なんとなく、重苦しい気分を抱えて、四代地区を後にしました。
引き返す道で、そういえば行きに見た、この僻地に不釣り合いな新しくて巨大な施設はなんだったのだろう?と思い、長島地区の「蒲井」のバス停のあるあたりで車を停めました。
日は沈んで、薄暗くなってきています。
その中で、民家ですらぽつぽつと灯りを点在させているだけなのに、ひときわ明るく、まるで異世界からきた巨大物体のように、小高い丘に座している巨大な建物。
それは、
高齢者福祉センターでした。
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……ふむ?
違和感を感じながらも、車を降りて少し周囲を歩いていると、中国電力のプレハブ施設がありました。
現場の平面図や、敷地造成工事の図が掲げられていました。
ここを拠点に、上関原発予定地に中国電力の車輌や人員が出発していることがわかりました。
プレハブはそれなりの規模があり、おそらく寝泊まりしている人もそれなりの数になるのだろうと思います。
もっとも、福島第一原発の東京電力の作業員のほとんどが下請け企業のシロウト社員で、
あの過酷な条件にもかかわらず月給は18万円台から23万円台という、まるで使い捨てのような賃金で働かされていることを考慮すると、このプレハブで寝泊まりしている中国電力関係の社員も、同じように
臨時で雇われた人たちである可能性が高いと思います。
あまり中国電力のプレハブ敷地内に無断で立ち入っているわけにもいかないので、海の方の集落へ向かいました。
木造の建築が、肩を寄せ合うように建っています。
路地はとても細く、
木造家屋はあちこちに修繕したツギハギがあります。
おそらく、戦後からそのまま、もしかしたら戦前に建てられた家のそのままなのかもしれません。
どの家もとても古いのです。
その中で、唯一新しい建物がありました。
近づいてよく見てみると、看板が掛かっていました。
看板には、
『蒲井老人憩乃家』
とありました。
その建家の下部には、
『
平成20年度 電源立地地域対策交付金事業』
の文字がありました。
なるほど、と納得です。
先ほどの高齢者福祉センターも、この蒲井老人憩乃家も、どちらも
原発の交付金によって建てられたものだったのです。
よく勘違いされていることなのですが、「原発の誘致=お金が入る」という構造そのものは間違ってはいませんが、
実は地元住人に直接入るお金は一円もありません。
なぜなら、原発の交付金(正式には「
電源立地地域対策交付金」)は、公共事業、インフラ整備、福祉事業などの
使途限定のお金なのです。
このへん、沖縄の基地交付金と一緒です。
この電源立地地域対策交付金について、例えば同じく中国地方で原発のある島根県での使途について明細が記してあったブログがありましたので、参考までに貼り付けておきます。
http://naotsugu.exblog.jp/14547567/
ところで、ここまで見てきて、上関町の人達の多くが原発を受け入れたこと、それにも関わらず、全国からのいわゆる「反原発派」と矢面切って対立の場にでてくることがないことが、なんとなく想像できるような気がしたのです。
誤解を恐れずに言えば、地元民の願いは原発を建てることにあるのではなく、
「ちゃんと地元で死ぬことができること」
にあるのかな、と思ったのです。
例えば、以下のデータ。
これは、左の図が『
上関町と全国の年齢別人口分布(2005年)』、右側の図が『
上関町の年齢・男女別人口分布(2005年) 』になります。
まず右側の図では、青色が男性、赤色が女性になります。
若年層や一般的な労働力である壮年男性が少なく、老年女性が多いことがわかります。
注目したいのは左側の図。
これは、
緑色が日本全国の年齢別人口分布、紫色が上関町の人口分布になります。
一目瞭然で、
上関町は60代以上の老人がほとんどを占めていることがわかるでしょう。
さらに、
ウィキペディアによると、上関町の面積は34.81km²、人口は3,286人(推計人口、2011年3月1日)になります。
この面積は、横浜市で言えば青葉区の面積(35.06km²)とほぼ同じですが、青葉区の人口は304,550人と、約100倍近い人口がいます。
(平成23年4月1日現在推計
横浜市人口ニュースより)
やや余談になりますが、上関町は原発推進派が多数派といっても、反対派も4割くらいいます。
推進派が多く見積もっても6割として、全有権者合わせても、せいぜい1,800人くらいの「民意」でもあるのです。
なお、横浜市で一番小さい西区の面積はたったの6.98km²ですが、人口は94,916人。
上関町の7分の1以下の面積で、人口は30倍です。
これらのデータを見ても、上関町がいかに老人ばかりで過疎化が極端に進んだ
限界集落であるかということが見えてくるでしょう。
限界集落とは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指します。
また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かうといいます。
漁業や農業といった第一次産業もなく、老々介護が常態、しかも古い家もツギハギ式に直すしかないくらい生活は困窮していて、医療も日用品を買うのもない状態がそこにはあります。
原発の誘致をめぐって揉めたことで小さな集落の人間関係が分断され、過疎化に一層の拍車をかけたこと(日本で5番目の早さで過疎化が急激に進行したそうです)がさらに暮らしにくさに拍車をかけました。
上関町では、病気になったら救急車で運ばれる間に死んでしまうという話も聞きました。
また、生鮮食品の入手にも困ることが多いと聞きます。
周囲100mの範囲が「世界」のひとたち。
彼らが、自分たちがささやかな老後を過ごすために、こういった福祉施設を建てたり、町民の生活支援事業(中学生以下の医療費全額助成や老人の通院用バス運賃の補助、町独自の地域振興券の交付など)に交付金を充てたりすることそれ自体は、責められるようなことではないように思います。
むしろ、彼らが行政や福祉の届かない場所にあり、いわば「
棄民」されていることにこそ、問題があるのではないかと思うのです。
交付金がなければ暮らせない状況は、憲法で保障されているはずの「最低限度の生活」を下回っているといえるでしょう。
ただし、交付金によって最低限度の生活が送れるようになったからといって、原発が賛美されるものではないとも思います。
なぜなら、行政や福祉が
本来行うべきことが行われていないことが問題だからです。
原発は、そこに付け込んだだけであって、そういった困窮状況がなければ、原発が上関町に必要だったかと問われると疑問に思います。
この構造は、ちょっと沖縄の基地問題にも似ていますね。
そうしてみてみると、これは本当に論ずべきことは、上関町の原発の是非ではなく、
人権や福祉の問題になってくるように考えます。
原発を必要とせざるを得ない
構造があること。
その構造をどうにかしないことには、いくら「原発反対!」を叫んだところで、意味のないことであるばかりか、原発誘致地域の人達の苦しみには誰も想像力が及ばないことになります。
また、そうやって想像力を欠如している間に、同じような「構造」が生じる場所には、いくらでも原発が立地される「根拠」になってしまうでしょう。
もし、本気で原発をどうにかしたいならば、誘致地域に共通して存在している「構造」に目を向けないとどうにもならないと考えます。
この連載は、次回が最終回予定。
「じゃあ、どうするか?」について、ちょっとした提言も含めて考察してみたいと思います。
(つづきます!)