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Posted by TI-DA at

2011年09月04日

そういえば。

気がつけば、沖縄県小学校教員採用二次試験が終わってからちょうど1週間。 

もう1週間かという思いと、それまでの環境から激変して、まだ1週間しか経っていないのかという思いと。

試験前の1ヶ月近い期間は、睡眠時間が1日3~4時間の生活でしたが、いまでは普通に眠ることができています。
(とはいえ、文庫本や漫画読んだりで夜更かしすることはしばしばですが…。)

試験後の疲れもおかげさまでほとんど抜けたように思います。
いまは毎日、日々の仕事に精一杯取り組んでいます。


さて、いつもなら、ここで二次試験のレビューを書いています。
本当は、今年もすぐに書くつもりでした。


だけど…

すみませんっ!
今年はしばらく掲載を見合わせますですm(_ _)m



ちょっといろいろ諸事情あるのです。
お察しいただけると幸いです。


正直にすべてを書くと、よく映画であるような
「消される」
という状況に陥りかねないのです。

……といったら、少々オーバーですけど(汗)。

ちなみに、下書きだけは書いてあるので、いつでも微修正して掲載できる状態にはあることは付記しておきます。


いつも楽しみにしてくださる方々、本当に申し訳ない。



近々、その他の記事の掲載は再開しますので、すみませんがそちらを改めてよろしくお願いします!  

Posted by よーかい at 03:00Comments(7)一日の雑感。

2011年08月17日

おかげさまなのです。

正式な報告が遅くなりましたが、平成24年度沖縄県小学校教員採用試験一次試験に合格いたしました。



先週の金曜日の夕方17時に、県教育委員会のホームページでの発表があり、月曜に正式に合格通知書類が届きました。
そして、沖縄本島より1日遅れの本日、1次の順位表も届きました。


今回の受検者数は聞いた話だと1800人を超えているのだとか。
よーかいの順位は35位でした。


現在、二次試験の準備に追われています。
二次試験は26日から28日の3日間のハードスケジュール。
仕事をしながらの準備だと、正直ちゃんと寝る時間もあまりないほどです。


ええと、沖縄の二次試験に挑戦するのは、もう5回目だったかな?(爆)
受けられなかった昨年を抜かせば、連続出場記録更新中です。
将棋では、あるタイトルを5年連続保持すれば「永世○○」(例えば永世名人や永世王将、永世棋王など)とついてしまいます。
とすると、よーかいはもはや、沖縄県の「永世二次試験受検者」といっても過言ではないのです!



……



……



……。



……やだ。



そんな称号、いやだぁぁぁぁああ!(号泣)orz



閑話休題(「それはともかく」と読みます)。
受験を始めた頃は、一人で戦っているような気がしていました。
でも、実はたくさんの人に支えられて、こうして続けてくることができているのだなと今は実感しています。

いろんな人の思いをちゃんと受け継いで、背負っていきたいと思います。

まだまだ至らないところばかりですが、責任を受け継いで、まずは自分自身が目指す場所へと向かわなければ。
そして、自分自身の試みが成功したら、もちろんそのときは別の課題を背負っているでしょうがそんなのは関係なく、後から来る人にちゃんと手をさしのべられる人になりたいと強く思っています。

自分自身が、これまで受け取ってきたように。



だから、二次試験まであと1週間ちょっと、きついけれど、これまでの全部をぶつけられるように真正面から取り組んでいきたいと思います。



よろしくお願いします!  

Posted by よーかい at 17:30Comments(11)なかゆくい

2011年08月15日

学校基本調査:暴力行為発生件数といじめ認知件数

     暴力行為  (千人当たり)   いじめ  (千人当たり) 
   北海道  1979    3.5     4731   8.3
    青森    615    3.9      818   5.1
    岩手     ―      ―        ―     ― 
    宮城     ―      ―        ―     ― 
    秋田    120    1.1      482   4.3
    山形    101    0.8      399   3.0
    福島     ―      ―        ―     ― 
    茨城   1771    5.3     2669   7.8
    栃木    944    4.2     1217   5.3
    群馬    350    1.5     2510  10.8
    埼玉   2304    3.0     1812   2.3
    千葉   3318    5.1     8412  12.9
    東京   3050    2.5     4705   3.8
    神奈川  7347    8.0     4673   5.1
    新潟   1015    3.9     1157   4.4
    富山    388    3.3      696   5.8
    石川    314    2.4     1304   9.8
    福井     73    0.8      781   8.1
    山梨    325    3.2      521   5.0
    長野    782    3.1     1067   4.2
    岐阜   1322    5.5     3715  15.2
    静岡   1732    4.1     3461   8.2
    愛知   2052    2.4     9308  10.9
    三重    734    3.5      365   1.7
    滋賀    453    2.7      250   1.5
    京都   2641    9.4      468   1.6
    大阪   8348    8.6     2134   2.2
    兵庫   3470    5.5     1186   1.9
    奈良   1218    7.6      335   2.1
    和歌山   604    5.2      212   1.8
    鳥取    206    3.1       68   1.0
    島根    313    4.0      251   3.1
    岡山   2504   11.3     1123   5.0
    広島   1639    5.2      570   1.8
    山口    749    4.9      547   3.5
    徳島    416    5.0      416   4.9
    香川   1070    9.7      415   3.7
    愛媛    166    1.0      713   4.5
    高知    646    8.0      396   4.8
    福岡   1746    3.1      764   1.4
    佐賀    163    1.5       68   0.6
    長崎    320    1.9     1338   7.8
    熊本    324    1.6     5796  27.6
    大分    351    2.7     2556  19.3
    宮崎    163    1.2      120   0.9
    鹿児島   200    1.0      455   2.3
    沖縄    553   2.8     311  1.5
    合計  58899    4.4    75295   5.6
    ※岩手、宮城、福島は震災のためデータなし(了)


(2011年08月05日 時事通信)  

Posted by よーかい at 19:01Comments(0)沖縄県2次対策

2011年08月15日

学校のいじめ3・5%増 暴力は5万9千件、文科省

全国の国公私立の小中高校などが2010年度に把握したいじめは、震災の影響でデータがない岩手、宮城、福島の3県を除いても7万5295件で、09年度より3・5%増えたことが4日、文部科学省の問題行動調査で分かった。

 
現行の調査方式になった06年度以降、減り続けていた。
解消したとされたいじめの「解決率」は79・1%だった。
小中高校の学校内外の暴力行為は5万8899件で、児童生徒千人当たりでは4・4件と0・1件増。

 

文科省は、いじめを受けた群馬県桐生市の小6女児が昨年秋に自殺したことなどから、全校でのアンケートを求める通知を出した。



(2011年8月4日 共同通信)  

Posted by よーかい at 19:00Comments(3)全国の最新動向

2011年07月26日

『スピカ ~羽海野チカ初期短編集~ 』によせて。

『3月のライオン』6巻の発売に先立って、『スピカ ~羽海野チカ初期短編集~ 』も発売されました。


『3月のライオン』6巻は出版社側もなるべく全国同時発売を目指したそうですが、こちらは東京周辺は7月20日発売。
よーかいの住む地域では7月21日に書店に並んでいて、アマゾンでは7月22日に届きました。
早く読みたくて、書店に並んでいるのを見たときには、アマゾンはもう放っておいて、もう1冊買ってしまおうかと本気で思いました。(実際、『3月のライオン』ではそうやって複数冊買ってしまったことも…爆)





スピカ ~羽海野チカ初期短編集~』は、2000年から2004年までに描かれた作品群です。ちょうど、『ハチミツとクローバー』の連載が始まった頃の作品です。

収録作は、
『冬のキリン』(2000年)
『スピカ』(2002年)
『ミドリの仔犬』(2000年)
『はなのゆりかご』(2001年)
『夕陽キャンディー』(2000年夏)
『イノセンスを待ちながら』(2004年)

の6作です。

あとがきを含めて103ページと薄い本です。
「薄い本」というと、夏と冬の二回大規模な販売会が行われる、例のインディーズ系の本が思い浮かびますが、そういう本ではありません。
でも、(ごくソフトな)BL系のお話も1篇入っております(笑)。


『初期短編集』って、通常はファンのためのコレクターズアイテムのように思うのですよ。
たいてい、絵柄も作風もまったく変わってしまって、買う方もそれを承知で「まあ…好きな作家の作品だからな」と自分を納得させながら購入するケースが大半だと思うのです。

例外として、漫画家高橋しん先生の初期短編集は、「稚拙な作品で読者をがっかりさせたくない!」という趣旨で、全編同一内容を描き直して発売されましたが、そんなのは稀なケースです。…というか、個人的には高橋しん先生の初期の絵柄は好きだったので、描き直さないで欲しかったです…泣。

えと、話を戻して。
だから、羽海野チカ先生の『スピカ』も、そんなに期待してはいませんでした。

でも、読んでビックリ!
期待以上でした!!Σ( ̄□ ̄;)



羽海野チカ先生は、この作品集を発売するにあたり、どのくらい直しを入れるべきか悩んだそうですが、ツイッターでのフォロワーたちからの意見から、直しは最小限にとどめたそうです。
それなのに、このクオリティ!
驚きました。


もちろん、現在の方がいろんな面で向上しています。
でも、それは些細なことに思えるくらい、絵の荒れも少ないですし、ごく短いページ数なのに胸をうつような作品やほんわかする作品、ちょっぴりせつなくなる作品などなど、素晴らしいのです。

まさに珠玉。
ちょっとビターな童話集みたいな短編集です。


 ※以下ネタばれあります。 )


『冬のキリン』:
オールカラー6ページの超短編。
たった6ページなのに、このせつなさと余韻はなんだろう…。
このテーマは、形を変えて『ハチミツとクローバー』にもでてきます。

なんだか、羽海野チカ先生と、『ハチミツとクローバー』のはぐちゃんが重なります。
きっと、暑い国から連れてこられたのに誰も見るものもいないで、雪の中をたたずんでいるキリンを、羽海野先生は、せめて自分だけでも記憶にしっかり焼きつけておこうと、心の中で何枚も何枚もデッサンを描いたのでしょう。



