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2010年11月25日

ヤタガラスの旅:9

もう、お忘れの方もいらっしゃるでしょうが、熊野旅の続きです。



ちなみに、前回のはこれ。(『ヤタガラスの旅:8』)

書いている本人ももう内容をおぼろげにしか思い出せないのは本当の話です(ヲイ)。


話を戻して、熊野那智大社
ここに来たことで、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つからなる“熊野三山”はコンプリートです♪


実は、この熊野那智大社は、他の2つとは少し違う由来を持つのです。

それは、熊野那智大社という神社=神殿よりも、その近くにある滝の方がずっと信仰の歴史も古く格も高いということです。


ヤタガラスの旅:9


この那智滝は、修験道の聖地としても信仰されました。
さらに、もっと前、まだ日本に神道も修験道もできるずっと古い時代の原始信仰(おそらくアニミズム的なもの)の時代から、この滝は“聖地”として信仰されていたのです!


熊野那智大社に見られる神仏習合。
そして那智滝での修験道と原始信仰。


つまり、

神も仏もその他諸々も全部包み込んで厳然とそこに存在している、チャンプルー聖地こそが熊野那智なのです!ヾ(。`Д´。)ノ


わかりやすくいうと、キリスト教とユダヤ教とイスラム教の聖地が同じエルサレムであるようなものです。
宗教対立のない、奇跡的なまでの平和的共存を果たしているのが熊野那智であると考えるとそのものなのです。


これは、熊野の生物多様性にもつながります。
よーかいがとても尊敬し大好きな博物学者・粘菌学者である南方熊楠先生については、またいずれ詳しく語りたいと思いますが少しだけここでも。

南方熊楠先生は自然保護運動における先達としても評価されています。
特に神社合祀令に反対運動を起こしたのは、それによって多くの神社の鎮守の森が失われることを危惧したことによります。
鎮守の森が失われることで、森につながる様々な生き物(それは、一見目に見えない菌類にまで及びます)が失われることをすでに明治の時代から見抜いていたのです!


南方熊楠先生は、熊野における『ナウシカ』と言っても過言ではないでしょう!ヾ(。`Д´。)ノ


ヤタガラスの旅:9


『おお…
 儂のめしいた目にもはっきりと見える…

 その者、青き衣を纏いもせず、いやむしろ一糸纏わず、熊野の森に降り立つべし…』(爆)



……南方熊楠先生は、「ナウシカ」というには奇行が多すぎますでしょうか?o( ̄ー ̄;)ゞううむ



ところで、全国には数千社ともいわれる『熊野神社』があります。
これらの由来は、もちろん熊野三山からの分社です。

日本人に多い「鈴木」姓の源流は熊野にあります。

だから、全国の「鈴木さん」は熊野神社の広がりとともに各地に広がったのです。
実際、熊野神社のない地域には鈴木姓はほとんどいないそうです。


サッカー日本代表のヤタガラス、そして鈴木姓。

ここで、ぴんと来た人もいるでしょう。



そう、



元日本代表、「DFW」と名高い鈴木隆行“師匠”です!


ヤタガラスの旅:9



まさに彼こそ、熊野とヤタガラスの申し子なのです!
むしろ、熊野の神です!!





………でしょうか?( ̄ω ̄;)




※内容がカオスなのはいつものことですが、とりあえず、『ヤタガラスの旅』編、これにて一旦閉幕です。
 おつきあい下さりありがとうございました!


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Posted by よーかい at 01:47│Comments(0)タビニッキ。
 
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