2010年07月21日
平成22年度実施 横浜市教員採用一次試験。
気を取り直して、もう一回書くです!o( ̄へ ̄;)むん
このブログはライブペインティングみたいなもの。
書いている本人にさえ、どう転がっていくのか書いている段階でもわかっていないのです。
そういうわけで、前回消えてしまった文章は思い出せませぬ…(「不確定要素」と「思い出せない」ではえらい違いです!)。
少なくとも、あれだけ書いたものが消えるのはダメージが大きいです。
きっと、それを狙ったCIAの陰謀に違いないのです!ヾ(。`Д´。)ノ
ちなみに、携帯電話のメールが文字化けしたり、コンビニでお釣りの小銭が足りなかったり、オクラホマミキサーで手をつなぎたいコとの順番の直前で反対向きに踊りの方向が変わってしまったり、果ては同性同士で踊るハメになったりするような「超常現象」が起きたら、それは全部CIAの仕業なのです!
すごいよ!CIA!!
ともかく、名古屋で大阪の集団面接を受けた後、横浜に向かいました。
通常はユースホステルを使用するのですが、今回は事前にホテルを予約。
なぜならば!
その日はワールドカップの3位決定戦がっ!!!(爆)
ユースホステルではテレビが見られないので、深夜に起きてテレビを観るためだけにホテルの予約を取りましたです。
……なのに、地上波もNHKBSも3位決定戦の放送はなし。。。orz
いまだに再放送すらしておりませぬ。
4位のチームなのに大会MVPをとった、フォルランのプレーをもっと観たかったのに…。
そして、可能性を一番感じさせてくれた若きドイツ代表のサッカーももっと観たかったです(TwT。)
仕方ないので、麦酒を飲んで早く寝ることにしました。
けれども、目覚ましとは関係なくぴったり早朝3時半、試合開始時刻に目が覚めました。
……もう、なんだか体質そのものが残念なサッカー脳になっちゃっているようです( ̄ω ̄;)
そこにサッカーがある限り、深夜だろうと早朝だろうと観るのはもはや国民の三大義務並みに重要なことに(よーかい的に)なっているのです。
勤労、納税、教育を受けること、そしてサッカーを観ることなのです!ヾ(。`Д´。)ノ(同列?!)
いけません、こうやってダラダラと本旨とは関係ないことを書いているから、時間がかかった末に書き終える直前にインターネットエクスプローラーが強制シャットダウンをしたりするのです。
なので、会場の横浜市立大学に入ったところから話を続けます。
いつもは、関東圏の試験は沖縄を受ける2週間前の調整でした。
とりあえず試験の雰囲気に慣れ、そして問題からその年の傾向をなんとなくつかむというものです。
それに、筆記試験ならまず大丈夫…という妙な自信もありました。
でも、今年はあえて違う道を選んでみました。
一般受験で教職教養、一般教養、専門教養、小論文を受けていたら、まず横浜くらいの内容なら1次は落ちないでしょう。
けれども、それでは二次で他の受験者と差異化を図れません。
そこで、今年は『特別選考Ⅱ 教職経験者、社会人・青年海外協力隊特別選考』なるもので受験したのです。
この場合、通常の筆記試験(教職教養、一般教養、専門教養)は一切ありません。
その代わり、学習指導案作成と小論文×2(1200字と800字)という構成になっています。
◎指導案問題:
最近の教育界では、「社会や公共のために何をなし得るかを大切に考えることのできる心」を育てることが重視されています。
このテーマで「主題」(単元)を設定し、本時学習指導案を作成しなさい。(60分)
学習指導案の作成、正直に申し上げて(なぜ丁寧語?)苦手なのです。
つか、これを「教職経験者」と「社会人」が同列に受験しろというのは、いったいどんな罰ゲームですか?(TwT。)
よーかいは道徳で書きました。
あとで気付いたら、「評価」を入れるのを忘れていました……ダメじゃん。。orz
気を取り直して次の試験へ。
この試験と試験の合間には、40分も休憩時間があります。
無駄に長いです。
何のために40分も間をとっているのか、意味くじわかりません( ̄ω ̄;)
だったら早くやっちゃって、終わらせてくれよ~と思いますよね?