『スピカ』:
バレリーナを目指す少女と、怪我によってレギュラーを外された野球部の副部長の物語。
タイトル『スピカ』は、スピッツの曲からとったものではないそうです。
羽海野先生自身がおとめ座で、おとめ座の女神が持つ稲穂の先の位置にある星から取ったタイトルなのだそう。
だけど、スピッツの『スピカ』の歌詞がとてもハマります。
プロになれる者はほとんどいないという「現実」の前に、好きなものを続けることへの不安や葛藤が描かれます。
主人公の少女、美園さんのセリフ。

「母に毎日みたいに言われるの
 さっきみたいに
 プロになれる人なんて何千人にひとりなんだって
 もしもダメだったら……
 みんなに笑われるのよって……
 だからその前にやめなさいって」

「なにかを好きになるって
 そんなに
 悪いことなのかなあ
 笑われるほど?」


それに対し、もう一人の主人公、高崎くんは答えます。
練習中にじん帯を切って、レギュラーから外されて、リハビリも時間がかかって、でも野球からはどうしても離れたくなくて。
だから、試合に出る代わりに、練習のメニューやスケジュールの管理など自分ができることを探した。
メンバーが思い切り野球に専念できるように勉強をフォローする役を思いついた。

「そうだな オレは 言ってみれば
 さっきの話で言うところの
 『ダメだった場合の人間』ってヤツになるわけだけど……
 ---どうだ?
 美園はオレを笑うか?」


泣いてもやめられないほど好きなものがあるってのはさ
 きっと
 すごいことなんだぜ



自分自身、何度も教員採用の二次試験で落とされたり、吃音があってうまくしゃべれないことも多く、たくさんのもどかしさを抱えながらも、教員採用試験へ諦めきれずに続けています。
「自分は教師に向いていないんじゃないだろうか?」
それは何百回も考えました。
でも、続けています。
そんな心に、そっと寄り添ってくれるような作品に感じました。

同時に、漫画家になるまでに多くの回り道をして、通常の場合よりもずっと遅くデビューした羽海野先生自身を描いた作品でもあるんだろうなぁ…とも感じました。

きっと、何度も諦めかけて、「もう、やめなよ」と言われたり、「自分には才能なんてないんじゃないだろうか」って不安で泣いたり。
それでも続けて、回り道の間の自分にも、時には「なにやっているんだろう…」と思いながらも、でもそんな回り道で得たものはきっとあるはずだと。
自分自身をどうしても肯定したくて。

2002年、まだハチミツとクローバーはマイナーな漫画でした。
きっと、当時はたくさんの不安を抱えながら描いておられたのだと思います。 


ちなみに、あとがきによると、
「今思うと、ライオンのひなちゃんと、高橋くんはここから来たのかな、と。」
とあります。
『3月のライオン』ファンは、そのあたりも併せて思いを巡らせながら読むと深く味わえると思います。


『ミドリの仔犬』『はなのゆりかご』:
このお話は、それぞれ1話完結ですが、どちらも主人公の少年キオの物語です。
『はなのゆりかご』は、むしろ登場人物のトゲ谷博士という老人が主人公ともいえますが、『ミドリの仔犬』の後日譚的な部分もあります。
『ミドリの仔犬』は少年探偵モノ風、『はなのゆりかご』はアンデルセンの童話にありそうなお話です。
大人も感動できるお話ですが、小さな子どもを膝にのせて、読み聞かせしてあげたくなる良質なお話です。
きっと、男の子は『ミドリの仔犬』にわくわくし、女の子は『はなのゆりかご』のロマンティックな結末にうるうるしちゃうでしょう。



『夕陽キャンディー』:
高校の教師と、その教師にほのかな思いをよせる高校生の物語。
ソフトなBL風ですが、年上の同性に「かなわない自分の理想像」みたいなものを見て、あこがれるような気持ちといえば、それに近いものは多かれ少なかれ誰にでもある気持ちだともいえます。
主人公の高校生の名前が「野宮」というところに、『ハチミツとクローバー』ファンはあらぬ妄想を抱いてしまうかもですけど(笑)。



『イノセンスを待ちながら』:
この作品だけ2004年です。
押井守監督の『イノセンス』という作品上映前に、過去の『パトレイバー劇場版』や『攻殻機動隊』などの押井守監督作品への思いを綴った作品です。
ここに描いてある「背景」というものが作品に持つ意味、「孤独な魂が巡りつく先」という言葉は、その後の『ハチミツとクローバー』や『3月のライオン』に、形を変えて咀嚼され、昇華(消化ではなく)されながら繰り返し描かれていく原点のように見えました。



こうして見てみると、本当にこの『スピカ ~羽海野チカ初期短編集~』は、今の作品に至る要素がたくさん散りばめられているように思えます。

根っこの部分は当時から変わらないんだなぁ……と。


思い出してみれば、よーかいが羽海野チカ先生の作品に出会ったのは、まだ『ハチミツとクローバー』が無名の、2巻が出た頃でした。

当時、自分自身医師から「もう、普通の生活を送るのは無理だとあきらめてください」と言われた難病をわずらい(現在は、奇跡的な回復で医師も驚いています)、何度も入退院を繰り返していました。
実家は借家でしたが、立ち退きを迫られ、でも引っ越すお金もないほど貧乏。
母は長い長い闘病生活で、起きていられる時間も短くなっていました。
追い打ちをかけるように、妹が脳腫瘍で入院。
かなり危険な部位で、いつ不慮の事態になってもおかしくない、手術が成功しても後遺症が残るかもしれないという時期でした。

そんな中、妹の入院している病院に見舞いに行き、重苦しい気持ちを振り払うように帰りに病院の最寄り駅の駅ビルの本屋に立ち入り、偶然手に取ったのが『ハチミツとクローバー』だったのです。
おそらく、店員さんが気に入っていたのでしょう。
ちょうど、1巻の途中まで立ち読みできるように展示されていました。
主人公の竹本くんにとても感情移入し、即1、2巻同時に購入して帰りの電車で読んだことを思い出します。

よーかいにとっては、そんな時期の作品群です。
(ああ、あの頃はきつかったなぁ。よく生き残れたものです。)
だから、なんとなく一方的に、羽海野先生のことは、苦しい時期をともに乗り越えてきた「戦友」みたいに感じています。



最後に、スピッツの『スピカ』の歌詞(1番の部分)を。

この坂道もそろそろピークで

 バカらしい嘘も消え去りそうです

 やがて来る 大好きな季節を思い描いてたら

 ちょうどいい頃に素敵なコードで

 物凄い高さに届きそうです

 言葉より 触れ合い求めて 突き進む君へ


 粉のように飛び出す せつないときめきです

 今だけは逃げないで 君を見つめてよう

 やたらマジメな夜 なぜだか泣きそうになる

 幸せは途切れながらも 続くのです



やっぱり、この曲、この短編集にとても合いますね。


やたらマジメな夜 なぜだか泣きそうになる
幸せは途切れながらも 続くのです 続くのです






※なお、この『スピカ ~羽海野チカ初期短編集~ 』の印税は、全額、東日本大震災への義援金として寄付されるそうです。  


Posted by よーかい at 02:19Comments(4)読書感想文

2011年07月25日

『3月のライオン』6巻によせて。

7月22日に、羽海野チカ先生の『3月のライオン』6巻が発売しました!


このブログの以前からの読者ならご存知だと思いますが、よーかいはこの作品の大ファンなわけです。
それだけでなく、昨年の夏には羽海野チカ先生の前作『ハチミツとクローバー』の登場人物、竹本君に感化されて、北海道を自転車でほぼ縦断してきたというほどの入れ込み具合なのです。

はい、冷静に見たら引きますね。 (自分でもよくわかってますってば)

でも、良くも悪くも作品に思い入れがありすぎてしまっているのはもうどうしようもない事実なのです。
というより、ここまで思い入れを持たせてくれる、羽海野チカ先生の作品の凄さに脱帽というしかないでしょう。

以前、(出典は失念しましたが)「良い小説の条件」というものを見たことがあります。
それには、「その物語を読んだ人それぞれが、“ああ、これは自分自身の物語だ”」とどこかで感じることが必要なのだそうです。
それぞれが、「この作品をここまで“実感を伴って”理解できるのは自分しかいない!」と感じられる箇所があること、それが「良い小説の条件」なんだそうです。


そう、この作品そのものはフィクションでも、感情を揺さぶられる箇所は少しもフィクションではないのです。

だからこそ、「漫画大賞2011」(小説の「本屋大賞」に相当)と、「講談社漫画賞(一般部門)」(小説の「直木賞」に相当)という二大タイトルを同時受賞という快挙をこの『3月のライオン』が達成しえたのだと思います。





前置きはここまで。
( ※以下、ネタばれありです。 )

5巻では、表紙のオビには『誓いの第5巻』とありました。
それは、5巻ラストの主人公零くんの言葉

『ありがとう 君は ぼくの恩人だ
 約束する 僕がついてる
 一生かかってでも 僕は 君に 恩を返すよ』


という言葉に端的に表わされていました。

そして今回の6巻のオビ。
戦いの第6巻
となっています。


この巻では、それぞれの戦いが描かれています。

話の軸は二つ。
主人公の零くんやライバルの二海堂くんが挑む新人王戦のトーナメントと、ひなちゃんへのいじめ問題の二軸です。

主人公自身の戦いや成長はもちろんのこと、クラスの陰湿ないじめを小さなその一身に受けながらも、毅然と戦うひなちゃん。
家族のことすべてをまだ若いうちにすべて背負っていきている3姉妹の長女あかりさん。
難病を抱えながらも、主人公の零くんを「心友(と書いて「ライバル」と読む)と認め、真っ直ぐに将棋を指し、生きていこうとする二海堂くん(表紙の人物です)。
ほかにも、それぞれの登場人物がそれぞれの場所で、必死に「戦う」姿がとても丁寧に描かれています。

