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2010年02月10日

とびしま海道を走る!(後編)

エネルギー補給したところで、とびしま海道最後の島へと向かいます!


とびしま海道、下蒲刈島~上蒲刈島~豊島~大崎下島は広島県なのですが、大崎下島から橋でつながっている岡村島だけは愛媛県今治市になるのです。

海の上の県境を陸路で越えていきます。
岡村島から先は、眼前にしまなみ海道の島々も見えますが、船でしか他の島との連絡手段はありません。

岡村島をぐるりと一周まわり、今度は復路へと向かいます。



途中、思わず見とれる海岸線もあったりします。
実際、つい1年ちょっと前までは大崎下島と岡村島は完全な離島だったのですから、外界と切り離された分、自然が壊されないままで残っている感じです。

大崎下島では集落の中を白昼堂々と野生のタヌキがのっそりと歩いていたほどなのです…!∑( ̄□ ̄;)ハウッ


さて、往路は最短コースで来たので、復路は往路とは反対側に島をまわる「遠回りルート」を走りました。
同じ道ではつまりませんし、やはり“島に来た”という実感は、とりあえず外周をひとまわりして島の大きさを体感してこそな感じがするのです。


大崎下島では、お好み焼き屋のオヤジさんに勧められた、御手洗(みたらい)の歴史的建造物保存地区へ。



近世になってから、航海技術(木綿帆、地図、計器など)が進みそれまでの陸地沿いのルートではなく、瀬戸内海の中央部の最短距離を行く”沖乗り”航路が利用され始めました。
ところが、広島県の鞆の浦(「崖の上のポニョ」のモデルの場所です)に行く途中、風向きや潮の流れによってはものすごい沿岸流が起きたそうです。

そこで、「風待ち」をする港が必要になりました。
1666年、それまで無人島だったこの島に新たに港が開かれ、江戸時代はたいそう賑わったそうです。



町並み保存地区では、江戸末期や明治初期の建物がそのまま残されています。
当時のままの家々の入り口付近には、一輪挿しがあって、季節の花が生けられているのが目に涼やかでした♪

当時のにぎわいを伝えるものとしては、遊郭の跡もありました。
こんな小さな島の小規模な地区なのに、かつては4軒の遊郭と100人を超える遊女がいたそうです。

『御手洗港を 素通りする船は 親子のりかよ 金無しか』
なんていう唄まであったそうです…(; ̄∀ ̄A

けれど、その繁栄は、明治時代に入って山陽本線ができてからはわざわざ島々を中継しながら船で物資を運ぶ必要がなくなり、衰退したと言われています。

それでも細々と色街は存在していたそうですが、昭和33年4月1日をもって息の根を止められました。
興味のある方はその日に施行された法律を調べてみてくださいませ。





ところで、この「厠」「はばかり」「ご不浄」「お便所」「トイレット」(もういいですってば!)…を連想させる“御手洗”という地名ですが、これにはかなり古い由来があるそうです。

学問の神様として現代でも祀られる菅原の道真が、京都から太宰府へと流される途中の船旅で、この島の現在神社になっている場所にある井戸で手を洗ったことからついた地名なのだそうです。

内地から離れた島々は、なかなかに深い歴史を持っていたりするのです。





御手洗を過ぎ、大崎下島の南端まで来てから、突然体が重くなりました。

前編」でちらりと書いた、「おそるべき罠」がここで発動したのです!!!ヾ(。`Д´。;;;)ノ


そう、ここまでわりと快調に飛ばして来れたのは、実は風向きが北西の風だったためだったのでした。
それも、海が波立つくらいの強風が吹き続けていました。

行きの道は、ちょうど追い風。
そして、ここまでは島の山が風よけになってくれていました。

駄菓子菓子!

大崎下島の南端を抜けてからのルートは、基本的に北西へと、向かい風をまともに受けて向かうルートになります。
しかも、島の北西側は海風を遮るものもなにもなく、まともに強風を正面から受け止める形になります。

自転車乗りにとって、一番の敵は坂道ではありません。
向かい風こそが敵なのです。

向かい風の中を進む感覚は、漕いでも漕いでも前に進まないような感覚です。

そこからは、快調なサイクリングではなく、一種の「苦行」ちっくになってきます。
下ハンドルを持って体を低くし、ギアを下げて回転数だけは維持して、なるべく体を小さくしてただただペダルを回すだけの存在と化すのです( ▽|||)


島と島とをつなぐ橋は上空かなり高いところにありますので、そのたびにかなりの斜度を登っていきます。
島の外周でも、平地ばかりではなく、かなりの斜度の長い坂がある場所もありました。


一度、坂道を登りきったところで、足も心肺機能も限界で、そのまま歩道に大の字にしばらく寝ころんでいたこともありました。
通り過ぎる車からみたら、きっと行き倒れに見えたことでしょう。

警察の捜査では、「死体の第一発見者をまず疑え!」という鉄則があるそうです。
下手に行き倒れに関わって、「第一発見者」にでもなったら大変だと思ったのか(…思います?)、歩道に寝ころんでいても誰もが知らんぷりでしたが。。


やがて呼吸が収まって起きあがると、そこには不思議な看板がありました。



海沿いの冊に、ただ一言
うどん
の文字。


近くを見回しても、うどん屋さんらしいものはありません。
そして、看板には店名すら書いていないのです。

ただ、黙って「うどん」。
何かを訴えかけるように。
あるいは、何も考えていないかのように。


まるで禅問答です。
問われているのは自分自身。


そうです、こんなところでくたばっていては、うどんに笑われるのです!ヾ(。`Д´。)ノ


そんな風に(?)体力よりも妄想力を推進力にして強風の復路を漕いで行きました。
岡村島~大崎下島~豊島~上蒲刈島~下蒲刈島。
行きとは逆ルートの遠回りコースを選んで、逆風に向かってひたすら漕ぎます。

よりにもよって、最後の下蒲刈島は、疲れたサイクリニストには蠱惑的な堕落を誘う構造になっています。
下蒲刈島の最短ルートだと、呉市につながる橋まではすぐなのです。
上蒲刈島から下蒲刈島へ着いたとたんに、もう最後の橋が見えるのです。

だけど、それでは何かに負けてしまう感があったため、踏みとどまりました。

あえてここでも、行きとは逆のルートを選び、島をほぼ完全に一周するコースを選び、再び強風の中を進んでいきました。


すべての島の外周をコンプリートして、呉市内に入る頃はフラフラでした。
自転車に付けていたサイクルコンピューターを見ると、走行距離は90㎞を超えていました。


それでも、ちゃんと日暮れ前に完走です!


完走すると現金なもので、また走りたくなっています。
今度はどこを走ろうか?なんて考えている自分がいます☆v( ̄ー ̄*)にぃ



そう、(向かい風さえ強くなければ)自転車はとても楽しい乗り物なのですから♪  
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2010年02月09日

授業料減免 最多4780人 県立高校

昨年末に県教育庁 初めて10%超す 不況 家計に影響


県立高校の授業料を全額または半額免除する授業料減免制度を2009年度に利用した生徒数が、昨年12月末時点で4780人(前年度比344人増)に上り、過去最多となったことが8日、県教育庁のまとめで分かった。
全生徒数4万6288人に占める減免率は10・33%(同0・68ポイント増)になり、初めて2けた台になった。
10人に1人が授業料を払えず、減免措置を受けていることになる。

県教育庁は「不況の影響で保護者の経済状況も厳しくなっている」とみている。

 
申請者数は前年度比で481人増の6785人。
全額免除は3390人(同196人増)、半額免除は1390人(同148人増)だった。
08年度まで半額免除者が急増していたが、09年度は全額免除者も増加。
背景について、同庁担当者は
「世帯収入が減った、親が仕事を解雇されたなどの申請理由が多い」
とし、親の経済状況が悪化の一途をたどっていると懸念する。

 
減免総額は4億5382万円(同3340万円増)。
授業料減免制度は、家庭の経済的事情で納付が困難な生徒に全額か半額を免除する制度。
県教育庁は05年度まで減免者を全体の8%内にとどめる「8%枠」を定めていたが、県議会などの指摘を受け06年度から撤廃。
以降、増加の一途をたどり、今年初めて10%を突破した。

 
県は年度末まで授業料免除を受けつけており、同庁は
「授業料が払えない世帯は免除申請してほしい」
と呼び掛けた。




授業料以外も負担重く
社会情勢が子ども直撃


 
県立高校生の授業料を助ける授業料減免制度。
県教育庁は予算を増やして対応しているが、申請者は増える一方で追いついていないのが実情だ。
4月からは「高校実質無償化」制度がスタートする予定で、授業料の負担は必要なくなるが、学校現場からは
「厳しい子が増えている。制服代やPTA会費など、授業料以外の負担も重い」
との声が上がる。

