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2011年04月19日

上関原発予定地取材記。:3

なんとなく、重苦しい気分を抱えて、四代地区を後にしました。


引き返す道で、そういえば行きに見た、この僻地に不釣り合いな新しくて巨大な施設はなんだったのだろう?と思い、長島地区の「蒲井」のバス停のあるあたりで車を停めました。


日は沈んで、薄暗くなってきています。
その中で、民家ですらぽつぽつと灯りを点在させているだけなのに、ひときわ明るく、まるで異世界からきた巨大物体のように、小高い丘に座している巨大な建物。

それは、高齢者福祉センターでした。



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……ふむ?
違和感を感じながらも、車を降りて少し周囲を歩いていると、中国電力のプレハブ施設がありました。


上関原発予定地取材記。:3


現場の平面図や、敷地造成工事の図が掲げられていました。
ここを拠点に、上関原発予定地に中国電力の車輌や人員が出発していることがわかりました。


上関原発予定地取材記。:3


プレハブはそれなりの規模があり、おそらく寝泊まりしている人もそれなりの数になるのだろうと思います。
もっとも、福島第一原発の東京電力の作業員のほとんどが下請け企業のシロウト社員で、あの過酷な条件にもかかわらず月給は18万円台から23万円台という、まるで使い捨てのような賃金で働かされていることを考慮すると、このプレハブで寝泊まりしている中国電力関係の社員も、同じように臨時で雇われた人たちである可能性が高いと思います。


あまり中国電力のプレハブ敷地内に無断で立ち入っているわけにもいかないので、海の方の集落へ向かいました。
木造の建築が、肩を寄せ合うように建っています。

路地はとても細く、木造家屋はあちこちに修繕したツギハギがあります
おそらく、戦後からそのまま、もしかしたら戦前に建てられた家のそのままなのかもしれません。
どの家もとても古いのです。


その中で、唯一新しい建物がありました。
近づいてよく見てみると、看板が掛かっていました。

看板には、
『蒲井老人憩乃家』
とありました。

その建家の下部には、
平成20年度 電源立地地域対策交付金事業
の文字がありました。

上関原発予定地取材記。:3


なるほど、と納得です。
先ほどの高齢者福祉センターも、この蒲井老人憩乃家も、どちらも原発の交付金によって建てられたものだったのです。


よく勘違いされていることなのですが、「原発の誘致=お金が入る」という構造そのものは間違ってはいませんが、実は地元住人に直接入るお金は一円もありません

なぜなら、原発の交付金(正式には「電源立地地域対策交付金」)は、公共事業、インフラ整備、福祉事業などの使途限定のお金なのです。
このへん、沖縄の基地交付金と一緒です。


この電源立地地域対策交付金について、例えば同じく中国地方で原発のある島根県での使途について明細が記してあったブログがありましたので、参考までに貼り付けておきます。
http://naotsugu.exblog.jp/14547567/



ところで、ここまで見てきて、上関町の人達の多くが原発を受け入れたこと、それにも関わらず、全国からのいわゆる「反原発派」と矢面切って対立の場にでてくることがないことが、なんとなく想像できるような気がしたのです。

誤解を恐れずに言えば、地元民の願いは原発を建てることにあるのではなく、
「ちゃんと地元で死ぬことができること」
にあるのかな、と思ったのです。


例えば、以下のデータ。


上関原発予定地取材記。:3


これは、左の図が『上関町と全国の年齢別人口分布(2005年)』、右側の図が『上関町の年齢・男女別人口分布(2005年) 』になります。
まず右側の図では、青色が男性、赤色が女性になります。
若年層や一般的な労働力である壮年男性が少なく、老年女性が多いことがわかります。

注目したいのは左側の図。
これは、緑色が日本全国の年齢別人口分布、紫色が上関町の人口分布になります。


一目瞭然で、上関町は60代以上の老人がほとんどを占めていることがわかるでしょう。


さらに、ウィキペディアによると、上関町の面積は34.81km²、人口は3,286人(推計人口、2011年3月1日)になります。
この面積は、横浜市で言えば青葉区の面積(35.06km²)とほぼ同じですが、青葉区の人口は304,550人と、約100倍近い人口がいます。
(平成23年4月1日現在推計 横浜市人口ニュースより)


やや余談になりますが、上関町は原発推進派が多数派といっても、反対派も4割くらいいます。
推進派が多く見積もっても6割として、全有権者合わせても、せいぜい1,800人くらいの「民意」でもあるのです。