ここまで、1つの巻に内容のつまった作品はそうないと思います。
読んでいて、こちらも呼吸を忘れます。
かねてから、作者の羽海野チカ先生は、自分自身の全身全霊をすべて作品に賭けているように見えましたが、本当に命を削りながら描いているように感じます。
きっと、この話を構想するとき、ネームにおこすとき、限られたページ数で、いかにこれだけの(特に「いじめ」という重い内容を含む)テーマをエンターテイメント性を失わずに伝えるか、想像を絶する産みの苦しみがあったはずです。
それもまた、「戦い」の一つです。




作中では他の人たちもそれぞれ戦っています。
冒頭部、前巻を受けて、いじめられた友達を助けようとして逆にいじめの標的になってしまったひなちゃんに、彼女のおじいちゃんは言います。

「すげえ勇気だ!!
 大人にだってめったに出来ることじゃねぇ!!
 お前はすごい!!
 俺の自慢の孫だ!!
 お前は何ひとつ間違っちゃいねえ!!
 友達を助けたんだ!!
 胸をはれ!!」


この場面、すでに亡くなったひなちゃんの母と祖母の位牌がおじいちゃんの後ろの背景に書き込まれています。
おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんの3人が、自分自身は直接はなにもしてやれないもどかしさを感じつつも、一緒に「戦っている」ように見えます。
実際、その後、おじいさん自身が、いじめられている孫のことを案じながらも、
「ひなはもう充分苦しんでいる 
 それなのに 俺達がこの上 
 『どうしてそんなことしたんだ』なんて言っちまったら
 ひなは本当に行き場を失ってしまうだろ?」
と葛藤する胸のうちをあかりさんに語っている回想シーンがでてきます。


零くんから相談を受けた林田先生も、一見コミカルに描かれていますが、相談に対してインターネットを開いて見せながら、苦しそうな表情で
「桐山これを見てみろ……
 『いじめ』で検索すると8千9百10万件…
 『いじめ 解決策』で検索して2百20万件…
 ---で、そのどこにも
 100%の解決方法はのっていないんだ……」

と語ります。

「立場も性格も関係してくる人間の配置も違う
 だから どのケースにも効く『完璧な答え』なんてどうやったって出てこない
 --だからって、あきらめる訳にはいかねんだ!!
 『答えが見つかんないから何もしませんでした』じゃ
 話は進まねぇ」


そのいつになく険しい表情は、林田先生も長いこと生徒のいじめ問題と正面から向き合い、「戦って」きたことを如実に示しています。




よーかい自身、子どもの頃は、いじめに遭った経験は嫌というほどあります。
戦って、戦って、戦って、生き延びたから負けはしませんでしたが、全部を自分自身でなんとかしようとして抱え込んでいたのは、今にして思えば「いじめられていることを認めたくない」という小さなプライドと、相談する仕方がわからないという、人間関係スキルの未熟さでした。

でも、経験のあることだからこそ、そのつらさ、きつさは痛いほどわかります。
自分自身の教職への隠れた志望動機も、そういった子どもたちの気持ちが、ほかの人よりもわかるような気がするからという部分も確実に存在しています。
もしかしたら、救いたいのは子どもの頃の自分自身なのかもしれないなとも思ったりもします。


ひなちゃんも、泣いたり、胃が痛んで寝込んだり、修学旅行の自由行動でもひとりぼっちで川を眺めていたりします。
けれど、つねに毅然としています。

主人公零くんのモノローグにはこうあります。

『気づいたことが
 ひとつ ある
 僕は 思ってたんだ
 辛すぎるのなら そこから立ち去っていい
 まともじゃない事を してくるヤツらには
 まともに 立ち向かう事はしなくていい
 でも
 ---そうだ 彼女は
 ただ 辛がっているんじゃない
 怒っているのだ
 それも
 腹の底から 煮えくり返る程に』



ぞくり、と鳥肌が立ちました。
連載開始当初は、まだ子どもっぽい部分が多く目についたひなちゃん。
それは、「ただ可愛らしいだけの少女」でした。
でも、いまは違います。
一人の凛とした美しい女性へと変貌しつつある彼女がいます





そんなひなちゃんの変化に対応するように、主人公の零くんも変化していきます。
どこまでいっても「自分」しかなかったのが、他者に目を向け始めたのが5巻。
これまでは、めんどうなことは黙って過ぎ去るのを待つだけだったのが、
6巻では思わずあかりさんに

「(頼ってもいい人間は)僕もいますっっっ」

と我を忘れて往来の真中で大声を発するまでになったのです。


他者とのつながりの中で生きている自分。
それは、それまでどちらかというと「うっとおしい」存在であったライバル二階堂くんの言葉を対局中に思い出して冷静さを取り戻したりする描写にも表れています。
「少年」は、少しずつ、だけど確実に「一人の男」に成長しつつあります。


そして、6巻の表紙の二海堂くん。
これまでも、彼の背負っている病気の重さは断片的に窺えましたが、対局後に倒れて即入院という状況によって、はっきりと明らかになりました。

一生つき合っていかねばならない難病。
厳しい食事制限。




実は二海堂くんにはモデルがいます。

村山聖という棋士です。
もう故人なので、棋士「でした」と書くのが正しいのかもしれません。
羽生永世名人の最大のライバルといわれるほどの才能がありながら、幼い頃より抱えた難病「ネフローゼ」により、長時間の対局では力尽きてしまうこともありました。
A級八段まで登りますが、20代で癌により亡くなります。

癌のことは最期まで周囲に隠し、その年の将棋年鑑の目標にも「生きる」と書いていたそうです。


実は、よーかいは子どもの頃、けっこう本格的に将棋を指していました。
後にプロになった棋士と対局したことも何度かあります。

その頃に活躍していたのが村山棋士でした。
その印象的な風貌と同時に、体調不良による不戦敗が多いにもかかわらずめちゃくちゃ強かったその姿は、当時将棋を指す子どもたちにとっての「ヒーロー」の一人でした。


話を戻します。
新人王戦準決勝の後、零くんに渡された棋譜は2枚ありました。

『棋譜は2枚あった…
 持ち時間をフルに使った最初の一局
 劣勢だった将棋を粘りに粘って
 優勢に転じたその直後
 先手(相手)による 先日手
 ---その果ての 指し直し……
 そこからの一分将棋による 魂を絞り出すような138手……

 (中略)

 ---僕は 二海堂の棋譜を 思い出していた
 「迷い」「ためらい」「ひるみながら」も
 それでも「自分の今まで」を信じて
 「憧れの地」目指して
 火の玉みたいに突き進む…
 まるで 一篇の
 冒険小説のようだった』



冒険小説」。
この言葉が、この6巻のすべてを表わしていると思います。

先の見えない不安や恐れと戦いながらも、それでも真っ直ぐに突き進む。
きっと、「戦う」人すべてが「冒険小説」の主人公なのでしょう。
強く、そう思いました。 



どうか、この「冒険小説」の彼ら彼女らが幸せでありますように。
同時に、自分は自分の「冒険小説」を、最期まで精いっぱい紡いでいかなければ。


そんな風に“自分の物語”として強く強く願わずにはいられないのです。  


Posted by よーかい at 02:00Comments(3)読書感想文

2011年07月24日

沖縄県平成24年度教員採用1次試験総括。

去る7月17日(日)、沖縄県の教員採用一次試験を受けてきました。


昨年は諸事情あって受けられませんでした。
諸事情とは?
ええ、いまだに素で学生に間違われるよーかいですが、実際には年齢制限とか年齢制限とか年齢制限とかの実年齢のしばりがあったのです。


これまでの沖縄県は、なにせ全国でもっとも年齢制限が低い県でした。
その制限に引っ掛かってしまった以上、ほかに手段は、他県の教員になって再チャレンジするしかありませんでした。(他県の現役教員はこれまで通常より5年分年齢制限が伸びたのです。)

とはいえ、本命でないところを受験するのはモチベーションが落ちたのは事実。
それなりに勉強していても、ワールドカップは全試合観てしまったり、受験生にあるまじき行為をくりかえしてしまいました。

ところが、2月に突如降ってわいた、受験年齢制限10歳引き上げのニュース。
受験者も当然増えるでしょうが、これはモチベーションが上がります!

だから今年は昨年とは違います!
なでしこJAPANの試合以外は深夜早朝にサッカーを観ていません!!d(o ̄ー ̄o) (どや顔でいうことでしょうか?)

……もちろん、予選リーグから全試合観ましたがなにか?(爆)





そんなこんなで、自分なりに必死に対策を立ててやってきました。
とはいえ、間にブランクがあると、1からやり直しの部分もたくさんありますし、新しい答申やら覚えなきゃいけないことがたくさんありますから、楽ではありません。
仕事も今年は忙しく、ブログのほうはしばらく封印させてもらった次第であります。



そんな前置きはともかく、試験内容について。

沖縄県では、集合時間は朝8時30分。
8時から会場に入ることができます。
会場は複数あるようですが、よーかいは那覇高校でした。

教室にはクーラーが効いているため、他の自治体のように、「今はクールビズだから、受験者の皆さんもネクタイはずしてくださってもいいですよ」などと甘いことは言われません。
また、受験生もみんなちゃんとしたスーツ姿で、他の自治体のように、短パンにサンダル、アロハシャツという受験生もおりません。(少なくとも、横浜市の受験会場にはそんな受験生もいましたです。)


試験はまず9時から10時半までの1時間半で、一般教養&教職教養です。
内訳は、一般教養が30問、教職教養が60問(すべてマークシート方式)の計90問です。

休憩が少し入り、次の試験説明があった後、11時から専門教養Ⅰ(算数・外国語活動・社会・生活科・総合的な学習の時間・図工、家庭)が1時間。
10分の休憩(=答案用紙の回収時間)を挟んで、12時10分から13時10分まで専門教養Ⅱ(国語・理科・音楽・体育)になります。

