映画「スカイ・クロラ」

よーかい

2008年08月13日 01:32

先日、映画「スカイ・クロラ」を観てきました(o^∇^o)ノ

原作は名古屋大学工学部助教授(今は准教授?)の森博嗣。
監督は「攻殻機動隊」などで有名な押井守監督。
声優は函南優一の声を加瀬亮、草薙水素の声を菊池凛子が演じています。

ちなみに、ハリウッドの映画「マトリックス」は「攻殻機動隊」に着想を得て作ったと「マトリックス」の監督は公言しています。

ともかく、アニメとはいえあなどれない、大人の鑑賞に耐えうる作品です。
また、技術的にはおそらく現時点での世界最高水準のものだと思います。


結論からいえば、素晴らしかったと思います♪v( ̄ー ̄*)にぃ
(※ただし、あの世界観は賛否両論あるでしょうが…。)


飛行シーンや戦闘シーンは本当に美しくて、いつまでも観ていたい気持ちになりました。
あれを観るだけでも価値はあると思います。
音楽も素敵でした。


あの飛行シーン、もし会場中に画面に合わせて重力がかかったり、椅子が揺れたりする装置がついていれば、そのまま遊園地のアトラクションとしても通用しそうです。
もっとも、映画館でそんなことをやられた日にゃ、画面を観て飛行機酔いになってあちらこちらで阿鼻叫喚のゲロ地獄になりそうな気もしますが……(; ̄∀ ̄A




もともとよーかいは森博嗣のファンでした。

デビュー作から30数冊目くらいまでは全部読んでいました。
森博嗣はとても多彩な人で、大学の助教授の仕事をしながら小説を書き(しかも多作!)、趣味で本格的な模型を作ったり、庭に手作りのSL(ちゃんと人が乗れます。しかも線路まで自分で鉄を削りだして作成!)を走らせたり、イラストも上手かったりと、ものすごいひとなのです。

だけど、さすがに30数冊読んでいると、なんとなく森博嗣の思考の「クセ」みたいのが見えてきたりしました。
さらに、教師を目指して勉強を始めたこともあって、森博嗣の創作ペースに追いつかなくなって、この何年かは読まずにいました。

ひさしぶりに、また読もうかなと思いました。

ちなみに、「スカイ・クロラ」の原作は発売日にハードカバーで買いました。
森博嗣はいつもはミステリ(推理小説)作家なのですが、この作品は当時は「異色」な、あるいは作者の「趣味的」な感じがしたものです。
だけど、いまあらためてみてみると、やはりこれはこれで一種の「ミステリ」の作品なんだなぁと思います。


森博嗣作品の特徴としては、登場人物がかなりクール、あるいは合理的思考の持ち主であるということが共通しているように思います。
作者が理系ということもあるのか、作品は終盤までは徹底的に理詰め理詰めで描かれます。
しかし、ラスト部分で、そのような「理」では割り切れないものが顔をだします。
たとえばそれは「情」だったり、ほんの少しの「感傷」だったり。
その描き方がリリカルで美しいのです。

たいてい、人が殺されるミステリ、あるいは推理小説というジャンルは、途中までは面白くても、後味が悪くて最後に嫌な気分になる作品が多いものですが、森博嗣作品は後味が綺麗な作品が多いです。


「スカイ・クロラ」は、ラストは大幅な改編が加えられていますが、それ以外はよくぞここまで!というくらい原作を忠実に再現しています。



※以下ネタバレあり!

【あらすじ】
完全な平和が実現した世界で、人々は「生」の実感を得るためにショーとしての戦争を生みだしていました。
ただ、飛行機乗りだけが戦う世界。
そこでは、遺伝子操作により「キルドレ」という、永遠に子どもの姿のまま歳をとらず、戦闘で殺されない限り死なない(実は、殺されても再生されて、記憶だけ消されて蘇らせられる)パイロットが飛行機に乗っています。

ある日、女性指揮官・草薙水素(クサナギ・スイト)の元に、函南優一(カンナミ・ユーイチ)というパイロットが赴任してくるところから物語は始まります
 




原作を読み終えたとき、この作品のテーマはニーチェのいうところの「永劫回帰」なのかなと思いました。

一見、救いのない物語のように見えますが、
「世界が何度めぐり来ても、いまここにある瞬間がかくあることを望む、という生の肯定」
があるように感じたのです。


ところで、原作と映画では、「他者への干渉」という作品の重要なキーワードが、少し違った角度から描かれているなと感じました。

森博嗣作品の場合、どこまでも現実感や生きている実感のないこの世界で、唯一他者と深く関わる方法として「殺す」(あるいは「殺される」)という“手段”が選択される話がいくつかあります。
この「スカイ・クロラ」もそういった要素はありました。

原作では、それまで空を飛ぶこと以外は一切他者にも自分自身にも関心のなかったユーイチが、唯一他者に行った「干渉」(あるいは「優しさ」)が、
「(かつてスイトが自分にしてくれたように、)自らの手でスイトを殺し、この終わらない日常から解放してあげること」
だったのです。


しかし、映画ではこのシーンではユーイチはわざと銃を外します。
「あなたは、生きろ。何かを変えることができるまで」

このセリフは、その少し後にそれまで三人称で語られていた映画が、たった一度だけ一人称になりユーイチが独白する場面でより強く作品のテーマとして描かれます。

「いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。
 それだけでは、いけないのか?」




きっと、この背景には、これまで押井監督が繰り返し描いてきた、「所詮ヴァーチャルでしかありえない生」ということが背景に潜んでいると思います。

80年代に、ボードリヤールという思想家は、
「もはや誰もが誰かのコピーで、オリジナルなどありえない」
と述べました。
このような閉塞感ただよう考え方を「ポストモダン思想」というのですが、例えば村上春樹作品に描かれる「僕たちはどこにも行けない」という感覚もこの「ポストモダン」の影響を受けています。

そのように、生きていることがどんどん「ヴァーチャル」になっていって、生きている実感がない、終わらない日常が繰り返されるだけといった、ゆるやかな絶望感や閉塞感が社会を覆っているのが現代だともいえます。


この「スカイ・クロラ」では、それでも生きる価値はあるということを描こうとしたのかな、と思いました。


ラストの場面、ティーチャーという「絶対倒せない敵」にユーイチは立ち向かいます。
(字幕で「ティーチャーを倒す」となっているのに、セリフは英語で「I'll kill my father!」と言っているのが象徴的でした。)
これは、結果よりも、その「立ち向かう」という行動によって何かを変えていくんだというメッセージなのかな、と受け取りました。



あまりに寂寥感ただようラストシーンはきっと賛否あるとは思います。
だけど、「絶望」ではないように感じました。


とにかく、観終わってからいろいろ考えさせてくれる映画でした。
もう一度、映画館の大画面で観たいです。



あ、エンドロールが終わった後に、まだ大事なシーンがあるので、ご覧になる際にはお気を付けて。。

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