 
本島南部の高校の男性教員は
「経済的に厳しい生徒は増えている。入学しても制服が買えず、辞めてしまう生徒もいる」
と話す。

 
節約のため昼食を我慢したり、徒歩で登下校したりする生徒もいる。
苦しさやさみしさから、非行に走る場合もある。
「勉強どころではなく、掛け算が分からない生徒もいて、彼らはとてもつらい思いをしている。生徒たちが希望を持てるようになるには、地域の民生委員ら福祉関係の人とのかかわりも必要」
とする。

 
本島中部の女性教員は
「本当は全額免除になってほしい状況なのに、多くは半額免除。高校生にお金の心配をしてほしくない」
と声を落とす。

 
高教組の松田寛委員長は
「今の厳しい社会情勢がそのまま子どもたちを直撃している」
と指摘。
「無償化は歓迎だが、授業料以外の負担もあるので、そこも考慮してほしい」
と話した。



(2010年2月9日 沖縄タイムス)  

2010年02月08日

とびしま海道を走る!(前編)

この土曜日、とびしま海道を自転車で走ってきました!(o^∇^o)ノ


とびしま海道は、瀬戸内海に浮かぶ島々をつないだルートです。
呉市から橋づたいに、
下蒲刈島~上蒲刈島~豊島~大崎下島~岡村島
といった、5つの島々からなっています。


大きな地図で見る

瀬戸内海を走るルートは「しまなみ海道」が有名ですが、それよりもずっと後にできたルートです。(ちなみに、しまなみ海道は昨年9月に走っています。)

ちょうどルートの真ん中あたり、上蒲刈島と豊島を結ぶ橋なんかは2008年11月18日に開通したばかりです。

しかも、岡村島から先は直接四国へと繋がっているわけではありませんので、しまなみ海道よりもずっと交通量が少ないのです。
実際、島では車も少なく、釣り人以外は島の外部の者はほとんど見かけませんでした。
チャリンカーも季節柄もあるのかもしれませんが、ごくごく少数(1,2名見かけた程度)でした。



気温は2~3度。
晴れ間の中にも呉市から下蒲刈島あたりは小雪が舞い散る天気でした。

車で呉市内まで行ってから、出発です☆
車なら有料の呉市と下蒲刈島を結ぶ橋も自転車なら無料なのです。

海はとても綺麗でした。
自転車もとても快調。


ただ、この時は、その快調さの裏におそるべき罠があったことには気付かなかったのでしたが…。。((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル





島にはミカン畑が段々畑になってあちこちにたわわになっています。
おそらくミカンを運ぶためでしょうか、潮風にさび付いたゴンドラの古いレールのようなものもあちこちに見られました。

アップダウンもありましたが、ケイデンス(回転数)を保つことを心がけてぐんぐん登っていきます。
気分は「弱虫ペダル」です(笑)。

でも、登り坂はけっこう好きです☆

ルートも遠回りしないルートを通ったこともあり、4つ目の大崎下島まではけっこう楽にあっという間に着きました。




大崎下島の久比という集落にある、昭和レトロ風の建物の「明地商店」という小さなお好み焼き屋さんでお昼を食べました。
このお店、どちらかというと「雲雀屋」という名前で知られています。

なぜならば……



お店のオヤジさんが大の美空ひばりヲタクだからなのですヾ(。`Д´。;;;)ノ




その情熱たるや、尋常ではありません。

店の奥にまず、額に入れられた美空ひばりのスケッチがたくさん飾ってあります。
美空ひばりについての、自作の詩も多数掲げられています。

お店のオヤジさんも暇だったのでしょうか?
オバちゃんにお好み焼きを作らせている間、いろいろ話しかけてきます。

「どこから来たの?」
「岡山ですけど、呉に車を置いて、そこから自転車です」
「ええっ!あんな遠いところからずっと自転車で来たわけ?!」
「はい(照)」
「ところで、ここはどうやって知ったの?」
「あ、インターネットで知りました」
「…もしかして、あなたもインターネットに何か書いたりするの?」
「ええ、まあ一応ブログは書いていますけど…」
「じゃあ、ぜひ載せて♪♪」

オヤジさん、ノリノリです(; ̄∀ ̄A
そんな感じでいそいそと、自身で書いた美空ひばりの絵について蕩々と語りながら解説していきます。

「はあ…すごいですねぇ」
感心していると、オヤジさんはニヤリと笑ったように見えました。

「こんなものじゃないんじゃあ」

一瞬、イヤな予感がしましたが、まあ「旅は道連れ」といいますので、オヤジさんに案内されるままについていきました。

お好み焼き屋を出ると、お店の脇は自作の美空ひばりの絵で埋め尽くされていました。


さらに、お好み焼き屋のとなりにもう一軒別館がありました。
そちらの中も美空ひばりの絵と詩で一面埋め尽くされていました。



「はぁ…これっていったい何枚あるんですか?」
「ここに飾ってあるのがすべてではないからね。
 まあ、200枚以上かな(ニヤリ)」


だいたい1枚2時間くらいで書き上げるそうです。
デッサンが少々ずれているのはご愛敬(笑)。

中には、本当は別の男性の役者が立っているはずの場所に、オヤジさん自身の自画像を美空ひばりと一緒に描いて、
恋夫婦
なんて大きくタイトルをつけているものもありました…(; ̄∀ ̄A


……お、オバちゃんの立場は???(笑)
まあ、熟年主婦がヨン様にハマっているような感じなのでしょうか?

さらにオヤジさんは美空ひばりのファンクラブの会報を取り出して、自慢げに
「ここに載っている詩は、わしが作った詩なんじゃあ。
 これは一生の宝物じゃけん」

と見せてくれました。

一瞬、オヤジさん絵が上手くなっている!と横にあった絵の方に注目してしまったのですが、

「あ、横の絵は別の人が描いたもの。
 わしのは詩の方じゃあ」


とのこと。



あ、やっぱり絵は選外だったのですね?(; ̄∀ ̄A(笑)


このまま延々と何時間でも美空ひばりに関する講釈が続きそうでしたが、オバちゃんが
「お好み焼き、できたよーーー!」
と読んでくれたので助かりました(笑)。



お好み焼きは350円から。
とんでもなく安いです!!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ


よーかいのは、「そばダブル」を注文しました。
本当はシングルを注文しようとしたら、
「お兄ちゃんはダブルでいいね!」
と注文の声にかぶせられるように言われてしまったので、
「…じゃ、じゃあそれで」
と流されてしまった気弱なよーかいです(爆)。

お好み焼き、そばダブル500円です。
広島市内の半額です!!

ものすごいボリュームでしたが、美味しかったのと、自転車に載っているとお腹が空くのとで全部食べ切れました♪
や、でもフツーの人はシングルで十分だと思います。
そのくらいすごい量でした。

お好み焼きも美味しかったですし、オヤジさんの講釈もそれはそれで楽しめましたので、とても満足な気分になることができました。

しかも、とびしま海道の地図もくださって、「ここは行くといいよ」という見どころまで教えてくれました。
本当に、純朴な親切に出会いました。


この後は、海の上の県境を超えて愛媛県の岡村島へ入り、復路のルートへと向かうのです! (つづく)  
Posted by よーかい at 02:33Comments(0)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年02月06日

とびしま海道完走!

今日は、とびしま海道をチャリンコで往復完走してきました。

広島県呉市から愛媛県今治市までの瀬戸内海の島々を結ぶ、わりと新しいルートです。
つい最近(約1年ちょっと前)まで完全な離島だった島々もあり、とってものーんびりとしていました。

集落では、昼間から野生のタヌキが堂々と歩いていました。
海もとても綺麗でした♪

行きは最短ルートで一番奥の島まで行き、ぐるりと回ってから、帰りはそれぞれの島を行きとは反対の遠回りルートで外周をくまなく走ってきました。
往復で約90㎞ちょいのルートになりました。



そんなわけで、今日はさすがにくたくたです…σ(^_^;)

コメントくださった方々、どうもありがとうございます。
返信、もうちょっとお待ちくださいね。

それから、もしかしたらポルトガル紀行の続きの前に、このとびしま海道のチャリンコ旅の話を書くかもしれません。


そんなわけで、今日はちょっと早めに眠るとしますです…m(_ _)m  
Posted by よーかい at 23:18Comments(2)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年02月05日

石垣出土の人骨 2万年前と判明 直接分析で日本最古

石垣市白保の新石垣空港建設予定地内にある白保竿(さお)根(ね)田(た)原(ばる)洞穴で発見された人骨9点のうち、最も古い1点が約2万年前のものだったことが4日までに分かった。
骨片から直接年代を確認できた人骨では日本最古。
旧石器時代に石垣島に人が住んでいたことも初めて証明された。
専門家は「日本人や東アジア人のルーツ解明の一助ともなる画期的な発見」と説明。

