2010年12月01日
『3月のライオン』5巻発売によせて【後編】
ついに発売した『3月のライオン』5巻。
※ネタバレあります!
まだ未読の方は今すぐ書店へGO!(宣伝)
この5巻発売に先立って、様々なキャンペーンも催されました。
(詳しくは『3月のライオン』公式サイトへ。)
例えば、『全国47都道府県ご当地方言ポスター』キャンペーン。
読者が好きな場面を選んで、それを各県の方言に吹き替えて応募します。
各県に付き1場面。
それを47種類。
例えば、沖縄県だとこんな具合。
もともとのセリフは、
『次は絶対に負けない
はい
勿論です
兄者!!』
です。

実は、この場面、よーかいは宮古島方言で送ったのですが、同じ場面でも本島のウチナーグチが選ばれていました。
膨大な場面から同じ場面が同じ県で選ばれただけでも、「ほぼ選ばれた」と言っても過言ではないでしょう!(過言)
これらは、JR、地下鉄、私鉄のどの駅に貼ってあるかは伏せられていて、読者によって各県のポスターを見付けて全国図鑑を作るというイベントも開催されました。
発見報告をもとに、よーかいも先日、倉敷駅1番ホームに貼られていたものとスペシャルポスターの2種類を電車に揺られて観に行きましたよ♪

上記が倉敷駅に貼られていたポスターです。
思っていた以上に大きなサイズです。
スペシャルポスターは、羽海野チカ先生による手描きです。
これはただ1枚。
そして、盗まれないように警備員までついているというもの。
場所は、山陽電鉄の尾上の松駅という、兵庫県にある小さな私鉄の駅にありました。

時間帯によっては無人駅にもなるというほどの、小さな駅です。
なぜこの駅に貼られたかというと、ちょうどポスター掲示からほどなくして、羽生名人VS渡辺竜王による、「竜王戦」の対局がこの駅の近くであったからなのです。
さすがに“手描き”だけあって、よく見ると水色の色鉛筆で描いた下描きの跡が残っていました。
ところで…、
方言って、東京は??
と疑問に感じられた方は鋭いです!
東京は企画倒れ(笑)につき、作者の羽海野チカ先生が、2巻ラストの、主人公桐山零くんが泣きながら叫んでいる場面をアテレコです。
もともとのセリフは
『解ってるけどできねーとか言うんならやめろよ!!
来んな!!
こっちは全部賭けてんだよ
他には何も持てねーくらい将棋ばっかりだよ
酒呑んで逃げてんじゃねーよ
弱いヤツには用はねーんだよ』
です。
めったに烈しい感情を表に出さない零くんが、慟哭しているシーンは、とても胸に迫る場面だったのに……(笑)。

……
……
……うあ、
このままいくと、またもや脇道に逸れたまま終わってしまうことに!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ(爆)
てなわけで、5巻です。
以前4巻発売時にこのブログで書いたように、前巻で必死な思いと裏腹に、獅子王戦というタイトル戦で敗れた島田開八段へのちょっとした救済からこの巻は始まります。
全力を尽くして、足掻いて足掻いて、それでも目指すモノには届かなかったけれど。
それでも、そんな自分を受け入れてくれる人たちがいること。
また、島田八段が将棋を通じて、過疎化の進む故郷の老人達が孤立しないような仕組みを作ることに尽力してきたことも同時に描かれています。
それは、タイトル戦の勝敗よりもずっとずっと尊いもので。
帰りに持ちきれないくらいの、たくさんお土産を持たせてくれた老人達に、ちょっぴり苦笑混じりに
「もうっ
変わんないなぁ」
と何気なく言ったことに対して、
「変わんねぇ
大丈夫だから
焦るな
開……」
と。
この一言で、焦りに溺れていた気持ちから、またゼロから始めようとリセットされた気持ちになるのです。
そこから始まる5巻です。
この5巻の大きなテーマの一つは、この島田八段のエピソードのように、
「ゼロからのリセット」
ではないかと読んでいて思いました。
将棋は、名人でも勝率は7割です。
逆に言えば、
常に負けることを運命付けられた世界なのです。
必ず負けること、どうやってもそれが逃れられないこと。
そこからどう立ち直っていくか。
意味を見付けていくか。
4巻までの零くんは、将棋に負けることには耐えられない気持ちになるのに、勝ち続けることの意味がわからなくなって袋小路に落ち込んでいました。
勝ち続けても、その先にはなにがあるのか……そういった虚無感にもとらわれていました。
けれども、この5巻では、この島田八段とのエピソードに始まり、学校での先生や先輩との関わりから少しずつ主人公の零くんの世界も広がっていきます。
近視眼的に将棋だけの世界の、単純に自分のための勝ち負けだけにこだわっていれば、そこには虚無しかありません。
けれど、世界はもっと多様で複層的であることが、零くんに開かれていきます。
また、この“多様で複層的であること”は、これまで憎むべき敵として零くんの前に現れていた後藤九段の「意外な一面」によっても示唆されます。
(なお、この巻では、それは「混沌」という言葉で表現されています。)
そして5巻終盤。
物語は急展開を迎えます。
いつも明るかった川本家の次女のひなちゃん(川本ひなた)が、いじめられた友人をかばったことで逆にいじめの対象になってしまいます。
それでも、ひなちゃんはぼろぼろ大粒の涙を流しながらも、
『後悔なんてしないっっ
しちゃダメだっ
だって
私のした事は
ぜったい
まちがってなんか
ない!!』
そう、強く言いきるのです。
この一言で、主人公の零くんは、小学校時代にずっといじめられてひとりぼっちだった気持ちを、そのときまで遡って手をさしのべられて救われたような気持ちになるのです。
『その時
泣きじゃくりながらも そう言い切った彼女を見て
僕は かみなりに撃たれたような気がした
不思議だ ひとは
こんなにも時が 過ぎた後で
全く 違う方向から
嵐のように 救われる事がある』
前述の「ゼロからのリセット」が零くんにも示された場面です。
ここに至るまで、【前編】で書いたような、林田先生のアシストをはじめ、さまざまな人との関わりが丁寧な伏線になっていました。
それでも、自分自身のことしか考えられなかった零くんが、初めて“誰かのために”考え、生きようと決心するのがこの場面です。
棋士が、“騎士”になった瞬間です。
(この場面を初めて読んだとき、10分以上鳥肌がおさまりませんでした。)
『ありがとう
君は
ぼくの
恩人だ
約束する
僕がついてる
一生かかっても
僕は
君に
恩を返すよ』

