2010年11月27日
『3月のライオン』5巻発売によせて【前編】
大好きな漫画の最新刊が発売されました♪ヽ(≧▽≦)ノ
このブログでも何度か紹介していますが、
羽海野チカ先生の『3月のライオン』5巻です。
タイトルの『3月のライオン』"March comes in like a lion"は、
“March comes in like a lion and goes out like a lamb. ”
(『三月は獅子のようにやって来て、羊のように去っていく(3月は荒々しい気候とともに始まり、穏やかな気候で終わる)』)
というイギリスのことわざの一部より取られているそうです。
実際、主人公をはじめ、登場する人物達は嵐の渦中のように、心に傷や大きな喪失を抱えています。
けれど、そこから少しずつ、おそるおそる、関わっていくひとたちによって、お互い大事なものを取り戻していく、「再生」の物語です。
将棋を題材にしていますが、将棋をまったく知らなくても楽しめます。(でも、将棋を知っているともっと楽しめます☆)
そして、今回の5巻ですが…内容に入る前に、いつものごとく、このブログは脇道に逸れていきます(笑)。
実はよーかいは、林田先生の大ファンなのです!ヾ(。`Д´。)ノ
林田先生とは、主人公の桐山零くんが通う高校の教師です。
作品では脇役です。
どのくらい脇役かというと、ウィキペディアの『3月のライオン』登場人物紹介では「その他」に分類されているほどです(爆)。
ちなみに、以下ウィキペディアからの引用。
『林田 高志(はやしだ たかし)
零が編入した高校の教師。
詰将棋のコーナーに投稿するほどの将棋ファン。
宗谷と同い年。
学校内で唯一零がプロ棋士であることを知っている。
割と物事をずばずば言うが、孤独な零を気にかけ何かと世話を焼いている。』 (引用ここまで)
……
……えと、
これだけで、この先生がどういう人柄かわかるひとは誰もいないと思いますです。。。( ̄ω ̄;)
この解説じゃ、ただの将棋好きの中年のおっちゃんみたいじゃないですか。(その側面もなきにしもあらずではありますが。笑)
いやいや、地味ですけど、すごくいい先生なんです。
なお、よくある教師もののドラマのような熱血漢ではありません。
決して自分で生徒を引っ張っていくようなタイプではないですし、金八先生や、ましてやGTOみたいなタイプではありません。
その林田先生のことを語る前に、零くんが林田先生に出会うまでのあらすじをおさらい。
主人公の桐山零は、幼い頃事故で両親と妹を亡くします。
孤児になった零を引き取ってくれたのは、父の友人の棋士でした。
生きるためについた、人生で初めての嘘。
「君は 将棋 好きか?」
「…はい」
零はその家で将棋の才能を伸ばしていきますが、将棋がすべてだったその家では、棋士の実子たち(姉と弟)は零の存在によって存在価値を否定されたように感じ歪んでいきます。
同時に、零も彼らを傷つけた痛みに耐えきれず、中学生でプロ棋士になった後、家を出ます。
それから1年。
零はC級1組5段へと昇格しますが、(詳しいことは語られていませんが)一年遅れで高校に入学し(そしておそらく人間関係等で失敗し)、
それでも
「逃げなかったという記憶が欲しい」
と、再度高校に編入するのです。
けれど、対局の関係もありめったに出席もできず、元から人とのコミュニケーションがあまり得意でなかった零は、常に一人でした。
『これでホントに「逃げてない」コトになってるのかな
「逃げてないフリ」でしかなかったらどうしよう』
自問自答する日々。
『自分で家を出て
家賃を払って
ご飯が食べられるようになれば
大人になれるんだと思ってた
大人になれば
もう
泣かなくてすむんだと
---思ってた』
そんな零を唯一そっと気に掛けていたのが林田先生なのです。
『3月のライオン』を読んでいると、林田先生は零くんの前に立つのではなく、隣に座る場面が多いことに気づきます。
休み時間、屋上だったり、階段だったり。
金八先生のように前から引っ張るのではなく、そっと横に座って、ちょっとおせっかいに「ぽん」と背中を押す存在。
生徒自身の問題は、教師はヒントを与えることはできても、最終的には自分でどうにかするしかないのだということを。
教師は生徒の成長を願い見守ることしかできない存在であることを、そのもどかしさも含めてしっかり引き受けている教師です。
アシストとしての教師。
それが林田先生です。
例えば、屋上に続く階段で、一人で菓子パンと牛乳だけの昼食を取りながら泣いている零の横に腰掛け、
自分が食べてようとしていたカップラーメンを差し出し、
『まず喰えっっ
いいからコレ喰え!!