なお、横浜市で一番小さい西区の面積はたったの6.98km²ですが、人口は94,916人。
上関町の7分の1以下の面積で、人口は30倍です。



これらのデータを見ても、上関町がいかに老人ばかりで過疎化が極端に進んだ限界集落であるかということが見えてくるでしょう。
限界集落とは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指します。
また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうといいます。


漁業や農業といった第一次産業もなく、老々介護が常態、しかも古い家もツギハギ式に直すしかないくらい生活は困窮していて、医療も日用品を買うのもない状態がそこにはあります。

原発の誘致をめぐって揉めたことで小さな集落の人間関係が分断され、過疎化に一層の拍車をかけたこと(日本で5番目の早さで過疎化が急激に進行したそうです)がさらに暮らしにくさに拍車をかけました。


上関町では、病気になったら救急車で運ばれる間に死んでしまうという話も聞きました。
また、生鮮食品の入手にも困ることが多いと聞きます。


周囲100mの範囲が「世界」のひとたち。
彼らが、自分たちがささやかな老後を過ごすために、こういった福祉施設を建てたり、町民の生活支援事業(中学生以下の医療費全額助成や老人の通院用バス運賃の補助、町独自の地域振興券の交付など)に交付金を充てたりすることそれ自体は、責められるようなことではないように思います。


むしろ、彼らが行政や福祉の届かない場所にあり、いわば「棄民」されていることにこそ、問題があるのではないかと思うのです。

交付金がなければ暮らせない状況は、憲法で保障されているはずの「最低限度の生活」を下回っているといえるでしょう。



ただし、交付金によって最低限度の生活が送れるようになったからといって、原発が賛美されるものではないとも思います。
なぜなら、行政や福祉が本来行うべきことが行われていないことが問題だからです。
原発は、そこに付け込んだだけであって、そういった困窮状況がなければ、原発が上関町に必要だったかと問われると疑問に思います。



この構造は、ちょっと沖縄の基地問題にも似ていますね。
そうしてみてみると、これは本当に論ずべきことは、上関町の原発の是非ではなく、人権や福祉の問題になってくるように考えます。


原発を必要とせざるを得ない構造があること。
その構造をどうにかしないことには、いくら「原発反対!」を叫んだところで、意味のないことであるばかりか、原発誘致地域の人達の苦しみには誰も想像力が及ばないことになります。

また、そうやって想像力を欠如している間に、同じような「構造」が生じる場所には、いくらでも原発が立地される「根拠」になってしまうでしょう。


もし、本気で原発をどうにかしたいならば、誘致地域に共通して存在している「構造」に目を向けないとどうにもならないと考えます。



この連載は、次回が最終回予定。



「じゃあ、どうするか?」について、ちょっとした提言も含めて考察してみたいと思います。


(つづきます!)


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そういえば。
そういえば。(2011-09-04 03:00)


Posted by よーかい at 04:28│Comments(6)一日の雑感。
この記事へのコメント
 過疎化する構造は30年以前より始まっており、地理的にも企業誘致の立地的観点からも過疎化に歯止めがかからない事は上関町を見聞され認識されたことと思います。そこで政治家や当時の首長が原発誘致を進めた経緯があると聞いている(細々と農業、漁業は営んでいるが!)。町民は中学、高校、大学を卒業するとほとんどの人は上関町に帰って来ない(限界集落化)。過去から職業といえば船乗り、出稼ぎ、土木建設作業員、町役場職員(少数)などであろう。もともと町民はバカではなく、原発の危険性、自然の破壊ほか認識している。
貴殿が述べている限界集落から如何に脱皮するか!
 特に上関町外からの反対派活動家はどちらに転んでも結果的には自分自身にはさほど影響は及ばないことを認識しているのではないでしょうか? 上関町民や自然破壊のことを考え真に反原発を訴えるならば、上関町に移住し、反対派から町長、町会議員を立て町民の過半数を取ること、この事しか解決の道はない!と考えるが・・・、決して小職は原発を良しとしてはいない事を申し、取材記。4を楽しみにしております。
Posted by 山本 at 2011年04月19日 18:44
「ミツバチの羽音と地球の回転」
26日まで、オーディトリウム渋谷で
上映中ですよ!!

     (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2011年04月20日 08:44
>山本さん


こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>過疎化する構造は30年以前より始まっており、地理的にも企業誘致の立地的観点からも過疎化に歯止めがかからない事は上関町を見聞され認識されたことと思います。


そうですね。

ある意味、国や中電は「うまい場所を探した」と唸らざるを得ない立地になっていますね。
何もしなくても(ここまでではなくとも)過疎化は進行していくことが関係者には容易に予想できたでしょうし、他に企業誘致も難しい立地であること、仮に事故が起こっても周囲半径20㎞には多く見積もっても数千人程度しか住んでいないこと…など、計算ずくで行われたのでしょうね。


>細々と農業、漁業は営んでいるが!