◎論文A問題
児童生徒のコミュニケーション能力を高めるために、あなたが取り組みたい教育活動はどのようなものですか。
その活動内容を具体的に説明し、また、期待する効果についても述べなさい。(1,200字以内。60分。)
もう、何を書いたのかよく覚えていません。。
ただ、コミュニケーション能力は「知識基盤社会」の中で他者に説明したり、よりよい解決策を導くために必要である。
だとか、
言語能力を育むことがいわゆる「キレる子ども」を防止するだとか。
また、コミュニケーションの基本は挨拶だから、それを徹底させるだとか。
現在の仕事での経験を生かして、特別活動の時間にSST(ソーシャルスキルトレーニング)を取り入れるだとか。
そんなことを書いた気がします。
また、1200字はけっこうクセモノで、起承転結の割合が難しいですね。
始めにダラダラ書いていたら序論と結論に一貫性がなくなってしまい、大慌てで序論を消して、同じ字数で別の内容を説明できるように書き直しました…o( ̄ー ̄;)ゞううむ
そしてまた40分の休憩が入り。
いよいよラスト。
◎論文試験B問題:
社会、学校、学級のルールを大切にする心を育てることは子どもたちの健全育成のために大切なことです。
まず子どもとルールの関係について日頃から思っている問題意識を整理し、次に学級担任としてどのような指導をしたいか、具体的にまとめなさい。(800字以内。45分。)
横浜市の一般受験においては800字の論文は、一次の時に行って、他の問題が合格基準に達した者だけ「二次試験」として採点されるというものでした。
だから、この特別選考Ⅱでも、この問題は二次試験の配点に回される可能性が高いです。
この問題の肝は二点。
1)書き手の問題意識
2)どのような指導をするか
その二つを具体的に書くことができるかどうかにかかっていると言えるでしょう。
よーかいはこの問題だけはかなりいい感じで書くことができました。
でも、書いた内容をほとんど今となっては思い出せませぬ。。。orz
それにしても、この日に試験で問われた内容は、横浜市の“今の”教育課題として緊要なものなのでしょう。
となると、横浜市の子ども達の実像も透けて見えてきます。
つまり、
1.公共心がない
2.コミュニケーション能力不足
3.ルールを守らない
ということですね。
……
……
……それって、学級崩壊しちゃっていませんか?(ノ゜⊿゜;;;;;;;)ノ
そもそも、
『行儀良くまじめなんてできやしなかった。
夜の校舎窓ガラス壊して回った』
という歌にかつて深い深いシンパシーを抱いていたに違いない世代の親たちの子どもなのです。
『シェリー、俺はうまく笑えているか、俺はまだバカと呼ばれているか』
というように、確認しないと分からないコミュニケーション不全症候群と自意識過剰を抱えた世代です。
そういった諸々を認めてくれよ!
きっと親たちが小学校高学年から高校生の頃はそう思っていたに違いありません。
だから、子どもたちは親の願望を見事に表しているわけで……。
横浜市は子ども以上に親への対応に苦慮しそうだな…そんなことを考えさせられた一次試験でした☆ヽ(゜▽、゜)ノアハ
このブログはライブペインティングみたいなもの。
書いている本人にさえ、どう転がっていくのか書いている段階でもわかっていないのです。
そういうわけで、前回消えてしまった文章は思い出せませぬ…(「不確定要素」と「思い出せない」ではえらい違いです!)。
少なくとも、あれだけ書いたものが消えるのはダメージが大きいです。
きっと、それを狙ったCIAの陰謀に違いないのです!ヾ(。`Д´。)ノ
ちなみに、携帯電話のメールが文字化けしたり、コンビニでお釣りの小銭が足りなかったり、オクラホマミキサーで手をつなぎたいコとの順番の直前で反対向きに踊りの方向が変わってしまったり、果ては同性同士で踊るハメになったりするような「超常現象」が起きたら、それは全部CIAの仕業なのです!