落ち込んでいる時に冷たいモノ喰ってるヤツがあるかっ
命取りになるぞ!?
あったかいモノをとれ!!』
そう有無を言わさずおせっかいを焼いてから、生徒である零と同じ目線で語りかけたりするのです。
この「おせっかい」なところも、すごくいいなぁと思うのです。
だって、親以外に、子どもに対して本気でおせっかいを焼く存在って教師しかいないと思うのですよ。
ときにはうっとうしがられても、自分のこと以上に教え子のためになんとかしようとするのが教師のあり方だと、よーかいは思うのです。
別の場面では、こういうセリフも。
『オレ さっき お前が他の生徒と笑ってしゃべってんの見て
「クララが立った!!」な気持ちになった
今日みたいにさ
一人ではどーにもならん事でもさ
誰かと一緒にがんばればクリアできる問題ってけっこうあるんだ
そうやって力をかりたら
次は相手が困っている時
お前が力をかしてやればいい
世界ってそうやってまわってるんだ』
(※画像は、ご当地ポスター「岐阜」版より。)
続けて、
『あのな
大事な事だぞ?
いいか?
一人じゃどうにもならなくなったら
誰かに頼れ
---でないと実は
誰も
お前にも
頼れないんだ』
(※画像は、ご当地ポスター「愛知」版より。)
上記のセリフは、初めは並んで歩きながら、そして後半部は珍しく正面を向いて零の肩を掴んで語ります。
そしてすぐ、
『はいっ
ここで年寄りの説教はおしまいっ
続きは電車の中で考えろ
走れっ
後藤対島田の最終局!!
見に行くんだろ!?』
そう笑顔で退場します。
また、ギリギリで進級できることになった時、零は「この一年、何にも成果がなかった…」とつぶやくのに対し、
『なんにも成果がなかったなんて言うなよ
がんばってたじゃないか
俺は見ていたぞ』
(※画像は、ご当地ポスター「愛媛」版より。)
零のようなクラスでは地味で目立たない子のこともちゃんとしっかり見ている先生。
そういう先生に、よーかいはなりたいのです。
だから、林田先生は、よーかいにとっての教師の(ほぼ)理想像なんです。
(※画像は、ご当地ポスター「大分」版より。)
さて、ここから5巻の話に繋がるのですが、この巻では物語は大きな転換点を迎えることになります。
帯の宣伝文句も、
『充実の第3巻』
『渾身の第4巻』
に続いて、
『誓いの第5巻』
とあります。
それまで、人との関わりに消極的で、自分を責めるように(でも自分のことしか考えずに)生きてきた零くんが成長と変化を見せます。
そして、物語のこれからの大きな「核」になると思われる、5巻ラストでの「誓い」へと至るのです。
もちろん、その「誓い」の直接のきっかけは、ひなちゃん(川本ひなた)の言動でしょう。
また、その場面に至るまでの、川本家の3姉妹との交流があったお陰でしょう。
けれども、サッカーに例えるなら、
その「ゴール」(作中では「過程」ですが、ここではあえて「ゴール」と表現します)に至るアシストの起点になったのは、
間違いなくそれまでの林田先生の働きかけや言葉やおせっかいがあったからだと確信するのです。
信じて、見守って、隣に座って、言葉をかけて、背中を押して。
それでも、思うようには子どもは動いてくれなくて。
歯がゆくても子どもの“育つ力”を信じるしかなくて。
とにかく、おせっかいでも自分が伝えたい大事なことを、くりかえしくりかえし、届かなくても伝え続けるしかなくて。
たいていはその願いは裏切られますし、決して主役になることもありません。
それを引き受けるのが教師だと思うのです。
林田先生みたいに。
大事なことだから繰り返して言います。
よーかいが目指す教師像は、林田先生のような教師なのです!!!o( ̄へ ̄*)むん
(※【後編】では5巻に直接関わる内容と感想について書きますね。
……たぶん。)
このブログでも何度か紹介していますが、
羽海野チカ先生の『3月のライオン』5巻です。
タイトルの『3月のライオン』"March comes in like a lion"は、
“March comes in like a lion and goes out like a lamb. ”
(『三月は獅子のようにやって来て、羊のように去っていく(3月は荒々しい気候とともに始まり、穏やかな気候で終わる)』)