県教育庁が同日発表した。

 
今回発見された人骨のうち3点は、20~30代の男性の頭骨片(約2万年前)、性別不明の成人の右第2中足骨(約1万8千年前)、成人男性の右腓(ひ)骨(こつ)(約1万5千年前)だった。
東京大学大学院が放射性炭素年代測定で分析した。

 
頭骨片は2007年12月、洞穴内を調査したNPO法人沖縄鍾乳洞協会が発見。
昨年7月、県教育庁や琉球大学、愛知教育大学などの共同の現地調査で、新たに人骨などを含む土壌の残存を確認した。

 
これまで人骨分析で日本最古とされたのは静岡県の「浜北人」で約1万4千年前。
県内で発見され、国内最古といわれる「山下町第一洞人」(約3万2千年前)や「港川人」(約1万8千年前)は、周辺出土品などを用い間接的に測定されたものだった。


 
人骨を分析した東京大学大学院新領域創成科学研究科の米田穣准教授は
「最古の人骨はさまざまな研究機関が探しているが、少なくとも過去10年全く見つかっておらず画期的な発見。今後、詳細な現地の発掘調査が必要だ」
と話している。



(2010年2月5日 沖縄タイムス)  

2010年02月05日

488万パワー。

先日、「チバりよ~」の新年会がありました。

千葉県の松戸に近い、常磐平の「鯨賓館あおい」という沖縄料理&くじら料理のお店で開催。
詳しくはこちらを。

南は西表島から、西は岡山や愛知県、北は流山まで(笑)、幅広い地域からの参加でした。
沖縄料理屋なので、音楽を演奏するステージがあるのはデフォルト。
お酒の持ち込みもOK♪
そして、同じテーブルに初対面の人が座っていたり、初めて会うひとでもどこかで何らかの間接的なつながりがあったりするのも、もはや「いつものこと」と言ってもいいでしょう。

沖縄料理屋は、内地でも沖縄的な時間が流れていて、ゆる~~いのがいいです。
大人がお酒を飲んでいる隣に小さな子どもがいても大丈夫なのも沖縄料理屋のいいところです。
そして、なぜか同じテーブルに松戸の市議会議員の女性が座っていて、しかもなぜかステージで「私は松戸の綾戸智絵だ!」なんて言いながら、とんでもなく上手い歌を熱唱しているシュールな光景も、ゆる~~い沖縄料理屋ならでは☆

お客同士が「いちゃりばちょーでー(一度でも出会った者は皆兄弟みたいなものだ)」という言葉を体現しているのです。





写真は、今回持ち込まれたお酒で、『紅一粋』は泡盛主体の沖縄にしては珍しい紅イモ焼酎。
『沖之一石』は、これもまた珍しい、沖縄で作られたお米で作られた清酒です。

『紅一粋』は、ふうわりとした紅イモの香りと甘味があり、雑味のないおいしい焼酎でした。
『沖之一石』は、香りは原酒のような土っぽい感じがあるのですが、飲むととても柔らかくてクセのないお酒でした。
沖縄の泡盛以外のお酒も、なかなかどうして、あなどれないものです。

ちなみに、横に置いてある冊子は、今回の参加者がなぜか大量に持ってきて配っていたフリーペーパー『千葉美少女図鑑』です。
美少女図鑑」はここ1~2年のあいだに一気に地方各地で作られるようになりました。
モデルはすべて街のフツーの女の子。
沖縄にもありますし、岡山にもあります。

「美少女」というタイトルはついていますが、実際には20代のモデルさんも多いので、すでに「少女」とはいえない方々も…?( ̄ω ̄;)
さらに、岡山のは、「美」はまあいろんな主観があるから……と思わざるを得ない、ちょっと残念な感じでもありました(笑)。


ところで、i phoneには『Pow Checker』という無料アプリがあります。
『Pow Checker』を通して撮影したもののパワーを測定してくれるソフトです。
いわば、「ドラゴンボール」のスカウターです。

ちなみに、『なんちゃってスカウター』という、名前を入れると戦闘力を表示してくれるサイトを見つけたので貼っておきます。


この『Pow Checker』で、友人のイナゴ君を測定してみました。

すると、
たったの“80”でした(ノ゜⊿゜;;;)ノ

しょぼすぎます(笑)。
つか、こんな低い値、見たことありません。
ついていたコメントも、
ふっ、こんなものか。相手にならんな
でした。

「これって、最高いくつくらいまで表示されるの?」
と訊かれたので、
「うーん、10万くらいかなぁ?」
と答えました。

それを見て、興味を持った周囲の面々もちょっとおもしろがって、
「じゃあ、千葉美少女図鑑のコならどう?」
というので、さっそく裏表紙のコを測定してみました。


こちらは……









……なんと488万!!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ


ついていたコメントは
「な・・・、なんというパワーだ・・・。」
と、絶句調です。

つか、こんな高い値見たことありませんでした。


くり返しますが、初めのイナゴ君は「80」。
そして、次の「千葉美少女図鑑のコ」は「488万」。

きっと戦闘なら、「千葉美少女図鑑のコ」が50m先からデコピンをしたら、その空気圧でイナゴ君は吹き飛んでしまうことでしょう!ヾ(。`Д´。)ノ(笑)




実は、さらに恐ろしい驚愕の事実が待っていました。

この「千葉美少女図鑑」、表表紙も裏表紙も、編集者の好みなのか同じ女の子が起用されていました。
一見、見た感じ高校生くらいだと踏んでいたのですが……




…プロフィールを確認すると、なんと1999年生まれの10歳なのです!∑( ▽|||)




10歳ということは…



…小学校4年生ですよ?!(ノ゜⊿゜;;;;;;;)ノ




うああ。

このコのお父さんはまだ一緒にお風呂に入っているのでしょうか?(ヲイ)





た、たしかになんという戦闘力でしょうか……(; ̄∀ ̄A(笑)  
Posted by よーかい at 03:05Comments(5)TrackBack(0)一日の雑感。

2010年02月05日

2010年2月5日(AM)のつぶやき。

相撲なんて大っっキライだぁあ!!!ヾ(。TДT。)ノ














朝青龍、大好きでした。
あのやんちゃ坊主みたいな性格も笑顔も、そして閉塞しきった相撲界をぶっ壊してくれそうな力強さも。
最強のヒール(悪役)」
として、これからも相撲を盛り上げてくれればいいなと思っていました。


だから、今日の突然の引退にはとてもショックを覚えました。
そして、朝青龍の涙にも。
彼に涙は似合いません。


マスコミ報道にはずっと違和感を感じていました。
朝青龍が稽古をさぼっている報道などが頻繁になされましたが、あの業界、厳しい稽古を日々積まずに勝てるほど甘くはありません。
朝青龍だって、勝ち続けるためには、それこそ比喩でなく血の滲むような努力をしてきたはずなのです。


以前から、マスコミ報道等には一方的なものをよーかいは感じていました。
例えば、肘の怪我で横綱が休業中にサッカーをしたらいけないんでしょうか?
肘は相撲を取るには重症でも、サッカーには一切関係ありません。
そもそも、横綱だからって気分転換を図ってはいけないんでしょうか?


それ以上に、外国人であること、一種の「異端」であることが相撲協会に嫌われ、またマスコミも朝青龍を叩けば視聴率を稼げるからと、一方的な報道に偏っていたように思えてなりません。
いわば、集団的かつ社会的な「いじめ」です。


今回の暴行事件にしても、警察の調査を待つ前に、マスコミは「辞めろ、辞めろ」の大合唱でした。
それはちょっとおかしくないですか?
正式な調査結果がでて、事実が明らかになってからいくらでも文句を言えばいいのです。
「憶測」だけでものを言うのは、賢い大人たちだとはとても思えません。


朝青龍のあり方が、子どもたちの教育に悪いというならば、一方的な報道だけを行ったマスコミのあり方こそ教育に悪いと思います。
教えるべきは、マスコミ報道を鵜呑みにしないメディアリテラシーですね。
事実、調査委員会の一人であった玉ノ井親方は
「詳しくはあまり話せないけど、報道との行き違いは感じていた。何とかもう一度、土俵に上がって頑張ってもらいたかった」
と述べています。
http://www.sanspo.com/sports/news/100204/spf1002042218026-n1.htm


そして、横綱審議委員会は、満場一致で引退勧告を出すことを決めていたといいます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100204-00000096-mai-spo
はじめから、結論ありき。
そりゃ、関係のない一般人に暴行したというなら、引退もやむなしでしょうが、相手は知人です。
どのようなやりとりがあったかは、知人間でしかわからない部分もあるのではないでしょうか?
もちろん、横綱の責任として、ある程度のペナルティが課せられることについては否定するものではありませんが、それだって、せいぜい長くて半年の出場停止程度で十分でしょう。
第一、これが日本人の横綱だったら、朝青龍と同じ措置が取られたかどうか、非常に疑問です。