すごいよ!CIA!!
ともかく、名古屋で大阪の集団面接を受けた後、横浜に向かいました。
通常はユースホステルを使用するのですが、今回は事前にホテルを予約。
なぜならば!
その日はワールドカップの3位決定戦がっ!!!(爆)
ユースホステルではテレビが見られないので、深夜に起きてテレビを観るためだけにホテルの予約を取りましたです。
……なのに、地上波もNHKBSも3位決定戦の放送はなし。。。orz
いまだに再放送すらしておりませぬ。
4位のチームなのに大会MVPをとった、フォルランのプレーをもっと観たかったのに…。
そして、可能性を一番感じさせてくれた若きドイツ代表のサッカーももっと観たかったです(TwT。)
仕方ないので、麦酒を飲んで早く寝ることにしました。
けれども、目覚ましとは関係なくぴったり早朝3時半、試合開始時刻に目が覚めました。
……もう、なんだか体質そのものが残念なサッカー脳になっちゃっているようです( ̄ω ̄;)
そこにサッカーがある限り、深夜だろうと早朝だろうと観るのはもはや国民の三大義務並みに重要なことに(よーかい的に)なっているのです。
勤労、納税、教育を受けること、そしてサッカーを観ることなのです!ヾ(。`Д´。)ノ(同列?!)
いけません、こうやってダラダラと本旨とは関係ないことを書いているから、時間がかかった末に書き終える直前にインターネットエクスプローラーが強制シャットダウンをしたりするのです。
なので、会場の横浜市立大学に入ったところから話を続けます。
いつもは、関東圏の試験は沖縄を受ける2週間前の調整でした。
とりあえず試験の雰囲気に慣れ、そして問題からその年の傾向をなんとなくつかむというものです。
それに、筆記試験ならまず大丈夫…という妙な自信もありました。
でも、今年はあえて違う道を選んでみました。
一般受験で教職教養、一般教養、専門教養、小論文を受けていたら、まず横浜くらいの内容なら1次は落ちないでしょう。
けれども、それでは二次で他の受験者と差異化を図れません。
そこで、今年は『特別選考Ⅱ 教職経験者、社会人・青年海外協力隊特別選考』なるもので受験したのです。
この場合、通常の筆記試験(教職教養、一般教養、専門教養)は一切ありません。
その代わり、学習指導案作成と小論文×2(1200字と800字)という構成になっています。
◎指導案問題:
最近の教育界では、「社会や公共のために何をなし得るかを大切に考えることのできる心」を育てることが重視されています。
このテーマで「主題」(単元)を設定し、本時学習指導案を作成しなさい。(60分)
学習指導案の作成、正直に申し上げて(なぜ丁寧語?)苦手なのです。
つか、これを「教職経験者」と「社会人」が同列に受験しろというのは、いったいどんな罰ゲームですか?(TwT。)
よーかいは道徳で書きました。
あとで気付いたら、「評価」を入れるのを忘れていました……ダメじゃん。。orz
気を取り直して次の試験へ。
この試験と試験の合間には、40分も休憩時間があります。
無駄に長いです。
何のために40分も間をとっているのか、意味くじわかりません( ̄ω ̄;)
だったら早くやっちゃって、終わらせてくれよ~と思いますよね?