専門教養はⅠとⅡ合わせて2時間で155問(マークシート方式)になります。

かなり問題数が他府県と比べて多く、時間に追われるのが沖縄県の特徴です。
とはいえ、昨年までこのマークシート以外に算数(実際は高校受験レベルの数学)の筆記問題が11~12題あったので、問題数は減っているともいえます。
また、3年前までは専門教養の後に昼食休憩をはさんで図工のデッサンがありましたが、それは2次試験になっています。

多少は、問題数が減っているわけなのです。これでも。


とはいえ、一般教養は高校レベルの問題なので、「そんなのもう覚えていない」という問題がでてきます。
たとえば、

『ウラン235Uの原子核は【   】を吸収すると、大量のエネルギーとともに各種の放射線と【   】を出して分裂する。
 1.原子 2.陽子 3.電子 4.中性子 5.分子』


タイムリーな話題とはいえ、一般文系出身者には荷が重いです。
「陽子」が「ようこ」に見えた時点から、頭の中では選択肢の5つとも「○○子」という擬人化がはじまったのはよーかいだけでしょうか?(変態)

中性子って、ボーイッシュな感じでなんだかいいですよね。
つか、この問題の正解は「4.中性子」なんですけど。


それから、これまで『沖縄問題』は5問あったのが3問に減りました。
1.琉球王国のグスク及び関連遺産群の資産の名称と説明文の組み合わせで誤っているものは?(正答:玉稜)
2.1879年、廃藩置県が断行されて沖縄県が設置された際、明治政府から初代県令として任命された人物は?(正答:鍋島直彬)
3.1945年、米軍が沖縄県の慶良間諸島に上陸した日は?(正答:3月26日)
の3問です。

ちゃんと琉球・沖縄史を勉強していれば解ける問題でした。

これまでのように、生粋のうちなーんちゅの皆様の誰もが「こんなの知らない!!!」と試験後に発狂しそうになるような問題がなくなったのは、喜ぶべきかさみしいと思うべきでしょうか??


教職教養は、教育基本法、学校教育法、各種別の学校の学習指導要領総則、文部科学省の答申、沖縄県の教育施策などからの出題でした。


まあ、こちらは時間的にも1問1分のペースでやっていけばいいので時間が足りなくなることはありません。
知っているかどうか」だけの問題です。


問題なのは専門教養の方です。
以前は国語・算数・理科・社会・音楽・美術・家庭・体育の8教科だったのに、今では加えて生活科・総合的な学習の時間・外国語活動の3つが増え、11教科です。

しかも、1問につき、問題文を読み考えマークシートを塗りつぶす時間が正味40秒ほどですから時間との戦いになってきます。


沖縄県の場合、他県以上に学習指導要領重視の傾向があります。
おまけも含めて小学校学習指導要領は237ページにわたる内容ですが、それらの正確な文言を(そらで言えなくても選択肢ですぐ分かる程度には)覚えておくのは最低限の必須事項になります。

それだけならいいのです。
沖縄県が鬼なのは、学習指導要領解説からもバシバシ出題するところです(泣)。
学習指導要領解説とは、その名の通り、学習指導要領の解説書です(ヲイ)。
ただ、この解説書、各教科ごと存在するのです。
たとえば、国語だったら、国語1教科で151ページの冊子が存在します。
算数になると、付録を抜きにしても189ページです。
もちろん、外国語活動や総合的な学習の時間なども1冊として存在するのです。
11教科になると、計2000ページ近くなるんじゃないかしらん?( ̄ω ̄;)


もう、いったいどうしろと!?(ノTwT)ノ ┫:・'.::・┻┻:・'.::・(ちゃぶ台返し)


解いていて、「わからない」ではなく「知らない」「見たこともない」という問題が出てくるわけなのです。

例えるなら、ガンダムの話をしていて、テレビ版や映画版はいいとしましょう。
でも、小説版の内容を熱く語られても、それなりのガンダム好きでもドン引いちゃうわけですよ。
小説版の、「アムロとセイラさんの不適切な関係」だとか、「ブライト艦長の息子のハサウェイの戦死」とか言われてもわかるひとっていらっしゃいますか?(マニアック)
さらに、同人誌のネタを出してきて、「わかるだろ、心友よ?」とキラキラした目で言われても、針のむしろなわけなのですよ。


ギレン将軍の演説も、テレビ版の
「諸君らの愛してくれたガルマ・ザビは死んだ!何故だ!!」
はわかっても、それをゲーム版の『ギレンの野望』バージョンを含めて全文覚えていたらオタクです。
さらに、
「諸君らの愛してくれたガルマ・ザビは死んだ!何故だ!!」「坊やだからさ」
と返すのが常識だという人はもはや変態の域でしょう。

いわば、そのレベルが求められるのが、沖縄県の専門教養155問なわけなのです!ヾ(。`Д´。)ノ



とりあえず、全力は尽くしましたよ?
でも、できたかどうかは別問題なのです。


自信?
そんなものはありません。

でも、もう二次試験の飛行機は取ってしまったし、職場に休暇願も出してあるのです。
一次が受かっているものとして準備しなければ間に合いません。



あとは「なんくるないさー」(「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ=人事を尽くして天命を待つ」が本来の意味)です。

ララァ、私を導いてくれ……… (ガンダムを知らない人にはなんのことやら)。  


Posted by よーかい at 01:38Comments(19)1次試験総括。

2011年07月23日

カミングスーン。

かみんちゅ(神人)のスーンじゃなくて、Comming soon.です。(ヲイ)


仕事と一次試験への勉強の両立とを考えて、これまで2か月以上も更新できなくてごめんなさいでした。
それにもかかわらず、毎日本当にたくさんのアクセス、なんだか申し訳ないような、そしてどうもありがとうございます。


沖縄の一次試験のレビューは、本当は試験後帰宅してからなるべくすぐに書きたかったのですが、実は2週間以上前にパソコンが突如壊れてしまい、ツイッターもネットもアイフォンからという日々でした。

ようやく、新しいパソコンも購入しました。
昨晩、インターネットにも接続できました。


なので、そろそろ新しい記事を書きたいと思っています。
もちろん、2次試験に向けてそんなに時間的余裕があるわけでもありませんし、たぶん途切れ途切れにはなるとは思います。
でも、「HUNTER×HUNTER」の連載よりは多いペースで記事の更新をしたいと思いますので、改めてよろしくお願いいたしますです。


なお、再びブログを書く一番の後押しになったのは、沖縄の一次試験のレビューを書こうという以上に、羽海野チカ先生の『3月のライオン』の6巻に励まされたためというのは公然のヒミツなのです(笑)。  

Posted by よーかい at 13:35Comments(2)なかゆくい

2011年05月19日

「平泉」と「小笠原諸島」世界遺産に登録へ ユネスコ

文化遺産候補「平泉」(岩手県)と、自然遺産候補「小笠原諸島」(東京都)が、いずれもユネスコの世界遺産に登録される見通しとなった。
最終的に登録を決めるユネスコの世界遺産委員会は、6月19日からパリで開かれる。


 
ユネスコ世界遺産センター(パリ)は6日(現地時間)、登録の妥当性を「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階で評価する諮問機関からの勧告内容を日本政府に伝えた。
文化庁、環境省によると、「平泉」「小笠原諸島」への勧告はいずれも「登録」だった。

 
「平泉」について文化遺産候補を評価する国際記念物遺跡会議(イコモス)は、金色堂を含む中尊(ちゅうそん)寺、毛越(もうつう)寺などの四つの庭園と、信仰の山とされる金鶏山について、
「仏国土(浄土)を表す資産として顕著な普遍的価値がある」
と評価した。


 
しかし、奥州藤原氏が住んでいた「平泉館」跡の「柳之御所遺跡」については、「顕著な普遍的価値の一部をなすものとは認められない」として構成資産から外すことを条件に「登録」を勧告。
金鶏山に鉄塔があることにも触れ、「資産価値への悪影響がみられる」と指摘した。


 「平泉」は前回挑戦した2008年、イコモスから浄土思想との関連が弱いとして構成資産の再検討を求められ、「登録延期」となった。
今回は資産を四つ減らして臨んでいた。
文化庁と地元は今後、イコモスの新たな指摘にどう対応するのか協議するという。

 
「小笠原諸島」は南北約400キロにわたる約30の島々。
登録区域は父島列島と母島列島の居住区域外などの一部、聟島(むこじま)列島などの陸地約6360ヘクタールと周辺海域約1580ヘクタールだ。



大陸と一度も陸続きになったことがない小笠原諸島は「東洋のガラパゴス」と呼ばれ、独自に進化した貝や植物が多い点が評価された。
登録された場合も、引き続き固有種を脅かす外来種への対策を続けることなどが求められた。

 
一方、日本政府がフランスなどと共同推薦した東京・上野の国立西洋美術館本館を含む建築家ル・コルビュジエ(1887~1965)の「建築作品」は、勧告そのものが6日に間に合わず、後日通知となった。

 
コルビュジエの「建築作品」はフランスを中心に6カ国、19の建築作品群。
日本では59年完成の西洋美術館本館が該当する。
09年の世界遺産委員会では追加情報の提出を求めた上で次回以降の審議に回す「情報照会」とされていた。

 
今回は42件の推薦候補があり、「登録」と勧告されたのは文化、自然、複合遺産合わせて12件。
「情報照会」は2件、「登録延期」は17件、「不登録」は6件で、5件の文化遺産候補は後日勧告とされた。

 
世界遺産の総数は911件。
日本では「法隆寺地域の仏教建造物」「屋久島」など14件が登録されている。

 
両省庁によると、06~10年に諮問機関が「登録」を勧告した文化遺産は延べ47件あり、このうち登録されなかった3件はいずれもイスラエルの「ダンの三連アーチ門」だった。
同時期、自然遺産では「登録」と勧告された18件すべてが登録された。


    ◇


 〈世界遺産〉 


1972年にユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づき、世界遺産一覧表に登録されている資産。
人類全体の宝として損傷や破壊などから遺産を保護するために、国際的な協力態勢を確立するのが目的。
建造物や遺跡などの文化遺産、生態系や地形などの自然遺産、両者の特質を備えた複合遺産の3種類がある。