「格式」だの「品格」だの言いますが、そうやって一方的な価値観だけを押しつけて、“異端”を排除する巧言に見えます。
行儀良くまじめなんてできなかったら人間としてダメみたいなメッセージを送る横綱審議会には断固としてブーイングを送りたいです。
異文化の行き違いがあったなら、そして行儀良くまじめなんてできなくても、それでも「共生」して折り合っていく道をこそ模索していくことこそ大事だとよーかいは思います。
異端を排除していじめていく社会なんて、息苦しくてたまりません。
しかも、それが「正義」だなんて思いこんでいて疑わないことに問題の根深さをみます。


力が衰えた力士ならともかく、先場所優勝し、優勝回数も歴代3位の大横綱でした。
彼がいない相撲なんてもうまったく興味はありません。
きっとよーかいは、少なくともあと数年はテレビですら相撲を観ることはないでしょう。
下手すりゃ、もう一生観ないかもしれません。


もちろん、頑張って稽古をしている力士達に罪は一切ありません。
問題にしているのは、マスコミや横綱審議会などの、閉塞したいわゆる「相撲界」です。
朝青龍は外国籍なので、引退後に親方になる道も残されていません。
まだ29歳の若者なのに、事実上相撲界からの追放です。
こんな暴虐が許されていいのでしょうか?




怒りをこめて一言。


くたばれ、相撲界!!!!!ヾ(。`Д´。)ノ   
Posted by よーかい at 01:55Comments(9)TrackBack(0)今日のつぶやき。

2010年02月04日

「ちはやふる」の舞台へ。

少女漫画で今いちばん何が面白い?と聞かれたら、「ちはやふる」だとよーかいは即答します!o( ̄へ ̄*)むん


前回の記事で「熱い」少年漫画などに触れたので、そのつながりで、いま「熱い」と思う少女漫画についても、旅と絡めて書いてみようと思います。


ちはやふる」が描いている題材はなんとカルタです!

あの百人一首のカルタ競技なのです。





このテーマを題材に、単に物語の“背景”ではなく“主題”として正面から正々堂々カルタ競技を熱く描けるなんてそれだけで驚愕です。
やはり、読んでいて体温と心拍数が上がる作品なのです。

よーかいは1年くらい前からコミックスを読み始めましたが、最新版「このマンガがすごい!」の女性コミックス編では1位にランクインされていました。
2009年の「第2回マンガ大賞」でも大賞を受賞したそうです。
さもありなん。


作者は末次由紀さん。
物語は、主人公の少女が小学6年の時に、競技カルタに出逢うところから始まります。
カルタを通じて出会った情熱と、そしてかけがえのない仲間。
そして別れ。

時が流れて高校時代、再びカルタを通じての新しい友情と、再会、そしてライバルの登場。
ひたすら“青春”しています。
そして、カルタが地味でおとなしい文化系競技だなんてとんでもない!
ある意味頭脳戦ですが、もう半分の要素は格闘技にも負けないくらいの超体育会系。
そのあたりのハードさもしっかり書き込まれていて、男性読者でも違和感なく読み進めることができます。

タイトルの「ちはやふる」は、
『ちはやふる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは』
という在原業平の歌からきていますが、同時に主人公の名前が「ちはや」であり、この歌に特別な思い入れを持つことからもきています。


とにかく、
理屈より読むべし!ヾ(。`Д´。)ノ
っていう作品です。

昔、犬飼毅は「話せばわかる」と言ったそうですが、この場合「読めばわかる!」なのです。
逆に、読まなけりゃ、この作品の真の魅力や「熱さ」は、どんなに説明してもわからないと思いますです。。(; ̄∀ ̄A


このカルタ競技、毎年選ばれた者たちが名人やクイーンを目指して闘う場所が滋賀県の近江神宮です。
「ちはやふる」につられて、よーかいも先日、車を飛ばして行ってきました!



入り口の門はよく作品にも描かれていますが、情熱の紅(あか)です。

内部の神社はこんな感じ。
沖縄のいくつかの御嶽(ウタキ)で感じるみたいな、すーーんと空に突き抜けるような清浄な空気感がありました。

祀られているのは“学問の神様”でもあります。



ここは、高校球児にとっての甲子園。
サッカー小僧にとっての国立競技場。
ラガーメンにとっての花園球技場。
相撲取りにとっての国技館?!
っていうくらいのカルタ取りにとっての“聖地”なのです。



新春かるた祭のポスターも貼られていました。
さすが聖地!

ちなみに、「ミイラ取りがミイラになる」ことはあっても「カルタ取りがカルタになる」ことはないので、その意味では安全です。(なんのことだ?)




神社の敷地内を歩いていると、「ちはやふる」原画展のポスターがっ!
なんと、神社の宝物館で現在開催中なのです。(知らずに行きました。)


けれど…
原画展は時間が夕方4時半まで。
時計を見ると、すでに5分ほど回っていました。
宝物館も人の気配はするものの、電気が消されていました。

「入り口からちょっとだけでも見えないかな…」

そう思って覗いたら、なんと!
受付のおばちゃんが
「今開けるからいらっしゃい!
 電気も点けてあげるから!」

と、特別に中に入れてくれました。

旅先でこういう親切に出会うと、ちょっと泣きそうになります(じーん)。



宝物館の2階で、原画展はやっていました。
これまでのすべての表紙とカラーページ、そして近江神宮が登場する回の漫画原稿の原画が飾られていました。
女性作家らしい繊細なタッチで、縮小されたコミックスよりも、そのままのサイズで観た原画の方がずっと素晴らしいものに感じました。

もちろん、観客はよーかいただひとり。


原画を観ることができた以上に、開館時間をオーバーして、一度は全館の電気を消して帰り支度をしていたのをわざわざよーかい一人のために電気を付けて観せてくれたということに感動していました。




ちなみに……



以前ちょこっと書いたように、カルタという言葉はポルトガルが起源なのです!

百人一首という純和風と、意外なところで南蛮文化はつながっていたのです。


そういうわけで、明日(以降)から再びポルトガルの旅の記事の続きを書く予定なのです!ヾ(。`Д´。)ノ(これも意外なつながり??)




おまけ:

滋賀県といったら、彦根城の「ひこにゃん」がゆるキャラとして大人気です。

ついでに見に行ったら、博物館内で登場するとのことで、観たくもない博物館のチケットを買うハメになりました。
……よーかいの尊敬する吉田松陰先生を殺した井伊直弼なんて嫌いなのに。。(-_-;)


ひこにゃん、とんだ守銭奴で性悪です。

しっかし、博物館内ではひこにゃんがただ歩くだけで人が群がり、キャーキャー大騒ぎでした。





……




……




……結局、「人は見た目が9割」なのですかっ!?ヾ(。`Д´。;;;)ノ(人??)  
Posted by よーかい at 01:18Comments(2)TrackBack(0)一日の雑感。

2010年02月02日

いまチャリンコが熱い!!!

もしかして、これからの時代、最も盛り上がるスポーツはチャリンコなんじゃないのでしょうか?


だって、チャリンコに乗ったことのない人はあんまりいません。
間口の広さといったら最強です。

しかも時代はエコ。
そして健康志向。

こう考えていくと、チャリンコの重要性は増すことはあれ、減ることはないように思うのです。


最近、とても面白い自転車漫画を読みました。

週刊少年チャンピオン連載の「弱虫ペダル」。



そんなに絵が上手いわけでもなかったので、最近まで気にしていなかったのでしたが、ちゃんと読んでみたらこれがとてつもない“熱さ”を持った極上の自転車漫画だったのです!