◎論文A問題
児童生徒のコミュニケーション能力を高めるために、あなたが取り組みたい教育活動はどのようなものですか。
その活動内容を具体的に説明し、また、期待する効果についても述べなさい。(1,200字以内。60分。)
もう、何を書いたのかよく覚えていません。。
ただ、コミュニケーション能力は「知識基盤社会」の中で他者に説明したり、よりよい解決策を導くために必要である。
だとか、
言語能力を育むことがいわゆる「キレる子ども」を防止するだとか。
また、コミュニケーションの基本は挨拶だから、それを徹底させるだとか。
現在の仕事での経験を生かして、特別活動の時間にSST(ソーシャルスキルトレーニング)を取り入れるだとか。
そんなことを書いた気がします。
また、1200字はけっこうクセモノで、起承転結の割合が難しいですね。
始めにダラダラ書いていたら序論と結論に一貫性がなくなってしまい、大慌てで序論を消して、同じ字数で別の内容を説明できるように書き直しました…o( ̄ー ̄;)ゞううむ
そしてまた40分の休憩が入り。
いよいよラスト。
◎論文試験B問題:
社会、学校、学級のルールを大切にする心を育てることは子どもたちの健全育成のために大切なことです。
まず子どもとルールの関係について日頃から思っている問題意識を整理し、次に学級担任としてどのような指導をしたいか、具体的にまとめなさい。(800字以内。45分。)
横浜市の一般受験においては800字の論文は、一次の時に行って、他の問題が合格基準に達した者だけ「二次試験」として採点されるというものでした。
だから、この特別選考Ⅱでも、この問題は二次試験の配点に回される可能性が高いです。
この問題の肝は二点。
1)書き手の問題意識
2)どのような指導をするか
その二つを具体的に書くことができるかどうかにかかっていると言えるでしょう。
よーかいはこの問題だけはかなりいい感じで書くことができました。
でも、書いた内容をほとんど今となっては思い出せませぬ。。。orz
それにしても、この日に試験で問われた内容は、横浜市の“今の”教育課題として緊要なものなのでしょう。
となると、横浜市の子ども達の実像も透けて見えてきます。
つまり、
1.公共心がない
2.コミュニケーション能力不足
3.ルールを守らない
ということですね。
……
……
……それって、学級崩壊しちゃっていませんか?(ノ゜⊿゜;;;;;;;)ノ
そもそも、
『行儀良くまじめなんてできやしなかった。
夜の校舎窓ガラス壊して回った』
という歌にかつて深い深いシンパシーを抱いていたに違いない世代の親たちの子どもなのです。
『シェリー、俺はうまく笑えているか、俺はまだバカと呼ばれているか』
というように、確認しないと分からないコミュニケーション不全症候群と自意識過剰を抱えた世代です。
そういった諸々を認めてくれよ!
きっと親たちが小学校高学年から高校生の頃はそう思っていたに違いありません。
だから、子どもたちは親の願望を見事に表しているわけで……。
横浜市は子ども以上に親への対応に苦慮しそうだな…そんなことを考えさせられた一次試験でした☆ヽ(゜▽、゜)ノアハ
Posted by よーかい at 03:05│Comments(4)
│沖縄以外の教員採用試験。
この記事へのコメント
学級崩壊=家庭崩壊、とちゃうかいねぇ
1.公共心がない
2.コミュニケーション能力不足
3.ルールを守らない
これ全部、家の中での問題になっとる時代でしょが
…それが、さっきファミレスで何組の親子ブッ飛ばしたろか状態で考えたこと
夏休みなんてこの世から無くせ~。これから1ヶ月、街中ウザイぞぉ…
1.公共心がない
2.コミュニケーション能力不足
3.ルールを守らない
これ全部、家の中での問題になっとる時代でしょが
…それが、さっきファミレスで何組の親子ブッ飛ばしたろか状態で考えたこと
夏休みなんてこの世から無くせ~。これから1ヶ月、街中ウザイぞぉ…
Posted by マテ姉さん at 2010年07月21日 21:23