というイギリスのことわざの一部より取られているそうです。
実際、主人公をはじめ、登場する人物達は嵐の渦中のように、心に傷や大きな喪失を抱えています。
けれど、そこから少しずつ、おそるおそる、関わっていくひとたちによって、お互い大事なものを取り戻していく、「再生」の物語です。
将棋を題材にしていますが、将棋をまったく知らなくても楽しめます。(でも、将棋を知っているともっと楽しめます☆)
そして、今回の5巻ですが…内容に入る前に、いつものごとく、このブログは脇道に逸れていきます(笑)。
実はよーかいは、林田先生の大ファンなのです!ヾ(。`Д´。)ノ
林田先生とは、主人公の桐山零くんが通う高校の教師です。
作品では脇役です。
どのくらい脇役かというと、ウィキペディアの『3月のライオン』登場人物紹介では「その他」に分類されているほどです(爆)。
ちなみに、以下ウィキペディアからの引用。
『林田 高志(はやしだ たかし)
零が編入した高校の教師。
詰将棋のコーナーに投稿するほどの将棋ファン。
宗谷と同い年。
学校内で唯一零がプロ棋士であることを知っている。
割と物事をずばずば言うが、孤独な零を気にかけ何かと世話を焼いている。』 (引用ここまで)
……
……えと、
これだけで、この先生がどういう人柄かわかるひとは誰もいないと思いますです。。。( ̄ω ̄;)
この解説じゃ、ただの将棋好きの中年のおっちゃんみたいじゃないですか。(その側面もなきにしもあらずではありますが。笑)
いやいや、地味ですけど、すごくいい先生なんです。
なお、よくある教師もののドラマのような熱血漢ではありません。
決して自分で生徒を引っ張っていくようなタイプではないですし、金八先生や、ましてやGTOみたいなタイプではありません。
その林田先生のことを語る前に、零くんが林田先生に出会うまでのあらすじをおさらい。
主人公の桐山零は、幼い頃事故で両親と妹を亡くします。
孤児になった零を引き取ってくれたのは、父の友人の棋士でした。
生きるためについた、人生で初めての嘘。
「君は 将棋 好きか?」
「…はい」
零はその家で将棋の才能を伸ばしていきますが、将棋がすべてだったその家では、棋士の実子たち(姉と弟)は零の存在によって存在価値を否定されたように感じ歪んでいきます。
同時に、零も彼らを傷つけた痛みに耐えきれず、中学生でプロ棋士になった後、家を出ます。
それから1年。
零はC級1組5段へと昇格しますが、(詳しいことは語られていませんが)一年遅れで高校に入学し(そしておそらく人間関係等で失敗し)、
それでも
「逃げなかったという記憶が欲しい」
と、再度高校に編入するのです。
けれど、対局の関係もありめったに出席もできず、元から人とのコミュニケーションがあまり得意でなかった零は、常に一人でした。
『これでホントに「逃げてない」コトになってるのかな
「逃げてないフリ」でしかなかったらどうしよう』
自問自答する日々。
『自分で家を出て
家賃を払って
ご飯が食べられるようになれば
大人になれるんだと思ってた
大人になれば
もう
泣かなくてすむんだと
---思ってた』
そんな零を唯一そっと気に掛けていたのが林田先生なのです。
『3月のライオン』を読んでいると、林田先生は零くんの前に立つのではなく、隣に座る場面が多いことに気づきます。
休み時間、屋上だったり、階段だったり。
金八先生のように前から引っ張るのではなく、そっと横に座って、ちょっとおせっかいに「ぽん」と背中を押す存在。
生徒自身の問題は、教師はヒントを与えることはできても、最終的には自分でどうにかするしかないのだということを。
教師は生徒の成長を願い見守ることしかできない存在であることを、そのもどかしさも含めてしっかり引き受けている教師です。
アシストとしての教師。
それが林田先生です。
例えば、屋上に続く階段で、一人で菓子パンと牛乳だけの昼食を取りながら泣いている零の横に腰掛け、
自分が食べてようとしていたカップラーメンを差し出し、
『まず喰えっっ
いいからコレ喰え!!
落ち込んでいる時に冷たいモノ喰ってるヤツがあるかっ
命取りになるぞ!?