(2011年5月7日 朝日新聞)  

Posted by よーかい at 18:30Comments(10)全国の最新動向

2011年05月14日

どこか残念な沖縄の看板たち。:2

沖縄では、立て看板をよく見かけます。


もちろん、立て看板自体はどこの県にもあります。
けれども、沖縄が独自なのは、そこに標語警句が書かれていることです。


地元の子ども達やPTAが書いた立て看板も多く見られます。
なんでも、沖縄の学校では小学校時代から授業で標語を書くそうなので、高校に入る頃にはもう手慣れたものだそうです。


ただ、残念なのは、せっかくの標語や警句なのに、明らかにおせっかいを通り越してずれていたりすることなのです!ヾ(。`Д´。;;;)ノ



まずは実例を見てもらいましょう。
糸満の中学校前にあった標語の看板です。





甘い手を つないだ後は 闇の中


……これって、警句??o( ̄ー ̄;)ゞううむ


むしろ、

男子中学生の願望まるだしな感じがするのは気のせいでしょうか?
そんな青いリビドーを地域レベルでさらされてしまって、書いた本人が不登校にならないか、とても心配です。



ちゃんと大人のプロが作ったと思われる看板の警句も、なにかがずれています。
恩納村にて。





ゆっくり見よう 美ら(ちゅら)おんな


女性キャラのイラストが「安全運転ね」なんて手を振っていますが、
そもそも、
ゆっくりなら脇見運転してもいいのでしょうか?( ̄ω ̄;) 

むしろ、ガン見しろといわんばかり。
脇見運転推奨ポスターですか?



同じく恩納村には、『谷茶前(たんちゃめ)節』で有名な浜があります。
その谷茶バス停にて。
こちらは子どもが書いたと思われる標語付き看板です。





しらない 車に 近 づくな


書いている内容自体はまともなのですが、このレイアウト、もう少しどうにかならなかったのでしょうか?
一応、大人も監修しているんですよね?アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー

「車」という字を目立たせたいなら、赤丸で囲むのではなくて、初めから赤字で書けばいいのに。
振り仮名をふるなら、左ではなくて右側では?
「づくな」だけの行を作るのではなく、せっかくなら2行に納めるか、3行にするなら「近づくな」で一つの行にすればいいのに。

そんな、常識という手あかに汚れた大人の感覚を軽くふっとばしてくれます


いや、もっと根本的な疑問がありました。


そもそも、ここバス停ですよ?


知らない車が止まる場所、それがバス停なのでは…?
なにか、バスに恨みでも??
それとも、恩納村レベルになると、すべてのバスと顔見知りなのでしょうか?!∑( ̄□ ̄;)ハウッ



続いて、同地域に怒濤の3連発!





空き巣に注意!ア!キス(はあと)にも チューい





交通死亡はゼロ 中性脂肪もゼロ





犯罪はゼロ 演歌はジェロ



……もはや言葉は不要かもしれません。
それでも、蛇足を承知でコメントをつけてみます。


これら3つの看板は、地域が近いだけでなく、字体が酷似しています。
つまり、「犯人は同一人物だ!」……じゃなかった、同じ人が書いて掲示している可能性が非常に高いということです。

もはや、何かの警句としての標語なのか、それともダジャレを表示したいだけなのか、まったくわかりません。

むしろ、犯罪的だとさえいえるかもしれません。



よく、地域住民が許容しているものです。
そもそも、こういった看板を長期間掲示するには、警察の許可が内地では必要だと思うのですが、これらの看板には警察が刑事許可をしたという印がどこにも押されていないのです。

警察黙認。
「共犯」関係とすらいえるかもしれません。


しかも、ジェロの似顔絵、似ていません。





ジェロもまさか、こんな風に地域の標語に活用されて晒されているとは夢にも思っていないことでしょう。




沖縄の立て看板は、日常から異界へとつながる扉なのです!ヾ(。`Д´。;;;)ノ



(たぶん、またいつか続きます…)  

Posted by よーかい at 01:37Comments(13)一日の雑感。

2011年04月28日

どこか残念な沖縄の看板たち。:1

沖縄では、かなりカオスな看板を頻繁に見かけます。


「看板娘」とか「看板商品」という言葉があるくらいですから、看板はお店を象徴する“顔”ともいえるくらい大事なもののはずなのですが、どこかぞんざいで、投げやり感すら漂うのです。


初代プリキュアの黒い方じゃなくても、
「ぶっちゃけありえなーい!」
を連発すること必至です。
(そもそも、「プリキュア」とか出している時点で、ぶっちゃけありえません。)


そんな沖縄の看板ワールドへ、まずは「洋子・そ」!





スナック系の看板は、魔界への入り口なのでしょうか?
少なくとも、軽く異次元へ飛ばしてくれるくらいの破壊力は有しているようです。





魔子」。
ホラー展開フラグが看板から立ち上っています。
扉を開けたら、『白いメリーさん』もびっくりの、顔面白塗りに真っ赤な口紅を引いたおばぁが、「にたぁり」と不穏な笑みを浮かべながら出迎えてくれそうです。


一見、お気楽極楽系のように見えて、色遣いは某消費者金融と一緒というトラップ。





年金族」。
年金をぜんぶ搾り取る気が見て取れます。

一方、以下の看板は
「同情するなら金をくれ!」
的な暗喩を感じさせるモノがあります。





スナック母子家庭」。

思わず、ちょっと前に流行った伊達直人現象みたいに、お店の入り口にランドセルを置いてしまいたくなります。
けれど、もしかしたら、その「母子」は90代のおばぁと70代のおばぁの組み合わせもありえなくはないのも、また沖縄の罠なのです。

ちなみに、「スナック母子家庭」は、昨年無事にオープン10周年を迎えたそうです。


お次は、世にシャネルのまがいものはたくさんありますが、こんな風にシャネルが使われるとは、シャネル創始者も考えてもみなかったでしょう。





酒音留」と書いて「しゃねる」。

一昔前の香港とかでは、
「ニセモノ、アルヨ~、ニセモノ~!」
と、わざわざ偽物アピールをして安いまがい物(当然、税関はアウト)を観光客相手に売っているお店がたくさんありましたが、それ以上の開き直りを感じます。

ここまで堂々と開き直られてしまうと、
「うん、酒と音と留でシャネルだよね。うんうん」
と、口元を斜め45度の角度に引きつらせながら、無理やり脳内に刷り込んで納得させようとさえしている自分の姿に気づいて愕然となるのです。



かといって、どこの看板も強烈な自我を主張しているかというと、そうともいえなさそうです。
中には、アイデンティティに悩んでいるとしか思えない看板も。





」。


世界一短い電報じゃあるまいし、「?」と言われて「!」と返せるような心の準備はこちらだって持ち合わせていないのです。
看板が自己のアイデンティティに悩み始めたら、生暖かい目で放っておくしかありません。

しかし、「?」と問われたときに、「??」と返してしまうと、無限トートロジーの循環ループから永遠に抜け出せません。
ニーチェ風に言うと、永劫回帰です。
「?」はどこまでも不変のまま、輪廻のように巡るのです(謎)。



…書いていて、なんだかよくわからなくなったので、また続きます。 (たぶん)  

Posted by よーかい at 02:40Comments(14)一日の雑感。

2011年04月27日

樹齢100年ウスク、浦添市文化財に

浦添市の宮城公民館にある樹齢100年以上のウスク(和名・アコウ)が市の文化財に指定され、3月29日に西原廣美教育長から又吉清自治会長へ指定書が手渡された。
市の文化財指定は今回で58件目、植物の指定は3件目となった。



 
文化財の名称は「宮城の御願山(うがんやま)のウスク」。
同公民館一帯は御願山と呼ばれた聖域で、地域住民の精神的よりどころだったが、沖縄戦で生い茂っていた樹木が焼失。
同ウスクだけが戦火に耐え残り、かつての御願山をしのばせる唯一のものになっている。

 
ウスクの樹高は約10メートル。
枝の広がりは長いところで約20メートル。
幹は根元で南北2本に分かれる。
県内の都市部で、これほど大きなものはほとんどないという。

 
又吉会長は
「区民が大切にしている場所なので、市の名木として保全し、後世に残していきたい」
と話した。
西原教育長も
「末永く保存していきたい。一緒に頑張りましょう」
と述べた。

 
宮城共有地主会と同自治会は2008年10月、ウスクの市指定史跡申請を提出。
市教育委員会はウスクに関する伝承やエピソードなどを情報収集し、市文化財調査審議会に諮問。
2011年3月の答申を受け、同18日付で指定した。



(2011年4月6日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 23:03Comments(0)沖縄ローカル問題対策

2011年04月27日

就学援助 初の2万5000人超

2010年度に沖縄県内で就学援助(要保護・準要保護)を受けた小・中学生は2万5000人を超え、過去最多を更新したことが8日、沖縄タイムスのまとめで分かった。
義務教育を受けるために経済的な支援が必要な子は17%で、約6人に1人と全国平均より多い。

市町村が定める認定基準や援助内容、金額に差もあり、世帯所得が同じ場合でも、自治体によって支援可能かが違ったり、同項目で支給額に2万円以上の違いも見られた。
経済的に困窮する児童生徒が年々増える一方で、体制の整備も必要となっている。

 
今年1月末現在、県内で「要保護」「準要保護」の支援を受けた児童生徒の数は、昨年より1380人多い2万5162人。
41市町村の約8割に当たる31市町村で前年度より増え、認定率も17・11%と全国平均の14・51%(09年度)より高い。
認定率が最も高いのは沖縄市の小学校24%、中学校28%だった。

 

就学援助のうち、生活保護を受けている世帯は自動的に「要保護」と認定される。
一方「準要保護」は市町村の単独事業で、各自治体に判断が任されている。
基準は「市町村民税非課税」「児童扶養手当受給」世帯などのほか、各家庭の状況に応じ、市町村の裁量で決まる。

