2010年11月07日
ヤタガラスの道:8
那智勝浦から向かうは、もちろん熊野那智大社なのです!ヾ(。`Д´。)ノ
車の中で眠ったので、朝日とともに自然に目覚めるかと思っていたら、結局目覚まし時計のアラームで起こされました…。
もうかなり日は高く、車内の温度は軽く脱水症状を起こすくらいに上がっていました…。
それでも起きない自分って……アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
寝付きはあまり良い方ではないのですが、一度眠ってしまうとなかなか起きません。
むしろ、どこでも眠れてしまうのは一種の特技なのかもしれません。
今度履歴書に書こうかしらん?
もしゃもしゃと朝食を食べ、車のそばの公衆トイレで洗顔とひげ剃りをしてから、出発です。
熊野那智大社は、那智勝浦から山を登った奥の方にあるのです。
写真は熊野那智大社の二の鳥居です。
もちろん、ここも世界遺産の神社です。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、その3つを合わせて『熊野三山』なのです。
見た感じ、その3つの間には格付けの上下はないような感じでした。
これは推定樹齢850年の楠の巨木です。
願い事を札に書いて、胎内めぐりができるようになっています(有料)。
楠の中はこんな感じです。
トトロが住んでいるクスノキは、きっとこんな雰囲気なのかなぁ…と思いながら木の中に入りました。
でも、これだけ騒がしいと、トトロは住むことはできないだろうな。
熊野那智大社の奥に行くと、青岸渡寺(西国一番札所)につながっています。
奥に見えるのが那智滝です。
実は、熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されましたが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興したのだそうです。
そういえば、熊野信仰は阿弥陀如来信仰ともつながっていました。
そんな名残がここ熊野那智大社ではまだ見てとることができます。
でも、まだこんなのは序の口なのです!
神道と仏教のチャンプルーだけが熊野三山ではないということを、熊野那智大社には如実に示してくれるものがあるのです。
南方熊楠御大は、科学を語るとき、壮大な“南方曼陀羅”といわれる森羅万象のつながりを想定していました。
「南方曼陀羅」を提唱した時期の南方熊楠は、まさに熊野那智大社に通ずる、和歌山県那智村(現那智勝浦町)市野々(いちのの)の大阪屋に籠って読書と植物採集、論文執筆に没頭していました。
その那智山中から、熊楠はたびたび「小生の曼陀羅」と称する、科学と大乗仏教を接合する世界認識の方法を書簡において論じていたのです。
すべての物事は、曼陀羅のようにつながっている。
このことは、生物多様性を言い表す言葉にも聞こえますし、あるいはヤオヨロズの神々が息づく熊野の様子を表しているともいえるように思います。
そう、抽象的な言葉になりますが、
熊野那智大社がもつ広がりは、神道や仏教の枠や時間軸を軽々と超えてしまうスケールのものだったのです…!
※続きます!
車の中で眠ったので、朝日とともに自然に目覚めるかと思っていたら、結局目覚まし時計のアラームで起こされました…。
もうかなり日は高く、車内の温度は軽く脱水症状を起こすくらいに上がっていました…。
それでも起きない自分って……アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
寝付きはあまり良い方ではないのですが、一度眠ってしまうとなかなか起きません。
むしろ、どこでも眠れてしまうのは一種の特技なのかもしれません。
今度履歴書に書こうかしらん?
もしゃもしゃと朝食を食べ、車のそばの公衆トイレで洗顔とひげ剃りをしてから、出発です。
熊野那智大社は、那智勝浦から山を登った奥の方にあるのです。
写真は熊野那智大社の二の鳥居です。
もちろん、ここも世界遺産の神社です。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、その3つを合わせて『熊野三山』なのです。
見た感じ、その3つの間には格付けの上下はないような感じでした。
これは推定樹齢850年の楠の巨木です。
願い事を札に書いて、胎内めぐりができるようになっています(有料)。
楠の中はこんな感じです。
トトロが住んでいるクスノキは、きっとこんな雰囲気なのかなぁ…と思いながら木の中に入りました。
でも、これだけ騒がしいと、トトロは住むことはできないだろうな。
熊野那智大社の奥に行くと、青岸渡寺(西国一番札所)につながっています。
奥に見えるのが那智滝です。
実は、熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されましたが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興したのだそうです。
そういえば、熊野信仰は阿弥陀如来信仰ともつながっていました。
そんな名残がここ熊野那智大社ではまだ見てとることができます。
でも、まだこんなのは序の口なのです!
神道と仏教のチャンプルーだけが熊野三山ではないということを、熊野那智大社には如実に示してくれるものがあるのです。
南方熊楠御大は、科学を語るとき、壮大な“南方曼陀羅”といわれる森羅万象のつながりを想定していました。
「南方曼陀羅」を提唱した時期の南方熊楠は、まさに熊野那智大社に通ずる、和歌山県那智村(現那智勝浦町)市野々(いちのの)の大阪屋に籠って読書と植物採集、論文執筆に没頭していました。
その那智山中から、熊楠はたびたび「小生の曼陀羅」と称する、科学と大乗仏教を接合する世界認識の方法を書簡において論じていたのです。
すべての物事は、曼陀羅のようにつながっている。
このことは、生物多様性を言い表す言葉にも聞こえますし、あるいはヤオヨロズの神々が息づく熊野の様子を表しているともいえるように思います。
そう、抽象的な言葉になりますが、
熊野那智大社がもつ広がりは、神道や仏教の枠や時間軸を軽々と超えてしまうスケールのものだったのです…!
※続きます!
Posted by よーかい at 02:52│Comments(0)
│タビニッキ。