たしかに、細々と農業や漁業は営んでいるようですね。
記事を書く前にいろいろ調べている段階で、漁協や農協の機能が崩壊しているとの報告書を読んだことで、少し文章に先入観が入ってしまったかもしれません。
(ちなみに、以下が漁協や農協の崩壊について書いてあった文章です。)
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/kokusakudematitubusaretakaminoseki.htm

ただ、上関町ホームページで「漁業世帯数」の推移を見ると、この10年でほぼゼロにまで落ち込んでもいるようです。
http://www.machimura.maff.go.jp/machi/map2/35/341/fisheries.html
また、上関町の総農家数も、すべて合わせてもかなり微々たるもののようです。
http://www.machimura.maff.go.jp/karte/search.aspx

上関町には一応「栽培漁業センター(http://kaminoseki.jp/2011/02/383/)」は存在しますが、こういったデータを見ていくと、祝島以外の漁業の現状はかなり厳しいのだろうなぁ…と想像する次第です。



>上関町民や自然破壊のことを考え真に反原発を訴えるならば、上関町に移住し、反対派から町長、町会議員を立て町民の過半数を取ること、この事しか解決の道はない!と考えるが・・・


たしかに、それは一つの道ですよね。

次の記事でもそのことには少し触れようとは思っていました。

たしかに原発に反対する全国からの若者が数百人程度移住するだけで、今度は反対派の総計が推進派の総計を上回ることになります。
でも、それをやってしまうと、某宗教団体を母体としたとある政党と同じやり口になってしまいますし、選挙権取得後の3ヶ月を過ぎて選挙が終わった後に、どれだけの者達が上関町に残るのかにも疑問がつきます。

なので、それ以外の道を提示できたら……と、現在資料と首っ引きな状況です。。。σ(^_^;)アセアセ...
Posted by よーかい at 2011年04月21日 04:10
>つのいさん


こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。


>「ミツバチの羽音と地球の回転」
>26日まで、オーディトリウム渋谷で
>上映中ですよ!!



情報どうもありがとうございます。

この作品、ぜひ観てみたいんですよ。
でも、レンタルだとないんですよね…(TwT。)


ところで、つのいさん、いまこちらがどこに住んでいるかはご存知でしょうか?

渋谷だと、飛行機に乗って、そして電車に乗り継いで……いったい、どれだけの時間とお金がかかってしまうのでしょうか。。。?(つДT)(号泣)
Posted by よーかい at 2011年04月21日 04:17
>ところで、つのいさん、いまこちらがどこに住んでいるかはご存知でしょうか?

大凡は・・・
でも、いったん思い込んだら即行動する
よーかいさんだから若しかしたらって・・・
そうでなくとも、このドキュメント映画のこと
次回以降に登場するのかなとの期待も込めています。

            (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2011年04月21日 06:39
>つのいさん


こんにちは、あるいはおはようございます。
コメントどうもありがとうございます。



>でも、いったん思い込んだら即行動する
>よーかいさんだから若しかしたらって・・・


や、いくらなんでも…(^_^;)

5月中旬に東京に行く予定があるので、その時まで上映していたら観に行くかもしれません。



>そうでなくとも、このドキュメント映画のこと
>次回以降に登場するのかなとの期待も込めています。


すみません、観てないものは書けません(苦笑)。

それに、この映画の公式ホームページ( http://888earth.net/index.html )を見てみると、ちょっとした違和感も感じます。


祝島の「自然と共生する生き方」を賛美し、原発受け入れ予定地の上関町の人々については無視を決め込んでいるところです。
これは、ツイッターやブログなど多くの場所で読んだことと同じです。
しかし、それについて違和感を感じたからこそ、現地へ赴き、こういった記事を書いているわけなのです。

たしかに、自然と共生する生き方ができれば良い事ですが、そんなにコトは簡単ではありません。


自分自身の考え方としては、祝島の人達が救われなくてはならないのと同じくらい、上関町の人達や、原発を受け入れた地域の人達も救われなくてはならないと考えます。

そうでないと、知らず知らずのうちに差別を呼び込む構造ができあがってしまうのではないかとも危惧しています。


……協調性なくてごめんなさいm(_ _;)m
Posted by よーかい at 2011年04月21日 11:37
 
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