩が沖に向かって立ち並ぶ名所があります。





実際は 柔らかい泥岩部が波に洗われて侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残されたものだそうですが、伝説では空海がこの地を訪れて、神通力で串本から大島までの橋をかけようとしたそうです。

けれども、天の邪鬼の妨害などもあり、さすがの空海も挫折してそのまま放りだしてしまったのだといいます(笑)。



※これは、橋杭岩の先の方から串本側を望んだ構図です。


そんな距離を漕いでいくのですから、時間もかかるわけです。
危険も伴う神事ですが、「命がけ」だからこそ、海の神様に奉納する価値があると思われていたのでしょう。
このあたり、よくあるイベント化した祭では見られないストイックさです。


その間に、港脇にある農協?公民館??へと皆いそいそと鞄やビニール袋を持って集まります。
なにがなんだかわからないままに、その群衆の中に紛れてみました。

すると、農協(とします)の紅白の横断幕が張られた屋上に複数の人影が!
わっと湧く群衆。

え?なに??( ̄ω ̄;)
戸惑っていると、屋上から餅が降ってきました。

福のおすそわけとばかり、大量のお餅が撒かれます。
お餅はすでに乾燥しているので、直撃するとけっこう痛いです(笑)。

壮絶なお餅の争奪戦になりますが、老若男女、数に違いはあれどみんなに十分いきわたるだけの大量のお餅です。
よーかいも、スーパーの小さなレジ袋がいっぱいになるくらいお餅を拾うことができました♪





「帰ってきたぞ!」
誰かが叫ぶ声がしました。

見渡すと、立ち上る靄の向こうに、かすかに点のように小さな舟影が!
だんだんとそれが大きくなってきます。

ぐんぐん近づいてくるにつれ、観客達の熱気も上昇していきます。

勝負は赤の圧勝でした。
数分以上たってから白の舟もたどり着きました。





櫂伝馬(かいでんま)競漕のゴールとお餅撒きは、水門祭の「中締め」的な意味を占めていたようです。
お持ちの入った袋をもって、めいめい帰路へつく人が多くいました。

地元の人達も、いったん解散状態になります。


インターネットで得た情報では、例えば「山」を崩したり、獅子舞があったり、お神輿があったりと、この後もいろいろ神事はあるようですが、なんとなく「とりあえずこれでお開き」感が漂う感じでした。

時計を見ると、午後2時半を回っています。
開始からこの時点で、すでに5時間以上が経過しているのです。


寒風にじっと耐えるのも、そろそろ限界でした。
最後まで観ていきたいという、後ろ髪ひかれる感はありましたが、ここで祭りの会場を後にすることにしました。


もともとお祭りは島の人たちのもの。
今回は縁あって、たまたま見学させていただきましたが、すべての神事は観光用ではないのですから、うかつに長居してしまうのも申し訳ないような気持にもなっていました。


きっと、この後、「第3部」がの神事が終わった後には、きっと島の人たちは集まってお酒を飲み、神社の入り口でさばいていた新鮮なマグロなどを肴に、一晩中飲み明かして地域の結束を再び強くするのでしょう。



日本の多くの地域では、村落共同体は崩壊し、伝統的なお祭りも廃れてしまいました。
けれども、ここ熊野ではまだ昔ながらの共同体やお祭りが残っていることを肌で感じられてとても嬉しく感じられました。


熊野では他にも季節によって昔からのお祭りが行われます。



失われてはならない、貴重な原風景がここ熊野にはあるように感じられました(*´▽`*)  

Posted by よーかい at 01:22Comments(0)一日の雑感。

2011年03月02日

熊野 水門祭:3

「海の民」のお祭りは、神社の境内だけが神域ではありません!ヾ(。`Д´。)ノ


むしろ、海そのものが神域だといえるのでしょう。


水門祭第2部の会場である大島港は、水門神社から徒歩数分の距離にある港です。

港内には、巨大な4本の幟に囲まれた大木がありました。
この日のために苅りだした椎の木でできていて、「山」というのだそうです。



おそらく、祭という「ハレの日」に合わせて作られた簡易な結界のようなものだと思われます。
結界」というと、なんだかオカルトちっくですが、地方のお祭りの際に、あちこちの路地に張り巡らされるしめ縄なども結界の一種です。
もっと身近なところでは、神社の鳥居も結界の意味があります。

その場に神様を閉じ込める意味、外部から悪いものが侵入しないようにする意味、「ここは特別な神事の場ですよ」と示す象徴的意味など複数の要素で構成されています。
簡単にいうと、聖と俗を分けるものです。


海には、3艙の舟が用意されていました。
これから、この舟を使って、祭のメインのイベントが開かれるのです。





また、通常のお祭りで見るような縁日も用意されていました。


寒風吹きすさぶ中、待つこと1時間以上。
お昼を回ったころ、神社からご神体を担いだ人たちが大島港にやってきました。

3艙のうち2艙は、紅白に分かれて対戦する船になります。





もう1艘は、ご神体や太鼓を載せたり、紅白に分かれた2艙をジャッジする役割を担っているようでした。
いわば、機能よりも「象徴」としての意味合いが強い舟です。





それぞれの舟に男たちが乗り込むと、餅まきが始まりました。
海から陸地に向かって、紅白のお餅を巻いていきます。
港内はわりと広いですが、それぞれの場所にまんべんなくいきわたるようにお餅を投げ入れていきます。




集まった人たちは、その「福餅」にあやかろうと、餅を取るのに老若男女必死です。

舟のひとたちも、途中から面倒くさくなったのか(笑)、段ボールごとお餅を投げ入れる一幕も。
投げたはいいものの、ちゃんと岸壁まで届かなくて、大量のお餅が海の藻屑と消えました…( ̄ω ̄;)(もったいない)。


海からの餅まきが一通り終わると、男たちは一度陸地に上がり整列します。
上半身裸になり(すごく寒そうでした)、神事の前の力水として注がれた日本酒を各自一気飲みします。

それから舟に乗りこみ、櫂伝馬(かいでんま)競漕が開始されます。


競争自体は、沖縄のハーリー(爬竜舟競漕)に似ているなと思いました。
ハーリーの起源は、中国福建省や広東省などの東シナ海沿岸部で「端午の節句」に行われる「龍舟節」だといいます。
ちなみに、横浜市では中華街主催で「ドラゴンボートレース」として毎年開催されています。

もしかして、黒潮に乗って沖縄から大昔に熊野へ伝わったのかなと想像もしました。(実際、沖縄の漁師が和歌山県あたりまで漁にでてくることもたびたびあったそうです。)





けれど、始まってみてわかったこと。
このボートレース、沖縄や中国のものと比べて、圧倒的に距離が違います!


出発して港の出口あたりで折り返してくるのだろう…と思っていたら、なんと両舟とも港を飛び出してしまい、そのまま小さく、見えなくなってしまいました。





ええええええ!∑( ̄□ ̄;)ハウッ



………ぽつーん。

港に集まった人たちは、完全に取り残された状態です。
寒風の中、手持無沙汰で遠い眼をして待ちぼうけなのです。




……




……




……どうなるの??( ̄ω ̄;)



そんな不安を残しつつ、今日はここまでなのです!


(※続きます!)  

Posted by よーかい at 03:55Comments(13)一日の雑感。