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2008年08月20日

ブログ第863日目、雑感。

京太郎(チョンダラー)が伝えた念仏踊り。


それは形の変わった今でも原型を残しているものがあります。

伝統エイサーではたいてい歌われる「仲順流れ(チュンジュンナガリ)」。
平敷屋エイサーではこの曲を「七月歌」と呼び、赤野エイサーでは「エイサー歌」とも呼びます。



実はこの歌は「念仏歌」でした。

昔のエイサーは初めから終わりまでこの「仲順流れ」の曲で歌われていた時期もあったそうです。


それにしても、京太郎(チョンダラー)の存在は多義的です。
この連載の最後に、その「核心」に迫りたいと思います!



すでに述べたように、一方では、差別のない琉球において、唯一「特殊」とされました。

けれども、単に差別され蔑まれるだけかというとそんなことはありません。


彼らは、「異形の者=人外の民」であったがゆえの“”も持っていたのです。


それは、この世の理(ことわり)を越えた呪術的な力でした。
実際、内地でも身分差別が固定化したのは近世、つまり江戸時代以降のことで、南北朝期には後醍醐天皇は様々な芸能民、遊行者、悪党、非人、河原者といった「異形異類」の人々を積極的に登用しています。
網野善彦著『異形の王権』(平凡社)によると、これは、彼ら「異形異類」の人々を、神仏に結びついた「聖なる力」として利用しようとしたからだといいます。


そう、彼らはむしろ「神」に近く、「聖なる者」でもあったのです。


京太郎(チョンダラー)が、かつて琉球で傀儡などの芸能を行うときには、その場所は「テラ」と呼ばれていたという記録が残っています。
これは、仏教の「寺」ではありません。
一種の「無縁・公界」の地、つまり、この世のしがらみを離れた「一種の聖域としての不可侵性」の象徴として「テラ」と呼ばれたのでしょう。


念仏踊りにしてもまた同様です。
死者を慰め、ときには足を踏みならして悪霊を追い払う。
これは、「この世とあの世の境目」にいる者だったからこそできたことなのです。

一種の超能力といってもよいだろうと思います。


ここからは憶測も混じりますが、琉球ではおそらく彼ら河原者・京太郎(チョンダラー)に対する差別も当初はほとんどなかったのではないかと思われます。

内地では、室町期に自然観の転換がおきました。
それまで自然は人間には制御不可能なものとされていたのが、人間の力によって自然を制御できるとする考え方に変わってきたのです。
いわば、アニミズム的世界観の倒壊です。
それに伴って、「神」や「仏」の力も没落しました。

よって、「神」や「仏」の側の権威を借りていた「異形の民」も、その職能の「穢れ」概念もあいまって、差別される側になったといいます。


しかし、琉球ではアニミズム的世界観は続きました。
聞得大君を中心とする神女組織が形成されて、ユタを排除しようとする動きが王府からでても、ユタ信仰は続いたことからもそれはわかります。

同様に、おそらく京太郎(チョンダラー)たちも、ユタと同じく「特別な力」を持った者として受け入れられたのでないかと思うのです。


だからこそ、わざわざ八重山の役人が教えを乞いに来たりしたのだろうし、念仏踊りも各地にひろがっていったはずなのです。


それは、一種の祝宴的世界として民衆に熱狂的に受け入れられていったのでしょう。
いわば“反世界のカーニバル”だったのです!!!ヽ(≧▽≦)ノ
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