週刊少年チャンピオンというと、伝説の自転車漫画があります。
それは、曽田正人さんが90年代前半に連載していた「シャカリキ!」です。



当時は漫画通の間では「スラムダンクよりも面白いスポーツ漫画」とさえ言われたものです。
もちろん、よーかいも毎週夢中になって読んでいました。

自転車競技でも、競輪ではなくて、一般道を使った長距離走。
それがロードレース。
「ツール・ド・フランス」がその代表例だといえば、「ああ!」と納得するひとも多いでしょう。

ロードレーサーの自転車乗りは、いろんなタイプがいて、平地でのスプリンタータイプや、登り坂坂に特化したクライマー、そして万能型などさまざまです。
ロードレースの面白いところは、普通の競技だとフィニッシュでゴールした選手の順位だけが競われますが、自転車だと「山岳賞」があって、山を制したクライマーは優勝者と同じくらい賞賛の対象になることです。

そして、「シャカリキ!」はおそらく日本で初めて、自転車ロードレースの“クライマー”に焦点を当てた作品でした。
そして、曽田正人さんの初めての長編作品でしたが、その後彼は「め組の大吾」「昴」「capeta」など、“天才を描く”ことにかけては日本一といっても過言ではないくらいの大作家に成長しました。
その嚆矢が「シャカリキ!」だったのです。


あれから十数年。
自転車漫画は常に「シャカリキ!」と比較されてきました。

そして、同じ掲載紙「週間少年チャンピオン」で、クライマーの少年が主人公の自転車ロードレースの物語を真っ向から描いたのが「弱虫ペダル」です。


ある意味、無謀なチャレンジャー。
そして、正統なる後継者です。



この作品、レンタルで借りてほぼ一気読みしましたが、体温と心拍数が上がりました

今すぐ自転車で走り出したくなります。


よーかいも、一応ロードレーサー乗りのはしくれ(本当に端っこ)なのですけど、ペダルをこれまでのようにスニーカーで漕げるようなぬるい一般ペダルじゃなくて、ちゃんと専用の靴とそれとくっついた専用ペダルをつけて、ケイデンス(回転数)を思いっきり上げて走りたくなりました。
サドルももうちょっと高くしたいなぁなんてことも考えてしまっているくらいです。


ところで、よく「日本ではロードレーサーは育たない」といわれるそうです。
その理由はよくわかりませんが、少なくとも、フランスは別格としてもその他のヨーロッパよりも日本は自転車に対してとても恵まれた国なのだと思います。

ポルトガルやイタリアを歩いて感じたのは、街中ではどこも石畳だということです。
おそらく、それは馬車の時代からの歴史的な文化財とでもいえるのでしょうけど。

けれども、石畳の道では、マウンテンバイクのような車輪の太い頑丈な自転車でないと乗れません。

さらに、坂道。
日本の道は非常に起伏に富んでいます。
山岳コースを走ることも手軽にできます。

そして、自転車屋の多さ。
どこの街にも、規模の大小はあれ、自転車屋さんがあり、パンク修理も空気入れもわりと手軽にできます。


こんなに自転車に適した国って、なかなかないですよ?


さらに、漫画界では、ここのところ自転車ロードレースの漫画ラッシュといっても過言ではない状態が始まっています。
少し前では週刊少年マガジンで「Over Drive」という自転車漫画が連載していました。

そちらは終わってしまいましたが、先ほど書いたように少年誌では「弱虫ペダル」という凄い漫画がでてきました。(ちなみに、この漫画、最新版の「このマンガがすごい!」という本のランキングでベスト10にもランクインしています!)
また、週間少年サンデーでもなにやら自転車ロードレース漫画が始まったようです。(でも、これはすぐに打ちきられるかも…?)

青年誌では、もっとスゴイことになっています。
週間ビッグコミックスピリッツでは、玉井雪雄という人気作家が「かもめ☆チャンス」という自転車ロードレース漫画を連載しています。



さらに、「イブニング」という青年誌では、これまでSFやファンタジー作家として人気のあった鬼頭 莫宏さんが「のりりん」という、本格自転車ロードレース漫画の連載を昨年12月から始めたところです。



こう見てみると、自転車ブームは密かに、静かに、
しかし確実にじわじわと爆発する機会を虎視眈々と窺っているようにみえます。



もしかしたら、10年後の日本は、自転車が車を駆逐しているのかもしれません。

朝の通勤時は自転車のラッシュ。
朝から道路の幅一杯に、自転車の群れが漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ!



そんな風景が現れるかもしれません。





…あ。





それって、80年代までの中国の風景では?ヽ(゜▽、゜)ノアハ

逆にむしろノスタルジックワールド☆



そんなわけで、今日の一曲はQueenの「Bicycle Race」です♪

  
Posted by よーかい at 01:35Comments(11)TrackBack(0)一日の雑感。

2010年02月01日

葡萄牙国訪問記:番外編2.5

話を戻して、ムーア宮殿の城門の上の彫像について。

「ポルトガルのなまはげ」
この連想は、一見奇抜なようでいて、よく考えるとかなり根拠のある言葉にもとれます。

なぜなら、なまはげの「鬼」、あれは魔よけの意味もあるからです。


例えば、鬼瓦

ルーツは遠い昔にシリアのパルミラにて入口の上にメドゥーサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、さらに奈良時代に遣唐使などで中国文化が日本に入ってくる過程で鬼瓦になったといいます。



メデューサ→鬼
への変化なのです。


似たような経緯では、アフリカ大陸のライオンがシルクロードを通って魔よけとして中国経由で沖縄に入ったものがシーサー、韓国経由で日本に入ったものが狛犬となっています。

やはり、「おそろしいもの=強大な力を持つ魔よけ、厄よけ」として祀られているのです。


だから、遠くポルトガルのムーア宮殿の門の上の彫像と同様のものが大昔にシルクロードまたは航海を経て日本に入る過程で変化し、「なまはげ」へと変化したという可能性は現段階ではあながち荒唐無稽だと一蹴はできないのです。

さらに、「なまはげ」が外国人等の「化外の民」をモデルとしていたというのであれば、漂着したポルトガル船の乗員を「鬼」と見なしてモデルにしたという可能性もまったく無視することはできなくなります。(自分で書いておいてすぐ否定するのもなんですが、こちらは多分無視していいレベルでしょう。)


ちなみに、シーサーは現在では沖縄の各家庭の門柱や屋根の上にいたり、お土産として売られていたりしますが、ちゃんと首里城でも魔よけとして複数ヶ所配置されています。




このシーサー、髪の感じといい、目のタレ方とヤクでラリったようなとろんとした生気のない目といい、どこぞの洋楽ロック歌手によく似ています。
(なんという歌手かわかった方はコメント欄にご記入くださいませ。)


それはともかく、ポルトガルのムーア宮殿の彫像に再び目を転じてみましょう。



見事なM字開脚です。

コメント欄より、「なまはげ・オブジョイトイ(仮)」と名付けられましたヽ(゜▽、゜)ノアハ


そのように、ただの露出狂にも見えますし、見方を変えれば、裸のオッサンがゲートの下を通りかかった貴婦人を上から襲おうとしているところにも見えます。
あるいは、「なまはげ・オブジョイトイ(仮)」の上の窓の部屋に全裸で忍び込もうとしているようにも見えますし、忍び込もうとして上に上がったはいいものの、思わず下を見てしまい、その高さに足がすくんでしまったかのようにも見えます。


まるで、生粋の変態さんです。
英語で言うなら、
ナチュラルボーン・HENTAI
ですヾ(。`Д´。)ノ





実は、この「なまはげ・オブジョイトイ(仮)」さんは、おそろしげな風貌(あるいは変態的な風貌)をしてはいますが、その外見の恐ろしさによって魔よけを行うものとは少し違うのです。


この「なまはげ・オブジョイトイ(仮)」さんの本名はトリトーンといいます。

手塚治虫風に描くならこんな感じの風貌になりますです。
ちなみに、アニメ版監督はガンダムの冨野さんでした。



……少年が思春期を超えてオッサンへと変貌していくのって罪ですよね、と思わずつぶやきたくなります。


まあ、アニメの少年とは似ても似つきませんが、海の神トリトーンをモチーフにしたものです。


つまり、航海の守護者です。


そう、ポルトガルは大航海時代の立て役者だけある海洋国家です。
ムーア宮殿の「なまはげ・オブジョイトイ(仮)」改めトリトーンは、単にムーア宮殿の守護者ではなく、その高台から遙か彼方に広がる水平線全体を見つめているのです。


だから日本で言うなら、なまはげではなくて、ワダツミです。


水平線の遙か彼方まで旅をする船の安全を約束するカミサマなのです。




長い文章になりました。
簡潔に要約しましょう。






要するに、変態は世界を救うのです!ヾ(。`Д´。)ノ(違)  
Posted by よーかい at 02:04Comments(2)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年01月30日

葡萄牙国訪問記:番外編2.0

ムーア宮殿の城門の上に鎮座する彫像はなんなのでしょうか?