 
「生活保護世帯ではないが、保護の水準と考えられる世帯」として、独自基準を設けているのは12市町。
那覇市、沖縄市、南風原町が「世帯所得が生活保護水準の1・3倍未満」と最も幅が広く、与那原町が「1・2倍未満」、浦添市、糸満市、宜野湾市、宮古島市、八重瀬町などは「1・0倍(同等)未満」だった。

 
援助の内容も市町村で3項目から11項目とばらつきがあった。
ノートや筆記具などの「学用品費」はほとんどの自治体で整備されていたが、「メガネ購入費」は北大東村と恩納村の2カ所。
嘉手納町は「生徒会費」「クラブ活動費」などもあった。

 
認定数増加に那覇市の担当者は
「社会情勢や各家庭の経済状況など反映した結果ともいえる。制度の効果的な周知方法を今後も考えていきたい」
と話した。




(2011年4月9日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 22:54Comments(0)沖縄「問題」。

2011年04月27日

沖縄県教育庁、障がいある子の教育支援に力

沖縄県教育庁は障がいのある幼児・児童・生徒への教育的支援を充実させようと、「特別支援教育実践推進事業」を本年度から3年間、実施する。
2007年度の特別支援教育制度のスタートに伴い、08年度から10年度まで取り組んだ「特別支援教育理解推進事業」を発展させた内容だ。
特別支援教育の体制整備に課題のあった幼稚園、高校への研修を新たに設定。
一方、すでに学校現場に配置されているコーディネーターに対しても、スキルアップや地域でのネットワークづくりを進め、個々に応じたきめ細かい支援を目指す。


 
幼稚園は公立、私立問わず、特別支援教育コーディネーターに指名された教員に対し、各教育事務所単位で夏休みに研修を行う。
教員は幼児の発達や障がいについて理解を深めた上で、具体的な支援方法を学ぶ。

 
授業や集団の中で、障がいのある生徒への対応が課題となっていた高校では、6月にコーディネーター研修を実施。
進路・就職支援も研修し、各校における支援体制の整備を進める。

 
同庁県立学校教育課特別支援教育班は
「幼稚園の現場からは『気になる子』への早期発見、支援を訴える声が多かった。高校では(生徒を)注意するだけでは問題解決とならず、発達障がいについて知識として身に付けておきたいという意見があった」
と、これまでの経緯を説明した。

 
同庁はまた、これまでコーディネーターを担ってきた各小中学校、特別支援学校などの教員を対象に、専門性を高めるためのスキルアップ研修、地域でのネットワーク構築を目的にした地域支援力強化研修を行う。
そのほか、同事業の一環として、特別支援教育総合推進地域に読谷村を、福祉、労働機関などと連携し、乳幼児期から成人まで一貫した支援を行う「特別支援教育グランドモデル地域」に宮古島市を指定した。



(2011年4月16日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 22:47Comments(0)沖縄県2次対策

2011年04月27日

増え続ける教員の精神性病休

精神性疾患を理由に休職する教員が、過去最多を更新し続けている。
10年前に比べ、その数は3倍にも上る。

沖縄県教育庁ではメンタルヘルス相談事業などを実施するが、増加に歯止めがかからない状況だ。
新学期からは“脱ゆとり”を目指す新学習指導要領がスタートしたが、関係者は教員の多忙化を指摘。
「教員への負担はさらに重い。余裕をもたせる職場環境づくりが必要だ」
と訴える。


 
沖縄県では、病気を理由に90日以上休む場合を「休職」と規定。
同庁によると、2009年度の病気休職者数388人のうち、精神性疾患による休職者は164人で、休職者数全体に占める割合は42・3%。

 

同庁によると、年代は40歳前後の中堅クラスが目立つという。
内訳は小学校68人、中学校65人、高校29人、特別支援学校2人で、精神性疾患が占める割合を学校別でみると、中学校が52・4%と半数以上を占め、高校で39・7%、小学校39%、特別支援学校11・8%だった。

 
沖教組の山本隆司委員長は増加傾向の背景として、教員の多忙化を挙げる。
報告書作成や会議、研修などの超過勤務が膨大で、夕方になってようやく授業準備に取りかかれる状況だ
と、現場教員の実態を説明する。

 
また、教員の年齢構成にも一因があると指摘し、
「この10年で50歳代後半のベテラン教員が大量に退職し、40歳代の教員が保護者らへの対応など複雑な問題も抱えざるをえない」
と話した。

 
同庁は対応策として、退職校長らを派遣する「教職員の悩み相談員」事業や電話相談事業などに取り組むほか、09年度から復職者に向けた「職場復帰前支援プログラム」を実施。
復職前の原則4週間をめどに、在籍する学校で模擬授業や軽減した業務に当たり、円滑な復職を目指す。

 
県立高校と特別支援学校では09年度に4人が同プログラムを受け、3人が復職。
小中学校でプログラムが導入された10年度には小中高、特別支援学校合わせて17人が受け、13人が職場に復帰した。

 
山本委員長は、同プログラムについて一定の評価をした上で
「予防的な職場環境づくりについてはまだ手つかずのまま。学力向上を目的とした数値目標が設定される中、新学習指導要領によって時間数も内容も増え、教員にかかる負担は重い。気持ちに余裕をもたせる労働環境の整備が必要だ」
と、危機感を表す。

 
高教組も沖教組と同様、精神性疾患の背景に教員の多忙化を挙げる。
平哲男書記長は
「内規の見直し(進級規定の緩和)により、教員は新たに補習のための時間確保にも追われている。また、特別支援学校においては、生徒の増加に対し教員数が間に合っていない現状がある」
と話した。



(2011年4月23日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 22:34Comments(0)沖縄「問題」。

2011年04月27日

万引増加 目立つ生活困窮者

那覇市内を中心に県内で万引の被害が増えている。
那覇署によると、ことし1月から3月末までに県内で発生した万引の認知件数は317件(前年比20件増)。
無職の高齢者や、生活困窮者による犯行が増えているのが特徴だ。


 
那覇署によると、県内各署の万引認知件数は同署の105件が最も多く、前年の71件を34件上回る。
被害商品は飲食物が最多の55%。
容疑者の年齢は50歳以上が全体の約54%を占めた。

 
最近は手口も巧妙化している。

 
防犯カメラやミラーの死角を狙ったり、マイバッグの利用、「おとり」「見張り」などと役割を分担した犯行も目立つという。

 
万引が起こる要因の一つに、関係者からは「経済不況が引き金になっている」と指摘する声も上がる。

 
食事時間帯におにぎり1個、ひときわ冷えた夜に靴下一足―など、困窮から手を伸ばしてしまうケースもあるという。

 
那覇署で19日に開かれた「万引防犯対策会議」に参加した県内大手スーパー・サンエー那覇メインプレイス総合店長の嘉手川重さんは、各店舗だけにとどまらない防犯対策の必要性を強調する。

 
「逮捕だけでなく、万引が起きない環境を社会全体でつくることが本当の万引対策だ」と訴えた。





(2011年4月26日 沖縄タイムス)  

Posted by よーかい at 22:28Comments(0)沖縄「問題」。

2011年04月27日

小学1年の35人学級 法改正が成立 今年度から

公立小学校1年生の1クラスあたりの上限人数を40人から35人に引き下げる義務教育標準法改正が15日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。
近く施行され、今年度から適用される。


 
引き下げは1980年度に45人から40人に変更して以来31年ぶり。
合わせて、上限人数にとらわれすぎず、地域の実情に応じて学級の人数を柔軟に編成できるようにも改正した。
東日本大震災を受け、被災した児童の心のケアにあたるスクールカウンセラーの配置や学校施設の耐震化を求める付帯決議もつけられた。

 
きめ細かい授業の実施やいじめへの対応などのため、文部科学省は小中学校で少人数学級化を進める方針。
当初は8年かけて全学年で35人(小1、2は30人)以下に引き下げる予定だったが、財政難から教員の大幅増が難しく、今年度は小1のみの引き下げとなった。
文科省は今後も少人数学級を進めたい考えだが、具体的な実施時期などについては改めて検討するという。



(2011年4月15日 朝日新聞)  

Posted by よーかい at 22:19Comments(0)全国の最新動向

2011年04月27日

いじめへの不適切な学校対応、過去最多 法務省調査件数

昨年1年間に全国の法務局や人権擁護委員が相談を受け調査した「人権侵犯」約2万2千件のうち、いじめへの学校側の対応が不適切だったとする内容のものが前年の1.5倍の2714件に達したと、法務省が11日に発表した。
現在の分類で統計を取り始めた2001年以来最多となった。


 
昨年10月に群馬県桐生市で起きた小学校6年の女児が自殺した問題を受けて、文部科学省が全国の公立学校でのいじめ対策の取り組み状況の把握を進めるなど、学校側の問題意識は高まっている。
だが法務省人権擁護局によると、学校側が校内のいじめの存在に気づかず、被害生徒からの相談を受けて法務局側が学校に連絡し、対応するよう求めるケースが多いという。

 
このほか、学校での体罰や、言葉の暴力を含めた教職員による人権侵犯の調査件数も1159件に上り、前年より206件増加。
児童への暴行や虐待についての調査件数も、昨年は771件で、5年連続で増加している。


 
法務省は06年から、小中学生が悩みを書いて切手を貼らずに投函(とうかん)できる「SOSミニレター」を全国で配布している。
同省は
「全体の調査件数は横ばいだが、ミニレターや無料電話相談などが徐々に知られるようになり、子供からの相談が増えた」
としている。
「子どもの人権110番」は(0120・007・110)。




(2011年3月11日 朝日新聞)  

Posted by よーかい at 22:15Comments(0)全国の最新動向

2011年04月26日

もうすぐ777,777アクセス!

おかげさまで、もうすぐ777,777アクセスですヽ(≧▽≦)ノ



77万7千7百7十7人の累計来場者になります。
本当に、ありがたいことです。


読んでくださっている方、一人一人の手を握りながら、感謝の言葉を伝え、それぞれの思っていること、感じていることを伺いたい気持ちです。


ともかく、ささやかですが、日頃の感謝の気持ちを込めて、キリ番大会を今回も開催したいと思います!