おそらく、登場人物の名前から見ても、
なにもない状態=零くん、
零くんを暗闇から引き出してくれた一筋の光明=あかりさん(川本家の長女)
零くんを暖かくつつみこむ春の日差し=ひなたちゃん(川本家の次女)
ということなのでしょう。
また、この作品でここまではっきりしていなかったヒロインは、ひなちゃんであることが判明した瞬間でもあります。
(とはいえ、そうすぐに恋愛に発展するようなことはなく、雑誌掲載の最新号では、逆に残念な方向にフラグを叩き折っていたりしているのですけど…笑)
ここまで、明るさや芯の強さといった長所は見られたけれど、幼さもたくさんみられたひなちゃん。
なにせ、連載開始時、零くん17歳、ひなちゃん14歳。
現在やっと零くん18歳、ひなちゃん15歳なので、その幼さは当然と言えば当然なのです。
けれど、もしこの作品が、零くんが名人戦に挑戦するあたりまで描かれるなら、最速でもあと4年以上の年月の経過が描かれます。
その頃には、零くん22歳以上、ひなちゃん19歳以上になっているのです。
きっと、二人とも今よりもずっとずっと立派に成長した青年になっていることでしょう。
5巻の最後、連載時にはなかった短いエピソードが挿入されます。
「てんとう虫」がなぜ「天道虫」と書くのかということについて。
零くんがひなちゃんの手に乗せたてんとう虫が、もぞもぞとゆっくりと指の先まで登っていき、パッと空に向かって飛び立ちます。
『飛んで行く
てんとう虫を見送りながら
零ちゃんが話してくれた
「天道虫」という名は
むかしの人達が
この小さな可愛い生きものが
太陽に向かって
飛ぶところを指して
つけた名前なのだと 』
このてんとう虫に仮託した意味はきっと、
“人間は暗いところで這いまわりながら、虚無に押しつぶされそうになったり、混沌とした存在だけれども、それでも人間は大きな光を目指して飛び立とうとする存在である”
という再生への希望なのだとよーかいは解釈しています。
あがいて、あがいて、それでも負けて。
それでも、自分が「在る」意味。
それはきっと、自分自身のためにではなく、多様で複層的な世界で人と関わり、誰かを大切にしていくことで、はじめて生み出される“意味”。
暗い場所から、光を目指して、暖かい春の日なたを目指して。
負けることを宿命付けられているからこそなおさら、勝ち負けを超越した大事な存在や人達が「太陽の光」のように、いっそう愛おしいのではないのでしょうか。
そんな風によーかいは解釈しました。
繰り返しになりますが、この作品はとても丁寧に丁寧に描かれた作品です。
何気ないシーンにも意味があったり、過去の小さな伏線が後になって重要なエピソードにつながってきたりします。
作者の全存在を賭けて、人間の「再生」、あるいは生きる意味すら描いた渾身の作品なのです。
真剣だからこそ、こちらもじっくり耳を傾けたくなります。
だから、よーかいはこの作品が大好きなのです♪(゚▽^*)ノ⌒☆
※ネタバレあります!
まだ未読の方は今すぐ書店へGO!(宣伝)
この5巻発売に先立って、様々なキャンペーンも催されました。
(詳しくは『3月のライオン』公式サイトへ。)
例えば、『全国47都道府県ご当地方言ポスター』キャンペーン。
読者が好きな場面を選んで、それを各県の方言に吹き替えて応募します。
各県に付き1場面。
それを47種類。
例えば、沖縄県だとこんな具合。
もともとのセリフは、
『次は絶対に負けない
はい
勿論です
兄者!!』
です。