たしかに、これはよーかい自身も気になっていたところではありました。

これについて秋田県のF姫から
「これはポルトガルの“なまはげ”では?」
というコメントがありました。


なまはげ」については、ご存じの方も多いとは思いますが、「生八つ橋」とか「生キャラメル」とかには関係ありません。
ましてや、「焼きはげ」や「蒸しはげ」、「煮はげ」などもそんざいしないのです!ヾ(。`Д´。;;;)(当たり前だ)

しかし、関西圏だとお魚屋さんで見られます。
鍋物の季節には「なまはげ鍋」がポピュラーです。


ちなみに、関東圏では「生のカワハギ」といいますが…(; ̄∀ ̄A
(※お暇な方はグーグルで「魚 ハゲ」で検索してみてくださいませ。)





…って、違うじゃん!∑( ̄□ ̄;)ハウッ



話を戻しまして、なまはげとは、
『鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に付け、大きな出刃包丁(あるいは鉈)を持ったなまはげが家々を訪れ、「泣ぐコはいねがー」という荒々しい声を発しながら怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。』
というものです。(ウィキペディアより)



ちなみに、秋田県の女性に色白のいわゆる「秋田小町」と呼ばれる美人さんが多いのは、ロシア人の血が入っているからといいます。
沖縄の糸満美人がイギリス人の血が入っているからという説と似ていますね。

そのように、物事にはたいていモデルがあるものです。
なまはげは、おそらく当時の人々にとって「化外の民」ではなかったかとよーかいは想像します。
漂着した外国人とか、昔から森の中に住んでいた原住民とかです。

ということは、今でももしかしたら人里離れた白神山地あたりの奥地では、まだ野生のなまはげのコミュニティがあるのかもしれません。

そういえば、白神山地は屋久島同様「もののけ姫」の森のモデルなのだといいます。
だから、きっとシシ神様も生息しているのでしょう。
なまはげが持っている包丁だって、自生している可能性も否定できません。
きっと木々には秋田名物のとんぶりが葡萄の房のように垂れ下がり、地面を掘るとイブリガッコがでてくるのでしょう。
川にはハタハタが泳いでいて、水辺にはキリタンポが薮のように生えているはずなのです!ヾ(。`Д´。)ノ(妄想)



……何を書こうとしていたんでしたっけ??











あ。

支離滅裂なところで恐縮ですけど、

外出する時間が来てしまいましたので、この続きは次回! (え?続くの?!)  
Posted by よーかい at 09:56Comments(2)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年01月28日

葡萄牙国訪問記:8

ちっとも話が進みませんが(←自業自得)、2日目の続きなのです!ヾ(。`Д´。;)ノ   


ユースホステルに宿をとった後、列車でシントラという街に向かいました。
本当は、この日の最大の目的はロカ岬
だけど、ロカ岬だけ行くにはもったいないですし、シントラという街は世界遺産に登録されているというので、「ついで」くらいの気持ちで行ってみることにしたのです。

よーかいは世界遺産を観るのはけっこう好きです(ミーハー)。

無目的に見える旅の中でも、世界遺産があるとなるべく訪れるようにしています。
ちなみに、日本国内の世界遺産に関しては、あとは秋田県の白神山地だけ行っていません…( ̄ω ̄;)
なお、近いうちに世界遺産登録されるかもしれないと言われている平泉の中尊寺金色堂も、小笠原諸島の父島も母島もすでに訪れているので、
気がついたら、よーかいにとっての日本最後の「秘境」は何を隠そう、秋田県になっていたのです!!!ヾ(。`Д´。;;;)ノ


すでに訪れたグアテマラの密林よりも、まだ未知の場所の方が遠く感じます。
白神山地は絶滅危惧種である野生の「なまはげ」が生息する場所なのです。(※イメージ)
というわけで(?)、もう訪れてしまったシントラという街は秋田県よりもよーかい的に「秘境」の度合いは低いのです。(←あ、だけど秋田県自体は何度か訪れていますよ。)


……つか、このまま際限なく脱線の戯れ言ループの罠にはまりそうなので、話を戻します。

ちなみに、天正遣欧使節の関係で、シントラは長崎県大村市と姉妹都市です。(言ったそばからまたもや脱線)



まずは、駅から循環バスで山道を登っていき、「ムーアの城壁」という古城にたどり着きます。(そういえば、ドラクエⅥに「ムーアの城」がでてくるのだとか?!)
ムーアの城跡とペーナ宮殿の二つの共通チケットで11ユーロなり。

んー、ちなみに沖縄の首里城の入場料が800円、今帰仁城跡だと400円なので、そう考えるとこちらのお城2つで11ユーロはちょっと高いかなぁ…?と思っていたのでしたが、実際は非常に見応えがありました!



ムーアの城壁は、現在では城跡の石組みだけが残っています。
7~8世紀に北アフリカ系イスラム教徒であるムーア人によって築かれたものということですが、考えてみれば日本ではまだ飛鳥時代です。
大化の改新の頃ですよ…!

それにしても、石垣の組み方の感じといい、雰囲気が沖縄の今帰仁城跡にとてもよく似ています。
一種、居住空間と祭詞的な空間が混在している感じもして、そのあたりの近さも感じました。

そして、この風景!



ああっ、写真だと海が遠くに霞んだ感じになってしまってほとんど見えないのが残念無念…(TwT。)


実際は、周囲の海まで含めて一望できる様子は、まさに沖縄の「城(ぐすく)」感覚です!

もしかして、沖縄の城(ぐすく)の建造には、海人がゴアとかマラッカあたりで出会ったポルトガルの職人が関わっていたのではなかったのかしらん?なんてことを妄想してしまうくらい雰囲気が似ていました。

そういえば、大航海時代にマラッカにやってきたポルトガル人のトメキレスが、レポートの中に琉球について詳しく書いているそうです。
琉球は貿易国家として、早くから広く海外に進出していたのですな。
日本人に出会う以前に、どうやらポルトガル人は琉球人と出会っていたようなのです。


まあ、もっとも、今帰仁城が建造されたのは14世紀。
この頃はまだポルトガルは大航海時代より前でしたので、交流はなかったはずなのです。
だから、それぞれ独自に影響を受けずに、似たようなものをそれぞれ生みだしていたというのはなかなかに興味深い事実なのです。



そして、さらにやや高台には、1850年に完成したというペーナ宮殿がありました。
こちらは歴史的にはムーアの城跡よりもずっと新しいのですが、こちらでも沖縄の城(ぐすく)との共通点を発見しました!



なんと、建造物のゲートに珊瑚やシャコ貝が使用されています!!!∑( ̄□ ̄;)ハウッ




ポルトガルの海は珊瑚が棲むには海水温が低いような気がするのですが、化石でしょうか?
それとも、大航海時代に海外から運んできたのでしょうか??
ともかく、高台にある城なのに、わざわざ建造物に珊瑚を使用しているのです!



さらに、城内にあったこの木や石の感じなんて、香炉があったらそのまんまウタキの雰囲気です。


まあ、お城そのものは沖縄のものとは似ても似つかない外観なのですが、ここでも一つ共通するキーワードが!



よく見ると、このお城、ゴシック調とイスラム調、ルネッサンス調などが節操なくミックスされた外観及び内装になっています。
けれど、バラバラなのに不思議な調和感もあります。


そう…



これは…




……沖縄で言うチャンプルーではありませんか!!!ヾ(。`Д´。)ノ







すでに、「ポルトガルはヨーロッパの沖縄だ!!!」なんて記事をこの訪問記のはじめの方で書きました。

にしても、
こんなところでも沖縄を幻視しているよーかいだったのでした。。σ(^_^;)アセアセ...   
Posted by よーかい at 01:35Comments(4)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年01月26日

葡萄牙国訪問記:7

そんなわけで2日目もリスボンです!ヾ(。`Д´。)ノ


リスボンは言うまでもなくポルトガルの首都です。
日本と西洋とのファーストインパクトは、ポルトガル船が種子島に漂着した1543年に始まります。
(ただし、ポルトガル史では、日本の「発見」はポルトガル船が豊後に漂着した“1541年”と日本史よりも2年早くなっています。)



そして、鉄砲を始めたくさんの南蛮文化が流入し、1549年には「以後良く(1549)なくてキリスト教」(な、なんてネガティブな年号暗記法なんだろう…。)がやはりポルトガルから伝来したのです。
また、ポルトガルから運ばれてくる進んだ技術や文化は当時の流行の最先端となり、織田信長を初めとして、南蛮貿易に力を入れたり、さらにはキリスト教に大名自身がハマってしまった「キリシタン大名」を生み出していきました。(はい、中学生のみなさーん、ここ入試に出ますよー!)


かつて、天正遣欧使節も日本から船に揺られてリスボンに到着し、そこから陸路ではるばるローマまで旅をし、当時のローマ法王に謁見したという記録が残っています。

そのくらい、かつて日本にとってポルトガルはまさに「西洋への入り口」だったのです!


ちなみに、「西洋」なのに、なぜ「南蛮」かというと、ポルトガル船は東南アジアの南の航路を通って日本にやって来たことに由来します。
だから、「南から来た人々」だと勘違いされていたのです。
さらに、西洋人から見たら日本人は「発見」された東の端っこの原住民ですが、日本人にしてみると、日本人以外はすべてが「野蛮人」扱いでした。



だから、「南から来た野蛮人」ということで、ポルトガル人は「南蛮人」と呼称されるようになったのです。
ちなみに、よーかいはいつもいいかげんなことばかり書いているので、この話も眉唾だと思われるかもしれませんが、一応ちゃんと事実です。(オオカミが来たぞーー!?)