777,777の幸福のキリ番を踏まれた方は、コメント欄にご一報くださいませ。
ゴールデンウィークに沖縄に里帰りする予定ですので、沖縄から何か送りたいと思います。



ゆたしくうにげーさびらm(_ _)m  

Posted by よーかい at 03:48Comments(1)なかゆくい

2011年04月22日

上関原発予定地取材記。:4

どうにもこうにも、深く考えれば考えるほど、答えのでない難しい問題です。


※今回、ものすごく長文になることは、ごめんなさい、あらかじめ謝っておきますm(_ _)m


とりあえず、これまでの内容について、簡単にまとめてみます。


Ustreamやツイッターで上関原発についての話題をよく見ていました。
それは、一般的なニュースにはならないことでした。
けれど、見ていると「祝島住人+全国の反原発派vs中国電力」の構図で、当事者であるはずの上関町の住人がまったくといっていいほど表に出てきませんでした。
いったい、どういうことなのだろう?そんな違和感を確かめるべく、現地へ行って、見たことが契機でした。

やっぱり、百聞は一見に如かず、でした。





上関原発からは、東山口の変電所を経由して、そこから主に広島、岡山、関西方面へ電力が送られるということです。
まず、これは現地だけの問題と言うよりも、都市部と過疎化の進む非都市部との間にある、一種の従属・被従属といった「南北問題」ともいえる構造があるということです。


さらに見てみると、過疎・限界集落の問題が、原発推進の背景の大きな「構造」になっていることがわかりました。
基本的な福祉や医療が行き届かず、産業もない状態。
それでも、その土地で生きていくための手段が他に見あたらないということがあるのです。


ツイッターでも話題になった、『福島には原発が必要だった』というブログ記事があります。
「必要だ」ではなく「必要だった」です。
とても正直に、現地の状況を書いてくださった素晴らしい文章だと思います。

町の財政が非常に悪化していたこと、そして、説明会などでは「原発は絶対に安全」ということが繰り返し強調して説明されてきたこと……財政難の過疎地での「藁にもすがりたい」という気持ちは、原発受け入れ地だけの問題ではありません。


単に一つの原発や、その受け入れ地域を叩くのではなく、そういった過疎と財政難につけこまれる「構造」自体をなんとかしないと、原発問題の解決はないと考えます。


そして、現状ではやはり上関町も老人福祉など、「地元で生きるための最低限のラインを確保するため」原発の交付金を使用しています。
本来憲法で保障されているはずの「最低限の文化的生活」が、こういった過疎地では保障されていないのです。

それを補うために「原発受け入れ」という選択肢を選んだ上関住民を責めることはできないのではないでしょうか?


もちろん、これは原発が賛美されるようなものではなく、本来行政や福祉が行うべき事が行われていないことに問題の本質があります。


そして、福島原発の例をみてわかる通り、事故がおきたときには、とりかえしのつかないことになりますし、一番被曝して被害を被るのも、また受け入れ地の住人でもあるのです。


もちろん、個人的には原発はないほうがいいと考えます。
ただ、いわゆる「反対派」が述べる言説にある、『原発が嫌なら声をあげて廃炉に追い込む行動をしなければ「容認」と同じ』という言葉や、「受け入れ」を表明した地域を、交付金に目がくらんだ「金の亡者」だとか、地球を滅ぼす「加害者」だとかいうのは、全くの筋違いなのではないでしょうか?


 
ここで、いまこの文章を書いている自分自身が掲げたい大前提を、声を大にして(太文字にして)表明したいと思います。


【いかなる状況であれ、立場の弱いものたちの生活や人権はなんとしても守られなくてはならない】



これだけは、外せない“原点”です。
仮に考えが違う相手でも、その相手の人権を無視するような言説や行動、さらには差別はあってはならない。


他に、原発の問題を考えたときに、もう一つ難しい問題があります。
それは、日本の産業をぎりぎりのところで下支えしている町工場の人達の生活です。

さきほど、上関からの電気は、現地住民が使うのではなく、広島や関西の都市部に送られるものだと書きました。
その都市部の中にも“格差”が存在します。
とくに、電気代が高くなると操業がなりゆかなくなる町工場で働いている人達の生活の問題があります。

現状では、代替エネルギーはまだコストがかかりすぎるのです。
ぎりぎりで操業している工場のひとたちに対して「電気代が高くなっても、安全のためには我慢しろ」では、倒産や自殺が相次ぐことになってしまいます。



また、福島や上関町などの原発推進地の人達の人権について、非常に気がかりなことがあります。
強硬的に「反原発」を唱える人ほど、原発推進地の人達に対して、
「現状がイヤなら、その地からでていけ」
「金貰っているんだから、被災しても文句言うな」

という言説を多く見かけます。

それは違う、差別になってしまうと叫びたいです。

現地を出て行くことができるひとたちは、そういう土地ではとっくに現地を出ています。
例えば上関町でも、もともとの過疎化に加え、ここ最近になって急激に過疎化に拍車がかかっていることなどに顕著に現れています。
「それでも」、様々な事情(引っ越し費用、人間関係、土地への愛着等)から、出て行くことができない人達がいるのです。
その地で一生を過ごさねばならない人達がいるのです。

彼らを「棄民」してはならないと思うのです。
 


ただ、そうはいっても、原発には安全性の問題をはじめ、様々な問題が山積みしていることも事実です。
それに、沖縄などもそうなのですが、交付金に頼っていると自立が阻害されたり、交付金を使って必要のないハコモノを建設したり、意味無く使わない道路の工事や埋めたてが行われて、山野や海がめちゃくちゃになることも見てきました。

上関町でも、現在までは福祉を中心に交付金が使用されてきましたが、ハコモノを2施設建設するという計画があるそうです。

こういったハコモノで潤ったという話は全国的に聞きません。
作ったはいいものの、その後の管理運営費に四苦八苦する話もよく聞きます。

また、原発関連で生じる雇用は一時的なものです。
建設の利益は、都市部の大手建設会社に回ります。
完成後は、地元におりてくる利益はほとんどないことが常態です。


そして、やはり原発の話で避けて通ることができないのが、事故や被災の可能性です。
被災で直接的な被害を被るのは、都市部の人達ではありません。
原発を受け入れた、過疎・限界集落の現地の人達なのです。

「原発は安全」という神話がありましたが、もとから政府は、「被災可能性がある」ことがわかっているからこそ、交付金を出すのです。
本当に安全だったら、公共の福祉のために用いられる施設の建設予定地の人達に、お金なんて一円も出しません。
その欺瞞は理解していないと、後々大変なことになります。



さて、繰り返しになりますが、そこには、福祉や人権の問題といった「構造」がありました。

人権や生活を守りつつ、「構造」を打破する道を探る必要があります。


期待された方には、謝るしかないのですが、解決策は提示できません。

それでも、「少しはなんとかできるかも」「マシにできるかも」な部分を増やすための可能性の話をしたいと思います。


もしかしたら、ここで述べるものは、実行不可能なものや現地に合わないものもあるかもしれません。
実際、いろんな制度を調べているうちに、初めは「これは有効だろう」と思っていたものが、実際は机上の空論に終わることが見えたものがいくつもあって、頭を抱えてしまいました。

それでも、何かの叩き台になればいいなと思い、いくつか提言を挙げてみようと思います。


正直に言うと、誰もが幸せになる道はありませんが、「誰もがちょっとずつ不幸を分け合う」ことができれば、それが最適解なのかもしれないとも思います。


○都市部の問題について:  

原発は、いわば「都市部の生活のためのエゴ」でもあります。
それは、福島で作られた電気は東京へ送られること、上関で作られた電気は広島や関西の都市部へ送られることからも明確です。

ありきたりな言葉になりますが、都市部の生活スタイルの変化は必要だと思います。
過疎地の人達を踏みつけにして成り立つような暮らしをこのまま続けていいのか、という問いになります。


また、現在は東日本と西日本では使用電力は周波数が違います。
だから、例えば西日本で余っている電気を東日本に送ることが不可能な事態が生じてしまいました。
この周波数の違う電力を、相互換算できるようにすることは重要な課題です。

この件については、調べてみると、電力融通を、5年以上かけて現状の数倍の300万~500万キロワットに増やす方針だそうです。(2011年4月14日、朝日新聞より)

また、現在では、作られた電力をプール(保存)する施設がとても限られるそうです。
とくに、原子力でつくられた電力は時間を選ばないため、夜間は余剰電力が発生するのに、その余剰電力を昼間の電力に生かせないという現象が発生しています。

そうした電力をまず備蓄できるようにしていくこと。

そうやって、現行のインフラを固め、都市部内での格差がある場所(町工場など)に必要なエネルギーが値上げせずとも行き渡るようにしたうえで、代替エネルギーが安く得られるよう、研究・開発を進めていくべきだと考えます。


実際問題、様々な代替エネルギーの可能性はでてきています。
原発が国策として最も推進されたのはもう30~40年前の話です。

パソコンや携帯電話も、この十数年で爆発的に普及し、安くなり、技術が進歩しました。
同じように、代替エネルギーも現状ではコストがかかりすぎますが、将来の可能性は大いにあると考えます。
ただ、それは一朝一夕に進められるモノではないため、まずは現状にあるものでなんとかしなければならないと考えます。


○電力会社に競争を取り入れる:  

現在、電力会社には競争がありません。
それぞれの地域の電力会社(関東なら東電、中国地方は中電など)の独占体制です。
これは、さらにその上部組織の経済産業省などの政治組織の「国策」でもあります。

ここに競争を取り入れていかないことには、代替エネルギーも安くなりませんし、原発推進のために過疎地が狙われることになります。
原発受け入れ地が「受け入れ」を決めるまでには、本当にどこも様々な紆余曲折があり、苦悩があります。
地域が推進と反対に二分してしまい、もとからあった共同体が機能不全に陥ってしまうことも頻繁にあります。