>マテ姉さん
こんばんは。
コメントどうもありがとうです。
>学級崩壊=家庭崩壊、とちゃうかいねぇ
ですね~。
>1.公共心がない
>2.コミュニケーション能力不足
>3.ルールを守らない
>これ全部、家の中での問題になっとる時代でしょが
社会学者の話では、核家族化や少子化、新興住宅地の興隆などによって、地域や子どもたち同士の関わりが薄れ、子どもが公共心やコミュニケーションスキルや社会(世間)のルールを学ぶ機会が失われてしまったそうです。
特に、それが顕著になったのが80年代以降。
コンピューターゲームが遊びの中心になり、駄菓子屋の代わりにコンビニがたまり場になり、しかもバブル経済を経験したことで、学歴&お金至上主義が蔓延してくるのですね。
だいたい、今の親は、そんな80年代に子ども時代を過ごしたあたりの世代が中心かなぁ、と。
そうすると、親の問題は子どもにそのまま再生産されるわけで。
早くから以上の核家族化、新興住宅の興隆、地域の崩壊などを経験していた横浜市だけに、他の地域以上にその根は深いのかもしれません…(; ̄∀ ̄A
>夏休みなんてこの世から無くせ~。これから1ヶ月、街中ウザイぞぉ…
大人はみんな一度は思うことですよね(笑)。
でもまあ、子どもたちにとっては大切な大切な時間ですから、ある程度は大目にみてあげましょうよ。
そして、他人の子でも、ルール違反やマナー違反にはビシッと叱っちゃっていいと思います。
そして慌てふためいてでてきた親とバトる夏☆(笑)
こんばんは。
コメントどうもありがとうです。
>学級崩壊=家庭崩壊、とちゃうかいねぇ
ですね~。
>1.公共心がない
>2.コミュニケーション能力不足
>3.ルールを守らない
>これ全部、家の中での問題になっとる時代でしょが
社会学者の話では、核家族化や少子化、新興住宅地の興隆などによって、地域や子どもたち同士の関わりが薄れ、子どもが公共心やコミュニケーションスキルや社会(世間)のルールを学ぶ機会が失われてしまったそうです。
特に、それが顕著になったのが80年代以降。
コンピューターゲームが遊びの中心になり、駄菓子屋の代わりにコンビニがたまり場になり、しかもバブル経済を経験したことで、学歴&お金至上主義が蔓延してくるのですね。
だいたい、今の親は、そんな80年代に子ども時代を過ごしたあたりの世代が中心かなぁ、と。
そうすると、親の問題は子どもにそのまま再生産されるわけで。
早くから以上の核家族化、新興住宅の興隆、地域の崩壊などを経験していた横浜市だけに、他の地域以上にその根は深いのかもしれません…(; ̄∀ ̄A
>夏休みなんてこの世から無くせ~。これから1ヶ月、街中ウザイぞぉ…
大人はみんな一度は思うことですよね(笑)。
でもまあ、子どもたちにとっては大切な大切な時間ですから、ある程度は大目にみてあげましょうよ。
そして、他人の子でも、ルール違反やマナー違反にはビシッと叱っちゃっていいと思います。
そして慌てふためいてでてきた親とバトる夏☆(笑)
Posted by よーかい at 2010年07月23日 02:03
こんばんは、よーかいさん!
自分の子供の頃を思い出せばちょっと意見が違います。
昔の子供の方が今の子供より余程やんちゃだったと思います。
多分大人の忍耐力が昔よりなくなったんでしょう。
例えば遊び一つでも、
私らの時代ならロウ石遊び。
ロウ石やチョークで近所の路地の道には子供らがみな思い思いの絵を書きまくりでした。
近所の家のカベにも落書きしたような。
今だったら怒る人一杯でしょうか。
他に道で遊ぶ。
男の子はゴムボールを使って野球や私の地元でいうロックンという円から円へ2人の守備役がボールを投げ合ってる間に走って移動する遊び。
走ってる逃げ役に守備役がボールを当てて、全滅したら交替。
女の子はゴム飛びや縄跳び、ケンパして遊んでましたよ、道で。
細い路地ですが車も来る場所でした。
よその家の屋根を使ってボール遊びや屋根に昇る、
近所の家の花を摘んで遊ぶ、
そして路地で花火、しかもロケット花火もお構いなし、