にしても、「南蛮漬け」なんて、南の野蛮人を漬けたようなおぞましさではありませんか?
カニバリズム感満載です。
「鴨南蛮」なんて、野蛮人だとバカにして鴨にする姑息なあくどさを感じます。(違)

さらに宮崎県人!
チキン南蛮
だなんて、なんという言いぐさ!!!
南の野蛮人で、さらにチキン(臆病者)ですよ?!
ポルトガル人に謝りなさい!!!!!ヾ(。`Д´。)ノ(だから違いますってば)



ところで、
花の都」パリ、
音楽の都」ウィーン、
古都」京都、
など歴史と伝統のある有名な街にはたいてい何か通り名的なステキ形容表現がついているものです。

や、あんまりどころかかなりマイナーな場所でも、最近は
「ハレの国」岡山、
「彩の国」埼玉、
うるおい・にぎわい・ささえあい ともに築くわがまち練馬」(?!)
など勝手に自称しているケースも目立ちます。


でも、日本では、リスボンの通り名って聞かないですよね?


ちなみに、リスボン市内の広場に各国語で書かれていた言葉には、
リスボン-寛容の都市
とありましたけど、
「寛容の都市」のキーワードでインターネット検索すると、出てくるのはオランダの首都、アムステルダムです。
断固としてリスボンではありません…( ̄ω ̄;)



もっとも、アムステルダムの「ダム」は「Damn」じゃないかと思うくらい、寛容というよりは無法地帯っぽい匂いがしますが、それはいまは脇に置いておくのです。



それにしても、せっかく日本と深い関わりがあり、歴史も伝統もある街、しかも一国の首都でありながら、何の通り名も飾り立てるステキ形容表現もないというのは少しさみしいような気がします。


なにせ、
カステラ(「カステロ=城」より。一説にはオランダ語由来とも。)も、
カルタ(これはそのまんまカードゲーム)も、
金平糖(「コンフェイト」というお菓子より)も、
シャボン(より正確な発音は「サバオン」)も、
天ぷら(より正確な発音は「テンプロ」)も、
ジョウロ(より正確な発音は「ジャロ=水差し」)も、
すべてポルトガルが元祖なのです。

さらに、日本語の「おんぶ」という言葉、実は「オンブロ=肩」というポルトガル語由来です。
さらに、「バッテラ(鯖のお寿司)」は「バテイラ=小舟」が元の言葉。
どこからどう見ても日本語か中国語のような「チャルメラ」さえ、「シャラメラ=(昔のポルトガルの)笛」が元祖の言葉なのです!!!
(←かく言うよーかいもこの旅の間、ポルトガル語会話帳を見て初めて知りました…。。)


そんな、素晴らしき「元祖」ですよ!?
日本人が当時考えもつかなかったことを、ずっと早くからやってのけていたのです!∑( ̄□ ̄;)ハウッ

もうそれは、「天才」としか形容しようがないようにも思います。


ならば、ここは

リスボンに敬意を込めて、シンプルに形容表現を付けようと思います。 




そう、
賢明な読者諸氏はもうお気づきですね?





リスボンにふさわしいステキ形容詞、それは
元祖天才
なのです!!!!!ヾ(。`Д´。)ノ















……ごめん、もし今晩から明日にかけて日本中に寒波が吹き荒れたら、きっとそれはよーかいのせいです。。( ̄ω ̄;)  
Posted by よーかい at 02:32Comments(6)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年01月25日

葡萄牙国訪問記:6

ポルトガル2日目。 

ホテルの朝食は朝8時半からで、遅いなぁと思ったのですが、これはポルトガルのどの地域のユースホステルも含めてこれより早い時間から朝食を提供している場所はなかったのでした。

基本的に、ポルトガルの食事時間は3食とも日本人の感覚よりもやや遅めです。
朝食はとらないポルトガル人も多いそうです。
ただ、軽食屋はどの街でも朝わりと早い時間から開いていて、お菓子やパンを食べたりコーヒーを飲んだりすることができます。

ポルトガルのコーヒーは、基本的にエスプレッソコーヒーがベース。
このあたりはイタリアと同じ感じでした。

果物に関しては、リンゴやナシなんかは皮ごと食べるのが基本のようでした。
剥いたり切ったりせず丸ごと置いてあるだけです。

一度、リスボンの食堂で安いコース料理を頼んだとき、デザートに小振りの洋なしがお皿にそのままごろんと転がっていたこともありました。
剥きも切りもせず、もちろん、デザートだからってなにかお菓子風に加工してあるわけでもなく。
まるで静物画の課題でも出されたかのように、ただそこに無愛想にごろりとあるだけ。

あれは、
いったい、どこの鬼嫁かと思いましたね…(ノ゜⊿゜;;;;;)ノ
うん。


さて、当初はすぐに北部のポルトまで移動しようかとも思っていましたが、近くのユースホステルまで行って空きベッドを確認したらすぐに泊まれるということだったので、その日はリスボンを拠点に近くの街まで行ってみることにしました。
宿泊費は1泊17ユーロ。(朝食付き)
ユースホステルの会員証を日本に忘れてきてしまっていたのでしたが、その場で無料で発行してくれました。
日本だと、会員証を持っていないと数百円プラスの料金になるのが普通ですし、また、会員証の発行には二千数百円かかります。
ちなみに、会員証は全世界共通。
また、わりと誤解している人が多いのですが、ユースホステルに年齢制限はありません。
ですから、老人でも泊まれますし、熟年の夫婦で泊まっている人もいます。

しかし…




……ユースホステルを「若衆宿」と訳してしまうと、どこか似て非なるものになってしまうので要注意なのです!!!ヾ(。`Д´。;;;)ノ



ちなみに、これはつい先日高知県で見てきた、現存する若衆宿です。
「現存する」といっても、もちろん現在使用されているわけではなく、歴史的文化財として保存されているだけです。

若衆宿は、幕末くらいまでは日本各地にどこでもあったのですが、明治の教育勅語以降は廃れていきました。
とはいえ、戦前くらいまでは各地に名残があったと言われています。

しかし、
風俗を乱す
という理由で、大正時代以降はどんどん取り壊されてしまい、今では保存されているものさえ日本にはほとんど残っていません。

ちなみに、その風習は、1980年代の日本では、新宿駅の掲示板に「XYZ」と書くと依頼を受け付けてくれる裏稼業の専門家へと受け継がれつつも、その裏稼業の男がその行為を実行しようとすると100トンのハンマーで殴られた上、布団にすまきにされて高層マンションのベランダに吊されたそうです。

……こう書くと、その某裏稼業を描いた漫画っていかにも民俗学的風習に満ちた金田一耕助の小説風の猟奇的な作品みたいですね。。(; ̄∀ ̄A



それはともかく、2日目もリスボン近郊を徹底的にうろついてみることに決めたのでした。




……余談ばかりで話がちっとも進みませんヾ(。`Д´。;;;;)ノ(爆)  
Posted by よーかい at 01:20Comments(0)TrackBack(0)一日の雑感。

2010年01月25日

沖縄の人間国宝 美と技を一堂に


沖縄を代表する重要無形文化財保持者や団体の伝統工芸作品が並ぶ人間国宝展=16日午前10時、浦添市美術館


琉球王朝時代から受け継がれる伝統工芸の美と技を一堂に集めた「沖縄の人間国宝展~伝統工芸の粋~」(主催・浦添市美術館、沖縄タイムス社、文化庁)が16日、同館で開幕した。
2月1日まで。


「琉球陶器」の金城次郎さん、
「読谷山花織」の與那嶺貞さん、
「首里の織物」の宮平初子さん、
「紅型」の玉那覇有公さん、
「芭蕉布」の平良敏子さん

5人の人間国宝と、
喜如嘉の芭蕉布保存会、久米島紬保持団体、宮古上布保持団体を紹介。
沖縄で初公開となる作品を含む94点が並ぶ。


4点の着物が沖縄で初めて公開される染色家の玉那覇さんは
「前から展示会に出したいと思っていた作品を見せることができ、感謝している」
とあいさつした。


同展の問い合わせは同館、電話098(879)3219。



(2010年1月17日 沖縄タイムス)  

2010年01月22日

ど根性ガエル?!

このユニフォーム、チームエンブレムはベンフィカなのですが、胸のカエルがどうしても「ど根性ガエル」に見えてしまうのです。




根性、根性、ど根性!ヾ(。`Д´。)ノ

……って、今の子どもたちは知らないんだろうなぁ。。



そういえば、たしかクラブワールドカップの決勝ゴールを決めたメッシのゴールは、胸でのゴールでした。
このユニフォームだったら、もっと胸でのゴールが増えるかも?!