立場の弱い地域は、そのように、「国策」に翻弄されてしまうのです。

そして、その多くが地域の弱みを詳細に調査したうえで行われるので、対抗することが難しいのです。
だからこそ、「国策」だけではないオルタナティブが必要だと考えます。



○「Iターン」という選択肢:  


過疎地の多くは、UターンやIターンで人が来ることを積極的に受け入れようとしています。
これは、上関町も例外ではありません

例えば、「定住促進住宅の整備(※平成21年度の資料では同年に3戸建設予定)」という制度があります。

上関町へ定住を希望されている家族や移住を考えている家族の方に対し、木造二階建・4DKの電化住宅を福浦地区に建設し、将来的には入居された方に払い下げ、定住の促進を図るというものです。


原発反対を本気で考える人達は、安全な都市部から声を出すのではなく、こういった制度を利用して、現地の人達と「共に」考えていくというのは一つの方法だと思います。
住むことで、初めて見えてくることもたくさんあります。

もっとも、この事業の元のお金が、原発の交付金から出ているのは皮肉な話ではありますが…。


あと、これはあまり勧めたくない「裏技」ですが、現地に住民票を移して3ヶ月居住すると選挙権が得られます。
現在、上関町でも原発反対派は4割ほどいます。
それと合わせると、600~700人も反対派が住めば、現状の原発に対する賛成と反対が逆転するという現象が生じます。

ただし、
・移住者は町民に受け入れられないことは覚悟した上で
・それでも対話をあきらめず、粘り強く話し合うこと
・いったん、原発「賛否」の価値観を捨てて、幅広く現地の良いところも悪いところも見ること
・選挙後も住み続け、労働力になること
・現地に貢献すること

これらは絶対条件であり、必要最低限のマナーだと考えます。
それがなければ、移住しても迷惑なだけです。

実際に、某宗教団体を母体にしたとある政党は住民票を3ヶ月移して、選挙が終わると同時に住民票を引き上げることをしているという話はよく聞きますが、それと同じ汚いやり口になってしまうということは、強調しても強調しすぎることはないでしょう。



○上関町を訪れた人は、上関町の生活も意識的に見てみる:  


これだけなら、ハードルはずっと低くなると思います。
全国から、「反原発」で上関町を訪れる人はたくさんいますが、上関町の人々と交流することはおろか、彼らの生活をまったく見もしないで、騒ぐだけ騒いで帰ってしまうことは非常に残念です。

いわば、「木を見て森を見ず」な状況なわけです。

上関町の自然について書かれた、いわゆる「反原発派」によるブログはたまに見かけますが、そこに地域の人達の暮らしについて書かれた文章を見かけることは、まったくと言っていいほど皆無なのです。

どんなに豊かな自然や綺麗な海があっても、それだけでは生きていけません。
それどころか、むき出しの自然は、人間にとって大きな脅威となって襲いかかることの方が多いのです。

ともかく、現地を訪れた人達は、どういう理由で訪れたのであれ、原発だけに視野狭窄するのではなく、上関町民の生活などに関心を持って先入観をなるべく持たずに見ることをして欲しいと願います。


抽象的な「反原発」よりも、原発を必要としなくても暮らせるような、人間らしい暮らしを取りもどすことへの協力を、現地を訪れた人達には考えて欲しいと切望します。


それがなければ、「反原発」を掲げることは、ヒューマニズムにもとる、ただのクレイマーでしかないと考えます。


 

○過疎地に対しての支援制度を利用する:  


実は過疎地には、支援制度が存在します。
それは、『過疎地自立対策特別措置法』といいます。

産業の振興、生活環境の整備、高齢者の保健及び福祉の向上及び増進、医療の確保、教育の振興、集落の整備などを支援するお金が公費ででます。

28年前に、上関に原発案が持ち上がった段階ではその制度があったかどうか、また、上関町が条件にあてはまったかどうかはわかりません。
けれども、現在の上関町はその制度で規定する「過疎地」にあてはまります。(※山口県の公式ホームページで確認済みです。)

原発の交付金があったせいかわかりませんが、上関町はまだその制度を一度も利用していないようです。
最新版の『山口県過疎地域自立促進計画について』のPDFは以下のアドレスになります。

http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a123003/kaso/hosin-keikaku/apd1_3_2011020117163804.pdf


この制度を使えば、原発の交付金ほどのお金は入らなくとも、最低限の現状維持は可能かもしれません。
ただし、山口県は過疎地が上関町に限らず非常に多い県なので、どのくらいの支援費が入るのかは未知数という問題はあります。
それでも、一考には値するのではないかと考えます。



○NPOによる、共同体生活ネットワークサービスの利用:  


上関町では、商店がないことにより、生鮮食品の入手も困難な家庭が多いと聞きます。
もしかすると、生協のような宅配でのサービスもないのかもしれません。

このような分野を、なるべく費用の負担をサービス受益者に負わせずに行うNPOも存在します(もちろん、無償とはいきませんが)。
こういった、NPOを活用して地域の共同体のあり方を作り直してみるという方法も一案だと考えます。

実際、過疎地の自立支援を専門にするNPOもあります。


現在、上関町では、細々と行われている農業や漁業についても、農協や漁協がきちんと機能していないという話も聞きます。
流通ルートがないから、産業が先細るのです。

こういった、販路をNPOを通じて開拓していくことも、地域の自立に向けた取り組みとして意義のあることではないかと考えます。



○「エンパワメント」という概念:  

エンパワメントとは、直訳すると「力をつける」ということですが、もっと正確にいうと「自分自身の力で問題や課題を解決していくことができる社会的技術や能力を獲得すること」になります。
援助・被援助ではない、第3の道です。

この「エンパワメント」という概念を用いた福祉問題へのアプローチでは、当事者たち自身がそのおかれた状況に気づき、問題を自覚し、自分たちの生活をコントロールしたり、改善したりする力をつけることが目指されます。


実際、この概念は社会的マイノリティや少数民族、女性、障がい者の自立に関する考え方のベースとして使われています。

力(Power)をつけること、ないし力を獲得すること。
社会的・経済的な力をもたない貧しい人々や女性など、制度化された政治的・経済的過程に参加できず、人間開発の過程から排除され、力を奪われている(Disempowered)人たちが、自らの自己決定能力といった心理的な力や、社会的・政治的・法的な力を獲得する(自己をエンパワーする=self-empowerment)こと。

1970年代半ば以降、国連や国際会議の場で、「オルタナティブな開発」が唱えられ、「開発と女性」「持続可能な開発」、等が論じられる中で、貧困からの脱出や開発途上国の女性の「基本的ニーズ」に答えるための、環境・福祉優先型開発の必要が提起されるようになりました。
そうした議論の中で強調され、広まってきたのが、「エンパワーメント」の概念です。


交付金依存の生活では、自立ができなくなります。
そこからの脱却を考えていく上で、外せない概念だと考えます。

また、この概念を実際の生活に当てはめて実践していくには、先ほど挙げたような、過疎地支援を専門にしているNPOの協力を仰ぎながら、しっかりとしたロードマップ(工程表)を作成し、住民合意の元で行われる必要があります。


○外部人材の受け入れと「山村留学」: 


先に挙げた、「Iターン」の話とも絡んできますが、過疎地でのIターンや外部人材の受け入れが成功している地域があります。
例えば、島根県隠岐島の海士(あま)町。

なぜか「勝ち組」若者が移住してくる離島 5年半で230人の新規定住者獲得~島根県・海士町


もちろん、地域的条件が同じではないですから、そのまま取り入れられない部分は多々あるでしょう。
それでも、参考になりそうな部分も多くあります。

例えば、2010年4月からスタートした「島留学制度」。
寮費を町が全額補助する学生寮を用意して、全国から学生を募集する。特色ある教育を打ち出すため、「地域創造」と「特別進学」の2コースを新設しています。

地域創造コースは、「将来、家業を継ぎたい」「地元の町を元気にする仕事をしたい」「いつか村長になる」など、地域社会で自立・活躍できる人材育成を目指すものです。
豊かな地域資源を活かした独自のプログラムや自然体験を通じて、主体性・想像力・コミュニケーション力を磨くことを目指しています。

特別進学コースは、大手予備校がない島の生徒でも難関大学を突破できる学力をつけるためのカリキュラムを用意し、少人数の徹底指導に加えて、島外から「進学のプロ」を招いた公営塾まで設置することを売りにしています。


このようにして、外部からの若い人材の確保、そして、地元で育った人が地元で仕事を創出する『人の自給自足』の流れを作り出そうとしています。


こういった離島での、子どもたちの受け入れは沖縄県などでもよく見られます。
例えば、久高島での「山村留学」。
久高島は他の多くの離島や僻地と同じように近年人口が減少し、学校も超小規模校となっています。
しかし、過疎や小規模校と言うハンディを逆手にとって、沖縄のこのような島だからこそできる活動があるということを「活動趣旨」で述べています。

全国の不登校児童生徒や、親が養育しにくくなった子どもたちをこういった地で受け入れ育て、やがては地域に貢献する人材に育てようと、地域ぐるみ島ぐるみで取り組んでいると聞きます。

このようなことは、沖縄では鳩間島や渡嘉敷島でも行っています

鳩間島は、ドラマ『瑠璃の島』でもその様子が有名になりました。
かつて過疎化により島の小中学校が廃校の危機に直面したことから、島の人が「里親」となって島外からの児童を里子として受け入れる「海浜留学」を実施しているのです。


このような取り組みは、上関町などの過疎地域でも行うことができるのではないでしょうか?
将来の人材育成のためにも!




以上、様々なことを述べてきましたが、簡単な解決策はありません。
だから、どうしても、歯切れの悪さ、後味の苦さは残ります。
それでも、そういった諸々を受け止めつつ「共に生きて」いくことを志向したいです。



これら過疎地の人権、生活の確保が達成できたとき、初めて大きな声で「原発は必要ない、いらない!」とやっと言えるのだと思うのです。  

Posted by よーかい at 04:17Comments(8)一日の雑感。