北谷町の「伊礼原遺跡」が新たな国史跡に
国史跡「今帰仁城跡」関連で「附シイナ城跡」が追加指定
「伊礼原遺跡」の集落遺跡=北谷町・キャンプ桑江跡地
文化審議会(西原鈴子会長)は20日、縄文時代前期から晩期までの集落遺跡「伊礼原(いれいばる)遺跡」(北谷町)など11件を史跡として新規指定に、国史跡「今帰仁城跡」(今帰仁村)と関連のある国史跡として「シイナ城跡」を追加指定し、両城跡を併せて「今帰仁城跡 附(つけたり)シイナ城跡」と名称変更するよう川端達夫文部科学相に答申した。
「伊礼原遺跡」はキャンプ桑江の北側地域に位置し、跡地利用計画に伴う試掘調査で1997年に確認された。
県の国史跡は34件目。
東側の丘陵を水源とするウーチヌカー(わき水)によって形成された標高2メートルの低湿地区と、その南側に広がる標高4メートルの砂丘区によって構成。
低湿地区ではオキナワウラジロガシを貯蔵した縄文時代前期の遺構や、砂丘区では中期の地床炉3基と掘立柱建物と推定される多数の柱穴が確認された。
遺物については新潟糸魚川産ヒスイ製玉や、西北九州産黒曜石製剥片など、縄文時代の奄美・沖縄地域と日本列島本土との交流を示す資料が出土している。
「シイナ城跡」は13世紀後半に築城された今帰仁城跡より南東6キロに所在。
三山時代、北山王が最初の拠点としてシイナ城を築城したが、水の便が悪いため今帰仁城に移ったという伝承もあり、今帰仁城跡と一体化した保存・活用が求められている。
(2009年11月20日 沖縄タイムス)
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