ちなみに、「ど根性ガエル」を知らない人のために、ご参考までにYoutubeの画像を貼っておきます。
多分版権のためでしょうが、日本語のものは見つからなくて、なぜかスペイン語です(笑)。




うーん、言葉が変わるだけでこうもシュールに感じるものでしょうか?

にしても、今見ると、ピョン吉って人面瘡みたいですね……(; ̄∀ ̄A  
Posted by よーかい at 00:02Comments(2)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年01月21日

葡萄牙国訪問記:番外編1

ポルトガルの空港には、サッカーショップがありました。

イタリアの空港にもオランダの空港にもドイツの空港にもサッカーショップはあって、欧州のほとんどの空港にはお土産屋や免税店にまじって、サッカーショップがあるのが当然になっています。

街を歩いていても、お土産屋には当然のように地元サッカーチームのグッズが売られています。
スポーツニュースでも、サッカーの時間は最も長く放送されますし、通常のニュースでは足を止めない人々も、サッカー関連のニュースだと足を止めて見入る人が多いです。


このあたり、サッカー文化の差を感じます。

ちなみに、FIFA(国際サッカー連盟)に加盟している国や地域は、国連加盟国よりも多いのです。
野球はあくまでアメリカ文化圏だけの、世界的にはマイナースポーツで、全世界共通にもっとも人々が熱狂しているのはやはりサッカーなのです。

しかし、野球では「世界一」の日本でも、野球文化が根付いているかというと疑問な感じもします。
もちろん、地域によってはそれなりに野球文化があるように感じますが、成田空港や関西空港にベースボールショップがないところを鑑みると、まだまだ浅いようにも思います。

同様に、日本のサッカー文化も、地域差もあり、浅いながらも存在するとは思いますが、やはり欧州のそれとは別物です。
なにせ、地元チームの最新試合の勝敗を知らないと、八百屋で野菜を売ってもらえないのが当たり前だというのですから…(; ̄∀ ̄A


さて、基本的に欧州では、同じ国の強豪チームグッズでも、「ホームタウンの地域」にいかないと売っていないのが普通です。
けれど、空港になるとそれなりに、いくつかの地域のチームのグッズも売られています。




これは、東京ヴェルディや川崎フロンターレなどを経由してポルトガルの名門ポルトに行き、現在はブラジル代表にまで登り詰めたフッキ選手のレプリカユニフォーム(子供用)です。

ちなみに、フッキ選手のポルトガルでの登録名は「HULK」。
これは、フッキ選手がアメリカンコミックの超人ハルクの大ファンだったことから、自称しているようです。


やはりリスボンの空港では、ベンフィカとスポルティングリスボンの2チームのグッズが多かったですが、海外の名門、例えばスペインのバルセロナやイギリスのマンチェスター・ユナイテッド、そしてアーセナルなどのレプリカユニフォームなども売っていました。


半額セールになっていて、思わず買ってしまおうか?と思ってしまったのがこれ。



今ではマンチェスター・シティに移籍してしまったアデバヨールのアーセナル時代のユニフォームです。

……なんだか泣けます(TwT。)


そして、笑ってしまったのがこれ。




アルシャビンの背番号がなぜに20番???(; ̄∀ ̄A


アルシャビンの背番号が過去に20番だった事実はありません。
アーセナル入団からずっと23番です。


ナイキの純正品だったのですけど、なぜだろう……?????




ある意味、これは超貴重品だったかも?!ヽ(゜▽、゜)ノアハ  
Posted by よーかい at 03:18Comments(4)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年01月21日

デューク・エリントン「A列車で行こう!」。

たまたま、いまFMでデューク・エリントン演奏する、ビックバンドジャズのスタンダード「A列車で行こう!(Take the "A" train)」が流れていました。

この曲、昔よーかいが好きだった谷村有美のFM番組(NHKの「ミュージックスクエア」だったか、その前のFMヨコハマの「気ままにフィール・ミー」だったか…。)のオープニングに使われていたこともあって、なんだか妙に親しみがあります。






画像の方は、ビックバンドではなく、デューク・エリントン本人がピアノトリオで演奏している珍しいヴァージョンです。
この曲って、1939年の作曲なので、もう70年以上も前の曲なんですね。


この「A列車」、高校生の頃はてっきり、特等席かなんかある特急列車を指すのだと思っていました。
いったい、どんな素敵な電車だったんだろう、と。

きっと、ダンスホールみたいな食堂車もついているに違いない、とか(笑)。


でも、実は、これって単にニューヨークの地下鉄の路線の「A路線」を指すに過ぎないのです。
ニューヨークでは、本当に単純に路線図が行き先事にA、B、C、Dなどに分かれているのです。

白人の居住区はD列車。
一方、黒人の居住区であるハーレム地区に行くのがA列車でした。

だから、間違えて別の列車に乗らないように、
「ハーレム行きはA列車だぜ!」
という、単にそれだけのことだったようです…(; ̄∀ ̄A

もちろん、ハーレムと言ってもウハウハ(死語)の方ではなく、スラム街の方です。



これって、
日本に直すと……



目蒲線物語
になるんじゃないでしょうか?!(ノ゜⊿゜;;;;;)ノ

古いですね。
もう知っているひとも少ない曲でしょうが。。


画像が貼れない形式になっていたので、上記のタイトルのところに曲のリンクだけ貼っておきます。

それにしても、もう目蒲線ってないんですね。
一度乗っておけばよかったなぁ…σ(^_^;)  
Posted by よーかい at 02:49Comments(0)TrackBack(0)今日の一曲。

2010年01月20日

ATENCAO!

ポルトガルで、「○○注意!」という意味の道路標示です。
日本同様、こういった注意の標識の下に速度規制の数字がついていることもあります。


しっかし、この標識ってどう見ても……






駆け落ち注意!

…ですよね?ヽ(゜▽、゜)ノアハ



さらに、下に「40」などの規制数字があった場合は、

「40歳以上で駆け落ちするのは危ない(つか、痛い?)からやめておきなさい」

という、厳格なカトリックの国ならではの道徳観念を示した標識に見えてしまいます。





え?



見えないですって?



おかしいなぁ……(; ̄∀ ̄A(爆)  
Posted by よーかい at 03:18Comments(2)TrackBack(0)タビニッキ。

2010年01月15日

心にもスタッドレスタイヤを。(東京都第二回二次結果)

PERIGO!

心にもスタッドレスタイヤが欲しい今日この頃です。



本日、東京都小学校教員採用試験第2回の二次の結果発表がインターネット上でありましたが……

ダメでした(TwT。)アハハ



もはや、芸風。
いや、履歴書に「特技」とさえ書けるかもしれません。
難関を1次は見事に突破するのに、2次でそれ以上華麗に(?)必ず落ちるのは。。orz


案外、もはや「ネ申」の領域なのかもしれません。
落とし神ならぬ落とされ神……。
誰か「神にーさま」と呼んでください(美少女限定)。


そして、こんなこともあろうかと、あらかじめポルトガルで「落ちた時用」のブログに貼る写真なんかを撮ってあった自分がいました。
準備は万端だったのです!(なんの?)
もちろん、受かる準備はもっと万端だったのですけど……o( ̄ー ̄;)ゞううむ


今回こそは、と思ったのだけどなぁ…。。
なかなかうまくいかないものです。

しかし、季節は変わります。
冬が来た後には、大吹雪が来るのです!(違)

また春もいつかくることでしょう。
ハルウララなのです!(←それって、勝てないのでは?)


そういえば、今度の春にはおそらくどこかに転勤なのです。
♪いつかは~あなたの住む町に~~
 行くかも~知れません~~~♪

(※註:このフレーズで何の主題歌かわかったひとは年齢がバレますよ?)


まあ、同じように続けるだけです。

きっと、まだどこか足りないものがあるのでしょう。
それに、一生の職業にしようと思う以上は、じっくり下積みを積んで、自己研修と自己研鑽に励み、指導法を研究し、さらなる社会経験を積むことと見聞を広めておく必要があるのでしょう!ヾ(。`Д´。)ノ


そう思うことにしますです。






……にしても、今年引いたおみくじはすべて、
『願い事:叶う。
 学問:成就する。
 試験:合格する』

と、いいことばかり書いてあったのですけど。。



きっと、日銀短観よりも長期的な視野でのおみくじだったのでしょうな!!!ヾ(。`Д´。;;;)ノ(爆)




…ちなみに、飛行機の株主優待券欲しさに3,000株も保有していた日本航空株が今年早々に紙屑同然になってしまって、そちらも年明け早々踏んだり蹴ったりなのです。



……負けるもんか!(/ヘ ̄、)クスン  
Posted by よーかい at 20:39Comments(8)TrackBack(0)一日の雑感。