あったかいモノをとれ!!』
そう有無を言わさずおせっかいを焼いてから、生徒である零と同じ目線で語りかけたりするのです。
この「おせっかい」なところも、すごくいいなぁと思うのです。
だって、親以外に、子どもに対して本気でおせっかいを焼く存在って教師しかいないと思うのですよ。
ときにはうっとうしがられても、自分のこと以上に教え子のためになんとかしようとするのが教師のあり方だと、よーかいは思うのです。
別の場面では、こういうセリフも。
『オレ さっき お前が他の生徒と笑ってしゃべってんの見て
「クララが立った!!」な気持ちになった
今日みたいにさ
一人ではどーにもならん事でもさ
誰かと一緒にがんばればクリアできる問題ってけっこうあるんだ
そうやって力をかりたら
次は相手が困っている時
お前が力をかしてやればいい
世界ってそうやってまわってるんだ』
(※画像は、ご当地ポスター「岐阜」版より。)
続けて、
『あのな
大事な事だぞ?
いいか?
一人じゃどうにもならなくなったら
誰かに頼れ
---でないと実は
誰も
お前にも
頼れないんだ』
(※画像は、ご当地ポスター「愛知」版より。)
上記のセリフは、初めは並んで歩きながら、そして後半部は珍しく正面を向いて零の肩を掴んで語ります。
そしてすぐ、
『はいっ
ここで年寄りの説教はおしまいっ
続きは電車の中で考えろ
走れっ
後藤対島田の最終局!!
見に行くんだろ!?』
そう笑顔で退場します。
また、ギリギリで進級できることになった時、零は「この一年、何にも成果がなかった…」とつぶやくのに対し、
『なんにも成果がなかったなんて言うなよ
がんばってたじゃないか
俺は見ていたぞ』
(※画像は、ご当地ポスター「愛媛」版より。)
零のようなクラスでは地味で目立たない子のこともちゃんとしっかり見ている先生。
そういう先生に、よーかいはなりたいのです。
だから、林田先生は、よーかいにとっての教師の(ほぼ)理想像なんです。
(※画像は、ご当地ポスター「大分」版より。)
さて、ここから5巻の話に繋がるのですが、この巻では物語は大きな転換点を迎えることになります。
帯の宣伝文句も、
『充実の第3巻』
『渾身の第4巻』
に続いて、
『誓いの第5巻』
とあります。
それまで、人との関わりに消極的で、自分を責めるように(でも自分のことしか考えずに)生きてきた零くんが成長と変化を見せます。
そして、物語のこれからの大きな「核」になると思われる、5巻ラストでの「誓い」へと至るのです。
もちろん、その「誓い」の直接のきっかけは、ひなちゃん(川本ひなた)の言動でしょう。
また、その場面に至るまでの、川本家の3姉妹との交流があったお陰でしょう。
けれども、サッカーに例えるなら、
その「ゴール」(作中では「過程」ですが、ここではあえて「ゴール」と表現します)に至るアシストの起点になったのは、
間違いなくそれまでの林田先生の働きかけや言葉やおせっかいがあったからだと確信するのです。
信じて、見守って、隣に座って、言葉をかけて、背中を押して。
それでも、思うようには子どもは動いてくれなくて。
歯がゆくても子どもの“育つ力”を信じるしかなくて。
とにかく、おせっかいでも自分が伝えたい大事なことを、くりかえしくりかえし、届かなくても伝え続けるしかなくて。
たいていはその願いは裏切られますし、決して主役になることもありません。
それを引き受けるのが教師だと思うのです。
林田先生みたいに。
大事なことだから繰り返して言います。
よーかいが目指す教師像は、林田先生のような教師なのです!!!o( ̄へ ̄*)むん
(※【後編】では5巻に直接関わる内容と感想について書きますね。
……たぶん。)
Posted by よーかい at 03:48│Comments(2)
│読書感想文
この記事へのコメント
定時制高校だということはどこで提示(しゃr)されているのでしょうか?
普通に昼ごはん食べている描写が多々あるのですが…
普通に昼ごはん食べている描写が多々あるのですが…
Posted by やぼ at 2010年11月29日 04:17
>やぼさん
コメントどうもありがとうございます。
零くんの学校は「昼間定時制」というやつだと思っていたのですが、もしかしたら勘違いだったかもしれません。
なので、定時制の文字は削除しておきました。
ご指摘どうもありがとうございました。
コメントどうもありがとうございます。
零くんの学校は「昼間定時制」というやつだと思っていたのですが、もしかしたら勘違いだったかもしれません。
なので、定時制の文字は削除しておきました。
ご指摘どうもありがとうございました。
Posted by よーかい at 2010年11月30日 00:52