実は、この場面、よーかいは宮古島方言で送ったのですが、同じ場面でも本島のウチナーグチが選ばれていました。
膨大な場面から同じ場面が同じ県で選ばれただけでも、「ほぼ選ばれた」と言っても過言ではないでしょう!(過言)
これらは、JR、地下鉄、私鉄のどの駅に貼ってあるかは伏せられていて、読者によって各県のポスターを見付けて全国図鑑を作るというイベントも開催されました。
発見報告をもとに、よーかいも先日、倉敷駅1番ホームに貼られていたものとスペシャルポスターの2種類を電車に揺られて観に行きましたよ♪

上記が倉敷駅に貼られていたポスターです。
思っていた以上に大きなサイズです。
スペシャルポスターは、羽海野チカ先生による手描きです。
これはただ1枚。
そして、盗まれないように警備員までついているというもの。
場所は、山陽電鉄の尾上の松駅という、兵庫県にある小さな私鉄の駅にありました。

時間帯によっては無人駅にもなるというほどの、小さな駅です。
なぜこの駅に貼られたかというと、ちょうどポスター掲示からほどなくして、羽生名人VS渡辺竜王による、「竜王戦」の対局がこの駅の近くであったからなのです。
さすがに“手描き”だけあって、よく見ると水色の色鉛筆で描いた下描きの跡が残っていました。
ところで…、
方言って、東京は??
と疑問に感じられた方は鋭いです!
東京は企画倒れ(笑)につき、作者の羽海野チカ先生が、2巻ラストの、主人公桐山零くんが泣きながら叫んでいる場面をアテレコです。
もともとのセリフは
『解ってるけどできねーとか言うんならやめろよ!!
来んな!!
こっちは全部賭けてんだよ
他には何も持てねーくらい将棋ばっかりだよ
酒呑んで逃げてんじゃねーよ
弱いヤツには用はねーんだよ』
です。
めったに烈しい感情を表に出さない零くんが、慟哭しているシーンは、とても胸に迫る場面だったのに……(笑)。

……
……
……うあ、
このままいくと、またもや脇道に逸れたまま終わってしまうことに!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ(爆)
てなわけで、5巻です。
以前4巻発売時にこのブログで書いたように、前巻で必死な思いと裏腹に、獅子王戦というタイトル戦で敗れた島田開八段へのちょっとした救済からこの巻は始まります。
全力を尽くして、足掻いて足掻いて、それでも目指すモノには届かなかったけれど。
それでも、そんな自分を受け入れてくれる人たちがいること。
また、島田八段が将棋を通じて、過疎化の進む故郷の老人達が孤立しないような仕組みを作ることに尽力してきたことも同時に描かれています。
それは、タイトル戦の勝敗よりもずっとずっと尊いもので。
帰りに持ちきれないくらいの、たくさんお土産を持たせてくれた老人達に、ちょっぴり苦笑混じりに
「もうっ
変わんないなぁ」
と何気なく言ったことに対して、
「変わんねぇ
大丈夫だから
焦るな
開……」
と。
この一言で、焦りに溺れていた気持ちから、またゼロから始めようとリセットされた気持ちになるのです。
そこから始まる5巻です。
この5巻の大きなテーマの一つは、この島田八段のエピソードのように、
「ゼロからのリセット」
ではないかと読んでいて思いました。
将棋は、名人でも勝率は7割です。
逆に言えば、
常に負けることを運命付けられた世界なのです。
必ず負けること、どうやってもそれが逃れられないこと。
そこからどう立ち直っていくか。
意味を見付けていくか。
4巻までの零くんは、将棋に負けることには耐えられない気持ちになるのに、勝ち続けることの意味がわからなくなって袋小路に落ち込んでいました。
勝ち続けても、その先にはなにがあるのか……そういった虚無感にもとらわれていました。
けれども、この5巻では、この島田八段とのエピソードに始まり、学校での先生や先輩との関わりから少しずつ主人公の零くんの世界も広がっていきます。
近視眼的に将棋だけの世界の、単純に自分のための勝ち負けだけにこだわっていれば、そこには虚無しかありません。
けれど、世界はもっと多様で複層的であることが、零くんに開かれていきます。
また、この“多様で複層的であること”は、これまで憎むべき敵として零くんの前に現れていた後藤九段の「意外な一面」によっても示唆されます。
(なお、この巻では、それは「混沌」という言葉で表現されています。)
そして5巻終盤。
物語は急展開を迎えます。
いつも明るかった川本家の次女のひなちゃん(川本ひなた)が、いじめられた友人をかばったことで逆にいじめの対象になってしまいます。
それでも、ひなちゃんはぼろぼろ大粒の涙を流しながらも、
『後悔なんてしないっっ
しちゃダメだっ
だって
私のした事は
ぜったい
まちがってなんか
ない!!』
そう、強く言いきるのです。
この一言で、主人公の零くんは、小学校時代にずっといじめられてひとりぼっちだった気持ちを、そのときまで遡って手をさしのべられて救われたような気持ちになるのです。
『その時
泣きじゃくりながらも そう言い切った彼女を見て
僕は かみなりに撃たれたような気がした
不思議だ ひとは
こんなにも時が 過ぎた後で
全く 違う方向から
嵐のように 救われる事がある』
前述の「ゼロからのリセット」が零くんにも示された場面です。
ここに至るまで、【前編】で書いたような、林田先生のアシストをはじめ、さまざまな人との関わりが丁寧な伏線になっていました。
それでも、自分自身のことしか考えられなかった零くんが、初めて“誰かのために”考え、生きようと決心するのがこの場面です。
棋士が、“騎士”になった瞬間です。
(この場面を初めて読んだとき、10分以上鳥肌がおさまりませんでした。)
『ありがとう
君は
ぼくの
恩人だ
約束する
僕がついてる
一生かかっても
僕は
君に
恩を返すよ』