風呂屋に自作のプラモを持っていって、
当時流行の原子力潜水艦スティングレーやサンダーバード4号のプラモですけど、これを湯船でモーター動力使っての走らせるとか、
潜水艦ですから当然水中であります。
そんな子供時代でしたけど、昔はどこの家にも子供がいて、
そして自分の子供も含めてみんなで遊んでるわけで、
多少のやんちゃも温かい目で見守ってくれてたそんな印象でした。
高度成長期&多産の時代ですから大人はみな昼間忙しく、子供をほったらかしに。
だからやんちゃしようとみんなで遊ぶのが安全だと、
それに子供は元気な方が良いと、
だから近所の大人みんなで仕事しながらそっと見守る保育園状態の生活道路。
そういう意味で昔の大人は忍耐強かっただけだと思うのです。
今だと何かすればすぐ危ないとか、迷惑とか、よその子に敵意を持つ大人も多いし大袈裟。
時代が変わったんでしょう。
自分の子供の頃を思い出せばちょっと意見が違います。
昔の子供の方が今の子供より余程やんちゃだったと思います。
多分大人の忍耐力が昔よりなくなったんでしょう。
例えば遊び一つでも、
私らの時代ならロウ石遊び。
ロウ石やチョークで近所の路地の道には子供らがみな思い思いの絵を書きまくりでした。
近所の家のカベにも落書きしたような。
今だったら怒る人一杯でしょうか。
他に道で遊ぶ。
男の子はゴムボールを使って野球や私の地元でいうロックンという円から円へ2人の守備役がボールを投げ合ってる間に走って移動する遊び。
走ってる逃げ役に守備役がボールを当てて、全滅したら交替。
女の子はゴム飛びや縄跳び、ケンパして遊んでましたよ、道で。
細い路地ですが車も来る場所でした。
よその家の屋根を使ってボール遊びや屋根に昇る、
近所の家の花を摘んで遊ぶ、
そして路地で花火、しかもロケット花火もお構いなし、
風呂屋に自作のプラモを持っていって、
当時流行の原子力潜水艦スティングレーやサンダーバード4号のプラモですけど、これを湯船でモーター動力使っての走らせるとか、
潜水艦ですから当然水中であります。
そんな子供時代でしたけど、昔はどこの家にも子供がいて、
そして自分の子供も含めてみんなで遊んでるわけで、
多少のやんちゃも温かい目で見守ってくれてたそんな印象でした。
高度成長期&多産の時代ですから大人はみな昼間忙しく、子供をほったらかしに。
だからやんちゃしようとみんなで遊ぶのが安全だと、
それに子供は元気な方が良いと、
だから近所の大人みんなで仕事しながらそっと見守る保育園状態の生活道路。
そういう意味で昔の大人は忍耐強かっただけだと思うのです。
今だと何かすればすぐ危ないとか、迷惑とか、よその子に敵意を持つ大人も多いし大袈裟。
時代が変わったんでしょう。
Posted by weed at 2010年07月24日 00:07
>weedさん
こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。
>昔の子供の方が今の子供より余程やんちゃだったと思います。
うん、たしかにそうだと思います。
だけど、「やんちゃ」ということが、上記の「公共心がない、コミュニケーション能力不足、ルールを守らない」ということにつながるとは限らないとも思うのですよ。
今の子どもたちは、特に都市部ほど、一見従順でおとなしいですが、自己中心性を脱することができなかったり、人とコミュニケーションがうまくとれなくて苦しんでいたりするのですね。
>今だと何かすればすぐ危ないとか、迷惑とか、よその子に敵意を持つ大人も多いし大袈裟。
ですね。
この背景には、やはり都市化(郊外化)と少子化も大きく関与していると思います。
なぜなら、「弧育て」と言われるくらい、そもそも隣近所の人の顔も知らないから、周りの大人が他人の子どもに関心を持ちません。
コミュニティ内でゆるーく見守っている状況が存在しないのですね。
また、少子化によって、親が子どもに対して手間暇をかけすぎるようになりました。
いわば、「盆栽化」とでもいうのでしょうか?