おそらく、登場人物の名前から見ても、
なにもない状態=零くん、
零くんを暗闇から引き出してくれた一筋の光明=あかりさん(川本家の長女)
零くんを暖かくつつみこむ春の日差し=ひなたちゃん(川本家の次女)
ということなのでしょう。
また、この作品でここまではっきりしていなかったヒロインは、ひなちゃんであることが判明した瞬間でもあります。
(とはいえ、そうすぐに恋愛に発展するようなことはなく、雑誌掲載の最新号では、逆に残念な方向にフラグを叩き折っていたりしているのですけど…笑)
ここまで、明るさや芯の強さといった長所は見られたけれど、幼さもたくさんみられたひなちゃん。
なにせ、連載開始時、零くん17歳、ひなちゃん14歳。
現在やっと零くん18歳、ひなちゃん15歳なので、その幼さは当然と言えば当然なのです。
けれど、もしこの作品が、零くんが名人戦に挑戦するあたりまで描かれるなら、最速でもあと4年以上の年月の経過が描かれます。
その頃には、零くん22歳以上、ひなちゃん19歳以上になっているのです。
きっと、二人とも今よりもずっとずっと立派に成長した青年になっていることでしょう。
5巻の最後、連載時にはなかった短いエピソードが挿入されます。
「てんとう虫」がなぜ「天道虫」と書くのかということについて。
零くんがひなちゃんの手に乗せたてんとう虫が、もぞもぞとゆっくりと指の先まで登っていき、パッと空に向かって飛び立ちます。
『飛んで行く
てんとう虫を見送りながら
零ちゃんが話してくれた
「天道虫」という名は
むかしの人達が
この小さな可愛い生きものが
太陽に向かって
飛ぶところを指して
つけた名前なのだと 』
このてんとう虫に仮託した意味はきっと、
“人間は暗いところで這いまわりながら、虚無に押しつぶされそうになったり、混沌とした存在だけれども、それでも人間は大きな光を目指して飛び立とうとする存在である”
という再生への希望なのだとよーかいは解釈しています。
あがいて、あがいて、それでも負けて。
それでも、自分が「在る」意味。
それはきっと、自分自身のためにではなく、多様で複層的な世界で人と関わり、誰かを大切にしていくことで、はじめて生み出される“意味”。
暗い場所から、光を目指して、暖かい春の日なたを目指して。
負けることを宿命付けられているからこそなおさら、勝ち負けを超越した大事な存在や人達が「太陽の光」のように、いっそう愛おしいのではないのでしょうか。
そんな風によーかいは解釈しました。
繰り返しになりますが、この作品はとても丁寧に丁寧に描かれた作品です。
何気ないシーンにも意味があったり、過去の小さな伏線が後になって重要なエピソードにつながってきたりします。
作者の全存在を賭けて、人間の「再生」、あるいは生きる意味すら描いた渾身の作品なのです。
真剣だからこそ、こちらもじっくり耳を傾けたくなります。
だから、よーかいはこの作品が大好きなのです♪(゚▽^*)ノ⌒☆
Posted by よーかい at 04:26│Comments(0)
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