また、隣近所の子どもたちと遊びませんし、人数が少ないし遊び場もないので、野球やサッカーや缶蹴りなどなど、屋外での遊びを今の子は(地域にもよりますが)ほとんどしません。
基本的には、集団で集まっても、お互い無言でゲームをしているような状況が実際に存在しています。
>昔の大人は忍耐強かっただけだと思うのです。
これには、半分はその通りでしょうが、半分は異論もあります。
昔は、「子どもは騒いであたりまえ」という感覚がありましたし、子どもの数も多かったので、大人も子ども扱いが上手かったように思うのです。
また、上述したように、(顔見知りなため)コミュニティでゆるーく見守る状況があったり、一人の子どもに親がそこまで手間暇かける時間も金銭的余裕もなかった…と見る方が説明がつきやすいと思います。
このあたりは、例えば社会学者の宮台真司さんなんかの著作に詳しいです☆
にしても、たまに大学の恩師に呼ばれて、ゼミの学生たちの前で話したりしても、年々彼らの考えていることがわからなくなってきます。
これは、長年教育社会学を教えている恩師も同意見でした。
で、上記の「親の問題」になるのですが、そもそも今の子ども達(あるいは青年達)くらいまでの、親の時代あたりからもういろんなことが崩壊しちゃっていたわけなのですね。
そして、各家庭が孤立しちゃっているので、お手本になるロールモデルがいないので、みんなどうしたらいいのかわからず、内へ内へとこもっていくわけなのです。
そういう中での、「ルール」「コミュニケーション力」「規範意識」というのは、一般的に言われるような回帰主義的な幻想が通用する世界ではなく、もうガレキの中から、ひとつひとつ積み上げていく作業でしかないのかなぁ…と個人的には思っています。
こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。
>昔の子供の方が今の子供より余程やんちゃだったと思います。
うん、たしかにそうだと思います。
だけど、「やんちゃ」ということが、上記の「公共心がない、コミュニケーション能力不足、ルールを守らない」ということにつながるとは限らないとも思うのですよ。
今の子どもたちは、特に都市部ほど、一見従順でおとなしいですが、自己中心性を脱することができなかったり、人とコミュニケーションがうまくとれなくて苦しんでいたりするのですね。
>今だと何かすればすぐ危ないとか、迷惑とか、よその子に敵意を持つ大人も多いし大袈裟。
ですね。
この背景には、やはり都市化(郊外化)と少子化も大きく関与していると思います。
なぜなら、「弧育て」と言われるくらい、そもそも隣近所の人の顔も知らないから、周りの大人が他人の子どもに関心を持ちません。
コミュニティ内でゆるーく見守っている状況が存在しないのですね。
また、少子化によって、親が子どもに対して手間暇をかけすぎるようになりました。
いわば、「盆栽化」とでもいうのでしょうか?
また、隣近所の子どもたちと遊びませんし、人数が少ないし遊び場もないので、野球やサッカーや缶蹴りなどなど、屋外での遊びを今の子は(地域にもよりますが)ほとんどしません。
基本的には、集団で集まっても、お互い無言でゲームをしているような状況が実際に存在しています。
>昔の大人は忍耐強かっただけだと思うのです。
これには、半分はその通りでしょうが、半分は異論もあります。
昔は、「子どもは騒いであたりまえ」という感覚がありましたし、子どもの数も多かったので、大人も子ども扱いが上手かったように思うのです。
また、上述したように、(顔見知りなため)コミュニティでゆるーく見守る状況があったり、一人の子どもに親がそこまで手間暇かける時間も金銭的余裕もなかった…と見る方が説明がつきやすいと思います。
このあたりは、例えば社会学者の宮台真司さんなんかの著作に詳しいです☆
にしても、たまに大学の恩師に呼ばれて、ゼミの学生たちの前で話したりしても、年々彼らの考えていることがわからなくなってきます。
これは、長年教育社会学を教えている恩師も同意見でした。
で、上記の「親の問題」になるのですが、そもそも今の子ども達(あるいは青年達)くらいまでの、親の時代あたりからもういろんなことが崩壊しちゃっていたわけなのですね。
そして、各家庭が孤立しちゃっているので、お手本になるロールモデルがいないので、みんなどうしたらいいのかわからず、内へ内へとこもっていくわけなのです。
そういう中での、「ルール」「コミュニケーション力」「規範意識」というのは、一般的に言われるような回帰主義的な幻想が通用する世界ではなく、もうガレキの中から、ひとつひとつ積み上げていく作業でしかないのかなぁ…と個人的には思っています。
Posted by よーかい at 2010年07月24日 03:12